映画『バービー』は現実をひっくり返した強烈な風刺。女子をエンパワーしてきたはずのバービーが人間界で見たもの

バービーの広告

映画『バービー』は公開3週間で世界興行収入10億ドルを突破する大ヒットとなった。一見ポップなコメディ映画だが、この興行成績を見ればバービーファン以外の層を相当数動員していることがうかがえる。

Richard B. Levine/Reuters

アメリカの夏は、9月第一月曜日の祝日(レイバー・デイ)で終わる。この夏アメリカでよく耳にしたのは「Summer of Women」という言葉だった。エンターテインメント界の話題を独占したのが、テイラー・スウィフト、ビヨンセ、バービーという3人の女性たちだったからだ。

スウィフトのEraツアーのチケット売り上げは、10億ドル(約1450億円、1ドル=145円換算)を超えると見込まれている。これを達成すれば、史上最も売り上げたコンサートツアーとして記録を作ることになるが、8月にCNNが報じたところによれば、今後、北米だけでも22億ドル(約3200億円)の売り上げに達するという予測も出てきている。10月には、このツアーを追ったドキュメンタリー映画も公開される。

ビヨンセのRenaissanceツアーは、マイケル・ジャクソンやティナ・ターナーといった歴代スターたちの過去の売り上げをすでに超え、「史上最も多額のチケット収入を生んだ黒人アーティストのコンサート・ツアー」という記録を作った。この調子だと、10月にツアーを終える頃にはスウィフトの10億ドルの記録を塗り替えるかもしれないという予測も出ている

そして、映画『バービー』は、7月21日の北米公開から3週間足らずで世界興行収入が10億ドルを突破(これまでに10億ドルを超える興行収入を生んだ映画は53本しかない。 女性が単独で監督した作品としては史上初の快挙)。9月に入るとバラエティ誌が、『バービー』が世界で13億6000万ドル(約2000億円)の興行収入を上げ、それまで1位だった『スーパー・マリオ・ブラザーズ』を抜いて2023年世界最高の興行収入を記録したと報じた

ライターのジル・フィリポビッチはCNNへの寄稿で、テイラー・スウィフト、ビヨンセ、バービーの大ヒットが何を意味しているかを分析している。

それぞれスタイルは異なれど、これら3人の女性たち(バービーはキャラクターだが)は、強く、美しく、かっこいい。そしてそれぞれが、現代に生きる女性たちが日々感じている喜び、痛み、悩み、生きづらさ、願望といったリアルな感情を代弁し、堂々とフェミニスト的メッセージを発し、楽しませ、女性同士の共感体験と結束の機会も与えている。それがここまでの熱狂を生んでいるのだと述べている。

一見フェミニズム映画には見えない巧妙な仕掛け

グレタ・ガーウィグ

映画『バービー』で監督・脚本を務めたグレタ・ガーウィグ(脚本は、私生活におけるパートナーでもある映画監督ノア・バームバックとの共同執筆)。2017年に『レディ・バード』で監督デビューを果たす以前は女優としても活躍。

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グレタ・ガーウィグが『バービー』を監督すると最初に聞いたとき、何かの間違いではないかと思った。彼女のこれまでの作品(『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』)とはあまりにもかけ離れたテーマに思えたからだ。

でも少し考えて、ああきっと彼女は、バービー人形を風刺に使って女性の自立の話をやろうとしているのだろうと思った。彼女の過去2作はいずれも、「女の子がどう大人の女性に成長していくか」という物語だ。きっと『バービー』もそういう映画なのだろう、というところまでは予想できた。

バービー人形を売るためだけなら、製造元のマテルは(これまでの古典的手法である)人形キャラクターを主役にし、子どもをターゲットにしたアニメ映画を作ることだってできた。でもそれをあえてやらず、実写で、しかもガーウィグというインディ映画でキャリアを築いてきた監督にプロジェクトを任せた。

