編集工学研究所
「私たちは常にばらばらになり得るのであり、だからこそ私たちは共にいようと努力する」
—ジュディス・バトラー『非暴力の力』
小学生のとき、夏休みの自由研究で太平洋戦争を取り上げたことがある。従軍世代だった祖父に、質問したいことを書き連ねた手紙を送った。ほどなくして、レポート用紙複数枚に及ぶ返事が届いた。
サイパンでの壮絶な日々や日本人の暮らしぶりなど、当時の情景を語り伝える手紙の中で特に印象的だったのが、「戦争で、一番悲しかったことはなんですか?」という問いへの答えだった。
祖父は当時、海軍の船に乗っていた。その船で、上官が一匹のリスを飼っていたらしい。あるとき、そのリスが不意に死んでしまった。みんなで可愛がっていたリスだったから、屈強な男たちがそろって悲しみを分かち合ったのだという。それが、祖父が書いた「一番悲しかったこと」だった。
どうして、あらゆる極限状態の中から、この小さな出来事を伝えたかったのだろう。その後も祖父から戦争の話を聞くことがあったけれど、亡くした友人のことを語りながら声を震わせたり、砲撃を受けた船がどんなふうに海に沈んでいくかを冷たく硬い声で語ったりしたこともあった。そんな中での、一匹のリスの死。
このことを直接祖父に尋ねることはできなかったけれど(私にその準備ができる前に祖父は他界してしまった)、今はこう受け止めている。あの戦争の中にいたのは、すべて人間だったのだと。あのころ大きな物語に巻き込まれた誰も彼もが、小さな動物の死に涙する、一人の人間だったのだと。そんな心を持った人々の集団同士が、なぜ、あんなふうに傷つけ合わなければならなかったのか。祖父の手紙が残したそんな問いは、今も私の中でくすぶり続けている。
戦争は必然なのか?
世界から戦争がなくなることはない、そう言う人がいる。けれど武器を使った戦争の痕跡は、約1万年前以降にしか発見されないという。人類が農耕を始めた頃だ。地球上に霊長類が誕生したのは約6500万年前、類人猿が二足歩行を始めたのが700万〜400万年前、石器の発明は250万年前、武器を狩猟に使い始めたのは40万年前だ。繰り返しになるが、武器を用いた戦争の歴史は、1万年間。それでも、戦争は必然だと言えるのだろうか。
真夏のある日、「ほんのれん」編集部では、こんな会話が繰り広げられていた。
ニレ編集長
8月になると、やっぱり戦争に思いを馳せずにはいられんなぁ。
オジマ
そうですね。やっぱり日本人としては、原爆のことや終戦のこと、なぜあの戦争が始まってしまったのか、止められなかったのかって、改めて考えさせられる季節ですね。
ヤマモト
戦争って、何をめぐって争っているんでしょうね。友達同士の喧嘩とか職場での小さなすれ違いとかは、日常的に何とか解決できているのに、国や集団同士の大きな争いになった途端に手をつけられなくなるって、改めて考えると不思議です。
ニレ編集長
確かに、争いにはいろんなサイズがあるな。良いライバル関係は人を成長させるし、スポーツとか音楽とか、競い合いがあるからこそ豊かになるものもあるもんな。そもそも争いってなんなのか、根本的なところから気になってきたで。
敗者が生命史をつくってきた
「戦争」と「争い」は違う。争いは、生命にとって必然で必要なものだ。生物学には、「ニッチ(Niche)」という用語がある。ビジネス戦略でよく「ニッチマーケットを狙え!」と言うときの「ニッチ」だ。
ニッチは、生物学の文脈では「ある生物種が生息する範囲の環境」を意味する言葉で、一つのニッチには一種の生物しか生きることができないという原則がある。同じものを餌とする種は、同じ場所では共存できない。二つの種で生きる方法が重複したら、どちらかが勝者としてそのニッチを獲得し、もう一方は敗者として別の生存環境を探さなければならない。生命は「ニッチ」のイス取りゲームを繰り返しながら、進化してきた。
『敗者の生命史38億年』(稲垣栄洋著/PHP研究所/2019)。敗者が生き延び、勝者が滅びるという物語を繰り返しながら、地球の生命史は展開してきた。
撮影:編集工学研究所
生命のニッチ競争から得られる教訓は、こうだ。争いに負けることが、次の可能性を連れてくるかもしれない——。『敗者の生命史38億年』(稲垣栄洋 著)は、生存競争の敗者たちに着目する。
巨大生物が海中を跋扈した時代、彼らから逃げ切る素早さを身につけた生き物が、脊椎を持つ魚類の祖先になった。水中の競争に敗れて安全地帯を探し続けた弱者が、やがて陸地に上がり両生類の祖先となった。
恐竜全盛期に生きた哺乳類は、捕食者から逃れるために、感覚器官と脳を発達させた。地上の敵から逃れて樹上に登った哺乳類がサルへと進化し、やがてそこから集団行動の力で生き延びようとするヒトが生まれた。争いから追いやられる弱者たちの涙ぐましい努力の結果、生命はこれほどまでに多様になったのだ。
仲間内でも揉め事は日常茶飯事。ならばどうする?
