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ここのところ日本でもインフレが進み、モノの値上がりを実感することが増えました。しかし30年続いたデフレマインドのせいで、「価格を上げる」ということに心理的な抵抗を覚える企業は少なくないのではないでしょうか。
ただ日本では、価格を安くしておいて、その負担を人件費に転嫁させようとする企業が多すぎるように思います。
商品やサービスの価格が安ければ顧客としては当然嬉しいことですが、そのせいで利幅が狭くなり、従業員の給与を満足に上げられないのであれば、結局安い価格設定のツケを払わされているのは従業員ということになってしまいます。
値決めは経営
「値決めは経営である」——これは稲森和夫オフィシャルサイトにある言葉です。
「経営の死命を制するのは値決めです。値決めにあたっては、利幅を少なくして大量に売るのか、それとも少量であっても利幅を多く取るのか、その価格設定は無段階でいくらでもあると言えます。
どれほどの利幅を取ったときに、どれだけの量が売れるのか、またどれだけの利益が出るのかということを予測するのは非常に難しいことですが、自分の製品の価値を正確に認識した上で、量と利幅との積が極大値になる一点を求めることです。その点はまた、お客様にとっても京セラにとっても、共にハッピーである値でなければなりません」
この中で最も重要なのは、「自分の製品の価値を正確に認識した上で、量と利幅との積が極大値になる一点を求める」ことです。
例えば、図①の①-Aをご覧ください。
筆者作成
価格を10にすると量が1売れるとします。この場合、売上は10×1=10ですね。
次に、①-Bのように大幅に値下げをして価格1にすると量が10売れたとします。売上は1×10=10。つまり、①-Aと①-Bは同じ売上です。
ただし、この値下げ時に同じ製品を販売していたとするならば、①-Bでは製品を10個作らなければいけません。当然製造コストがかかります。つまり利益で考えると①-A>①-Bとなるわけです。
もちろん製品によっては、デジタルで複製するのでほとんどコストがかからないというケースもあります。しかし、実際はそれに携わる人や仕組みが必要で、同じ程度の売上であれば利益は①-A>①-Bになります。
つまり、値下げをして多くの製品を販売し、しかもそれで利益を出すのは簡単ではないのです。
では、どうすればいいのか?
上述の「量と利幅の積が極大値になる一点を求める」ことです。このグラフは利益ではなく売上ですが、例えば価格5.5で量が5.5なら、売上は5.5×5.5=30.25(図中①-C)と大幅に増加します。
ちなみに図①のように、価格を下げると販売量が増える場合「価格弾力性が高い」と表現します。逆に図②のように、価格を下げても販売量があまり増えない場合を「価格弾力性が低い」と言います。
筆者作成
図②の場合、②-Aでは①-Aと同じく売上は10×1=10です。ところが、値段を②-Bまで下げても売上は1×5=5にしかなりません。つまり、値下げをすると図①のケースと比べて売上が半減してしまうのです。これでは当然、利益も大幅に減ってしまいます。
②-Cのように価格を半分にしても5×3.2=16程度の売上にすぎません(極大値はもう少し価格が高いところですが、ここでの主旨ではないので割愛します)。つまり、価格を下げても量が多く売れないと、利益は増加しないのです。
ここまでのところを押さえたうえで、ではどうすればやみくもな値下げに走ることなく、適正な利益を確保できるか、私がリクルートで経験した事例を紹介しつつ考えてみましょう。
「原価」から逆算して最適価格を求める
私は29年間リクルートに在籍していました。その間、リクルートメディアコミュニケーションズという雑誌の制作会社の経営企画にいたことがあります。
当時の私のミッションは、親会社であるリクルートとの制作時の価格決定でした。具体的には、作業工程ごとに親会社にいくら請求するのかを決めるというものです。
価格自体は比較的簡単に決められたのですが、困ったことに問題が起きるケースがありました。
それは、親会社側の顧客向けキャンペーンへの対応でした。例えば、顧客向けの値引きキャンペーンや、広告を1回出稿してくれた顧客にはもう1回無料で掲載できるといった特典などの、広告の価格を下げて多くの量を売るための営業施策です。
この手のキャンペーンをするたびに、親会社からクレームが入りました。「キャンペーンによって売上は増えたものの、原価(制作子会社から親会社への請求額)も増えたので利益が増えないじゃないか」というのです。
