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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
日本ではとかく「何事も粘り強くやり遂げること」が重視されがち。ですが、実は私たちにいちばん足りないのは「やめる力」だ、と入山先生は指摘します。では、やめづらくしている要因は何なのでしょうか、それを克服するコツは?
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日本人にいちばん足りない「やめる力」
こんにちは、入山章栄です。
部活やバイトをやめるとき、あるいは会社をやめるとき、「なんとなく心がチクッと痛む」という人は多いのではないでしょうか。べつにやめるのは自由なはずなのに、なぜ私たちは罪の意識を感じるのか。やはり日本では、ひとつのことに取り組んで、「この道ひとすじ何十年」みたいな人が賞賛されるからでしょうか。
今回は「やめる力」について考えてみたいと思います。
BIJ編集部・常盤
『QUITTING やめる力』という本を読みました。何年か前に『やり抜く力 GRIT』という本が話題になってから、何事も粘り強くやり遂げることの効用はよく語られますが、この本の主張はその逆。「やめること、あきらめることも動物の大事な生存本能だ」という問題意識から、やめることの効用を説いたものです。
その一方で、いま私は子どもにピアノを習わせているのですが、まあ、練習をしないわけですね(笑)。でもここで簡単にやめさせてしまったら、何事も長続きしない大人になりそうで悩んでいるんです。入山先生は「やめるかどうか」について、何か基準をお持ちですか?
いいテーマですね。僕の個人的な意見ですけど、日本でいちばん足りないことの一つが「やめる力」だと思いますよ。なぜなら日本人には、「つらくてもやり抜くのがいいことだ」という思い込みがあるでしょう。まさに常盤さんがお子さんにピアノを続けさせたいと思うように。
BIJ編集部・常盤
はい。歯を食いしばって続けるのがエライという気持ちがありますね。
でも、いつもそうだとは限らないと思いますよ。極論かもしれないけれど、78年前の太平洋戦争だって、日本が負けるとわかっていながらやめられなかったせいで、国民はひどい目にあったわけですからね。だから「やめる力」だって大事。
僕が人生でいちばん大事にしているのは「自由であること」ですが、「やりたいことをやる自由」よりも、「やめたいことを、やめたいときに、やめられる自由」のほうが大事だと思っています。
例えばある人が新規事業を始めたとする。でも思ったほどうまくいかず、「これはダメだな」と思ったら、「やーめた」と言ってやめられる人が一番自由なんですよ。でもほとんどの場合、「まわりの人も巻き込んでいるし」「出資してもらったし」「責任あるし」などと考えてずるずる続けてしまう。
僕のまわりの優れた経営者やすごいイノベーターは、全員「やめる達人」です。いちばんわかりやすいのは、(直接面識はないですが)孫正義さんですよ。小林至さんという東大からロッテに行ったプロ野球選手がいて、彼はそのあとソフトバンクホークスの経営に携わることで、孫さんとも仕事をすることになった。
僕は小林さんとはラジオ番組で知り合って、そのとき「孫正義伝説」をたくさん聞きました。そうしたらやっぱり孫さんは自分のことを「俺は撤退戦の天才なんだ」と話しているらしい。孫さんはいろいろなことを次々に始めるけれど、うまくいかないとわかった瞬間、どんどんやめていく。もちろんまわりは振り回されるけれど、孫さんは「リーダーは朝令暮改でいい」と言い切っているそうです。
小林至さんいわく、同じことができるのがソフトバンクホークスの監督だった王貞治さん。王監督も天才なので、いろいろ試して、やっぱりダメだなと思ったらやめるらしい。
僕のまわりでも変化を起こせるのはそういう人です。たとえば元NewsPicksの編集長で、いま「PIVOT」というメディアを経営している佐々木紀彦さん。佐々木さんとは個人的に仲がいいのですが、ご本人というより佐々木さんの部下に話を聞くと、いい意味ですごく朝令暮改なのだとか。
孫さんも王監督も佐々木紀彦さんも、みんな軽やかで自由な雰囲気があるのは、やめることを恐れないからではないでしょうか。
気軽に始められないのは、簡単にやめられないから
「やめる力」が重要なのは、これからの変化が激しい世の中では、未来を予想することが難しいからです。やってみなければわからないことが多いから、いろいろなことに挑戦する必要がある。だから試しに小さく始めて、ダメだったら撤退するし、成長しそうだったら追加の投資をするというような柔軟性の高い経営が高く評価される。『世界標準の経営理論』に書かれているように、これを「リアルオプション理論」といいます。
でも日本では「一度始めたことをやめるなんて、根性がない」という考え方が強い。特に日本の会社は、利益が出たときの支払い順序が決まっている「ウォーターフォール式」で投資をするので、「一度投資したら撤退しません」ということになる。こんな環境ではうかつに始めるわけにはいかない。だから、よさそうな新規事業があってもつい腰が重くなる。それでチャンスを逃してしまうわけですね。
あるいは一度始めたら絶対に撤退せずに突き進むから、みんな「これはダメだろう」とううすうす思っていても誰も口に出せない。だから気づいたらそのまま撃沈するプロジェクトが死ぬほどあるわけです。
だから僕は、「どんなときも、やめずにがんばるのが正しい」という考え方は、そろそろ捨てる必要があると常々思っているんですよ。
やめることで気になるのは「世間の目」だけ
BIJ編集部・常盤
なるほど。でも私自身のことをいうと、一度始めたことをやめるのが苦手なんですよ。これも幼少期からの刷り込みだと思うんですが、やめるとなんとなく「負けた」気がするし、やめたことに対してまわりからどう思われるかが気になってしかたない。これはどう克服すればいいですか?
それはすごく簡単ですよ。
これは昔、僕ではなくて「ココナラ」の創業者の南章行くんが言っていたことですが、結局、失敗したときの足かせになるのは「世間の目」だけなんです。
そもそも起業や新規事業というのは失敗する可能性のほうが高いわけで、失敗するのが当たり前。起業するなら私財をつぎ込まなければいけなかった時代ならいざ知らず、いまどきは失敗しても具体的に失うものはあまりないでしょう。いま、いちばん撤退を阻むのはまさに常盤さんが気にする「世間の目」だけなんですよ。それ以外はたいした問題じゃない。
でもまわりは自分が思うほど、自分のことに関心はない。そんなに自意識を持たなくていいんです。常盤さんが何か始めて、でもしばらくしてやめたとしたら、むしろ「常盤さんが考えて決めたことなんだから、きっといい決断だったんでしょう」と思われるのではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
確かに、自分以外の人が撤退した場合は、別に何とも思わないかも。たとえば編集部の野田くんが何かに失敗して撤退しても、私はきっと、「それだけの事情があったんだろう」と思うだけでしょうね。
ダイエットを宣言するときのように、周囲の目を意識するのは何かを継続するときの支えにもなりますが、撤退を阻む障害にもなる。ときにはこれを断ち切る勇気も必要ですね。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。