イーロン・マスクが買収したツイッター(現在はX)の最高経営責任者(CEO)に就任したリンダ・ヤッカリーノ(中央)。「世界で最も厳しいCEO職」と関係者たちは語る。
Chelsea Jia Feng/Insider
7月23日の深夜過ぎ、イーロン・マスクは西側諸国で最もよく知られるソーシャルメディアブランドを廃止する考えを明らかにした。
「我々は間もなくツイッターブランドに別れを告げる。そして、ほどなく全ての鳥たちにも」とツイートした後、彼はサンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルスにあるツイッターのオフィスから、青と鳥をあしらったあらゆるものを撤去するよう指示を出した。
サービス名はX(エックス)に変わり、17年間積み上げられたブランド・エクイティ(無形資産の集合体)は失われ、何百万人ものユーザーが激怒し、マスクによる買収後すでに幾度か繰り返されてきたように、広告主たちの間に不安が広がった。
従業員たちもショックを受けた。マスクは以前から「エブリシング(万能)アプリ」構想を語っていたが、この突然のブランド変更は誰も予想していなかった。
部外者の目には、最高経営責任者(CEO)の椅子は空席であるかのように見えた。
それも仕方のないことだ。リンダ・ヤッカリーノは当時、就任してわずか1カ月。彼女がブランド変更について初めて公式に言及したのは、マスクの「全ての鳥たち」ツイートからおよそ24時間が過ぎた翌日深夜のことだった。
当日の展開は、社内で話されていたシナリオとも違っていた。大手広告主との事前調整にまだ相応の時間が必要とされることから、ヤッカリーノはマスクに対し、ブランド変更の発表を思いとどまるよう泣きついていたようだ。
内情に詳しいある人物はこう語る。
「結局、イーロンは発表してしまいました。彼女の顔に泥を塗ったのです」
世界で最も厳しいCEO職
4月18日、フロリダ州マイアミビーチで開催された北米最大級のマーケティングカンファレンス「POSSIBLE(ポッシブル)」にて。リンダ・ヤッカリーノ(右)とイーロン・マスク。
AP Photo/Rebecca Blackwell
Insider編集部では、Xの現役・元従業員や広告業界の経営幹部、さらに同社やその事業に詳しい関係者10数人にインタビュー取材を行い、ヤッカリーノがCEO就任後どんな仕事をしてきたのか探った。
結論を先に言えば、ここ数カ月間繰り広げられたのは、広告業界で広く尊敬を集める敏腕経営者が、存命する中で最も気まぐれなテック億万長者の所有する問題だらけの会社と巡り合い、その経営再建というイチかバチかの賭けに打って出る、悲惨きわまりない物語ということになる。
匿名を条件に取材に応じた関係者の話を総合すると、ヤッカリーノはマスクが「おそらく意図的に破壊した製品を修理する任務」を負っているものの、経営体制や会社の方向性を判断もしくは決定する裁量は与えられていない。
従業員の中にはヤッカリーノを名ばかりのCEOと見ている者もいる。ある現役従業員は「実際に決定権を持っているのはイーロンです」と断言した。
広告関係者たちは、ヤッカリーノがマスクやその支配下にあるカオス状態のXに近づいたことを深く危惧する。
世界で最も影響力のある企業や経営者との仕事を通じて、彼女が数十年かけて築き上げてきた確固たる評価を、すでに今日時点で台無しにしてしまったのではないか、と。
ツイッターで上級経営幹部を務めたある人物はこう語る。
「彼女がたとえ正しいことをしようとしても、最終的に判断を下すのは彼女ではなく、オーナーなのです。彼女に勝ち目はありません」
ソーシャルメディアコンサルタントのマット・ナバラも同調する。
「イーロンの要求と期待を満たし、なおかつ広告主が求めるものと両立させるのは、何とかしろと言われても何ともならない、至難の業としか言いようがありません」
成功した前例は一応ある
イーロン・マスクが設立した宇宙開発企業スペースXのプレジデント兼最高執行責任者(COO)を務めるグウィン・ショットウェル。
Dia Dipasupil/Getty Images
どうしても口出しせずにはいられないのがイーロン・マスクという人物だ。
ツイッター創業者のジャック・ドーシーからCEOのポジションを引き継いだパラグ・アグラワル(2022年10月退任)はじめ、マスクは自ら率いる企業の経営幹部の首を何度もすげ替えてきた。
