Arantza Pena Popo/Insider Illustration
コロナのパンデミック中、創業者兼エンジェル投資家のマイク・チャン(30)は、妻とともにロサンゼルスのダウンタウンからオースティンへと引っ越した。カリフォルニアを後にした多くの人たちと同じように、チャン夫妻はカリフォルニアの物価の高さと犯罪やホームレスの増加に嫌気がさしていた。それにひきかえオースティンは、ダイナミックで急成長中のテックの中心地。チャン夫妻はここに住むことに興奮し、治安のよい地区に大きな家を構えることもできた。
しかし、3年経った今、彼らはオースティンに移住したことを後悔している。
「オースティンは野心が死に至るところ。カリフォルニアに戻りたいです」
チャンは、ロサンゼルスに住む以前はサンフランシスコのベイエリアに住んでいた。Insiderはオースティンでの生活を考え直している技術系移住者何人かに取材したが、チャンもその一人だ。
オースティンはパンデミックの期間中、より広いスペースがとれて税法も有利、かつ生活費も下げたいと望むリモートワーカーや西海岸沿いに住むテック企業の従業員の間で人気の場所となった。また、オラクル(Oracle)やテスラ(Tesla)といったテック企業がオースティンに移転したほか、フェイスブック(Facebook)やグーグル(Google)など大手企業もオースティンにオフィスを開設した。
オースティンの不動産業者ダニエル・ファウンテンは、ここ数年でリモートワークが浸透するにつれて技術系人材が大挙してオースティンに押し寄せてくるのを目の当たりにしてきた。そのため、オースティン郊外のヒルズ(The Hills)はシリコンバレーならぬ「シリコンヒルズ」と呼ばれるほどだ、と彼女は言う。しかし唐突にやってきた彼らは、今度は唐突に立ち去ろうとしている。
「彼らもここに移住してきた時にはどこでも勤務可能だったけれど、今はオフィス勤務が復活したから舞い戻っているんです」(ファウンテン)
Insiderは、技術職に就いていて最近オースティンから引っ越した人、引っ越しを検討している人6人に取材した(うち2人は匿名を条件に取材に応じた)。彼らは引っ越しの理由として、極端な気温、交通渋滞、人口過密、そしておそらくこれは最も驚くべきことだが、誇大宣伝に見合わないオースティンの中途半端なテックシーンを挙げた。
シリコンバレーからシリコンヒルズへ
少し前まで、オースティンのテック業界は隆盛を極め、シリコンバレーを抜く可能性をも示唆する見出しがメディアに躍っていた。
2019年、アップル(Apple)は10億ドル(約1470億円、1ドル=147円換算)で300万平方フィート(約27万8700平方メートル)のオースティン新キャンパスを着工し、フェイスブックは25万6500平方フィート(約2万3800平方メートル)のきらびやかなオフィスを開設した。
2021年には、テスラが本社をオースティンに移転すると大々的に発表した。同社CEOのイーロン・マスクは、ブレイヤー・キャピタル(Breyer Capital)のジム・ブレイヤー、パランティア(Palantir)の共同創業者であるジョー・ロンズデール、ベンチマーク(Benchmark)社のゼネラルパートナーであるビル・ガーリーといったテック業界の大物に続いてオースティンに引っ越すと発表した。
オースティン商工会議所によると、2020〜2022年のオースティンの人口流入は9万4764人で、2020年の総人口に占める転入者の割合は4.1%、50ある大都市の中で1位となった。
こうした人口流入が、オースティンの住宅市場に影響を与えた。不動産企業のレッドフィン(Redfin)によると、2020年5月時点でのオースティンの住宅販売価格の中央値は42万5000ドル(約6270万円)だった。それが2022年5月には58%近く上昇し、67万ドル(約9890万円)のピークに達した。
人材の密度
著名人が移住したり企業が派手な新社屋を発表したりと華々しいオースティンだが、そのテック業界での仕事やプライベートの実態は不満だらけだったと、Insiderの取材に応じた人たちは語る。
