政府が推進するリスキリング。ですが、企業の導入には注意点もあります。
撮影:横山耕太郎
政府の新しい資本主義実現会議が5月にまとめた「三位一体の労働市場改革」では、「リ・スキリングによる能力開発」が構造的な賃上げを実現する一つの要素として挙げられています。
岸田政権は「人への投資に5年間で1兆円の投資」を表明し、話題になりましたが、こうした国の予算を無駄にしないためには、企業にはどのようなリスキリングの取り組みが必要なのでしょうか?
「5年間で1兆円」その狙いは?
日経リスキリングサミットに参加した岸田首相(2023年9月1日撮影)
撮影:横山耕太郎
「新しい日本型資本主義」を掲げ2021年10月に発足した岸田政権は、2023年6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2023」において、「三位一体の労働市場改革」を打ち出しました。
これは「リ・スキリングによる能力向上支援」、「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」、「成長分野への労働移動の円滑化」を同時に実行することで、成長産業に労働移動を促し、「構造的に賃金が上がる仕組み」を作ることをねらいとしています。
日本では、終身雇用や年功序列といった日本型雇用システムのもとで、従業員は企業に長期間勤めることが良しとされてきました。政府も雇用調整助成金等の措置で雇用を下支えしてきましたが、こうしたことが労働市場の硬直化を招き、成長分野への労働移動の妨げとなりました。
結果として日本は賃金水準が伸び悩んでおり、国際比較においてもその傾向は顕著です。この状況を打破しようと、政府は労働者を新しい成長分野に移動させることで産業構造の転換を後押しし、労働生産性の向上および持続的な賃上げにつなげたいと考えているのです。
リスキリング助成金、それぞれの特徴
経済産業省の「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」では、リスキリングから転職までを支援範囲としている。
撮影:横山耕太郎
「リ・スキリングによる能力向上支援」のポイントは、前述の通り、今までのような「雇用維持」から「労働移動」へ労働政策の転換を表していることです。その方針をふまえ、厚生労働省、経済産業省などが助成金を拡充する動きを見せています。それぞれの概要を一例としてまとめると、下記のようになります。
(1)…学び直し支援
厚生労働省:「人材開発支援助成金」
文部科学省:「成長分野における即戦力人材輩出に向けたリカレント教育推進事業」など
(2)…労働移動支援
厚生労働省:「特定求職者雇用開発助成金」 (転職者受け入れ)
経済産業省:「副業・兼業支援補助金」(副業・送り出し・受け入れ)など
(3)…転職支援
経済産業省:リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業 (学び直しから転職まで一気通貫で支援)
またリスキリングは2つのパターンに整理して考えることができます。
1つ目は「企業内リスキリング」として、企業の従業員が新しいことを学び、社内で新しい部署や仕事に移ることで、上記の助成金のうち、主に(1) の「人材開発支援金助成金」等が該当します。
2つ目は「市場リスキリング」とし、労働者が新しいことを学び、社外の新しい仕事へ移ることで、(2)(3)の助成金がこの促進に該当します。
今後、こうしたリスキリングの2つのタイプ(※1)に応じた適切な支援が求められると考えます。今回は1つ目の企業内リスキリングについて深めていきます。
※1…第一生命経済研究所「リスキリング1兆円予算で賃上げできるのか?~1兆円予算の中身は?カギはスキルを高める労働移動~」
企業の課題と3つのポイント
そもそもの目的に立ち返ると、企業が助成金を活かすために大事なことは、従業員が学んで終わりにさせず、仕事の場で活かし、自社の既存事業の大幅な価値向上や新規事業創出といった形で結実させることです。
その一方で、政府の支援については、助成金を拠出はするものの、学びから仕事に活かすためのサポートは充実しているとは言えない状況です。