映画公開後にさまざまなインタビューを読んでみると、ガーウィグにとって、バービー人形が実はとても個人的な思い入れのある存在だったことが分かる。彼女は、周りの女の子たちがとっくに飽きたバービー人形で、中学生になってもまだ遊んでいたというのだ(彼女がのちに映画監督になったことを考えれば、人形遊びはその練習だったとも思え、辻褄が合う)。

元バービーファンだけあって、彼女はスポンサーたるマテル社の商業的な思惑も、会社にとっての課題(これについては後述する)が何かということも理解できた。その思惑を十分承知しつつ、単なるバービーのCM映画には終わらない、メッセージ性の強い映画を作ってみせたガーウィグ(それに、主演のみならず、映画化権を自ら取りにいきプロデューサーも務めたマーゴット・ロビーも)は、大変な戦略家だと思う。

多くのいわゆるフェミニズム映画は、最初から間口を狭く取りすぎ、観客を選びすぎ、見るからに説教的すぎ(楽しそうに見えない)、よって一部の人にしかうけない。『バービー』のマーケティングは、一見するといかにも楽しそうでポップなパッケージで多くの人を引きつけ、「なんか面白そう」と好奇心をくすぐるという点で巧妙だった。それに、なにしろ世界で一番有名な人形が「主役」なのだ。

実際に映画を観て、プロットが短絡的すぎるとか、善悪二元論すぎるとか、白人中心主義(有色人種はあくまでもサポート役で終わっている)すぎるとか、性差別以外の差別に対して鈍感であるとか、つっこみどころは確かにいくつもあった。

だが私は、「フェミニズム入門」としてはとてもよくできていると思った。なにより、真正面から「性差別とは」とやらず、ジョークやエンターテインメントを随所に盛り込み、見る側の警戒心を解き、笑わせながら、シリアスなメッセージを織り込むという手法が、賢くしたたかだ。中学生くらいの子どもたちに見せて、差別や人権についてディスカッションする際の教材にしてもいいのではないかと思う。

※以降では、映画『バービー』本編の内容に関する記述が含まれます。

バービーは女子をエンパワーしたのか、フェミニズムの敵か?

バービー人形

バービー人形には200以上の職業があり、合衆国大統領や最高裁判事、宇宙飛行士、ノーベル賞受賞科学者なども含まれる。

REUTERS/Maxim Shemetov

『バービー』の傑作シーンの一つは、冒頭にある。私は、始まった途端から可笑しくて仕方なかったのだが、日本の劇場でこれを観たとき、笑っている人があまりにもいなかったので、もしかしたらこの場面の可笑しさが全員には伝わっていないのではないかと心配になった。このシーンはこの映画の大前提となる重要なメッセージを含んでいる。

映画は、砂漠のようなところで、小さい女の子たちが人形を手に遊んでいる場面で始まる。この時点でデジャヴ感がある。この場面は、1968年のキューブリックの名作『2001年宇宙の旅』の「人類の夜明け」と題されたシーンのパロディなのだ。『2001年~』においては、砂漠にいるのは猿だ。この場面で、猿たちは道具を手にすることによって環境をコントロールすることを覚え、人間になる一歩を踏み出す。

『バービー』では、ヘレン・ミレンの声で重々しく「太古の昔から、最初の女の子が生まれて以来ずっと、この世には人形がありました」というナレーションが入り、BGMには『2001年〜』でも使われたストラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れる。そしてナレーションはこう続く。「でも、その人形は、常に赤ちゃんでした」。

赤ちゃん人形は、「お母さんごっこ」に使われる。母になるための練習として。大きくなったら妻、そして母になるしか選択肢のない世界においては、それ以外の人形の必要性がなかったのだろう。だが1959年、赤ちゃんではない初めての人形、大人の女性の形をした人形というものが出現した。バービーだ。それをこの冒頭シーンは、おおげさに劇的に、人類の未来を決定づける革命的発明のように描いてみせる。