マスクや、マスクのように自家用ジェット機を持たない人でさえほとんどオースティンに滞在しておらず、この街への忠誠心や市民としての誇りは皆無に等しいようだ、と複数の人が語る。マスクは2023年、テスラの「エンジニアリング本部」をカリフォルニアのパロアルトに置くと発表した(カリフォルニア州当局と和解したためと見られている)。
また、オースティンにある職種は、テック企業内の業務ゆえにテック系に分類されるものが多いが、その実カスタマーサービスやセールスといったスキルレベルが比較的低い業務に偏っている傾向がある。
LinkedInのデータ分析によると、オースティンにいるアップル従業員8311人のうち、エンジニアはおよそ4分の1だ。これに対し、ベイエリアではアップル従業員5万2610人の約半数がエンジニアだ。
「アップル、オラクル、テスラなどでは、実際にどんな雇用が創出されているかを見てみるべき」とチャンは言う。彼いわく、オースティンではアーリーステージのスタートアップを立ち上げるのに欠かせない優秀なエンジニアや投資家に出会うことはほとんどない。
「優秀人材の密度で言えば、いまもベイエリアのほうがはるかに上です。それは、資金調達をし続けられるような成功した大企業のネットワーク効果が利いているからです」(チャン)
ベンチマーク社のビル・ガーリーがオースティンに移住した際には耳目を集めたが、彼は最近、ブルームバーグのエミリー・チャンとのインタビューで、若いファウンダーが同じことをすべきだとは思わないと語っている。
「もし私が22歳のファウンダーで何かを始めるなら、シリコンバレーに行きます。そのほうが成功確率が高まりますからね」
ガーリーはそう語り、オースティンでは楽しみすぎて事業の立ち上げに集中できず、気が散ってしまいがちだと付け加えた。「最も決断力のあるファウンダーが集まるところかどうかには、疑問が残りますね」
ジョン・アンドリュー・エントウィスル。
John Andrew Entwistle
ジョン・アンドリュー・エントウィスルは、2017年に高校を卒業するとニューヨーク州ウエストチェスター郡からオースティンに移り住み、1社目となるコーダー(Coder)を起業した。25歳になった現在はバケーションレンタル会社ワンダー(Wander)のCEO兼創業者だが、住まいは今もオースティンだ。
エントウィスルも、シリコンバレーよりオースティンのほうが若くて社交好きな人が多いと見ているが、この街のテック業界はいずれ時間とともに成熟していくだろうと楽観的だ。
「シリコンバレーにあるような、複数のユニットからなる大規模なユニコーン企業はまだそれほど多くありません。まだ初期段階なんです。こうした企業がいずれ成長し、この地域に留まるようになれば、この地域のダイナミズムも少しずつですが明らかに変化し始めますよ」(エントウィスル)
オースティンは誇張されすぎ
エントウィスルは辛抱強いほうだが、オースティンが栄えるまで待っていられなかった者もいる。ソフトウェア会社のプロダクト責任者であるニコラス・ファルダイン(35)はわずか1年で音を上げた。
ファルダインが指摘するオースティンの不満点はいくつかある。ひどい交通渋滞を引き起こす公共交通機関、いまいちパッとしない美術館や博物館。それにアクティビティに参加しようと思っても常に混雑しているので、かなり前から予約をしなければならない。
オースティンで過ごした1年は、何もいいことがなかったという。
ファルダインはその後、アーカンソー州フェイエットビルに引っ越した。フェイエットビルもテック関係者で盛り上がっているわけではないとファルダインは認めつつも、オースティンのまやかしのような環境よりはマシだと考えている。
ニコラス・ファルダインと妻。
Nicholas Falldine
「若干嘘っぽいですよね。多分、住んでいる人たちもここ2、3年で引っ越してきた人ばかりだったからじゃないでしょうか」(ファルダイン)
