インスタカートを創業したアプールバ・メータ。
Reuters/Beck Diefenbach
IPOの日は、大多数のスタートアップ創業者にとってはビクトリーランの日であり、長きにわたる苦難の道のりの果てに得られる最高の成果だ。そして、大きな課題に立ち向かい勝利したという、社会からの評価でもある。
26歳で食品宅配アプリの「インスタカート(Instacart)」を立ち上げたアプールバ・メータ(Apoorva Mehta)は、同サービスを運営するメープルベア(Maplebear)が上場を果たしたことで巨万の富を得ることになる。だがそれは同時に、メータがライフワークにしてきたインスタカートでの任期の終わりも意味する。
メータはインスタカートの一部の大口投資家らとの間で関係を悪化させ、2021年7月に同社のCEOを追われた。その後も取締役会長の座には留まったが、2022年夏、同社がIPOを果たした時点でその職を辞すると発表した。
インスタカートは9月19日に上場を果たし、評価額99億ドル(約1兆4300億円、1ドル=145円換算)で6億6000万ドル(約960億円)を調達した。これでメータ個人は株式売却によって少なくとも2100万ドル(約30億円)を手にし、8億6900万ドル(約1260億円)に相当する同社株10%を保有することになる。そして、「過去10年間、目を覚ましているあいだ中ずっと考え続けてきた1つのこと」に別れを告げる。
Yコンビネーターへの大胆な売り込み作戦
メータはインドで生まれ、家族とともにリビアに移住した後、トロント郊外の小都市オンタリオ州ハミルトンに落ち着いた。
メータは学校で教師をしていた母親のおつかいで、ディスカウントスーパー「ノーフリルズ(No Frills)」によく買い出しに行かされたのだが、これが嫌で嫌で仕方なかった。亜寒帯に位置するオンタリオ州の冬、スーパーのビニール袋を手に食い込ませながらバスを待っていたメータの思い出が、後にインスタカートを生むきっかけとなる。
ウェストデール中等学校に通っていた頃のメータ(2003年)。
Hamilton Public Library
その後メータはウォータールー大学で電気工学を学び、卒業後はアマゾン(Amazon)に入社してソフトウェアエンジニアとして働き始めた。
2017年のNPRのインタビューで、メータはアマゾンでの仕事について「正直言って、すごく楽しかった。どうして会社が私にお金を払ってくれているのかも分からないくらいに」と語っている。
しかしそれから2年も経つと、もはや成長も挑戦も感じられなくなった。そこでメータは、シアトル周辺で開催されていたテック系ミートアップに顔を出すようになる。その中の一つが、エレクトロニック・アーツ(Electronic Arts)の元幹部で現在はクライナー・パーキンス(Kleiner Perkins)のパートナーでもあるビング・ゴードンの講演だった。
「あの講演を聞いた時のことは覚えています。大事なところは全部ヘブライ語で話しているんじゃないかっていうくらい内容はちんぷんかんぷんでしたが」(メータ)
ゴードンが何を話しているのかまったく理解できなかったメータは、「エンタープライズ・スタートアップ」とはレンタカー会社か何かのことかと思ったという。
しかしメータは、この分野を学ぼうと心に決めた。2010年にアマゾンを退職してサンフランシスコに引っ越すと、友人宅のソファで寝泊まりしながらアプリやウェブサイトのプロトタイプを作り始めた。
メータによれば、この間に立ち上げて失敗した事業は20にのぼる。その中の1つ、弁護士向けのSNSではVCから100万ドル(約1億4500万円)を調達したものの1年後に断念。投資家たちには「あまり興味が持てない」と伝えたという。
「あの頃は、人生の中でもかなりどん底でした。そもそも自分は起業家に向いているのだろうかとすら思いました」(メータ)
数カ月悩んだ後、メータはかつてつらい思いをして「ノーフリルズ」へおつかいに行っていたときのことを思い出した。21世紀流の食品買い出しアプリ、「インスタカート」のアイデアが生まれた瞬間だった。
メータは2012年に食料品チェーン「セーフウェイ(Safeway)」のウェブサイトをスクレイピングして、数週間かけてサイトのバージョン1.0を構築した。初めのうちはメータ自身がすべての買い出しをやっていた。注文が入れば急いで店に行き、自分で車を運転して食品の入った袋を顧客の家の玄関まで届けていた。
やがてアプリが急拡大したため、メータはクレイグスリスト(Craigslist)に買い出し要員の求人広告を掲載した。さらに、銀行口座の残高がゼロになったため、今後も事業を成長させるには外部資本が必要だと思い至った。メータが目をつけたのは、シリコンバレーで最も権威あるインキュベーター、Yコンビネーター(Y Combinator)だ。
だが、メータは申請の締め切りに2カ月も遅れてしまい、ギャリー・タンらYコンビネーターのパートナーたちから投資できないと告げられてしまう。
「この却下の連絡をもらったとき、私のサービスを誰も実際に使ったことがないことに思い至った」
メータは2012年にテッククランチ(TechCrunch)への投稿でそう書いている。そこでメータはインスタカートのアプリを使って、ビールの6本パックをYコンビネーター本社のタン宛てに注文する。