ただ確かに、バービー人形の出現は、アメリカのポピュラー文化にとって一つの「歴史的出来事」ではあっただろうと思う。アメリカは日本に比べて女性の権利の面で進んでいると思われているかもしれないが、アメリカの女性たちもかつてはさまざまな面で性差別を受けていた。過去60~70年をかけて徐々に権利を獲得してきた結果、今がある。

バービーが誕生した1959年のアメリカでは、女性は男性に付属する存在で、クレジットカードひとつ自分で作ることができなかった。アメリカで女性が単独で銀行口座を作れるようになったのは1960年。1974年にEqual Credit Opportunity Actが成立するまで、女性は夫のサインがないとクレジットカードが作れなかったし、独身女性に至ってはカード会社から拒否されるということが普通に起きていた

バービー人形

「YOU CAN BE ANYTHING(あなたは何にだってなれる)」はバービー人形が伝え続けるメッセージだ。

Natalya_Maisheva/Shutterstock

バービーは、職業を持ち、おしゃれで、自分のお金や家や車も持っている。経済的にも精神的にも自立し、男性の目を気にせず、ハッピーに生きている。そもそもバービーは、幸せのために男性を必要とはしていない(性器すら持たないし、母親になる可能性はない)。こんな人形は、バービーの前にはなかった。

バービーの製造元であるマテル社は、「女の子だって何にでもなれる。男の子と同じように、何でもできる」というメッセージを送ることで、バービーは多様で自立した女性の生き方を示し、世界中の女の子たちを勇気づけてきたと考えてきたようだ。それは、映画の中でバービーランドに住むバービーたちが信じていることでもある。

冒頭のシーンは、パロディの形をとりつつも、「バービーは女の子たちをエンパワーする存在」というマテル社の自負を表している。ナレーションはこう続ける。「バービーのおかげで、フェミニズムのすべての問題は解決されました。少なくとも、バービーたちはそう考えています」。

しかし現実の社会、特に近年の、性差別や家父長制に敏感な社会におけるバービーの受け止められ方はほぼ真逆だ。映画の中で一人のキャラクターが言うように、「バービーは、ありえない美のスタンダードを体現することで女の子たちに劣等感を抱かせ、女性を単なる性的オブジェクトに貶め、外見至上主義、若さ至上主義を肯定し、フェミニズムの進歩を遅らせた。しかも資本主義、物質主義に侵されている」。

バービーに対する評価としては、こちらのほうが現代の主流な見方だろう。女性を指して「She is like Barbie」と言ったら、それは「見かけはピカピカで、中身がスカスカ」というニュアンスがある。

これら2つの捉え方の間にある大きなギャップが、この映画をドライブするテーマと言っていいだろう。バービーは、女の子たちをエンパワーしてきたのか、それとも製造元の意図とは逆に、女の子たちに不健全なコンプレックスを植えつけ、フェミニズムを後退させるという効果を生んできたのか?

現実社会をひっくり返した風刺に右派は反発

この映画は巧妙にデザインされたフェミニズム映画だとは思うが、語られていることの多くは、「フェミニズムの基礎」と言っていい初歩的なレベルのことだと思う。多少でも性差別や家父長制について考えたことのある人ならば、物足りなく思うかもしれない。

それでも、アメリカでは、右派からこの映画に対する批判が起きた。そのような強い反響を生むほど、この作品が社会現象化しており、良くも悪くも無視できない状態になっているということでもあると思う。

バービーランドにおいては女性がすべてのリーダーを務め、女性たちのつながりで社会が完結している。ボーイフレンドのケン(バービーと違って、キャリアも持たない。ケンたちの職業は「ビーチにいること」)は、バービーにとってはアクセサリーのような存在にすぎない。

これは言うまでもなく、現実にある男性中心社会に対する風刺であり、映画がコメディである以上、面白おかしく誇張されている。でもそれを面白く思わなかった人たちがいた。『バービー』を批判する人々は、「この映画は耐えがたいほどWoke(※)のメッセージ、男性嫌悪に満ちている」と言う。

