“原爆の父”の生涯を描いた伝記映画『オッペンハイマー』。7月21日にアメリカをはじめ各国で封切りになり大ヒットを記録しているが、日本での公開は未定だ(ロンドン、2023年7月21日撮影)。
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先日、マンハッタンの映画館で、「原爆の父」と呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯について描いた話題作『オッペンハイマー』を観た。日本では公開未定だが、アメリカでは公開直後から大反響だったため、週末は売り切れが多く、平日の昼間に時間を作って出かけた。
『オッペンハイマー』は、ユニバーサル・スタジオがこの夏の目玉作品として公開前からプロモーションに力を入れてきた3時間の大作で、監督は『ダークナイト』や『インセプション』などで知られるクリストファー・ノーラン。7月21日の全米公開直後から快進撃で、8月20日には世界興行収入が7億ドル(約1000億円、1ドル=145円換算)を突破した。
この数字は、第二次世界大戦をテーマにした歴史映画としても、実在する人物の伝記映画としても記録的なものだ。映像的技術も、豪華キャストで固めた俳優たちの演技もレベルが高いので、オスカー候補となることが確実視されている。
むしろ日本でこそ観られるべき作品
アメリカでは『オッペンハイマー』と同日に、もう一つの超話題作『バービー』が公開になった。「バービー」と「オッペンハイマー」を合わせた「バーベンハイマー(Barbenheimer)」という造語がつくられ、SNS上でもかなりの盛り上がりを見せるなど、マーケティング上の相乗効果を生んだ。
しかし、キノコ雲のイメージを使ったコラージュ画像に『バービー』の北米公式Twitter(現在はXに名称変更)が好意的に反応したことから、日本国内では「原爆をネタにするなんて」と強い反発の声が上がった。この一連の「バーベンハイマー問題」は、SNSのせいで配給元が意図していなかった形で炎上に巻き込まれた感があり、私は残念な出来事だと感じた。
それよりさらに残念なのは、「笑いのネタにできるなんて、アメリカ人の原爆への理解はその程度のものということ」「原爆の父についての映画が大ヒットするという感覚が信じられない」「広島・長崎の惨状を描いてもいない原爆の映画にそもそも意味があるのか」といった意見が日本在住のSNSユーザーたちの間から聞かれたことだ。
本作品がまだ日本で公開されていない以上、彼らの大半は作品を観ておらず、単に二次情報を基に意見を持ち、想像に基づいて発言しているのだと思うし、こうなってしまった以上、たとえ公開されたとしても映画館に足を運ぶ気もなくしてしまったかもしれない。それがつくづく残念だ。少なくとも、自分の目で作品を観、その上で問題意識を持ったり、反発したり、批評したりするのであってほしかった。
「バーベンハイマー問題」が炎上する以前から、「日本でこの映画を公開すれば批判が殺到してしまう」という懸念から、『オッペンハイマー』の日本公開期日は未定という報道がなされていたが、これまた残念な話だ。
私自身は、作品を観てみて、むしろこれは日本でこそ観られ、語られるべき映画だと感じた。批判が起きようが、不快に思う人がいようがいまいが、それは個々人が自分の頭で考えて決めればいいことではないだろうか。
アメリカやそれ以外の国々でこれだけの記録的なヒットとなり、オスカー有力候補と目される話題作であるにもかかわらず、日本では観る手段がない、というのは、その根底にある懸念が何であれ、一方的かつ不自然な情報遮断、機会の剥奪のように思われてならない。
監督が描こうとしたもの
この映画に対して、「広島・長崎の惨状を『あえて』削除している」という批判がある。私は、実際に作品を観てみて、その指摘はズレているのではないかと感じた。
なぜなら、この映画が描こうとしているのは、オッペンハイマーという一人の卓越した(同時にある意味でナイーブすぎる)科学者がいかに時代に翻弄され、政治に利用され、権力によって潰されたか、その中でどんな虚無感、罪悪感、自己嫌悪を経験したかということだからだ。監督は、オッペンハイマーの人生を通じて、科学と政治の葛藤を描こうとしている。
ロバート・オッペンハイマー(1904-1967年)。
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ロバート・オッペンハイマーは、1904年、ユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれた。父は十代でドイツからアメリカに渡り成功した実業家。裕福で文化的な家庭だった。ハーバード大学に進学し(化学を専攻)、最優秀の成績を修め3年で卒業する。その後、英国ケンブリッジ大学、ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得、カリフォルニア大学バークレー校とカリフォルニア工科大学で教鞭をとることになる。