「どんなにうすくスライスしても、ふたつの面が現れる」
—バールーフ・デ・スピノザ
生存競争は、個体間でも発生する。ケーキの切り分け方をめぐって兄弟喧嘩が頻発するように、恋に落ちると急に周囲の誰も彼もがライバルに見えてくるように、同じ種や群れの中で起こる争いの多くは、「食」と「性」をめぐるものだ。個体間競争は、種が種として生き残るために必要な仕組みではあるけれど、社会を築いて生きる動物は喧嘩ばかりしてもいられない。そこで、動物たちは争いとうまく付き合う方法を生み出してきた。
『暴力はどこからきたか——人間性の起源を探る』(山極寿一著/NHK出版/2007)が明らかにするのは、霊長類の一種であり動物の一種である人間の姿。
撮影:編集工学研究所
ゴリラ研究の第一人者として著名な山極寿一氏は『暴力はどこからきたか——人間性の起源を探る』で、ゴリラやチンパンジーなど私たちの「ご近所さん」にあたる霊長類の社会行動を紹介する。
ニホンザルは群れのオス間に厳密な優劣をつけ、序列を徹底することで秩序を保つ。食べ物はまず優位な個体の手に入り、それを劣位なものが奪うことはできない。対して、より人間に近いチンパンジーやボノボの社会では、食物をねだったり分配したりする行動が見られる。食物を与える・もらうことを通じて、群れの中での関係性を調整したり確認したりしているのだという。
ヒトも本当は「分かち合い」で共存できる
似たような仕組みが、実は、人間の狩猟採集社会でも見られる。
アフリカに現存するムブティ人やサン人など狩猟採集民の共同体では、獲物を仕留めたハンターは何食わぬ顔で共同体全体に肉を分配する。受け取る側も感謝を表したりせず、むしろ獲物が小さいなどと苦情をあえて口にする。こうして、食物の獲得者に威信が集まったり所有権が発生したりすることを徹底的に避け、「分け与える」のではなく「分かち合い(sharing)」で関係を維持している。
「分かち合い」で支え合う共同体が成立するのは、150人までの規模に限定されるらしい。構成員がそれ以上になると、人々はお互いの顔や個性を認知できなくなって、シェアし合う関係性は保ちづらくなる。
原初は「分かち合い」で支え合っていたはずの人間社会が、いつから戦争に明け暮れるようになったのだろう。その転換点は、1万年ほど前の農耕の開始と関係がありそうだ。
農耕開始以前の狩猟採集生活では、獲物や果物を追って森や草原を広範囲に動き回る。したがってテリトリーは流動的だ。農耕社会では逆に、決まった土地を囲い込んで所有し、その場所を耕し守ることが重要になる。こうして土地に境界が引かれ、他者を立ち入らせない固定的な社会が作られていく。
土地の広さと豊かさが重視されるようになると、力のある者は自分の土地を外へ外へと拡大しようとする。そうして境界線がぶつかり合うところでは、暴力を伴う争いが頻発するようになった。その図式が積み重なって巨大化したものが、国民国家同士が衝突する現代の国際社会だろう。
争い回避の型を知る
「わたしたちは戦争を行うときと同じくらい慎重に、平和を行わなくてはならない」
—ダライ・ラマ
『「争い」入門』(ニキー・ウォーカー 著/高月園子 訳/亜紀書房/2023)は、「すべての争いは誰かが欲しいものを手に入れるのを、誰かが邪魔することから生じる」と断言する。だからこそ対立の根源に遡って原因を見極めることが解決の近道になる。
撮影:編集工学研究所
もちろん、ヒト社会だってサル社会に負けず劣らず、衝突を回避したり解決したりする方法を生み出してきた。日常生活の中でさえ私たちは無数のルールを尊重し合いながら暮らしているし(ゴミ出し当番や交通ルールから法規制まで)、国際紛争の場面でも争いを収める型が模索されてきた。
紛争の解決策を図る方法には、大きく分けて「交渉」「仲介と調停」「制裁」の3つがある(『「争い」入門』ニキー・ウォーカー 著/高月園子 訳)。
「交渉」は、徹底的に話し合うこと。相手の文化や背景についての知識を多く持ち、外交術に長けた外交官が活躍する。どちらか一方だけが勝利をかっさらうゼロサムゲームを避け、ウィンウィンのゴールを目指すことが交渉の鉄則だ。