※Wokeとは
「目覚める」という言葉をベースにしたスラングで、差別問題をはじめ、社会に存在する不正義や不平等に対して敏感であること。リベラルに対する揶揄によく使われる。

その中でも特に話題になったのが、保守派のコメンテーターであるベン・シャピロだ。彼は映画を観た後、「この映画は、男性と女性は無視し合うべきだと言っている」と激怒し、YouTube上にバービー人形を燃やしながら延々と『バービー』を批判する43分の動画を掲載した。その映像はSNSやテレビで広くシェアされ、炎上した。

イーロン・マスクも、「バービーが『男社会』と言うたびにショットを飲んでいたら、映画が終わる前にぶっ倒れるだろうね」という嘲笑的なメッセージを投稿していた。

上院議員のテッド・クルーズは、映画の中に中国寄りの領海地図が映っていることを指し、「この映画は中国共産党のプロパガンダだ」という持論を展開していた。荒唐無稽に思えるが、クルーズの主張と同じ理由で、ベトナムは『バービー』を上映禁止としている

SNSで見ていると、日本人男性の中にも、この映画は男性を貶めていると感じ、不快に思っている人たちがある程度いるようだった。たしかにライアン・ゴズリング演じるケンの描かれ方(ロビー演じるバービーほど頭がよくないし、いろいろと情けない)は、男性にとっては自分たちを馬鹿にされたかのように感じ、感情的に反応してしまうかもしれない。でもそれではもったいない。そこがメッセージではないからだ。

ケン

バービーランドの主役はあくまでバービー。作中では、“添え物”でしかないケン(ライアン・ゴズリング)が自分のアイデンティティに苦悩するシーンが描かれる。

Richard B. Levine

バービーランドにおいては、「Every night is girl's night(毎晩がガールズナイト)」というセリフが出てくる通り、毎晩、女の子たちだけで盛り上がり、バービーたちにとってはそれが何より楽しい。男性(ケンたち)は、仕事も持たず、これといった目的もなく生きており、女性に付随する存在、彼女たちにその存在を認めてもらう限りにおいて初めて幸せを感じる生き物として描かれる。

「バービーにとっては、毎日が素敵な日です。かたやケンにとっては、バービーが自分を見てくれた日だけが素敵な日です」。これも明らかに現実社会におけるダイナミズムをひっくり返した風刺だ。男性の関心を引くことがすべてであり、そこにしか自らの存在価値と幸せを見出せない一部の現実社会の女性たちの役を、男性であるケンに負わせているのだ。かたやバービーたちは、ホモソーシャルな現実社会の男性たちに重なる。

この映画は、決して「男性が支配する社会よりも、女性が支配する社会のほうが良い」と言っているわけではない。作者たちが言いたいのは、「男性であれ女性であれ、どちらか一方の性が絶対的に優位な社会、上級市民たる性と下級市民たる性が固定された社会は不健全かつ横暴なものである」ということだと私は思った。

また、作中におけるケンの変遷を通して作者たちが描こうとしているのは、「家父長制や、有害な男性性(Toxic Masculinity)は、実は男性をも傷つけ、生きづらくさせるものである」ということだと思う。それにこの映画は、男嫌いどころか、終始一貫して男性たちに対して優しいと私は思った。

映画のヒットぶりから考えるに、そのメッセージはかなり伝わったのではないかと思う。女性だけがいくら面白いと思い、大挙して観に行っても、13億ドルの売り上げにはならない。

また、ResumeBuilder.comという会社が行った世論調査を見ても、そう感じる。この調査によれば、『バービー』を観た人のうち、81%が「家父長制が職場に影響を及ぼしていると思う」と答えている(女性のうち84%、男性のうち77%がそう答えた)。そう答えた男性のうち82%が「この映画を観たことで、職場における家父長的な側面について意識が高まった」と答えている。

