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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
電車に乗ると、脱毛や薄毛治療などの広告が多いことに気づきませんか? その謎は、「どの業種が」「どこに」「誰に向けて」広告を出すのかを考えることで解ける、と入山先生は言います。アドテクノロジー全盛の時代にあって、テレビにもインターネットにもない電車広告の強みとは?
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広告の主戦場はネットに移ったはずなのに、なぜ?
こんにちは、入山章栄です。
今回は、Z世代であるBusiness Insider Japan編集部・荒幡温子さんのこんな疑問について、一緒に考えてみたいと思います。
BIJ編集部・荒幡
最近、電車に乗るたび、脱毛の広告が多すぎると感じます。ほかにも美容整形や痩身、薄毛治療など、見た目に関する広告ばかり。どうせなら私はコンビニスイーツの新製品情報などが知りたいのに、そういう広告は皆無で、たまにドアのところに「ガリガリ君」のステッカー広告があるぐらいです。
広告の主戦場はもうSNSなどインターネットに移ったと思うのですが、なぜ見た目に関するビジネスの広告だけが電車に残ったのでしょうか?
これは面白い指摘ですね。確かにいま、電車の中でエステティックサロンや美容整形外科の広告をよく見かけます。そこで、僕もその理由を考えてみました。「どの業種が」「どこに」「誰に向けて」広告を出すのかを考えると、謎が解けてくる。ただしこれは経営学者としての僕の推論なので、もし間違っていたらどなたか教えてください。
まず、「業種」です。エステや美容医療の業界について考えてみましょう。この業界は競争も激しいけれど、うまくいっているところはとても儲かっています。なぜならサービスの単価が高いから。広告には「こんなに安いですよ」と書いてあるけれど、それでも高額であることは間違いない。
はっきり言うと、脱毛や薄毛治療、痩身や二重まぶたの手術などは、人のコンプレックスを解消するサービスです。このようなサービスに、人間はお金を惜しまない。だから儲かるのです。
例えばムダ毛を脱毛しようとすると、もちろん会社によって料金設定はいろいろですが、下手をすると総額50万円くらいかかる。しかも一度入会すると、いろんなクリームやお手入れ用品なども勧められる。気づいたらあら不思議、80万円くらい払っていた、ということもある世界なのです。
BIJ編集部・荒幡
確かに脱毛サロンに行くと、頼んでもいないのに、クリームとかいろいろ加算した見積書を最初に見せられます。もちろん断ることもできますが、断らないとその金額になるんですよ。見積書が2種類用意されていたことに驚いてしまいました。
それは「こういうものもありますよ」と一押しするだけで、お金を出す人が多いからですよね。それくらいコンプレックス解消ビジネスはうまくやれば儲かる。だから広告を出せる。これが1点目。
2点目に、広告を「どこに出すか」です。ご存じのように、広告にはたくさんの種類があります。ネットもあればテレビ・ラジオもある。街中の看板やポスター、デジタルサイネージもある。交通広告にもいくつか種類があって、電車の天井からぶらさがっている中吊り広告もあれば、ドアに貼るステッカー広告もある。バスの車体のラッピング広告もあるし、最近はタクシーの車内でもCMが流れています。
そして広告の料金というのは、通常は多くの人が目にする媒体であればあるほど、料金が跳ね上がります。博報堂DYメディアパートナーズの調査によれば、最も多くの人が接触するメディアの1位がテレビ(88.7%)。2位がインターネット(86.1%)。3位が駅や電車、バスなどの交通広告(74.4%)です。
これが広告のビッグ3ですから、交通広告というのはなかなか多くの人が見ていることになる。しかし、そのわりに料金が安いのです。僕の調べたところ、電車の中吊り広告を1週間出すとだいたい200万円。一方テレビは、下手をすると億単位の世界ですよね。
テレビ広告もかなわない車内広告の強みとは?
そしてここからが最大のポイントですが、3位の交通広告には、1位のテレビや2位のインターネットにない最大の特徴があります。
それは「否応なしに目に入る」ということなんです。
いまのネット広告はアドテクが進んで、特定の人に特定のものを当てるというやり方が主流になっています。つまり30代の人がネットを見れば30代向けの広告が表示されるし、園芸用品を検索した人には園芸に関する広告が表示される。その点は効果が高いけれど、広告を見せられるほうは、見たくなければ見なくても済む。これはテレビも同じですね。ネットなら画面を閉じればいいし、テレビなら消せばいい。
ところが交通広告は、目の前にあれば否が応でも見ざるを得ない。これを「強制型広告」といい、交通広告はその最たるものです。そういう点では、安いわりに広告の認知率が非常に高い。
そして美容クリニックのようなところは、儲かっているけれど大資本ではないので、予算に制限がある。ということは高須クリニックでもない限り、テレビ広告をバンバン打つことはできない。そう考えると中吊り広告がベストなのです。
そして3点目のポイント、「誰に向けて」広告を打つかです。交通広告を見る人たち、つまり電車をよく利用するのは、通勤する人です。この層は平日の昼間はテレビを見ない人たちです。平日は会社にいますからね。忙しいから夜や休日も、あまりテレビを見ません。しかし美容医療にお金を出せるのは働いて収入を得ている、こういう人たちです。そして薄毛治療などは40~50代の働き盛りの人たちがターゲット。
ということは彼ら彼女らにしっかりと広告を見せたいのであれば、テレビ以上に電車の中吊り広告が最も適しているということです。
さらにここからは僕の解釈ですが、中吊り広告はスマホと連動させやすい。電車の中は暇だから、広告を見て興味を持ったら「◯◯クリニック」をスマホで検索するでしょう。広告を見た人がその場でスマホで検索してポチッとしてくれるなら、企業にとってこんなにありがたいことはありません。
BIJ編集部・荒幡
中吊り広告はアナログだと思っていましたが、スマホと相性がいいんですね。
その通りです。マーケティングの理論でいえば、お客さんが購買に至るまでのプロセスは広告を認知することから始まります。だから認知されないと話にならないのですが、強制的に見せられる中吊り広告は認知される度合いが高い。そして電車の中ではみんなスマホを持っているから、そこからスマホに誘導するのが容易。そういう意味では、電車内に脱毛や痩身や美容整形などの広告が多いのは、非常に理にかなっているんです。
それからラジオを聴く習慣がある人はご存じだと思いますが、いまラジオで圧倒的に多いのは「過払い金請求」などの法律事務所系のコマーシャルです。これは過去にカードローンなどの借金をしたことがある人は、法律で決められた率よりも利息を多く払いすぎているケースがあるので、法的な手続きをすればその分が返ってきますよ、という宣伝です。
僕が思うに、ラジオのリスナーには理髪店や飲食店を営んでいる人、あるいはトラックドライバーなど、仕事をしながらラジオを聴いている人が多い。そういう人たちの中には、過去に生活が苦しかったとき、少額の借金をしたことがある人もいる。だから過払い金の広告が刺さるのでしょう。
さらにラジオのリスナーには年配の方が多いので、通信手段はインターネットではなく電話です。だから法律事務所のラジオCMでは「過払い金が戻ります。検索してください」とは言わず、「この番号に電話してください」と電話番号を連呼するんですね。
BIJ編集部・常盤
電車内の景色に溶け込んでいる広告ですが、意識して見てみると、そこには企業の戦略が隠れているんですね。これからは電車に乗るたびに脱毛の広告を見る目が変わってきそうです。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。