「30分後にギャリーから電話があり、『これはいったい何だ?』と聞かれたので『これがインスタカートです!』と叫んだ」とメータは振り返る。
この大胆な売り込みが功を奏してメータはYコンビネーターのパートナーとの面接にこぎつけ、そこで彼らを説得してインスタカートの投資家第一号を確保したのだった。
アマゾンが仕掛けた「熱核爆弾」
インスタカートはその後5年間で、セコイア・キャピタル(Sequoia Capital)、アンドリーセン・ホロウィッツ(Andreessen Horowitz)、コースラ・ベンチャーズ(Khosla Ventures)などVC界の名だたる大手企業から投資を受けた。2017年までにインスタカートのバリュエーションは30億ドル(約4350億円)を超え、メータはフォーブス誌の「40歳以下の富豪起業家」で31位に躍り出た。
だが同年、最大のライバルであるアマゾンが、インスタカートの最大の取引先であるホールフーズ(Whole Foods)の買収に乗り出す。インスタカートもこれまでと多くの人は思った。
ホールフーズは早朝、メータとインスタカートの幹部1人に電話でこのニュースを伝えたと言われている。しかし2人は落胆するどころか、互いに親指を立てた絵文字を送り合った。「その朝、サンフランシスコでメータはインスタカートの従業員300人の前に立ち、戦いの時が来たと告げた」とフォーブス誌は2017年に報じている。
その後の数カ月で、インスタカートはコストコ(Costco)やクローガー(Kroger)と新たに有利な契約を締結し、これまでにない好調ぶりを見せた。メータはアマゾンが行った買収について、次のように語っている。
「食料品業界全体に対する、まさに熱核爆弾のようなものでした。思い返せば、あれがインスタカートにとってのターニングポイントだったのかもしれません」
しかし、本当のターニングポイントは新型コロナウイルスによるパンデミックのさなかに訪れた。世界中の人たちがステイホームを余儀なくされ、配達アプリに未曽有のゴールドラッシュをもたらしたのだ。インスタカートの売上高は前年比で300%以上増加し、同社のバリュエーションはピーク時には390億ドル(約5兆6500億円)にものぼった。
このころ、セコイア・キャピタルのマイク・モリッツをはじめとするインスタカートの投資家の中から、上場して膨れ上がったバリュエーションを利益に変えよという声が上がり始めた。こうして、メータと彼の最も重要な支援者らとの間に亀裂が走るようになった。
一部の投資家は、上場をめぐる意見の相違に加え、メータの混沌とした経営スタイルと役員の離職率の高さを懸念していたとされている。一時は緊張が極度に高まり、セコイアはメータの解雇について投資家らにアンケートをとったこともあったようだ。
メータは、自分を追い出そうとする試みを何度か阻止し、最終的にIPOを遅らせることには成功したかもしれない(これによって株主に数十億ドルの損失をもたらした可能性が高い)。
だがこれは、得るものより失うもののほうが大きい勝利だったようだ。メータは2021年にCEOを辞任し、周囲には「燃え尽きた」と漏らしていた。後任には以前フェイスブック(Facebook)のアプリ責任者を務めていたフィジー・シモが就任した。
シモはその後、デジタル広告に参入することでインスタカートの事業を多角化した。インスタカートは2023年上半期に黒字を計上しているが、パンデミック中のような爆発的な成長レベルに戻る可能性は低い。そのため、インスタカートの時価総額はピーク時の約4分の1にとどまっており、一部の投資家は投資を手控えている可能性もある。
メータの次の一手
メータは、新たなミッションを追求するためにインスタカートの取締役会長の職を辞すると発表した。
一時は、その新たなミッションとは、2022年にスライブ・キャピタル(Thrive Capital)の主導で3000万ドル(約43億5000万円)の投資を受けた「サンライズ(Sunrise)」になるかと思われた。これは、オゼンピックなどの処方減量薬を入手するプロセスを合理化するプラットフォームだ。
メータが友人のテジャスヴィ・“テジ”・シンとともに同社を設立したのは2022年後半。シンは当時、マリン郡にあるメータの600万ドル(約8億7000万円)の自宅に住んでおり、法的書類によると、シンは失脚したFTXの創業者サム・バンクマン・フリード(Sam Bankman-Fried)とともに頓挫したNFTプロジェクトに参加したこともあるようだ。
サンライズはその後、競合企業のネクストメッド(NextMed)から、盗用した企業秘密を使って作られた模倣ビジネスだとして訴えられている。
メータは宣誓供述書の中で、企業秘密を流用したことを否定し、またそれ以来シンとの関係を断っていると述べているものの、ネクストメッドは両社のウェブサイトや広告が酷似していることを示す証拠を裁判所に提出している。
この訴訟は、詳細は不明ながら2023年2月に和解し、両社のウェブサイトは現在も稼働している。しかしメータはここ数カ月、サンライズについてあまり発言をしておらず、今後どう関与していくのかは不明なままだ。
シリコンバレー屈指の起業家であるメータは、至高の勝利であるはずの日に、10年かけて築き上げた会社から追われることとなった。手元に残ったのは、多額の現金と、訴えられている駆け出しのスタートアップだけ。アプールバ・メータの人生の第二幕がどのようなものになるかは、まったく予測がつかない。