シンガポールでは官民を挙げて今後の成長産業やそこで求められるスキルなど、積極的に情報を周知しようとしていますし、ドイツなどでは職業資格のフレームを基盤に国民全体の教育レベルを上げる戦略を策定してします。こうしたリスキング先進国と比べると(※2)、政府による取り組みだけではなく、企業が果たす役割も大きいと言えます。
この政府がサポートしきれていない「学んで終わりではなく、仕事の場で活かす」というラストワンマイルの課題を克服するうえで必要なポイントは、「活用機会の創出」「パーソナルスキルの獲得」、それらを支える「上司のサポート」の3点です。
※2…リクルートワークス研究所「Works 179 労働力不足社会vol.3 リスキリング先進国 そのビジョンと現在地」
1…活躍の場を。ポジション移動を柔軟に
企業側にはリスキリングの成果を活かす環境を用意することも求められている。
撮影:今村拓馬
学んで終わりにしないためには、まず活用機会を創出することです。
例えば、弊社・リクルートマネジメントソリューションズでは業務の10%分だけ他部署の仕事に取り組める社内公募制度「キャリアプラス」をスタートさせています。とはいえ、制度はそんなに簡単に変えられないというケースもあるかと思います。
ある小売企業の例では、新規事業創出や既存事業のデジタル変革を目的に、経営直轄のプロジェクトを組成し、リスキリングに取り組んだ社内の選抜メンバーが実際の仕事として取り組んだという事例がありますが、いかに業務で使わざるを得ない状況を作るかの一例と言えます。
2…専門スキルだけでなく「共通スキル」も意識
続いて、パーソナルスキルの獲得です。
DX、GXといった新たな取り組みを実際に成果につなげるには、もちろんデータ活用などの専門知識が必要になることは言うまでもありません。一方でそれらのスキル・知識だけでは、説得力のある企画をまとめあげ、社内を動かすことはできません。
例えば、IPAが提唱するデジタルスキル標準(※3)においては、共通スキルとして、ビジネス変革、データ活用、テクノロジー、セキュリティ、パーソナルスキルという5つのカテゴリーが設定されています。
このなかでも、コンセプチュアルスキルとヒューマンスキルから構成されるパーソナルスキルはDXを推進するためには欠かせない土台、いわばOSともいえるスキルです。
リスキリングを考えるときには、課題を設定する問題解決思考と、多様なステークホルダーをマネジメントする「合意形成力」といったスキル獲得の機会を提供できているかどうか、改めて点検してみることも大切です。
実際に、ある企業の事例では、社内の業務改善のためにAIチャットボットを導入し生産性向上を実現しましたが、キーとなったのは、社内の業務プロセス上でどこが非効率になっているのかを見極め、その真因を探る問題解決思考でした。
政府の助成金は、デジタル活用スキルが主な対象となっていますが、このようなDXを推進するスキルについても対象に含まれています。
※3…独立行政法人情報処理推進機構「デジタルスキル標準 ver1.1」
3…リーダーの働きかけでリスキリング促進
Gettyimages
3つ目が上司のサポートです。
弊社が実施した非IT職のデジタルリスキリングに関する実態調査(※4)において、「上司のDXリーダーシップ」については、学習効果に強い影響を与えるという結果が得られました。
成人学習理論では、職業人の学習は仕事上の課題解決を目的とした場合に促進されるとしています。どのようなスキルが必要かを示し、学習や活用の機会を提供していくリーダーの働きかけがリスキリング促進につながります。
とはいえ、このような変革は上司にとっても未経験のことであり、簡単に道筋を示すことは難しいこともあるでしょう。であれば、デジタル・ITなどの新しい知識に興味関心をもっている部下の主体的な学習を支援し、どのように職場の課題解決につなげていけるかを一緒に検討することなども有効と言えます。
これまで見てきたように、政府が進めるリスキリング施策を実のあるものにするためには、企業側の取り組みも欠かせません。
助成金という追い風を成果につなげるため、ラストワンマイルを考える必要があるのです。
※4…リクルートマネジメントソリューションズ「非IT職のデジタルリスキリングの実態と学びを促進する支援とは 非IT職のデジタルリスキリングに関する実態調査」