とは言え、成功の前例はある。
マスクが創業した宇宙開発企業スペースXのプレジデント兼最高執行責任者(COO)を務めるグウィン・ショットウェルの存在は、マスクが持てる権力をいくらかなりとも手放し、信頼できる味方にその行使を任せる選択をできる人物であることを示している。
もちろん、彼女はマスクの行動や発言が会社にもたらすダメージをコントロールし、彼の判断に真っ向から反対する勇気ある従業員を解雇し、何があっても決してノーと言わない、そんな人物であり続けなくてはならない。
それでも、マスク以外の人物が彼の所有する会社を経営することは、事実として不可能というわけではない。
就任後数カ月間の軌跡
間違いなく、就任後数カ月のヤッカリーノは忙しかった。
以前マスクが料金を支払ってまで使う価値がないとの評価を下した大手ベンダーとの契約問題にカタをつけた。セールス部門で未払いとなっていたコミッション(歩合給)関連の問題も解決した。
現在は、運用コストの問題から2021年に廃止したペリスコープのような、信頼性の高いライブ動画配信機能の実装に取り組んでいる。
また、フルタイムのオフィス勤務を求めるマスクの意図に従って従業員の出社率向上にも取り組んでいるが、彼のように解雇の恐怖で脅すやり方とは一線を画し、オフィス出社のモチベーションを高める環境整備から進めているようだ。
広告業界のある経営幹部はヤッカリーノの手腕を踏まえてこう語る。
「イーロンはXの経営から手を引く必要があります。彼女の舵取りがもし失敗するとしたら、それはおそらくイーロンの横やりなり口出しなりが原因でしょう」
マスクが週末の深夜にブランド変更を発表した後、週明け早々にヤッカリーノは全従業員宛てにメールを送り、変更は「世界に再び感動を」とする同社のミッションの一環だと説明した。
CEO就任後初めて出演したCNBCテレビのインタビューで、彼女は次のように語っている(DIGIDAY日本版、8月23日付)。
「私は自分の意志や判断で動いている。さらにイーロンという素晴らしいパートナーがおり、この8週間は信じられないほど協力的だった。
私が仕事を始める前にイーロンと話したのは、それぞれの役割は明確に定義されているものの、目標達成に必要な信念によって、私たちは強い絆(きずな)で結ばれているということだった」
広告収入は急減、キャッシュフローは赤字
米コムキャスト傘下のNBCユニバーサルでグローバル広告部門責任者を務めていた時代のリンダ・ヤッカリーノ。
Isaac Brekken/Variety/Penske Media via Getty Images
ヤッカリーノは、マーケティング業界の幹部陣とも対話や交流を続けてきた。
最近では、主要ブランドの広告主や広告代理店幹部から成るクライアントカウンシル(評議会)を立ち上げた。9月20日にはニューヨークで最初の会合を開き、Xのロードマップに関して意見を聞き、各社からの質疑にも応じる予定だ。
それでも、彼女が手をつけた問題はまだ巨大な氷山の一角にすぎない。
広告専門調査会社メディアレーダーのデータによれば、2023年上半期、プログレッシブ(保険)やコカ・コーラ(飲料)、ゼネラル・モーターズ(自動車)、AT&T(電気通信)などの大手企業は、ツイッターへの広告費を90〜100%削減。その他の企業も30〜70%減らした。
当のマスクも7月15日のツイートで、広告収入が半減し(詳細な比較対象期間は不明)、キャッシュフローも赤字(マイナス)が続いていることを認めた。
そうした状況の中でも、ヤッカリーノは広告事業の未来をバラ色に塗り替えようと取り組んできた。
先述のCNBCによるインタビューでは、「入社して8週間だが、現在のところ経営収支はほぼプラスマイナスゼロ」で「順調なペースと言える」とキャッシュフローの状況を説明している。
同インタビューでは、広告主の主要な懸念事項となっているブランドセーフティにも言及した。
「あらゆる客観的指標から見て、Xは1年前よりもはるかに健全で安全なプラットフォームと言える。買収以来、私たちはブランドセーフティとコンテンツモデレーションツールを構築した。投稿された内容の99.9%は健全であると自信を持って言える」