1942年、アメリカが原爆開発を目指す「マンハッタン計画」に着手すると、翌年、ニューメキシコのロスアラモス研究所の初代所長としてオッペンハイマーが抜擢される。1945年7月、オッペンハイマー率いる開発チームは、人類最初の核実験「トリニティ実験」を実施し、成功する。翌月、アメリカはここで開発された2つの原爆を広島と長崎に投下した。
オッペンハイマーは、戦後「アメリカを戦争に勝たせた男」「原爆の父」として英雄視された。しかし彼自身は、原爆の破壊力とその使われ方についての懸念を強め、第二次世界大戦後は核軍縮、核の国際管理の必要性を呼びかけ、水素爆弾の使用に反対するロビー活動に力を入れ続けた。
これによって政府の目の敵となり、マッカーシズム(赤狩り)のターゲットとして、若い頃からの左翼的思想、弟や妻や恋人はじめ共産党員との関わりについて追及を受け、1954年には機密安全保持疑惑により事実上公職を追放されるという屈辱を味わう。映画は、この1954年の聴聞会と、原爆開発成功に至る科学者としての道のりを追いながら進んでいく。
映画を観ながら思ったことはいろいろあるが、映画後半で特に印象的だった場面の一つが、できあがった原爆を軍がさっさと運んでいってしまうところだ。「あとはすべてお任せください」「あなたがたの仕事はここまでで終わりですよ」という感じで。まるで、生まれたばかりの赤ん坊が母親の手から奪われ、他人の手に引き渡されてしまうような。
オッペンハイマーをはじめとするロスアラモスの研究者たちは、文字通り原爆の生みの親にあたる存在であり、その威力の恐ろしさを誰より正確に把握しているのに、最終的にそれがどう使われるかについてはまったく意見を求められない。爆弾が運び去られていくのを見送りながらオッペンハイマーが感じたであろう無力感、この後起きることの恐ろしさを自分は誰よりもリアルに理解しているのに、いっさいコントロールできないという恐怖と不甲斐なさを、この場面はうまく描いていた。
たしかに広島・長崎の扱いは拍子抜けするほど軽い。実際の原爆投下のシーンやその直後の地獄絵はいっさい映されない。唯一、終戦後にオッペンハイマーが爆撃地の惨状を映像で見せられ、その凄惨さに表情を凍らせるという場面があり、観客はその表情を通して、彼の目に映っていたであろう場面の恐ろしさを想像するという仕掛けだ。
「爆撃地の様子を織り込んだ方がよかった」という説も分かるし(多くのアメリカ人は原爆の威力を十分に理解していないから)、「見せない方が正しい」というのも分かる(映画はあくまでオッペンハイマーの視点に立っているから)。どちらにせよ批判はされたと思う。
ただ、オッペンハイマーたちが原爆投下について事前には知らされておらず、普通の国民同様ラジオのニュースで初めてそれを知り、後日映像を見たというのは事実のようなので、監督はそれに忠実に作ることを選んだのではないだろうか。
ハーバードの授業で取り上げられる「原爆」
筆者が通ったハーバード大学の公共政策大学院(ケネディスクール)では、倫理の授業で「原爆とトルーマンの決断」というテーマが扱われていた。
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私自身、アメリカで大学院に行き、アメリカで長い間生活してみて知ったことだが、「原爆のおかげで戦争を終わらせることができた」「日本を降伏させるためには原爆が必要だった」「原爆投下は50万人(100万人とする説もある)の米軍兵士の命、加えて日本人の命も救った」などと認識しているアメリカ人は少なくない。かなり知的レベルの高い人々の中にも、まじめにそう信じている人たちがいる。それはその人たち自身の問題(勉強不足)ばかりとも言えないと思う。
日本と海外における第二次世界大戦や原爆投下に対する認識や教育には、さまざまな相違があり、それは「こちらが100%正しくて、あちらが100%間違っている」というほど単純明快なものではない。はめているレンズが違うように、あるいは、立っている場所によって見える景色が違うように。
私も受けたハーバード大学ケネディスクールの「倫理」の授業では、毎年必ず「原爆とトルーマンの決断」についてディスカッションする回が設けられていた。この回で、同級生たち(アメリカ人も、それ以外も)の何人もが上記のような意見を述べていた。
