撮影:伊藤圭
「出資だと、リターンがどうなるのかという目線がどうしても入ってしまう。それが“ノイズ”になるから、最初から『経済的リターンを求めない』形で支援していくことにしたんです」
社会課題解決型の事業を助成する「財団法人Soil(ソイル)」代表理事の久田哲史(39)は、同団体の設立についてそう語る。
柔らかな笑みを浮かべ、真っ直ぐに見つめ返すその眼差しは、ノイズのない世界観を映し出しているかのようだ。
「儲からないけど意義がある」事業を支援
久田は、スタートアップ界隈では知られた連続起業家だ。
2007年にデジタル・マーケティング支援を行う「Speee(スピー)」を創業し、2018年にはブロックチェーンの社会実装を手掛ける「Datachain(データチェーン)」を設立した。Speeeは2020年にJASDAQに上場。その株式を含め、現在の資産は100億円を超える。
そんな久田が2023年1月、「儲からないけど意義がある」事業に取り組む非営利スタートアップの創業期を支援するため、私財を投じて立ち上げたのがSoilだ。
「非営利スタートアップは事業資金が圧倒的に不足している。そこを解決するために、シリアル・アントレプレナー(連続起業家)的な立ち位置で支援しています」
通常の、いわゆる “営利”のスタートアップには、シードからシリーズA・B・Cと、成長段階に応じた資金調達のエコシステムがある。
投資家はビジネスが成長しリターンが得られることを期待して投資をするし、起業家も事業の収益や売却で利益を得る。経済的なWin-Winの関係が成り立つからこそ、エコシステムが出来上がったわけだ。
経済的リターン求めず、株式も取得しない
VCにとっては、成長によって利益が見込めるスタートアップに優先的に投資をし、社会課題解決型のビジネスは敬遠の対象になってきた(写真はイメージです)。
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ところが、社会課題の解決を目指す事業はそうはいかない。儲けより課題解決を優先しているがゆえに、収益化がどうしても後回しになる。資金がなければ優秀な人材も集まらない。
「結局、儲からないところにはお金が集まらないっていうことが、根本的な課題なんです」
投資ではなく、寄付にしても詳細な報告書や過剰な成功が求められることが多く、「公的なところから集めたお金を、失敗するかもしれない事業には使えない」(久田)のが現実。対象も、教育や研究分野など特定の領域に偏っているという。
結果、今までにない発想や手法で課題解決に取り組もうとする挑戦の“芽”が育たない悪循環に陥っている。
「その点、個人がバックグラウンドにあるお金ならノーリスクで出せる良さがある」
Soilは経済的なリターンを一切求めず、エクイティ(株式)も取得しない。助成金も、久田個人の資金を財源にした“寄付”という位置づけだ。
人生観を変えた『利己的な遺伝子』
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起業家の久田は、いつから社会課題の解決に関心を持ち始めたのか。原点は幼少期までさかのぼる。
「いつも『人はなぜ生きるのか』と考えているような子どもだったんです。生きる意味がないならこの人生はいらないなって。生きるのがつらかったわけではなく、ただそう考えてしまう。観念的な性格なんでしょうね」
幸せになりたいという気持ちもなければ、お金や物が欲しいという欲もなかった。
そんな久田を変えたのが、21歳のころに出合った『利己的な遺伝子』という本だった。
『利己的な遺伝子』は、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが、人間や動物の行動を「遺伝子」の目線で解き明かした著書だ。その斬新な視点は多くの読者に衝撃を与え、世界的なベストセラーになった。
「ドーキンスによると、人間は、遺伝子が生き延びるために数十年間利用しているタンパク質の乗り物に過ぎない。それを読んで『人に生きる意味なんてないんだ』と腹落ちしたんです」
普通なら、「生きる意味がない」という考えはマイナス思考そのものだろう。しかし、久田は違った。
「生きる意味がないんだったら、価値や意義をつくる人生にしたい。それを人生の軸にして生きていこうという『人生観』に決めたんです」
絶好調のビジネスが生んだ「ジレンマ」
撮影:伊藤圭
『利己的な遺伝子』に出合った当時の久田は、地元の名古屋大学を休学し、東京のIT企業でインターンをしていた。
それから間もなく起業することを決め、2007年にSpeeeを立ち上げた。23歳のときだ。
ビジネスは順風満帆で、2、3年後には上場が視野に入ってきた。
同時に、久田はあるジレンマに悩まされるようになった。企業として利益を出すことは重要だが、儲けを目的とするモチベーションでは自分は頑張れない。
「事業をつくることに対して、ピュアな気持ちで向き合っていたかったんです」
Speeeの事業に注ぐ純粋な思いが、事業から得る利益によって鈍らせることにならないよう、自分の中で整理する必要があると感じた。
「だから、Speeeで得た資産は自分のために使わず、すべて非営利の活動に使おうと決めました」
