イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日も読者の方からいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
最近私の母に悪性リンパ腫が見つかりました。幸い、余命何カ月といった緊迫したものではなかったのが不幸中の幸いです。それでも、母を見ながら、私ももう社会人生活は30年を超えていることもあり、現役のうちに何を成すべきか、やり残していることはないか、後輩たちに伝えておくべきことはないか、紙に書き出して、少しずつ行動に移しています。
そんな折に、記事で佐藤さんの前立腺がんの件を知り、勝手ながら、人ごとではないように感じております。
失礼を承知の上でお伺いしたいのですが、佐藤さんにも考え方に変化はありましたでしょうか。私自身の今後の生き方を考える上での指針とさせていただきたいと思い、よろしければお聞かせください。
(モモ、50代前半、会社員、女性)
注:お便りが長文でしたので、記事では編集部にて要約させていただいております
人生の「優先順位」をつける
シマオ:モモさん、ありがとうございます。大病をして人生観が変わったというお話はよく聞きますね。最初に佐藤さんの病状について改めてお聞きしたいです。
佐藤さん:前立腺がんを患っていましたが、手術は成功しました。早期に発見された前立腺がんは予後がよくて、切除すれば5年生存率は9割くらいですから、こちらはあまり心配していません。ただ、問題は慢性腎不全のほうです。
シマオ:いま、人工透析に通われていますよね。
佐藤さん:今年の頭から週3回、病院で透析をしています。いずれは生体肝移植をできればと考えていますが、そのためには免疫抑制剤を投与する必要がある。その際、身体にがんがあってはいけないのです。実は、それで検査をしたところ前立腺がんが見つかったという訳なのです。
シマオ:早めに見つかって処置ができてホッとしました!
佐藤さん:モモさんのご相談についてですが、こうして大きな病気をすると、やはり考え方に影響はあります。透析を続けていれば、10年生存率は6割。単純計算すると余命は8年となります。
シマオ:えっ! 8年……ですか。
佐藤さん:ただし、腎移植が成功すれば10年生存率は9割。あくまでも計算上ですが、余命を20年に延ばすことができる。私は現在62歳なので、余命20年ともなれば平均寿命と変わりません。
シマオ:心から、うまくいくことを願っています!
佐藤さん:とはいえ、やはり透析をした直後には、頭を使うような仕事はできなくなりました。透析のためにヘモグロビンの値を落とすので、常に貧血のような状態でもあります。最悪余命8年ということを前提とすると、いつまでもこれまでのようなペースで仕事を続けられるのか。もしかしたらあと2、3年かもしれない。
シマオ:その限られた時間の中で何をやるか、ということですか。
佐藤さん:そうです。モモさんもおっしゃっているように、持てる時間で何を優先すべきか、プライオリティをつけていかざるを得ません。
専念すべき仕事の選び方
イラスト:iziz
シマオ:具体的には、どのように優先順位をつけていらっしゃるんですか?
佐藤さん:これまで私は執筆活動を中心としつつ、大学での講義やラジオ出演、講演なども行ってきました。しかし、透析が始まったのを機に、講義やラジオ出演などを控えるようになりました。
シマオ:執筆のプライオリティを上げたということでしょうか。
佐藤さん:はい。私にとって、文章を書くということがいちばん基本となる仕事です。また、情報空間の違いから考えて、執筆を優先すべきだと考えるからです。
シマオ:情報空間の違い?
佐藤さん:端的に言えば、お金を払うかどうかの違いです。テレビやラジオ、SNSなど無料でアクセスできる情報空間は、広まりやすいという利点はありますが、一方で極論や感情的な議論が紛れ込みやすい性質を持っています。
シマオ:Twitterの炎上なんて、まさにそれですよね……。
佐藤さん:ご存じの通り、私は外交官としてソ連・ロシアに赴任していましたから、現下のウクライナ情勢について語るべきことやその責任があると思っています。しかし、無料でアクセスできる情報空間でそれをやれば、必ず感情的な争いに巻き込まれてしまう。限られた時間の中で、そこに対処する余裕は残念ながら今の私にはありません。
シマオ:書籍などは違うのでしょうか?