保守と自認する人々の間にも同じ傾向が見られた。「家父長制が職場に影響を及ぼしていると思う」と答えた保守派の人々のうち85%が、この映画によって家父長制に対する意識が高まったと答えているのだ。

同調査では、「この映画が、職場における女性の役割、特に女性がリーダー役を務めることについてのあなたの考え方をどう変えたか」という質問もしている。それに対し、57%が、「女性がリーダー役に就くことをより肯定的に捉えるようになった」と答えている。中でも、保守を自認する男性回答者のうち74%がそう答えているのは面白い。

マテル社はなぜアニメではなく映画を作ったのか

前述のとおり、単にバービー人形をたくさん売りたいだけなら、バービーを主役にしたアニメ映画を作ればよかったはずなのに、マテル社はなぜそうしなかったのか。なぜこんな社会的メッセージ性とアート性の強い映画を作ることにしたのか。その選択はいま振り返ると賢かったわけだが、伝統的な手法とは言えない。

この決断に至った背景について、7月11日付のニューヨーク・タイムズ・マガジンが詳細に述べており、興味深かったので、要点を簡単にまとめてみたい。

バービー人形のセールスは、2012年ごろから徐々に低迷を始め、2015年には史上最低を記録した。心理学者の研究によると、世の中の流れが、バービーの「ありえない美のスタンダード」に反発し始めたことが大きいと考えられている。

ライバル会社や、ライバル製品も出てきた。マテル社は、肌の色や体型の違うバービー、ダウン症のバービーなど、多様性を意識したラインナップにシフトすることである程度売り上げを回復することができたが、それでも損失を出し続け、新しいCEOが就任しては去っていくことの繰り返しだった。現CEOのイノン・クレイツが就任したのは2018年のことだった。

マテル社のクレイツCEO

マテル社のイノン・クレイツCEOは、自社を玩具メーカーではなくIP企業として位置づけ直した。

Dave Starbuck/Reuters

イスラエル出身のクレイツは、玩具産業ではなくエンターテインメント産業でキャリアを積んだ人物だ。マテル社を復活させるための彼のアイデアは、「おもちゃ製造会社であることをやめ、IP企業(自社が生み出した知的財産によってライセンス使用料を得る企業)になること」だった。要は、ディズニーのような会社になるという意味だ。ディズニーももちろんおもちゃは売っている。でも、彼らのビジネスの中心にあるのはIPだ。

またクレイツは、社員たちに「バービーは、おもちゃではない。ポピュラー文化のアイコン(象徴)だ。彼女には顧客はいない。いるのはファンだ」とも言い続けた。アイコンならば、常に文化の中心にいなくてはならない。ずっと同じことをやっていてはアイコンでい続けられない。世の中の潮流に敏感に反応し、自らをアップデートし続ける必要がある。

マテル社のウェブサイトによると、クレイツのこのビジョンの下、彼らは大手映画スタジオとパートナーシップを組み、14のライブ・アクション映画の準備を進めている。『バービー』はその1作目だった。

『バービー』の中には、架空のマテル社が出てくる。社長を演じるのはウィル・フェレルで、お世辞にも賢そうではないし、発言の端々に女性蔑視も感じられる。この会社で働いている人はみんな男性、幹部も全員男性だ。幹部たちは「女性のエンパワーメント」について力説するが、実際は、男性の、男性による、男性のための社会を象徴する会社として描かれている。

コメディとはいえ、映画に全面的に協力している製造元企業をこのように戯画化して描いたガーウィグも大胆だし、それを許したマテル社もなんと寛大な企業だと思った。あとでウェブサイトを見てみたら、2023年現在、マテル社の役員は11人のうち4人が女性だった。もし本当に幹部が全員男性だったら、自分たちをネタにして笑うだけの精神的余裕は生まれなかっただろうと思う。

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