この授業では白黒をつけるのが難しい倫理的課題を扱い、議論する。例えば、「テロリズムは必ず悪と言えるか」「拷問によって自白を強要するのは常に悪か。それによって人命が救われると分かっている場合でも?」といった感じだ。
この授業を担当している教授は、普段、これらの問いについて「こう考えるべきだ」「これが正しい解釈だ」とは決して言わない、正解を押し付けないスタイルの人だった。その彼が、原爆の話の時だけ、みんなの意見が出尽くした後に、「無差別に非武装の市民を大量殺害した原爆の使用は、アメリカによるテロリズムだった」と言った。この教授(アメリカ人)が自らの見解をこのように言い切ることは珍しかったので驚き、今もよく覚えている。
また、同じくケネディスクール在学中に、日本人学生がさまざまな国出身の同級生たちを引率して日本に連れていく「ジャパン・トリップ」というものを企画したことがある。私も引率チームのメンバーとして参加した。
この時、東京、名古屋、京都などに加え、広島にも立ち寄り、原爆資料館を訪れ、被爆者から直接話を聞いた。参加者には、アメリカ人、ヨーロッパ人、それに戦時中に日本軍がやったことに対して複雑な思いを抱いている韓国人の同級生たちや、軍人の同級生も含まれていた。
そのそれぞれにとって、広島での一日は強烈な体験になったようだった。その晩は、お通夜のようにしんみりして、被爆者の話を思い出しながら泣いてしまう人もいたし、「アメリカ人でありながら、自分はアメリカが使った核兵器についてまったく理解していなかったと知った」と言っている人たちもいた。
戦争をどう伝えるかという問題は、どの国にとっても難しい。どんな国も、自分たちを正当化し、歴史を美化しようとするし、醜悪な行いについてはなかったことにしたいという心理が働く。その結果、それぞれの国で大きく異なる、それぞれに歪んだ歴史が形成され、代々にわたって伝えられてしまう。そのような歪みを歪みのままに放置せず、異なる見方に耳を傾けることで修正・補完していくことが、誰にとっても必要なことなのではないだろうか。
オバマ米大統領(当時)は2016年5月27日、現職大統領として初めて広島の平和記念公園を訪れ、17分にわたるスピーチを行った。
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当時日本でも報じられたので覚えている人もいると思うが、1995年、ワシントンDCの国立スミソニアン博物館の「エノラ・ゲイ展」の企画が保守派のバッシングに遭うという出来事があった。原爆被害や歴史的背景の解説も含め、従来のアメリカの原爆観を検証する斬新な内容の展覧会だったが、事実上中止に追い込まれた。
この話には続きがある。最近になって、国立スミソニアン博物館が2025年の展示刷新を機に、原爆投下後の広島・長崎を映した写真を新たに展示する計画をしていると発表したのだ。今度こそ企画が実現するといいなと思う。
考えてみれば、長い間、現職のアメリカ大統領が被爆地・広島を訪れることはタブーだった。それを2016年にオバマが実現し、バイデンもそれに続いた。独善的と言われることの多いアメリカも変化しているのだ。
戦争について、日米間には間違いなくさまざまな理解のギャップがある。普段突っ込んで話す機会がないだけで、話してみればそのギャップの深さはわりとすぐに明らかになる。それを私たち一人ひとりがまず認識し、受け止めることこそが相互理解の第一歩だろう。今回の「バーベンハイマー」騒ぎもそのようなギャップを示す一つの例であり、歴史学習の機会にもなりうる。
アメリカと同じことをしなかったと言えるか
1945年7月、アメリカ・ニューメキシコ州で実施されたトリニティ実験。ここでプルトニウム原子爆弾の爆発実験が行われた(背後に写っている物体は、実験が失敗した際にプルトニウムを回収するための鋼鉄製容器「ジャンボ」)。
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オッペンハイマーの人生にとっても、アメリカにとっても、世界にとっても、人類初の核実験であるトリニティ実験の成功は一つの大きな節目であり、映画『オッペンハイマー』の山場でもある。
この実験が成功する場面を見ると、オッペンハイマーのリーダーシップの下、当時ロスアラモスで原爆開発に関わっていた物理学者たちの高揚感が伝わってくる。彼らは、世界でも最先鋭の、エキサイティングな科学的研究に取り組んでいる。彼らの研究は、第二次世界大戦の勝敗を左右し、アメリカの勝利を、さらにソ連に対するアメリカの軍事的優位性を決定づける重要な国家プロジェクトなのだ。
優秀で野心的な科学者たちにとって、そのような重要な研究に関わることができるということは、刺激的で、知的にもワクワクすることだったに違いない。その興奮は、自分たちの研究の成果が人類史上例のない大量殺人兵器を生み出すものであるという重大かつ根本的な倫理的問題を忘れさせてしまっていたのかもしれない。