「仲介と調停」は、第三者が間に入って解決を助ける方法だ。仲介では当人たち自身が解決策を見つけるのを手助けし、調停では両サイドの話を傾聴した上で第三者が解決方法を決定するという違いがある。
そして「制裁」は、ルールを守らない国に対して、複数国が連携してプレッシャーをかける方法だ。外交制裁、経済制裁、軍事制裁などがあり、紛争を回避するための最終手段として使われることが多い。
私たちが歴史を振り返る時には、実際に勃発した戦争について見聞きすることがほとんどだけれど、実際には戦争を回避してうまく争いを収めた事例にこそ、学ぶべきことは多い。歴史の裏側には、名もなき外交者たちの奮闘と奔走が隠されている。
『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ガイ・ドイッチャー 著/椋田直子 訳/早川書房/2022)は言語体系と世界認識との連関を明らかにする。ちょっとしたコトバの違いで世界の見え方は変わる。争いの根幹にも意外なズレが潜むかもしれない。『ルールの世界史』(伊藤毅 著/日本経済新聞出版/2022)には、ルールを作ることも変えることも本来自由だということを思い出すヒントがいっぱい。
撮影:編集工学研究所
「墨子を読みなさい」
「愛は知の極点である」
—西田幾多郎『善の研究』
太平洋戦争下で少年期を過ごし、自身も東京大空襲で燃え上がる炎に追われた経験を持つジャーナリスト・戦史研究家の半藤一利氏は2021年に亡くなる前日、遺言のように「墨子を読みなさい」と告げたという。
墨子は古代中国の思想家だ。2500年前、乱世を極めた戦国時代の中国で、あまねく人を愛し、戦争は決してすべきでないという「兼愛」と「非攻」を説いた。当時の中国は各地で次々と有力な諸侯が現れ、軍拡と領土拡大を競い合って戦争が絶えない時代だった。その中で諸子百家と呼ばれる思想家集団がしのぎを削り、それぞれに治世や死生観についての思想を打ち立てていった。
儒家、陰陽家、法家、名家、道家など多種多様な思想が登場したなかでも、墨子の築いた墨家は特に異色だ。各国が当たり前に行っていた侵略戦争を全否定し、時には、大国による小国侵略に対抗するために小国の防衛戦に命を賭けて加勢するほどだったという。
『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』(半藤一利著/平凡社/2021)は、後続の世代に「墨子」を伝えたいという半藤氏の想いが詰まった一冊。
撮影:編集工学研究所
墨子の説く「全ての人を平等に愛し、戦争は決して行わず、リーダーは私利を捨てて人民の幸福のために奉仕すべし」という思想は、当時も後世にも他の思想家から理想論と笑われた。それでも墨子は、これを机上の空論で終わらせず、自ら実践実行した。その行動力の根幹には、運命論や宿命論の否定があったという。
戦争は運命づけられたものと諦めてしまっては、そこで結末が決まってしまう。あとはどちらかが(あるいは巻き込まれる全員が)再び立ち上がれないほど徹底的に痛みを負うまで、終結は訪れない。
改めて振り返れば、武器を用いた戦争の歴史は、1万年。人類が育んできた、想像し思考する能力の歴史は、数百万年。私たちの手には、連綿と受け継がれてきた「争い解決のためのカード」が、実はたくさん握られている。さて、どのカードを、どう切っていけるだろう。
山本春奈:編集工学研究所 エディター。編集工学研究所は、松岡正剛が創始した「編集工学」を携えて幅広い編集に取り組むエディター集団。編集工学を駆使した企業コンサルティングや、本のある空間のプロデュース、イシス編集学校の運営、社会人向けのリベラルアーツ研修Hyper Editing Platform[AIDA]の主催など、様々に活動する。同社のエディターを勤め、問いと本の力で人と場をつなぐ「ほんのれん」のプロジェクトマネジャーおよび編集部員として奔走中。