ウズベキスタンに滞在中の岡根谷さん。「ディムラマ」という野菜の蒸し煮料理を盛り付けている。
提供:岡根谷実里
「世界の台所に行く理由は、仕事だからではありません。『知りたい』からです」
そう語るのは、世界の台所探検家・岡根谷実里さん。
元同僚につけてもらったというユニークな肩書きの通り、世界各地の台所で現地の人と一緒にごはんを作り、食卓を囲む。その経験から見えてくる暮らしや社会の様子を、書籍や授業を通して伝える活動をしている。
2023年『世界の食卓から社会が見える』を上梓した岡根谷さんに、世界の台所探検家の活動について話を聞いた。
神格化されたブータンで見た現実
インドネシア・ジャカルタ郊外、お母さんとお手伝いさんと一緒に台所に立つ岡根谷さん。
提供:岡根谷実里
──岡根谷さんは今、モンゴルのウランバートルにいらっしゃるんですよね。
そうなんです。これから、ゲルで暮らす一般家庭にお邪魔して、一緒に台所に立ってきます。ちょっと前まで中央アジアに滞在していたんですが、その時に乳製品の加工について興味を持つようになって。その分野で優れた知恵を持つモンゴルで、もっと知りたくなって訪れることに決めました。
──岡根谷さんは世界の台所探検家としては20カ国以上、これまでの人生も含めると70の国と地域を訪れたそうですね。具体的にどんなことをされてきたのでしょうか?
ただ世界のさまざまな国の台所に行って話を聞くだけではなく、実際に台所に立つことが、世界の台所探検家としての仕事です。
私は、単に郷土料理の作り方、つまりは代表的なレシピを知りたいわけではないんです。
「なぜその料理を作るのか」とか、「その料理が現地の人たちにとってどんな存在なのか」とか、「普段の生活の中で何を食べているのか」とか。“日常生活における料理”を知りたいと思っているので、リアルな家庭の台所にお邪魔しています。
よく「○○への渡航は、仕事のためですか?」「今回の旅は書籍にするんですか?」と質問されることも多いのですが、仕事のために行っているという意識もなくて。
純粋に興味がある地域の台所にお邪魔して、そこで知った知識や湧いてきた疑問を蓄え、考察して、あとから裏付けを取って、SNSや講演で発信しています。
ブータンの田舎、現地の家族の食卓の風景。
提供:岡根谷実里
──X(旧:Twitter)を拝見したのですが、取材日の前日まではブータンにいらっしゃいましたね。
ブータンという国は、「最後の桃源郷」や「幸せの国 」と語られることも多く、何かと話題となっていて、いつか行きたいなとは思っていたんです。
今回はブータンで開かれたカンファレンスに参加しつつ、知人の紹介で、5軒のおうちに2~3日ずつお邪魔して、一緒に台所に立ってきました。
──実際に訪れてみたブータンはいかがでしたか?
実際のブータンは資本主義・民主化が進む社会と、これまでの伝統との間で揺れ動いている姿が印象的でした。
山岳地帯のとても厳しい自然環境の中にあり、食料自給率が低く、多くを隣国のインドなどの輸入に頼っていることや、国自体が経済的に豊かでないという背景もあってか、食文化という面では決して豊かというわけではないように感じました。
—— 一般的に言われるイメージからは、乖離があるように感じますね。
若者の間では韓流ブームが起きて、K-POPの音楽や韓国のラーメンが流行っていたり、田舎の家を訪れたら、小さな子が「どうしてもスナックを食べたい」とねだり、隣村までお父さんが買いに行ったりする場面も目にしました。「幸せの国」という神格化されたイメージと、現実の生活とのギャップを確かに感じましたね。
勝手にイメージを作り上げてしまうことの危うさや、「幸せ」とはどんなことなのだろうかなど、いろんなことを考えさせられました。
──ブータンはご自身の興味がきっかけで選ばれたということですが、普段は訪れる国やお宅を、どのように選んでいくのでしょうか。
知り合いづてに興味を持ち、行き先を決めることが多いですね。 例えば、知り合いの家にホームステイをしているインドの方が、ジャイナ教※を信仰していて。そこから興味を持って、日本で一緒に料理をさせてもらったのちに、彼の実家を紹介してもらったことがあります。
「言葉を信じない」コミュニケーション
日本茶のボタニカルティー、顆粒状の味噌、醤油、お菓子、折り紙などをコミュニケーションの糸口として持ち歩いているという。
提供:岡根谷実里
──岡根谷さんの著書では、現地のご家族との心温まる交流も垣間見えます。コミュニケーションを取る上で気をつけていることはありますか。
コミュニケーションの基本ですが、「伝えよう、分かろう」と意識しています。「言葉を信じない」ようにしていますね。
──「言葉を信じない」というのはどういうことでしょうか?