それを一番感じたのは、トリニティ実験の成功を祝う場面と、その後まもなく広島・長崎に原爆が投下され、それがやはり「成功した」というニュースの後、ロスアラモスの関係者たちが歓喜に沸き、オッペンハイマーを賞賛する場面でだ(彼はとても手放しで喜ぶ気にはなれず、むしろこの時を境に強烈な罪悪感に襲われることになるのだが)。
これら2つのシーンでの彼らの喜び方は、まるでオリンピックで自国がメダルを獲った時の喜び方のように、無邪気で熱狂的だ。原爆のせいで犠牲になる何十万もの日本人の命については、なんの懸念も抱いていないように見える。この場面を見て不愉快になる日本人は多いと思う。
ただ、少し冷静に考えてみると、これが当時のアメリカの正直な気分ではあったのだろうと思える。日本が降伏してくれさえすれば長かった戦争は終わる。原爆はそれを実現してくれた。映画にも「Our boys will come home.(兵士たちがアメリカに帰ってこられる)」という表現が出てくる。自己中心的といえばその通りだが、戦争中、それはどの国も究極的には同じだろう。殺さなければ殺され、相手を潰さない限り自分が潰される。
当時、核兵器を開発していたのはアメリカだけではない。ソ連もドイツも日本も核兵器の開発を目指して研究に取り組んでいた。「ドイツ(またはソ連)が先に核を開発してしまうのでは」という焦りは、アメリカ政府を原爆開発に向けて後押しした重要な要因だったと思われ、映画でもそのように描かれている。
「原爆によって非武装の市民を大量に殺害し、あるいは被爆の後遺症によって長く苦しめたトルーマン大統領は、戦時中とはいえ、非人道的な選択をした」「アメリカ軍部は、膨大な研究費用を投じて開発した最新大量破壊兵器を使わないわけにはいかなかった。それを試してみたかったし、世界にその威力を見せつけたかった。そのために日本が犠牲になった」という批判は、しばしば聞かれるものだ。でも、仮に日本が世界で最初に原爆開発に成功していたら、果たしてアメリカと同じことをしなかったと言えるだろうか? 私は分からないと思う。
映画を観た後、タイミングということについて思った。人は生まれる時代を選べない。でも、たまたまある時代に一人の人が生まれたことで、その人の人生もだが、歴史の流れが決定的に左右されてしまうということはあるだろうと思うのだ。
オッペンハイマーがもし別の時代に生まれていたら世界はどうなっていただろう? 彼がやらなくても、いつか誰かが核兵器を開発しただろうが、彼という人があのタイミングでアメリカに存在しなかったら、原爆の開発は第二次世界大戦が終わるまでに間に合わなかったかもしれない。
あるいは、オッペンハイマーのような優れた人材がいたら、ソ連やドイツが、あるいは日本が、アメリカよりも先に原爆製造に成功していたかもしれない。そうしたら、歴史は大きく違っていたはずだ。
そして、あの時代に生まれてさえいなければ、オッペンハイマー自身の人生もまったく違ったものになっていた。もし現代に生まれていたら、シリコンバレーの半導体産業で活躍し、巨万の富を築く人生になっていたかもしれない。
「被害者」として戦争を記憶し続ける日本
広島の夏の風物詩「灯籠流し」。原爆で亡くなった人を追悼するため戦後まもなく遺族らの呼びかけで始まり、今に続いている。
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日本では、毎年8月になると「戦争体験を忘れない」という言葉がよく聞かれる。今や終戦から78年が経ち、第二次世界大戦の記憶が風化することを懸念する声も強くなってきている。ただ、それについての語り方で私が気になっていることがある。被害者としての意識の強さだ。
これは、第二次世界大戦を題材にした日本映画を観ていてしばしば感じる疑問でもある。ドイツが作る第二次世界大戦の映画の大多数はナチスやホロコーストをテーマにしたものだが、日本の場合は、原爆の恐ろしさ、特攻隊はじめ戦争で亡くなった兵士やその家族を主題にした作品が圧倒的に多い。
それが、バランスとしてどうなのかと感じることがしばしばある。日本は、第二次世界大戦における犠牲者であったと同時に加害者でもあったし、外の世界からはそう見られている。無垢でかわいそうな犠牲者では決してなかった。このことを現代の日本人はどの程度きちんと自覚しているだろうか。加害者としての体験を被害者としてのそれと同じくらい切実に、きちんと後の世代に伝えられているだろうか。
日本人なら誰でも8月6日、9日、15日が何の日だかは知っている。毎年その時期になれば、自然と広島や長崎のことを思い出す。それと同様に、12月7日(ハワイ時間。日本時間では12月8日)に起きたことをすべての日本人が毎年自然に思い出し、振り返り、「あの過ちを繰り返さない」と決意するようでなくてはならないだろうと思う。
