ニューヨーク州に位置するインディアンポイント原子力発電所。ここで生じた冷却水は当初ハドソン川に放出される予定だったが……。
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日本が福島の原子力発電所の処理水の放出を実行する1週間ほど前の8月18日、ニューヨーク州ではキャシー・ホークル知事が、2021年に閉鎖されたインディアンポイント原発の処理水をハドソン川に放出することを禁止する法案に署名した。9月に放出が予定されていたが、環境保護団体や住民たちの運動によって阻止された格好だ。
インディアンポイント原発は、ニューヨーク市マンハッタンからおよそ50キロ北に行ったウェストチェスター郡ブキャナン、ハドソン川の沿岸に位置する。1962年に稼働を始めた1号機は安全基準に満たないという理由で1974年に廃炉となっていたが、その後1974年には2号機が、1976年には3号機が稼働を始め、ニューヨーク市の電力供給の一翼を担ってきた。
たびたび起きた汚染水漏洩事故
インディアンポイントの施設自体に対する反対運動の歴史は長い。1980年代からたびたび汚染水が漏洩する事故が起き、2007年には火災が起きて安全性を疑問視する声が上がった。2001年9月11日、飛行機を使った同時多発テロが起きた際には、実行犯がインディアンポイントを標的として検討したことも明らかになった。
2010年には、同原発の2号機から放射性物質が大気中に放出されていることを規制当局である米国原子力規制委員会(NRC)が発見。その数カ月後には爆発が起き、事業者のエンタジー社は120万ドル(約1億7400万円、1ドル=145円換算)の罰金を支払った。
2011年の東日本大震災で福島原発の事故が起きてからは、インディアンポイントの廃炉を求める住民運動がさらに活発になったが、その後も汚染水の流出が発生した。
こうした漏洩が発覚するたびに、NRCは放射性物質トリチウムの量を査察してきた。2016年に起きた漏洩の際にも、検出量は少なく、周辺住民の健康被害は大きくないとの見解を示した。
しかし問題は、汚染水が周辺地域の住民にとって安全か、だけではない。冷却に必要な水をハドソン川から調達することで、魚をはじめとする川の生態系を脅かしているという指摘もなされてきた。
2011年から10年にわたりニューヨーク州知事を務めたクオモ氏は一貫してインディアンポイントの廃炉を訴えていた。
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2011年に就任したアンドリュー・クオモ前州知事は、州の司法長官だった2007年頃からインディアンポイントの事業免許の延長に反対の意向を示してきた。知事に就任してからも、環境団体と連帯して一貫して廃炉を呼びかけていた(ただし、知事の動機を疑う声もあった。元側近が、天然ガスの事業者を代表するロビイストになったことが明らかになったからだ)。
一方で、環境団体や科学者の中には、性急な廃炉に反対する声もあった。原子力発電を止めれば石炭火力による発電が一時的に上がり、脱炭素の実現が遠のくとの懸念があったためだ。
とはいえ、長年続いた反対運動にクオモ率いる州政府が加わったことで、政治の上での空気は変わった。州政府と事業者の交渉の末、2017年にはインディアンポイント原発の段階的な閉鎖が決定。こうして2号機は2020年4月に、3号機は2021年4月に稼働を終了した。
44万人が反対の署名
しかし、問題は廃炉の作業である。インディアンポイント原発の稼働終了が決まったのちの2019年、事業主エンタジーはホルテック・インターナショナルに発電所を売却し、NRCはこれを承認した。
ホルテック・インターナショナルは、ニュージャージー州で創業、その後フロリダ州に拠点を移した原子炉製造と核廃棄物処理を専門とする企業で、ウィスコンシン、バーモント、ニュージャージー、マサチューセッツの4州で廃炉の作業を請け負っている。
だが2019年から進められているニュージャージー州オイスター・クリークの原子力発電所の廃炉作業では、安全のために定められたプロトコルの違反がたびたび指摘され、住民や環境団体からの抗議を受けてきた。
マンハッタンの西側を流れるハドソン川。河川への処理水放出は安価な方法とされるが、環境に与える影響を懸念する住民の声は大きい。
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今回問題になった「トリチウムを含む1300万ガロンの冷却水をハドソン川へ放出する」という計画も、そのホルテックが発表したものだ。川への放出は、冷却水の処理方法の中で最も安価で、かかる時間も短くて済む。
規制当局NRCが定める安全基準の範囲内だったこともあって当初は2023年5月に放出が予定されていたが、ホルテックに対する不信感や、周辺の自然や生態系へのダメージを懸念する声から反対運動が本格化。100以上の環境団体が反対運動に参加し、44万人の署名を集めていた。
ホルテックは放出の予定を延期していたが、その後、民主党議員が州議会に提出した放出禁止法案が上下院を通過し、ホークル州知事の署名を受けて発効した。長い時間をかけて積み上げられた草の根の住民運動が地方の政治を動かし、連邦政府が許可した放出を州議会が覆すという結果につながった。
住民たちにとっては大きな勝利だが、これで終わりにはならない。冷却水の放出は食い止められたが、代替となる処理方法は決まっていないからだ。廃炉の作業も、この先12年にわたり続けられることになっているが、安全に行うならそれ以上の年月がかかると予測する専門家もいる。
この先も、住民や環境団体と、企業、州の攻防は続いていくのだろう。少なくともひとつ言えるのは、これまで政府と企業の間で勝手に決められてきた案件に対し、公の目はいまだかつてないほど厳しくなっている、ということだ。
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。