佐藤さん:書籍や、ウェブであってもお金を払って読むタイプの言論空間は、読者にコミットメントがあります。仮に著者の主張に反対であっても、理性的に検討したり、その理由を発表したりすることができる。
シマオ:SNSでは、賛成か反対かという二分法に陥りがちですもんね。
佐藤さん:SNSが浸透した世界では、人は「信仰」に走りやすいのです。最近出た横田増生さんの『「トランプ信者」潜入一年』にはその様子が詳しく書かれています。
シマオ:すごいタイトルですね! ちなみに、支持者と信者の違いはどこにあるんでしょうか?
佐藤さん:支持者というのは、客観的な状況から見て、その人の言うことがもっともだと思うから支持するわけです。一方、信者は客観的な状況とは関係なく、その人が言ったことは全て正しいとしてしまう。実際、バイデンが選挙で勝利した結果が出されても、トランプ信者はそれを認めようとしませんでした。
「偽りの救い」に気をつけろ
佐藤さん:ただ、自分の持ち時間があとどれくらいあるのかを考えることは、何も病気をした人だけでなく、誰の人生にとっても重要なことだと思います。
シマオ:僕みたいな30代でもでしょうか?
佐藤さん:そうです。人生のターニングポイントはいくつかありますが、大きな節目は45歳くらいにあると私は考えています。45歳は人生の折り返し地点であり、そこから後半戦が始まります。後半戦では、それまでの人生でやり残したことに挑戦したり、成功したことをもっと伸ばしたりすることに注力すべきでしょう。
シマオ:以前も連載でおっしゃっていましたね。僕はあと10年ちょっとか……。
佐藤さん:ただし、45歳から全く新しいことを始めようとしても、大抵うまくいきません。20代、30代のうちに多くのことにチャレンジして、自分にどんな能力や適性があるかをつかんでおくことが重要です。
シマオ:可能性を広げておく必要があるということですね。何か一つを突き詰める、というのはダメですか?
佐藤さん:もちろん、そういう生き方もあります。ただし、その一つの道が閉ざされた時に人生が行き詰まってしまうリスクはあります。私自身、外務省で働きながら神学の研究は続けていましたし、翻訳書の出版やペンネームで文章の発表をしていたことが今につながっています。
シマオ:なるほど。佐藤さんも本当にいきなり文章を書く仕事になった訳ではないのですね。ところで、大きな病気をすると、やはり絶望感に陥ってしまう人も多いと思うんです。そうした時には、どう対処すればよいのでしょうか?
佐藤さん:誰でも落ち込んでしまうことはあると思いますし、ある程度は仕方ありません。気をつけなければいけないのは、「善意の顔をした偽りの救い」に頼らないことです。
シマオ:偽りの救い、ですか?
佐藤さん:科学的な医療で可能性がないと分かると、高額な代替療法や宗教などがどこからか忍び寄ってくることが多いのです。親しい友人がステージ4の肝臓がんになった時にも、私はまずこの2つに注意するよう伝えました。
シマオ:弱っている人に付け込んでくる訳ですね。
佐藤さん:性質(たち)が悪いのは、そうしたものに関わる人の多くが本当によかれと思って勧めていることです。しかし、そう簡単に人は救われません。
シマオ:じゃあ……結局、最後は独りぼっちってことですか?
佐藤さん:いえ、私は人生の最後のけじめをつけることは、独りではなかなかできないと思います。やはり、最後は信頼できる家族や友人と話すことが大切です。自分の不安を率直に話してみる。相手に求めるのは解決ではなく、単に話を聞いてもらうことだけです。その中で、一つでもいいから目標を見つけるとよいでしょう。
シマオ:人生最後の目標、ですか。
佐藤さん:黒澤明監督の映画『生きる』には、がんとなり余命を悟ったしがない地方公務員が、それまでとは打って変わって積極的に仕事をする姿が描かれていました。目標が最終的に叶うかどうかとは別のところに価値がある。あの映画を見た人は、そのことに共感したのだと思います。
シマオ:そういうことが、本当の救いになるのかもしれないということなのですね。佐藤さん、ありがとうございました。モモさんもご参考になりましたでしょうか?
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。
※この記事は2022年5月25日初出です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。