コペンハーゲンの公園「Superkilen」。かつては治安の悪い場所だったが、近隣住民の多様性を映し出した、デザイン性の高い公園に生まれ変わった。
撮影:井上陽子
この連載を始めたのは、2022年の世界競争力ランキングで、北欧の小国であるデンマークが1位となったことがひとつのきっかけだった。6月に発表された2023年のランキングでも、デンマークは再び首位となり、これで2年連続のトップとなった。
日本は2019年以降30位以下となっており、2023年は64の国と地域のうち35位だった。
出所:IMD, “World Competitiveness Ranking, 2023”をもとに編集部作成。
連載第1回に書いたことだが、縁あって住むことになったこの国が各種の国際ランキングで高い評価を受けているのを見ながら、なぜこうして“一歩先”を進むことができるのだろうか、と疑問に思っていた。
連載第11回の自転車インフラを例にとっても、「都市は計画したものしか手に入らない」という言葉に集約されているように、明確なゴールを持って街づくりに取り組んだ結果、自転車数が自動車を逆転。そのおかげもあって、首都コペンハーゲンは世界の住みやすい街ランキングでは上位の常連であり、世界で奪い合いとなっている高度人材を惹きつける力にもなっている。
こうした先見性、長期的な視点というのは、いったいどこから来るのだろうか? そう考えてみると、一つのキーワードとして浮かぶのが「デザイン力」である。
デザインと言うと、日本でも人気の高いデンマークの椅子などを連想するところだが、今回書きたいと思っているのは、もう少し深い、“社会をデザインしていく力”という類のものだ。人々の本来のニーズを汲み取りながら未来像を描き、それをビジネスや公共政策に反映させていくようなアプローチである。
今回は、そんなデザイン力をデンマーク企業や公共部門にも浸透させ、未来を見据えたプロジェクトでイノベーションを促してきた象徴的な存在として、国立機関「デンマーク・デザイン・センター(DDC)」を取り上げたい。
DDCの“未来を描く力”から学んできたのは、デンマークの企業や公共セクターにとどまらず、海外でも政府機関やWHOやOECDといった国際機関、グローバルなMBAプログラムなど相当数にのぼる。
今回インタビューをしたCEOのクリスチャン・ベイソン氏は、日本にも何度も足を運び、経済産業省やデジタル庁といった中央官庁から、自治体、大学、企業と幅広く講演してきた人でもある。
デンマーク・デザイン・センターCEOのクリスチャン・ベイソン氏。残念ながら10月でCEOを退任することになったが、その直前の貴重なインタビューとなった。
撮影:井上陽子
デザインへの要求水準の高さこそ競争力
1978年に発足したDDCは、日本の経団連のような企業団体である「デンマーク産業連盟(DI)」が設立母体の一つだったことからも分かるように、特に工業デザインの分野でデンマークデザインを海外輸出につながる競争力としてとらえ、その価値向上のために発信してきた組織である。
1980年代からは政府・産業省もDDCに出資。1997年には世界でもめずらしい「デザイン政策(designpolitik)」が策定されたことからしても、国としていかにデザインを強みとして重視しているかが分かる。
冬の長い北欧では、家で過ごす時間が長く、快適に過ごせる空間として充実させる人が多い。友人宅に招かれると、低所得層の家庭だったとしても、椅子やランプなどの高額なデンマーク家具がしつらえてあることに驚くのだが、実は、親や親戚から譲り受けたものだったりする。私の家にも、夫の祖母から受け継いだクラシックデザインの家具や食器があり、モダンな家具ともしっくりなじんでくれる。
デンマークデザインの黄金期は1950〜60年代頃なのだが、その頃に作られた家具が今でも世界中で売れているのは、シンプルで時代を超えた美しさ、機能性、耐久性に優れているためだ。そうした優れた家具や建築に囲まれて育ってきたデンマークの人々は、デザインへの要求水準が高いのだ、とベイソン氏は説明する。
優れたデザインがあらゆる場所に浸透する「ユビキタスなデザイン社会」(ベイソン氏)だからこそ、その効果はビジネスにも波及し、玩具メーカーLEGOのように、シンプルで美しいだけでなく、機能性も品質も高い製品が生まれ、企業の競争力にもつながっているという説明だ。
人々の本来のニーズを考え抜く
さらに2000年代に入ると、デンマークでは、デザインが“意匠”という意味を超えたものになり始めた。デザインとは、製品の最終形として現れるものにとどまらず、それを作るプロセスそのものに関わるものとして、「デザイン思考」という言葉も普及するようになった。