コミュニケーションにおいて、常に言語が万能というわけではないと思うんです。
例えば、同じ日本語話者同士が会話をしたとしても、「何を言いたいんだろう?」と思うことはありますし、意味が分かっても文脈まで読み取ることが難しいこともあります。
逆に、使用する言語が異なる者同士であっても、身体全体を使って「うれしい」とか「おいしい」と気持ちを伝えることはできますよね。料理もそのうちの一つ。
例えば言語が全く分からない国の台所にお邪魔したとき、私が調理したそうにじっと見つめていたら手伝わせてくれるとか、いつもは目分量で入れている調味料も、私が分かりやすいようにと、スプーンで計測して教えてくれることからも、伝わってくるものがありますよね。
全身を使って、相手を理解しよう、分かってもらおうとすることが大切なのだと思います。
──ブータンでは、岡根谷さんが持参したお茶を現地の方に振る舞われていましたね。
コミュニケーションの一つの糸口として、折り紙やお土産のお菓子、お茶や粉末の味噌、醤油などをいつも持ち歩いています。日本に興味を持ってくれる人には、それらを見せたり、一緒に楽しんだりすることもあります。いろいろなことを教えてもらうので、お返しをしたいという気持ちもありますね。
インフラ系志望から、ケニアで料理の力を知る
大学時代、ケニアでのインターンをしていた頃の岡根谷さん。
提供:岡根谷実里
──岡根谷さんはどういった経緯で世界の台所探検家になられたのでしょうか。
もともと独立する前は、新卒で入社したクックパッドに7年在籍していました。この活動も前半は、会社員をしながら世界の家庭に足を運んでいたんです。
大学時代にまで遡ると、土木工学を専攻し 、途上国のインフラを手がける技術者として、国際協力に携わることを志していました。
──そこから、どうして食に興味を持たれたのでしょうか。
国連のインターンシップで、ケニアの農家に滞在させてもらいながら、大豆加工工場の立ち上げに参加するチャンスに恵まれました。
毎日農家の家族と楽しく過ごしていたのですが、ある時、開発によって自宅や学校の立ち退きを命じられて、彼らの生活が一変したんです。生活をより良くしようと計画された開発のはずが、怒りや悲しみを感じている人々を目の当たりにして……。
しかしそんな日々の中でも、家の近くに生えている野草など、なんてもない野菜からおいしい料理を生み出して、笑顔で夕飯の食卓を囲む姿を見ていると、規模は小さいけれども、各々がそれぞれの手で何かを作って生活を動かしていくことほうが、開発のような大きな力で生活を変えていくことよりも、より力強く生きていけるのではないかと思ったんです。
この経験もあって、帰国後の就職活動では、世界中で料理に関する事業を展開するクックパッドに入社を決めました。
そこから7年ほど勤務して、コロナ禍を経て、「世界の台所探検家」として独立しました。
「世界に興味を持つ仲間」を増やしたい
出張授業の様子。
提供:岡根谷実里
──岡根谷さんは、小中高校への出張授業なども行っています。実際に、どんな授業をされていらっしゃるのですか。
料理を味わったり、作ってみたり、なぜその食べ物が食べられているのかを一緒に考えるワークショップ形式での授業を行っています。授業を受けてくれたお子さんの反応を見ていると、「食べることは、いろんな感覚や思考を掻き立てるのだな」と感じますね。
食べたことのないパンを食べたり匂いを嗅いだりした時に、小学校1年生の子が私以上に豊かな語彙でそれを表現してくれることもあるんですよ。
──どんなことを伝えるべく授業をしていますか。
料理を通して、「世界に興味を持つ仲間」を増やしたいと思いながら、授業をしています。
そのために、日常の中にある「なぜ」を捕まえて、能動的に楽しく世界へ興味が持てるような後押しをしたいと思っています。
食べたり料理をしたりして発生した「なぜ」を考えるきっかけにして世界に興味を持てたなら、世界で起きているさまざまな問題を自分ごと化する人が増えて、問題が少し良い方向に向くんじゃないかなと期待しています。
──世界の台所を見てきた岡根谷さんから、日本の台所はどのように見えますか。
日本の食をめぐる環境は、物質的にも文化的にも豊かで満ち足りています。毎日違うものを食べるし、外食の選択肢も多いし、コスパもとても高い。
例えばブータンの食事は、少ないおかずで多くのご飯をもりもり食べられるように作られていて、色々なものがちょっとずつ並ぶ日本の食事とは様相が違いました。
日本には確かに、豊かな食文化があります。でも、逆に「1日3食食べなくてはいけない」とか、「毎日、同じものばかり食べてはいけない」とか、そういう縛りが多く存在するようにも感じるんです。
そんなときも立ち止まって「なんで毎日同じものを食べてはいけないんだろう」と理由を考えることが、そういった縛りを解くことにつながるかもしれない。ひいては、自分自身で生き方を作っていくことにもつながるんじゃないかなと思います。
──岡根谷さんのこれからの展望を教えてください。
「世界に興味を持つ仲間を増やす」とはいっても、その手段が料理でなくなる可能性はあると思います。もっと良い方法を見つけたり、私が違うことに興味を持ったりしたら、また変わるかもしれませんね。
でも、世界中の料理をする人たちに会って、一緒に料理をしたいというのが今の自分の興味です。
それと同時に、ただ訪れるだけじゃなくて、自分の体験を子どもたちに共有することで、もっと面白がれるとも感じていて。あわせて、発信の仕方や教育などの道も模索していきたいと思っています。
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