「古臭い」イメージを打破する、令和の桐だんす。富山・高岡から浮世絵方式で世界へ進出中【家’s 伊藤昌徳】

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撮影:持田薫

富山県のゴミ処理施設。起業家の伊藤昌徳(まさのり)が移住先として選んだこの地で目にしたのは、かつて嫁入り道具の定番であった「桐だんす」が大量に捨てられている光景だった。

近年社会問題となっている空き家の増加に伴い、多くの家具が処分場行きを余儀なくされている。空き家の残置物のうち、骨董的価値があるとされて買い取られるのはおよそ1割だという。

古臭いものとしてレッテルを貼られ、日の目を浴びることのなく捨てられた桐だんすたちを何とかできないか——。伊藤が思いついたのは、経年劣化により割れた背板に、蛍光アクリルを組み合わせることだった。

職人技はそのままに、新たな命を吹き込まれた桐だんす「P/OP(tansu×acrylic)」は、今では表参道の「CIBONE」をはじめとしたセレクトショップや、欧米などの展示会やポップアップをも席巻する。

「英語ができても意味がない」と実感

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背面にアクリル板が施されたモダンな桐だんす「P/OP(tansu×acrylic)」。

提供:家’s

株式会社家's(イエス)代表の伊藤は、富山県高岡市に拠点を構え、県内にある空き家を巡る。

まだ使える桐だんすや木彫りの熊などをレスキューし、アップサイクル(廃棄予定であったものに手を加え、価値をつけて新しい製品へと生まれ変わらせる手法)家具やアート作品として加工・販売を行なう事業を展開している

いまでこそ、モノを捨てるのではなく、現代の暮らしに寄り添う形に再生させる活動が注目されているが、伊藤の学生時代を振り返ると、ものづくり・アート・サステナブルなど、今の事業につながるようなワードはまだ登場しない。

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(写真はイメージです)

GettyImage, JulPo

北海道出身の伊藤は、プロスノーボーダーを目指しながら大学生活を送った。しかし、専攻する国際経営ゼミの教授の「外貨を稼ぎなさい」「人と違うことをしなさい」という教えが、伊藤を突き動かした。

ワーキングホリデー制度を使って、1年間オーストラリアで営業の仕事を経験した伊藤は、あることを実感する。それは「英語が話せても、自分にコンテンツがなければ意味がない」ということだった。いつか仕事で海外に帰ってくるためにも、自身で生業を起こす「起業」という目標が具体的になっていく。

帰国後は、「ビジネス、経済活動が日本で一番活発な東京で仕事がしたい」と東京で就職活動をし、数年後の起業を視野に入れてビジネスを最前線で学べる人材系ベンチャー企業に就職した。

社長の右腕的ポジションのヘッドハンティングを行なう業務に従事し、日々経営者と相対するようになる。

本業の傍ら、休日には起業のアイデア探しと人脈作りのため、知り合いの経営者の鞄持ちとして、鳥取や大分、鹿児島などに同行する生活を送った。

そこで、とある経営者に紹介されたのが、現在の活動拠点となる、富山県の高岡市だった。

見知らぬ土地で起業も、数年間は鳴かず飛ばず

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撮影:持田薫

加賀百万石で知られる加賀藩のお膝元だった高岡市は、藩への献上品として漆や銅器、木工などの産業が栄え、いまなお高岡銅器などの名称で親しまれている。

自然も豊かで、ものづくりも盛んな高岡市は、東京から新幹線を使えば約2時間程度とアクセスも良い。

紹介してもらった人たちにも歓迎され、晴れて6年勤めたベンチャー企業を退職し、移住・起業へと踏み切った。

ここでふと、伊藤に対し疑問がよぎる。出身地である北海道で、起業をしても良かったのではないかと。

「実家に帰ると、余生という雰囲気が出てしまう。新しいところでゼロからチャレンジしたかったんです」

高岡市で起業した伊藤が最初に取り組んだのが、空き家をリノベーションした、インバウンド向けの一棟貸し宿泊業だった。その後もイベント企画や食パンの販売、プログラミング教室など手当たり次第、さまざまな事業を展開するものの、どれも鳴かず飛ばず。

「富山にいながら、たまに東京に赴いてコンサルの仕事をすることで、なんとか食いつないでいました」

そんな伊藤が事業を模索していく中で、ゴミ処理施設で出合ったのが、昔の嫁入り道具の定番・桐だんすだった。

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加工前の桐だんす。

提供:家’s

「いま終活をしている80代の方々が、大量に桐だんすを捨てている。このままだとあと10年くらいで、日本の文化が全部捨てられてしまうのではないかということにも気づいて……」

しかし「原価0円のたんすを売ったらビジネスになる」という甘い考えだけでは、通用しなかった。

リペアした桐だんすを売ろうと東京の設計会社100社をまわるも、取り合ってくれたのは3軒ほど。とても事業にならなかった。

職人の技が詰まった桐の魅力…そのまま生かすには?