製品を開発する上でのシステムデザインやサービスデザインといった分野が、デザインの概念に含まれるようになったのもこの頃だ。いいデザインとは、さまざまな立場の人々のニーズを踏まえたものであるべきで、いわゆる「ユーザージャーニー」を吟味したものであるべき、という考え方である。
移民が数多く暮らすコペンハーゲン・ノアブロ地区に2012年に誕生した公園「Superkilen(スーパーキーレン)」もその一つ。もとは、治安が悪く、住民間のトラブルも多い地区だったのだが、その開発を手がけたのが、世界的に活躍するデンマークの建築事務所・BIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)と芸術家グループだった。
住民のニーズを丁寧に聞き取り、その出身国の“記憶”をもとに作ったのは、モロッコの星型の噴水、ブラジルのベンチ、台湾のネオンサインにイラクのブランコなど、約60カ国から取り寄せた遊具などで作る、カラフルで開放的な空間だった。晴れた休日には多くの人で賑わう交流の場になっており、その発想のユニークさとデザイン性の高さで、外国人観光客も多く訪れる人気のスポットである。
Superkilenはもとは鉄道跡地だったエリアに、日本のタコの滑り台(右上)、ブルガリアからのチェス台(右下)など、住民の多様性を反映した遊具やベンチなどが配置された公園へと変貌した。縦長のエリアは赤、黒、緑とゾーンに分かれ、スケボーをするアクティブな空間(左下)から、人々が集う噴水(右中央)やチェス台など、さまざまな表情を見せる。見通しがよく、公園を挟んだ近隣住民の交流が生まれ、治安の改善にもつながった。
撮影:(左上から時計回りに)Oliver Foerstner / Shutterstock.com、Peeradontax / Shutterstock.com、Color Chaser / Shutterstock.com、井上陽子、Anna Svetlova / Shutterstock.com、井上陽子
DDCでデジタル化分野を率いるクリスティーナ・メランダー氏は、こうした「人間中心のアプローチ」についてこう解説する。
「自動車を普及させたヘンリー・フォードが、顧客に何が欲しいかと尋ねれば、もっと速い馬と答えただろうと語ったように、人間の本来のニーズというのは、さまざまなツールを使いながら深く探る必要があります。そういった、言葉にはできないニーズを含めて、人々が本当に欲しいものは何かを探るのが人間中心のアプローチです」
DDCのアプローチへの注目度は高く、メランダー氏も海外の聴衆に向けて講演をすることが多い。こちらはポルトガルで、大学教授や自治体関係者に向けて講演した際の様子。
本人提供
デンマークのデザイン業界では、人類学や心理学を学んだという人たちに時々出会う。それは、「人間中心のデザイン」では、人々の行動を観察して、商品やサービスへの洞察を得ることを重視しているためである。
そしてこれは、ビジネスの分野にとどまらない。行政サービスのほとんどがデジタル化されていてスムーズに使えるのも、人々のニーズをしっかり捉えた上で、政策やサービスがデザインされているためだ。
コロナ禍では、動物園の隣に検査会場を設置し、動物園に入場する列に並ぶ間にスマホに届く結果を確認できるようになっていた。
撮影:井上陽子
そう考えてみると、デンマークでは、人の“動線”と呼ぶべきものがよく練られているなと感じることがよくある。コロナ禍の初期に、デジタル先進国のデンマークは「コロナパス」というデジタルの陰性証明をリリースし、大規模な検査体制を整えて社会の通常化をいち早く実現した。
その時も、入場に陰性証明が必要な動物園の隣に検査会場を設営し、検査結果がスマホに届くのを待つ間に動物園の列に並んでおけば、入場口に着いた頃には結果が分かってそのまま入れる、といった感じで、検査に誘導するのがうまいと感心したものだ。
そんなふうに、デンマークで暮らしていると優れた「ユーザージャーニー」に日々接するだけに、ベイソン氏はコロナ禍の折に来日した際、困惑する経験をしたという。
水際対策の一環として大量の情報をスマホ上で入力したにもかかわらず、空港に作られた窓口でまた紙に情報を記入する必要があり、そこに数十人もの人員が配置されている。
「さっき入力したのは何だったの? と思ったよ。それに、この人件費は税金で賄われているのだろうか? とも」
デンマークはデジタルランキングでも首位で、行政手続きのデジタル化が相当進んでいるのだが、それは、ユーザー(国民)にとっての使い勝手の良さを考え抜いているからであり、公務員の人件費(=税金)削減につなげる目的もあるためだ。そうでなければ、デジタル化に協力する国民の側も、納得しづらいというものだろう。
社会課題こそイノベーションの源
やや話が逸れたが、ベイソン氏は、DDCは常にデザインが及ぼせる領域を広げてきた組織だったと語る。1990年代には、デザインをイノベーションの推進力として認識し、世界に向けて論文も発表していたそうで、当時はそうした組織はめずらしかったそうだ。