原爆だけが特別扱いされがちだが、それ以外のあらゆる手段で、戦争に参加したすべての国が敵国の国民を殺してきた。日本も、原爆こそ持っていなかったが、アジア諸国においてさまざまな形で殺戮、侵略、占領を行ってきた。アメリカの原爆使用を非難し非人道的だと言うのもいいが、それと同時に自分たちの国が他国に対してやってきたことに対するシビアな自己批判が伴わないかぎり、自分を棚に上げている感が否めないし、アジア近隣諸国からの批判にも対抗できない。
2023年5月に行われたG7広島サミットの際、アメリカのバイデン大統領はじめ各国首脳に被爆地の最も凄惨な写真を見せるかどうかが議論になり、「忖度せずに見せるべき」という意見が強かったと記憶している。私自身もそう思った。でも、日本が受けた被害について他国に理解や反省を求めるのであれば、日本自身も自分たちに鏡を向けて見る必要があるだろう。
また、日本が唯一の被爆国として本当に言うべきことを言い、やるべきことをやっていると言えるのかという疑問を感じることも多い。この数カ月を振り返ってもそうだ。G7サミットで採択された共同文書「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」も、G7自身の核兵器保有を正当化し、核抑止論を肯定する内容となっており、「核廃絶」を求める被爆者や市民からは失望や怒りの声が上がった。
さらに今年8月広島で、岸田総理は「核兵器のない世界」の実現についてのスピーチをしたが、日本は核兵器禁止条約にも参加しておらず、日本が米国の「核の傘」に頼らざるを得ない現実をどう変えていくつもりなのかは具体的に明らかにされてはいない。
自分の行いは何につながっているか
第二次世界大戦中に原子爆弾の開発が行われたロスアラモス国立研究所の現在の姿。軍事研究のほか、ナノテクノロジーや生命科学をはじめ理学・工学分野の先端研究が行われている。
Los Alamos National Laboratory
オッペンハイマーは、原爆を作ることでパンドラの箱を開けてしまった後、自分がやってしまったことの大きさに気づき、水爆使用に反対、核兵器の国際管理の必要性を説こうとしたが、彼の意見がアメリカ政府に聞き入れられることはなかった。先端兵器を作るために、彼のような科学者の知識は必要とされるけれども、できあがったものをどう使うかについてはいっさい意見を求められない。それどころか、むしろ邪魔にされる。
オッペンハイマーの人生を俯瞰して見ると、科学が政治に利用され、絡め取られるプロセスそのものが凝縮されているという気がする。先端的な知識と思考を持った科学者が、知的好奇心と興奮に駆られて「科学によって何が可能か」を純粋に追求した結果、原爆というものに行きついてしまった。それが政治的にどう利用されるか、どんな残虐な武器を人類に与えるかということ、その倫理的問題を、賢いオッペンハイマーやその仲間たちはまったく考えなかったのか? という批判はしばしばなされる。
しかし、このような批判は、オッペンハイマーやその仲間たちのみならず、もっとずっと多くの人に当てはまる話なのではないだろうか。
核兵器に限らず、殺傷兵器の進化の裏には必ずテクノロジーの進歩がある。爆弾やミサイルを思ったところに命中させる能力は、半導体産業の進歩によって劇的に向上した。それが、半導体を研究し、性能を高めることに尽力した物理学者たちの当初意図したものであったとはまったく思えないが、そのように軍事利用されることを彼らは止めなかったし、実際、止めることもできなかっただろう。
テクノロジーと兵器の関係だけではない。どんな仕事であれ、回り回って、本来の意図とは無関係な方向に利用され、思わぬ効果を生んでしまうということはいくらでもある。本来「良いもの」「望ましいもの」であるはずの知の進歩が、かえって何らかのネガティブな副作用、思いがけない「悪」を生むことになってはいないか。それに自分も知らないうちに加担してはいないか。
オッペンハイマーが後半生に抱え、苦しむことになった「取り返しのつかないことをしてしまった」「自分の手は血にまみれている」という罪悪感は、天才的科学者ではない私たち一人ひとりにとっても、まったくの他人事ではない。
そういうことを考えさせてくれるだけでも、この映画には観る価値があると思う。ぜひとも日本での公開に踏み切ってもらいたいし、一人でも多くの日本人に観て、考えてもらいたい。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役。Twitterは YukoWatanabe @ywny