しかし、広告業界のベテラン経営者に聞くと、その取り組みは依然として十分な成果を得られていないようだ。
「Xが再評価に値する企業であることを論証すべく、(広告主が注目する)ポイントをしっかり押さえた明確なメッセージを彼女は発信しています。
それでも、私の見る限りにおいては、企業がXと折り合いをつけるのはかなり難しいと思います。特に、信頼と安全性の面では」
賞味期限の過ぎたビール
ヤッカリーノがここまで挙げたような課題に取り組み、経営再建を果たしたいと考えたところで、Xは数十億ドル規模の負債を抱えており、リソースは自ずと限られている。
CEO就任後間もなく、従業員の士気低下を感じたヤッカリーノは、最初にサンフランシスコ本社、続いてニューヨークオフィスと、両拠点に所属する全ての従業員を集めて「ティータイム」と呼ばれるイベントを開催した。
マスクによる買収以来、同社の従業員が業務以外のことで何かに誘われたのは、この時が初めてだった。
サンフランシスコ本社でのティータイムに参加した現役従業員によれば、ヤッカリーノはその場で、チーム一丸となって働くこと、Xの未来を一緒に作り上げていくことの素晴らしさについて語り、従業員たちのモチベーションを高めようとしたという。
本社2階にあるカフェでお茶や飲み物が提供され、従業員たちは数十人ずつのグループに分かれて談笑し、ヤッカリーノも席を移りながらそれぞれの輪に加わった。マスクがオーナーや経営トップの会社ではほとんど稀な、就業時間中の気楽なくつろぎのひとときだった。
ただ、一つだけ後味の悪い出来事があった。上の従業員が言うには、無料で振る舞われたビールが全て「賞味期限を大幅に過ぎていた」のだという。
「リンダは何も言わないんです」
ティータイムのような取り組みにも関わらず、ヤッカリーノは従業員の士気を高めるのに苦慮している。それはやはりマスクの行動に原因がある。
内情に詳しい関係者の情報によれば、マスクは週の前半をテスラとスペースXの経営に集中し、週末を含めた後半をXの諸々に充てている。だから「イーロンからの重要な発信や発表は金曜日か土曜日に集中する」のだという。
また、かつての同僚たちと連絡を取り合っている元従業員によると、そうしたマスクのスケジュールに応じて、週末のミーティングは午後11時まで行われることもしばしばだという。
取材に応じた現役従業員の一人は次のように吐き捨てた。
「イーロンはそうやって休日をまたいで仕事をさせて、従業員を痛めつけるのが好きなんです。要するに、残酷なんでしょう。そして、リンダは(それを見ても)何も言わないんです」
また、別の従業員の話によれば、広告部門のセールス担当やプロダクト担当以外の従業員にとって、ヤッカリーノCEO就任の影響はほとんど感じられないという。
「現実を踏まえれば、彼女の肩書きは最高マーケティング責任者(CMO)とするべきでしょう。ほとんどの従業員は日常の業務でリンダから何か指示を受けることはないのですから」
この指摘に他の現役従業員2人も同調する。ヤッカリーノのCEO就任からおよそ3カ月間、彼女からはほとんど何も指示を受けていないという。
5月中旬にヤッカリーノの経営トップ就任が社内で正式に発表された際も、広告部門と営業部門向けの(毎週の)定期メールに記載があっただけで、従業員総数の大半を占めるエンジニアリング部門と技術部門には特段の情報提供がなされなかったと、現役従業員たちは口を揃えた。
「逆転」の見込みは……
何にしても、しばらくの間、ヤッカリーノの評価は広告事業の健全性によって決まってくることは間違いないだろう。
ただ、仮にマスクが彼女に経営の全権を任せたとしても、広告売上を大きく伸ばすのが至難の業であることは、先に広告業界のベテラン経営者が語った通りだ。
グーグル、ユーチューブ、インスタグラム、フェイスブック、ティックトックなど、広告主が資金を投じることのできる、より大規模でより高い宣伝効果を得られる選択肢は他にいくらでもあるのが現実だ。
ある広告代理店の幹部は、経営者としての手腕から大手広告主との信頼関係まで、ヤッカリーノ本人については良い話しか聞かないと語る。
にも関わらず、広告業界はすでにXには回復の見込みなしとの結論に傾きかけている。
「ヤッカリーノは本当に素晴らしい。でも、ツイッターは収拾不可能なほど混迷を極めており、彼女の力があっても何ともならないでしょう」