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店頭の什器としても映える、アートの施された桐だんす。

提供:家’s

このままでは売れない。

伊藤は、桐だんすの「洋服をしまう家具」という固定観念を捨て去り、「箱」として捉え直すことにした。

知り合いに紹介してもらったアーティストたちに、たんすを自由に加工してもらうアイデアも思いついた。

これが、ブランドのアイコニック商品となっている「P/OP(tansu×acrylic)」の原点だ。

しかし、桐だんすにただアートを施すだけでは、ブランドとしてのストーリー性に欠ける。

加工をすればするほど、桐だんすの持つ良さが失われてしまう上、費用がかさみその分を販売価格へ転嫁せねばならず、現実的ではなかった。

桐だんす自体に需要がないと分かったものの、伊藤はその価値については信じていた。

販売当時は数十万円程度と高額で販売されていたこともあり、100年経っても残っている漆や無垢材の質感、一つひとつ精巧に作られた金具などから、職人の高い技術力を感じていたという。

考え続けた結果、伊藤は「壊れやすい桐だんすの背面を別の素材に変える」ことを思いつく。

桐は高級であればあるほど軽い素材で、加工しやすく、強度もある。これは、地震などの災害が多い日本においては「持ち運びしやすく、丈夫な家具が重宝されたからではないか」と伊藤は推測する。

この日本の家具ならではの魅力を、営業資料片手に突撃訪問したパリで体感した。

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撮影:持田薫

「海外の家具は良いものになればなるほど、重厚で重くて。 一方で、軽くて丈夫な桐だんすは日本の風習や生活、文化によって生み出された日本ならではの家具だと気付いたんです」

伊藤はこの特徴を引き継ぎつつ、特に損壊の影響を受けやすい背面を変えることで、表情がガラリと変わる素材を探した。

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提供:家’s

和紙などさまざまな素材を検討した結果、蛍光アクリルにたどり着く。異質な蛍光アクリルを合わせることで、たんすの木材部分が生きた木のように見えるという見え方の変化も面白かった。

「このたんすなら海外でも通用する」と伊藤は確信する。

お披露目の場は、富山県ではなく東京、そして海外を選んだ。

「人は身近にあるものの価値を感じづらい。発掘された場所から距離を離せば話すほど価値が上がると考えています」

読みは見事的中し、次々と「P/OP(tansu×acrylic)」は展示の場を増やしていった。

2022年10月に「P/OP(tansu×acrylic)」をリリース後、1年も経ずに南青山の「Nick White」を皮切りに、表参道の「CIBONE」や日本橋兜町の「HOTEL K5」など、都内でも、特に感度の高い人たちが集まるスペースでポップアップを実施した。

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韓国のセレクトショップ「RAINROW」での展示販売の様子。

提供:家’s

「P/OP(tansu×acrylic)」の勢いは国内だけにとどまらない。伊藤の狙い通り、すでに、韓国、ロンドン、サンフランシスコにて展示販売を行なっている。

かつて、陶磁器の包み紙として海を渡った浮世絵もまた、本来の用途を超えてその芸術的価値を見出されたことで、ジャポニズムという文化をもたらした。

今まさに令和の浮世絵とも呼べる形で、「P/OP(tansu×acrylic)」は日の目を見た。時代やトレンド、国や文化に左右されない審美眼が、捨てられてしまうモノに新たな命を吹き込むのかもしれない。

「木彫りの熊」でコロナ禍を明るく照らしたい

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提供:家’s

「P/OP(tansu×acrylic)」と同じく家'sを代表するブランドの一つが、日本のどの家庭にも置かれていたあの木彫りの熊をアップサイクルした「Re-Bear Project」だ。

「木彫りの熊をもう一度、リビングへ」をコンセプトに、北海道木彫り熊発祥のまち・八雲町の歴史と文化財保存活用としてアーティストと連携しながら、倉庫に眠っている木彫りの熊をアート作品に仕立てたものだ。

木彫りの熊に改めて焦点を当てることで、脈々と続く日本のものづくりを次の世代へつなぐ目的もある。

プロジェクトがスタートしたのは、あらゆるビジネスが止まってしまったコロナ禍の2020年4月。家にこもる生活が強いられる中、生活を彩るもの、かつ作り手も家の中で作業ができるものを考えたときに、伊藤の目に木彫りの熊が留まる。

一説には木彫りの熊はスイスから渡来しており、元々は冬の生活が厳しい時期に木彫りの熊を作って売り、生活の支えにしていたと言う。

家’s

提供:家’s

「コロナ禍で木彫りの熊がもう一度、生活を明るくするものになってくれたらいいな、と思い始めました」

同プロジェクトでは、アーティストとのやり取りを全てオンラインで行い、作品も配送手配した。

売上の一部は、北海道木彫り熊発祥のまち・八雲町に寄付されている。このプロジェクトも注目を浴び、「金沢21世紀美術館」内のカフェレストラン「Fusion21」などでポップアップが開催された。

「100個やれば、1〜2個当たる」

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撮影:持田薫

現在では「P/OP(tansu×acrylic)」や「Re-Bear Project」以外にも、空間デザインやホテル、飲食店のデザインワークなど、幅広い事業を手掛けている。 活躍の場を広げられた背景には、巧みなブランディングもあったように思う。

同社では専任のPRチームを作ってプレスリリースを配信し、メディアにうまく取り上げてもらうよう一般的なPR活動も行っているというが、「最初にポップアップをやるなら絶対表参道、南青山エリアと決めていました」と、出店場所にこだわりがあったと明かす。

とはいえ「Nick White」も「CIBONE」も飛び込み営業の末の実現だった。開催まで漕ぎ着けたのは、運が良かったこと、そしてサステナビリティを推進する時代の後押しがあったからだと伊藤は分析する。

「僕はあと100プロジェクトくらいやりたいと思っていて。いま取り組んでいるものとしては、廃棄された掛け軸をアップサイクルするプロジェクトと、たんすや陶器などをリユースし海外へ流通させる仕組み作りですね。

100個くらいプロジェクトをやれば、1〜2個くらいは当たるかな、と」

伊藤によって再び命を吹き込まれるモノたちは、果たしてどんな表情をしているのだろうか。

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