中国最大の不動産デベロッパー「碧桂園」がデフォルト危機に直面している。
Reuters/CHINA STRINGER NETWORK
2年にわたって膠着していた中国の不動産業界の債務問題が、再びメディアをにぎわせている。新築住宅価格の下落、恒大集団の米国での破産申請とニュースが相次ぐ中で、最も不気味なのは、業界最大手「碧桂園」のデフォルト危機だ。碧桂園がどんな企業なのか、デフォルトになった場合の経済への影響について、2回にわたって考察する。
前半は碧桂園の成長史と謎に包まれた創業者について。
プロジェクト規模は恒大の4倍
不動産市況の悪化が止まらない中国で、7月から碧桂園の苦境が連日のように報じられている。
同社は8月6日に期限を迎えた2250万ドル(約33億円、1ドル=145円換算)相当の社債の利払いを履行できなかった。30日間の猶予期間内に支払わなければデフォルトとなる。8月10日には2023年1~6月期の純損益が450億~550億元(約9000億~1兆1000億円、1元=20円換算)の赤字になる見通しを示し、「政府と管理当局の支援を求める」との一文も添えた。一部の債券償還について、「重大な不確実性がある」との声明も出しており、2年前に経営危機が表面化し、いまだ進捗が見られない恒大集団を思い起こさせる。
関係者の多くは、碧桂園がデフォルトに陥った場合、中国経済に恒大よりも深刻な打撃をもたらすと見ている。不動産販売額・面積ともに2017年から首位を維持する碧桂園は、中国の小規模都市を中心に恒大の4倍のプロジェクトを抱えているからだ。
鄧小平の改革開放路線に乗って創業
マレーシア・ジョホールバルで売り出した物件は中国人に大人気だったが、マレーシア政府の方針転換で混迷を深めた。
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碧桂園は1992年、香港に近接し輸出工業の拠点としていち早く発展した広東省仏山市順徳区で創業した。同年、鄧小平氏は天安門事件以降の経済停滞を打破するため、各地で改革・開放の加速を呼びかけ(南巡講話)、この年の中国の不動産投資は前年の倍以上に増えた。
碧桂園の最初のプロジェクトは仏山市の大規模集合住宅建設だった。創業者の楊国強氏は、「貴族学校」と呼ばれた高所得者層向けの私立学校を誘致し、プロジェクトを成功させた。住宅地開発にインターナショナルスクールやショッピングセンター、病院を誘致するのは今や定石だが、市場開放間もない中国では非常に斬新な手法だったようで、楊氏の才覚を示す逸話として語り継がれている。
1999年に第2のプロジェクトとして広東省の省都・広州市で展開した集合住宅建設は、販売初月に3000室を販売し、3カ月で完売した。経済成長の波に乗った碧桂園は2007年に香港証券取引所に上場し、中国全土で名を知られるようになる。翌2008年、同社は北の果ての黒竜江省や内モンゴル自治区を含めた全国で、23の大規模集合住宅開発プロジェクトを手掛けた。
2011年にはマレーシアに進出した。中国のGDP成長率が1けたに減速した2010年代は、碧桂園だけでなく多くの中国不動産デベロッパーが海外に布陣を広げた。
同社がマレーシアのジョホールバルで手掛ける「フォレストシティ」は、日本でも一時期頻繁に動向が報じられた。シンガポールに隣接する人工島に20年で約4~5兆円を投じ、70万人が住む新都市をつくるプロジェクトで、現地の市民ではなく中国人投資家を主な購入ターゲットとしていた。だが、マレーシアのマハティール首相(当時)が2018年にフォレストシティに住む外国人にはビザを発給しないと宣言し、当初の計画が大きく狂ったことでも知られる。
ともあれ、碧桂園は大型プロジェクトを次々に展開して成長を続け、2017年には不動産販売金額で中国首位に立った。
富豪ランキングに顔を出さない創業者
2007年、碧桂園が香港証券取引所への上場を祝う楊国強氏。
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碧桂園が不動産販売で中国トップに立った2017年、中国富豪ランキングで初めて首位に躍り出たのが、恒大集団創業者の許家印氏だ。
不動産業界はインターネット時代の前に、持たざる者を大富豪に押し上げるチャイナ・ドリーム的な産業だった。恒大の許氏も碧桂園の楊国強氏も貧困家庭の出身から財を成した立志伝中の人物だが、生きざまは対照的だ。許氏は2010年代後半に本社を広州市から深セン市に移し、新社屋として高層ビルを建て始めたが、碧桂園の創業者である楊氏は本社を仏山に置き続け、富豪ランキングにも単独では登場したことがない。
楊氏は1955年、農家の6番目の子として生まれた。家庭は貧しく、17歳まで靴を履いたことも、新しい服を着たこともなかったという。ウシガエルの養殖や塗装工で収入を得て貧困から脱し、建設作業員として建設業界に足を踏み入れた。
楊氏はメディアの取材を全く受けないため、謎の部分も多い。ただ、成功してからも生活ぶりは変わっておらず、スーツを着ることはほとんどなく、大衆車のフォルクスワーゲンに乗り続けたと言われる。自社の都市開発の現場に顔を出しても、あまりに普通の格好のため現場の作業員はもちろん、社員にすら気づかれないという。
富豪ランキングに登場しないのは、2005年に保有する全株式を次女の楊恵妍氏に譲渡したからだ。碧桂園が上場した2007年のフォーブスアジア版富豪ランキングでは、同社の株式の70%を保有する26歳の楊恵妍氏が突如中国トップに浮上した。
累計寄付額は1000億円に迫る
楊国強、恵妍父子は慈善家としても知られ、内閣に相当する国務院のホームページでも特集されている。楊国強氏は自身が子ども時代に学費を免除されて勉強を続けられたことや、塗装工という「手に職」があったことで貧困を脱したことから、特に貧困家庭の就学支援、職業訓練に私財を投じており、学費・寮費無料の高校や職業訓練校の設立などを通じて、父娘合わせて4万人を超える子どもたちを援助してきた。国務院によると2人の寄付額は合計48億元(約960億円)を超える。ちなみに恵妍氏は経営危機に揺れる現在の局面でも、高額の寄付を行いニュースになっている。
楊国強氏は高齢を理由に今年3月に取締役会トップから退き「特別顧問」に肩書を変えた。不動産市況や企業の状況が影響しているかは分からない。
習近平国家主席が「共同富裕」を掲げる前から公益活動に身を投じ、中国の成長基盤をつくってきた楊国強氏は、習政権が理想とするような企業家である。創業した仏山市順徳区から本社を移さず、同地の教育インフラに多大な貢献をしているため、同市政府にとっても守りたい企業だろう。
苦境に陥った背景は恒大と大きくは変わらないが、その他の面では模範的企業である碧桂園については、政府は救いたいのではないか。個人的にはそう考えている。
次回は碧桂園が巨額の赤字を出した背景について解説する。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。