慶應義塾大学の旧大学図書館(2016年撮影)。
REUTERS/Toru Hanai AUNIV
大学ベンチャーの数が増えている。経済産業省がまとめた調査によると、2022年度の大学発ベンチャー数は3782社で過去最多を更新した。
数多ある大学発ベンチャーの中でも、存在感を増しているのが慶應義塾大学(以下、慶應大)発のベンチャーだ。企業数は236社で、東京大学、京都大学に続く3位。2021年~2022年の増加数は61社と最も多い。
2022年の資金調達額は総額245億円(スタートアップ情報プラットフォームINITIAL調べ)で、長年首位だった東大を抜いてトップだ。
2020年に上場した創薬ベンチャー「クリングルファーマ」や日本経済新聞社の「NEXTユニコーン」に選出されている医療ベンチャー「CureApp」なども、KIIが支援した企業だ。
なぜ、慶應大発のベンチャーは勢いがあるのか。同大学のオフィシャルベンチャーキャピタル「慶應イノベーション・イニシアチブ(KII)」に聞いた。
立ち上げから「手厚すぎる」支援
大学別の資金調達額は、慶應大が首位だ。
出典:株式会社 慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)会社概要
KIIは2015年末設立の慶應大のオフィシャルVCだ。慶應大学発ベンチャーを中心に初期段階の大学発ベンチャーに投資し、IPOまでの期間をより短く、効率的に進めるための支援を担う。
「大学発ベンチャーや研究開発型のベンチャーの場合は、(投資資金を回収できる)IPOに至るまでの期間が長くなります」
元ジャフコで2016年に加入した木下秀一執行役員は、大学発ベンチャーと一般的なベンチャーの違いについてこう説明する。
経産省の統計によると、大学発ベンチャーで最も多くの割合を占めるのは、「研究成果ベンチャー※」だ。
※大学で達成された研究成果に基づく特許や新たな技術・ビジネス手法を事業化する目的で新規に設立されたベンチャー
研究開発には資金も時間もかかるため、ビジネスとして軌道に乗るまでに要する期間も必然的に長くなる。それにさらに拍車をかけているのが、経営者やマネジメント人材の不足だ。
「国内だけではなく、海外にも通用するような光る技術を持っている点が大学発ベンチャーの面白いところです。一方で、経営面の構築においては課題がある」(木下さん)
研究成果ベンチャーは、大学の研究者が主体となるケースが多い。ただ研究者は研究のプロでも、企業経営のプロではない。研究開発力があっても、会社として運営するノウハウがなければ、事業としてスケールすることは難しい。
このため、大学発ベンチャーは一般的なスタートアップと比べて細かな支援が必要とされ、大学発VCなどが入り込んだ支援をすることが多い。
投資する45社(慶應大学関連以外のベンチャーも含む)のうち、KIIが社外取締役を派遣しているのは半数近い22社。会社創立以前から支援し、設立直後の「何もない」状態から投資を決めることもある。
例えば、ロボットに人のような触覚や力加減を与えることができる制御技術「リアルハプティクス」を搭載したICチップを開発する慶應大発のベンチャー「モーションリブ」は、KIIが創業から支援し、設立後間もない2017年に出資している(出資額は非公開)。
「社員が3人の時期に出資し、何もない状態で、まず『会社とは何か』というところから支援しました。週に1、2回は必ず先方に行って朝から晩まで滞在し、必要なことは何でもやっていた時期もあります。
経営数字の管理はもちろんのこと、対外広報向けの映像制作などにも関わりました。2回目のファイナンスで資金が入ってくるように体制を構築していきました」
モーションリブが2019年に実施した2度目の資金調達では、KIIと研究室関係者以外の投資家としてDBJキャピタルが参画した。2023年にはシリーズBラウンドでトヨタ紡織や三菱UFJキャピタルなどから合計6億円の資金調達を完了したことを発表している。
他の大学VCでもハンズオン支援は事例があるが、「設立手前から立ち上げて、ファイナンスまでやるVCは珍しい方」(木下さん)という。
KIIの木下秀一執行役員。
撮影:三ツ村 崇志
広報戦略を差別化ポイントに
KIIが重視する広報戦略周りを担う宜保友理子氏(右)と島下由加氏。
撮影:土屋咲花
KIIは、投資先の広報活動支援にも力を入れている。
「特に研究開発型スタートアップは、世の中の皆さんにとっては、何をやっているところか全然分からないと思うんです。どういう課題を解決するのかを分かりやすく伝える重要性があります」
KIIリレーションシップ・マネージャーの宜保友理子氏はこう断言する。
「KIIの投資先企業は基本的に上場を目指しています。企業は、上場する時もそうですが、資金調達時にも投資家向けにストーリーを語ることが必要になってきます。ただ、研究開発型ベンチャーにはそのストーリーを語るという感覚そのものが欠けていることが多い」
慶應大医学部での勤務経験のほか、イノベーション推進本部特任准教授として産学官連携に携わってきた宜保さんは、大学発ベンチャーのソフト面における課題をこう指摘する。
投資先企業の情報発信はキャピタリストが支援することもあるが、KIIでは宜保さんと広報の専任人材が2人体制で支援にあたる。
広報担当の島下由加氏は、広告代理店勤務を経て東大でのアウトリーチ活動に携わってきた人材だ。
島下さんは
「研究者の性格は起業家とは全然違います。ベンチャー企業の経営者は発信力がある方も多いですが、研究者はそこにリソースをかけるよりも『論文で成果を出さなければ』と思う方が多い」
と話し、専門人材による支援の必要性を強調する。
「資料一つを取っても、学会のようにその業界のことを知っている研究者に伝えるのと、研究のことを知らない人にも可能性を感じてもらうように伝えるのとではやり方が違います。同じ研究の業界や人を相手にしたコミュニケーションしかできないのは、可能性をつぶすことになるのですごく勿体ない」(島下さん)
2人は投資先企業に対し、広報や情報発信全般に関する支援を行っている。時にはプロのクリエイターの力を借りることも勧める。
例えば、再生医療ベンチャーのAdipoSeeds(アディポシーズ)や、前述したモーションリブのウェブサイトのデザインには、電通の事業開発支援サービス「TANTEKI(タンテキ)」が関わる。
企業のロゴマークの改善を提案することもある。海外展開を見据えて、使用されているモチーフやデザインが海外では別の意味を持ったり、誤解されたりする恐れがある場合、再考を促すなどしているという。
価値あっても「伝わらないと意味ない」
シード、アーリー期のスタートアップでは後回しになりがちな広報面の支援は、KIIのトップ、山岸広太郎社長が重要視している部分だ。グリーを共同創業し、上場まで導いた経験から「どんなに価値があることでも、それをきちんと伝えないと意味がないという思いが強くあります」(宜保さん)という。KIIでは、時にはウェブサイトの改善を投資条件にすることもある。
売り上げに対する貢献度が可視化しにくいポイントではあるものの、対外的な情報発信力の強化は、大学ベンチャーが乱立する中で武器になり得る。
「(社会問題や環境問題を解決する企業に投資する)インパクト投資が増えていますが、研究開発型ベンチャーって、全部インパクト投資というか、社会課題解決につながるものだと思うんです。その中でも競争になっていく時に、研究者ではない投資家や世間に対してどう説明ができるかは大事です」(宜保さん)