2020年に非営利組織となったDDCは、組織の新たな戦略として、フォーカスする分野を「グリーン移行」「デジタル化」「社会変革」という3つに限定した。デザインを冠した組織が、こうした社会的課題にテーマを絞っているのは意外ではないだろうか。これについて、ベイソン氏はこう解説する。
「デザインというのは企業に利益を生み出すだけでなく、社会や地球全体に価値を生み出すことができる。そして、価値を生み出すことが、結果的に新しい市場を作り出し、ビジネスチャンスにもつながるんです」
DDCは「イノベーションとサステナブルな成長のためのデザイン」をスローガンに掲げている。
撮影:井上陽子
ベイソン氏は、国連が掲げるSDGsのような国際社会が解決すべき共通の課題こそ、最もイノベーションが起きるべき領域だと捉えている。こうした領域でのイノベーションは、結果的にビジネスチャンスにつながると考えるためだ。DDCが、気候変動やメンタルヘルス、高齢化といった問題に取り組むのは、企業や政策立案者のフォーカスをこうした分野に向けさせる狙いがあるのだと言う。
社会課題に取り組むことで結果的に市場創出につながる、という話を聞きながら、英語の回で取り上げたフィンランド在住のベンチャーキャピタリスト、宗原智策氏の話を思い出した。
北欧スタートアップが社会課題に目を向けるのは、それぞれが小国で、国内市場だけではビジネスの規模が小さいから。解決すべき課題の大きさはマーケットの大きさでもあり、将来伸びる可能性も高いから——。そんなグローバルな視点も、世界の動向を常に見据える小国ならではなのかもしれない。
デジタルの未来を予測していた「倫理コンパス」
DDCはスタッフが約40人という少数精鋭の組織だが、デンマークの主要企業や経済団体などを結びつけるハブのような存在でもある。
そこで頻繁に使われているのが、2050年といった未来に起こり得るシナリオを描き、そこから必要な行動を考えるという手法だ。遠い未来のシナリオを描くことで、直近の仕事や短期的な目標から離れた、長期的な視点に立つよう促すエクササイズである。
「物事が非常に複雑で変化が多いこの時代には、経営者も政策立案者も、何が起きているのか理解するだけでなく、どう行動すべきかなのかを知りたいと考えている。我々は、デザインの力によって視点を広げ、先見性を持ち、選択肢を増やす手助けをしている。マネジメントが今ある選択肢の中での意思決定なら、デザインとは選択肢の幅を広げ、未来を作り出すことなんだ」(ベイソン氏)
これこそ、DDCに学びたいと世界からオファーが舞い込む理由でもある。
海外の聴衆に向けて語ることも多いベイソン氏。近著『Expand: Stretching the Future By Design』も英語で書かれている。
撮影:井上陽子
視点を広げるべき領域として、ベイソン氏は近著で6つの領域を挙げて詳述しているが、やや抽象的な話なので、具体的な例を挙げてみたい。DDCが2022年にオンライン上でリリースした「Digital Ethics Compass(デジタル倫理コンパス)」というツールで、無料で誰でも利用できるものだ。
このコンパスは、デジタルの製品開発に携わるデザイナーを想定して、製品が倫理的なものであるかを自ら問うためのツールである。真ん中には「人間を中心に置くこと」と明記してあり、「製品に中毒性を持たせようとしていないか?」「アルゴリズムは偏見にとらわれていないか?」といった22個の問いかけによって、円を描いている。
ChatGPTをはじめとする生成AIが世界中で大きな注目を集めるなか、日本を含む海外の企業や公共機関からの関心は高く、コンパスを政府のデジタル戦略に取り入れることを検討している国もあるそうだ。
注目すべきは、DDCがコンパス開発に取り組んだきっかけが、2018年に遡るということだろう。この年、英国のケンブリッジ・アナリティカ社が、フェイスブック(Facebook)の利用者情報をもとに米大統領選などで世論誘導を行っていた疑惑が明るみになった。
デジタル社会の未来を考えると、倫理が重大なカギになると予測したDDCは、デンマーク企業などと協力しながらコンパスの開発に着手。生成AIの問題が急浮上した時に、倫理コンパスをすでに手にしていたのは、時代の流れを読む先見性を象徴していたように感じる。
というわけで、今回は、デンマークという国がデザインというものをいかに幅広く捉え、社会課題の解決や、時代を見据えた先見的な政策やビジネスにつなげてきたか、という、やや抽象度の高い話について書いてみた。次回は、デンマークにおけるデザインの深い意味がもう少し具体的に見えるテーマとして、建築を中心に書いてみたいと思う。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。