2011年の東日本大震災のときも、自分の銀行口座にあった貯金150万円をすべて寄付と物資購入に充てた。
挑戦したいのに事業化できない「お金」問題
それから約10年。久田の決意は、Soil設立に向かって急展開し始めた。
直接のきっかけは、2020年7月に実施したSpeeeのJASDAQ上場だ。
「その結果、まとまった現金が入ることになったので、社会に還元しようと思ったんです」
とはいえ、どんな形で還元すると効果的なインパクトを与えられるのか。テクノロジーで社会課題を解決するというコンセプトはあったが、まだ具体的な案には結びついていなかった。
「身近にある個別の社会課題を解決していくというより、汎用性のあるシステムづくりをしたいと思っていたんです。そのほうが課題解決をスケールさせられるし、インパクトを出せますから」
検討を重ねていくなかで、久田がまず考えたのがシンクタンク的な取り組みだった。
テクノロジーを使った課題解決の「ユースケース」をしっかり発信していけば、良質なチャレンジが増えていくんじゃないか—— 。
しかし、リサーチやヒアリングを進めるうちに、情報発信より優先しなければならない問題があることに気づいた。
「チャレンジしたい人は結構いるのに、実現に移すためのお金が根本的に不足している。だったら、そういう人たちを経済的に支援することにしようと決めたんです」
まさかの「応募ゼロ」に焦り
撮影:伊藤圭
そうして迎えた2023年1月。久田はSoil設立の発表と同時に、助成プログラム第1弾の募集を開始した。
プログラムは2つ。ある程度の実績を持ち、可能性があるにもかかわらず資金面の課題を抱える非営利スタートアップに最大1000万円を寄付する「Soil1000」と、創業前後でまだ実績がない非営利スタートアップに最大100万円を寄付する「Soil100」だ。
資金面だけでなく、久田をはじめとする理事が培ってきたノウハウや人脈なども提供。Soil100のチームにはメンター的な立ち位置で伴走し、事業化を支援する。
Soilの設立は、ソーシャルスタートアップ界隈で喝采を浴び、SNSやメディアでも取り上げられた。
ところが、だ。1週間経ってもまったく応募がない。
締め切りギリギリにドッと届くものかもしれない。とはいえ、出だしの悪さに焦った久田は、社会起業家や社会課題分野に詳しい研究者のネットワークを持つSoilの理事や評議員を通じ、非営利スタートアップへの声がけを始めた。
「応募殺到」見越していた応募者
応募者の一人である「AiCAN(アイキャン)」代表の髙岡昂太は、児童相談所や医療機関、司法機関において、15年間、虐待や性暴力などに対する臨床に携わってきた。
AiCAN公式サイトよりキャプチャ
一方、応募した側はSoilの発表をどう受け止めていたのか。
児童相談所や自治体に児童虐待対応支援サービスを提供する「AiCAN(アイキャン)」代表の髙岡昂太は、「久田さんのFacebook投稿を見てすぐ応募しようと思った」という。
「社会的なインパクトがある重要な事業だけど、すぐ事業化できない仲間たちがたくさんいるので、応募が殺到するだろうと思いました」
2020年3月に創業したAiCANはそれまで、ベンチャーキャピタル(VC)を数十社回っていた。しかし、ビジネスとしての採算性と社会課題の解決が両立することをなかなか理解してもらえずにいた。
「事業計画や資料をしっかりつくり込んでから提出しないと、最初の書類審査で弾かれてしまう。そう思ってギリギリまで推敲を重ねていたんです」
久田の焦りは杞憂だった。最終的に応募総数は463件に到達。Soil1000で3団体に計3000万円、Soil100で10人に計1000万円を寄付することが決まった。
AiCANもついに初めての資金調達に成功し、Soil1000枠で1000万円の支援を受けることになった。
「起業家が非営利スタートアップに寄付する時代」目指す
撮影:伊藤圭
「うれしかったのは、数十社から資金調達を断られ続けたというAiCANさんが、Soilの支援が決定してから間もなく、ベンチャーキャピタルのANRIさんから7000万円の資金調達をされたことです」
自分が最初に発見したからではない。Soilが寄付したプロジェクトが、資金調達の次のステージにステップアップできたからだ。
それはイコール、Soilが描くビジョンでもある。
非営利スタートアップにも、シーズからシリーズA・B・Cといった“営利”のスタートアップと同じようなエコシステムをつくる。それによって、新たな社会課題解決プロジェクトが次々と立ち上がる。それがSoilの目指す世界観だ。
しかも、その担い手をほかの起業家にも広げ、社会的なムーブメントにつなげていくことを狙っている。
「起業家には資金も事業を生み出す能力も、テクノロジーの知見もあるし、社会課題に関心を持っている人もけっこういます。1人でも多くの起業家が、非営利スタートアップを助成する財団を作れるようにSoilの事業をモデル化し、ナラティブ(物語)をつくっていく。
近い将来、『起業家が非営利スタートアップに寄付する時代』が来ることを目指して、いろんな人を巻き込んでいきたいです」