セールスサイドで働くニック・トーマス(30)も、オースティンは評判ほどではないと考えている。
「テックシーンだと聞いたからみんなそう言っているだけで、実際に行ってみると何の根拠もありません。誇張しすぎだと思います」(トーマス)
トーマスは2021年1月にロサンゼルスのダウンタウンからオースティンに引っ越したが、近々カリフォルニアに戻りたいと考えている。オースティンは、ロサンゼルスやサンフランシスコなど、彼が住んだことのある場所を「薄めたような場所」だという。
ニック・トーマスはロサンゼルスのダウンタウンからオースティンに移ったが、また戻りたいと考えている。
Nick Thomas
「おいしい食べ物、天気、いいライブミュージックにありつけると期待していました。そこに惹かれたんですが、どれも空振りでした」
不動産業者のファウンテンは、特にカリフォルニアから引っ越してきた人は天候に対する備えが足りなかったと指摘する。2023年7月のオースティンは史上最高気温を記録し、11日連続で気温が40度を超えた。
「2022年が始まり、オースティンで1年過ごした人たちが、この気候になじめないと気づいたんです。彼らがカリフォルニアで望んでいたものは、ここにはありません」(トーマス)
チャンは、ロサンゼルスやベイエリアに住んでいた頃は、一年中外でジョギングやハイキングができるのが当たり前だと思っていたと言う。オースティンでは、極端な気温を避けて1年の大半を室内で過ごさざるを得ず、エアコンの効いた室内でランニングをするためにトレッドミルを買わなければならなかった。
「夏は文字通り家から出られません。冬はカリフォルニアに比べると凍える寒さです」
オースティンで初めての夏を過ごすファウンダーでポッドキャストホストのサム・パーは、最近こうツイートした。
「(私も含め)みんなをこれほどまでにうんざりさせられるのかと、ショックを受けている」
不動産への打撃
レッドフィンのシニア・エコノミストであるシェハリヤー・ボクハリは以前Insiderの取材に対し、オースティンは数年にわたって買い手需要が活発化して価格が上昇したものの、その後は打撃を受けていると語った。
別名ローンスターと呼ばれるテキサス州、その州都であるオースティンで、スターター住宅(初めて住宅を購入する人が買う小さな家)の価格帯は、低金利の時には全米で最も早く上昇した。だが「金利がとても高い水準にまで急上昇したため、手を出せる価格ではなくなってしまった」という。
米郵政公社(US Postal Service)のデータをInsiderが分析したところ、オースティンは2023年1月から5月までのアメリカの大都市からの移住者数で5位にランクされている。また、2022年の今頃からスターター住宅(レッドフィンでは販売価格ベースで5~35パーセンタイルの住宅と定義)の価格が下落している都市圏は全米で3つしかないが、オースティンはその1つに数えられる。
2022年以降、住宅価格の中央値は全カテゴリーで下落しており、2023年1月には52万5000ドル(約7750万円)となった。リモートワーク社員がオフィス出社を指示されたり、手頃な価格を求めてオースティンを離れる人もいるなか、多くの人がオースティンから転出する可能性がある。
チャンはオースティンから出たいと思っているが、すでに金利が上昇しており、機を逸してしまったようだ。
「もし売れば、金利3%のローンを手放して7%以上の金利で新しい家を買わなくてはいけなくなり、購買力が大きく下がります。沿岸部の都市では住宅価格がもっと高いので、購入はほぼ不可能です」(チャン)
金利か沿岸部の住宅価格が下がるまでオースティンに閉じ込められたチャンはこの夏、カリフォルニアに残してきた友人を羨ましく思いながら、Instagramをスクロールして過ごした。
「オースティンに閉じ込められているこの状況にSNSが追い討ちをかけていることは間違いないですね。友人たちがビーチではしゃいだり、ハイキングに出かけたり、犬の散歩をしているのを見るのはつらいです」