われわれ制作子会社からすると、広告を作成すれば当然費用が発生しますから、あらかじめ親会社と握った価格で料金を請求します。このとき、原価率が一定なら売上の伸びとともに利益も増加するのですが、実際は制作する量が増えるため、原価率が上がってしまうのです(先の図①のAとBで説明した通りです)。
キャンペーンのたびにクレームが来ては困るので、私は簡単なシミュレーションプログラムを作成しました。
親会社と取り決めた料金表はすでにあるわけですから、広告をいくつ制作するといくら親会社に請求するかは明確です。つまり、親会社がキャンペーンでどれくらいの広告を制作するのかが決まれば、原価をシミュレーションできるわけです。
そうすると例えば、「値引きをするなら、最低これくらいの量を売らないと利益が増えませんよ」といった話ができるようになります(実際は、広告制作量が増えるとページ数が増えます。それに伴い印刷コスト、紙コスト、輸送コストも増加するので、さらに原価が増えるのです)。
これはグループ会社間の話ですが、1つの企業内であっても、例えば製造部門と原価管理部門が協力することで売上の変動に合わせて利益がどう変動するか、といったことをシミュレーションすることもできます。
「ミッション」から逆算して最適価格を求める
もう一つ、稲盛さんの「値決めは経営」を地で行くようなエピソードをご紹介します。値上げをして大成功した、リクルートのある事業部の事例です。
一般的に、大口顧客には値引きをする習慣があります。例えば、広告1件で定価1万円のところ、10倍の10万円分出稿してもらえるなら10%引きの9万円、100倍の100万円分出稿してもらえるなら20%引きの80万円にする、という具合です。
それが当たり前だと私自身も長らく思っていたのですが、この事業部のトップは違ったのです。
その事業部長は「街を元気に」をスローガンにビジネスをしていました。つまり、地方の中小企業が元気になることを、リクルートの広告を通じて実現させるのがミッションだったわけです。
しかし、上述の大口顧客だけへの値引きはこのスローガンに反するものです。大きな広告費を支払えるのはたいてい大都市に本社があるような大企業の支社。大企業に対して優遇値引きをしていたのでは、地方の中小企業は太刀打ちできません。
そこで事業部長は、値引きではなく「連続掲載割引」という方法を思いつきました。1回でいかに大きな量の広告を発注してくれても値引きはしないけれど、3カ月連続で発注してくれればたとえ1カ月あたりの取引が小さくても割引をする、ということです。
しかも、この割引率を従来の大手企業の値引き率よりも小さくしました。例えば大手企業に対して20%値引きしていたものを、3カ月連続で出稿してくれたら15%の割引、という具合です。
この施策は、今まで値引きなしで出稿せざるをえなかった中小企業からは大好評でした。また営業担当者も、ひとたび受注すれば3カ月先の掲載まで決まるので営業活動に費やす時間も削減でき、浮いた時間を広告効果の向上に使えるようになりました。広告効果がよければ継続営業も容易になります。しかも、値段交渉もないので営業時間も削減できるのです。
もちろん大企業からは不満が出ます。従来の価格より値上げになったのですから当然ですね。それが理由で広告掲載ストップを決めた大企業もありました。
しかし事業部からすれば、値上げ分はすべて利益です。その利益分を広告効果向上の施策に投入したことで広告の効果を高めることに成功すると、一度は掲載をストップしていた大手企業も出稿を再開してくれるようになりました。もちろん、従来の値引き率より高い価格で、です。
こうして利益が増えれば、それをまた再投資して広告効果をさらに磨くことができます。好循環を生み出すことに成功したこの例を見れば、「値決めは経営」という稲盛さんの言葉にも深くうなずけるのではないでしょうか。
値段の決め方にはいろいろありますが、そもそも価格を下げて大量販売ができる「コスト優位」を選択して利益を確保できる会社というのは、実際には一部の大企業などに限られています。大半の会社は、価格を高めて利益を作り、それを再投資する「価値優位」という選択肢しかないのです。
値上げの機運が高まっているこのタイミングで自社製品の本当の価値を見つめ直し、自社にとって真の意味での「適正な価格」はどのようなものなのかを再考してみることをおすすめします。そして経営者の皆さんには、ぜひ人件費の増加にもつなげて欲しいと切に願っています。
※この記事は2022年12月9日初出です。
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。「旅工房」、「LIFULL」、「ZUU」社外取締役、「LiNKX」非常勤監査役、「博報堂テクノロジーズ」 フェローも兼任。新著に『自分で考えて動く社員が育つOJTマネジメント』がある。