ロンドンを走るEV仕様のタクシー。
REUTERS/Hannah McKay
グリーン化にまい進するヨーロッパだが、欧州連合(EU)から離脱した英国では、そのグリーン化の手綱を緩める動きが出てきている。リシ・スナク首相は9月20日に会見し、ガソリンやディーゼルを動力源とする内燃機関(ICE)車の新車販売禁止を、それまでの目標であった2030年から5年遅らせ、2035年にすると発表した。
スナク首相は会見の中で、政府が電気自動車(EV)の普及を積極的に誘導するのではなく、消費者の自主的な選択を重視するべきだと強調した。また首相は、英国が50年までの気候中立の実現を引き続き目指すとしながら、コストダウンなどでEVの普及が進み、2030年までには新車販売の大部分がEVになるという見方を示した。
このEVシフト目標の見直しに関しては、スナク首相とその周辺による決断が先行したようだ。閣内の電話会議では、驚きを隠せない閣僚もいたとされる。
7月19日、電気自動車用バッテリー新工場の発表のため、ランドローバーを訪問する英スナク首相。
Christopher Furlong/Pool via REUTERS
さらにスナク首相を擁する保守党の中でも、国際公約を後退させることによる国際社会での影響力の低下や、海外投資家のEV関連投資意欲の低下を懸念する声が上がっている。
当然だが、EVシフトの推進を目論む側からはスナク首相に対して批判が相次いだ。
産業界からは、英国のグリーンビジネスに多額の投資を予定していた投資家や事業者から、大きな批判が寄せられた。また政界では、最大野党である中道左派の労働党が、グリーン化を極めて重視する立場から、スナク首相の発表を強く批判した。
とはいえ、スナク首相はEVシフトそのものの旗を降ろしたわけではない。
確かに目標年次を2030年から2035年まで5年先送りしたわけだが、自らが袂を分った欧州連合(EU)とその目標の平仄を合わせたまでであり、それが「後退」だと必ずしもいえない。しかしその決断が批判されるところに、現在のヨーロッパの複雑さがある。
グリーン化の見直しに活路を見出したスナク首相
それではなぜ、スナク首相はこのタイミングでEVシフトの先送りを発表したのだろうか。確実なのは、この高インフレの中では、グリーン化の「強化」だと有権者の支援を得られなくなったということだ。つまり、スナク首相のEVシフト先送りは、任期満了の場合2025年1月までに実施が予定されている次期の総選挙を見据えた発言となる。
2022年から現在に至るまで、英国は歴史的な高インフレに苛まれている(図表1)。高インフレは、実質所得を減少させるため、個人消費を圧迫する。また家賃相場も首都ロンドンを中心に記録的な上昇となり、国民の負担は増している。英中銀(BOE)は利上げでインフレの抑制に努めているが、この金利上昇も家計の重荷となっている。
図表1 英国の消費者物価。
出所:ONS(英国立統計局)
このように、英国民の生活は厳しさを増している。そうした中で、グリーン化が如何に重要でも、追加的な負担を強いられることに対して拒否感を持つ有権者が増え始めているようだ。7月20日に首都ロンドン郊外で行われた下院の補欠選挙で、当初の予想を覆して与党・保守党の候補が1議席を維持したことは、その端的な事例となった。
この補欠選で争点となったのは、ロンドンのサディク・カーン市長が進める自動車排ガス規制(ULEZ)のロンドン全域への拡大だった。排ガス規制に満たない車両に対して相応の通行料が徴収されるこの制度がロンドン全域に拡大されれば、新たな負担を強いられる市民が増えることになる。これに保守党の一部の支持者が反発したわけだ。
補欠選での予想外の勝利を受けて、スナク首相はグリーン化の見直しが有権者のアピールになると手応えをつかんだのだろう。補選後の7月24日、BBCのインタビューで、国民負担を軽減する観点からグリーン化の見直しに言及した。今回の「EVシフト目標の先送り」は、この発言の延長線上にある決定と考えていい。
グリーン化の「強化」では票が取れない時代に
スナク首相率いる保守党の支持率は低迷している(図表2)。EU離脱に伴う経済面での混乱は著しく、労働党の支持者を中心に、保守党に責任を問う声が高まったためだ。次期総選挙ではおよそ15年ぶりの政権奪取が視野に入っている労働党だが、同党が重視するグリーン化が、ここにきて政権奪取を実現するうえでのネックと化している。
【図表2】主要政党の支持率
出所:YouGov
つまり、左派政党である労働党は、グリーン化を極めて重視し、積極的な取り組みを主張している。しかし、この間の高インフレで、有権者のグリーン化への関心は薄らいでしまった。グリーン化のために国民負担をさらに強いるような政策を打ち出せば、間違いなく民意は離反する。こうしたジレンマに、労働党は陥ったことになる。
財政破たんした英国第二の都市、バーミンガム市でも、ロンドンと同様の自動車排ガス規制が導入されている。バーミンガム市は労働党の牙城であり、自動車排ガス規制は労働党の肝入りで導入された。が、地元大学の調査ではその効果は薄いようだ。公共サービスが削減される一方で排ガス規制負担を強いられる市民の不満は高まるばかりだろう。
保守党もグリーン化そのものには反対していない。しかし、その推進をリードしたのは、ボリス・ジョンソン元首相だった。そのジョンソン元首相は、数々の醜聞を巻き起こし、政界から事実上、追放された。
保守党の本流を行くスナク首相としては、そのジョンソン元首相が描いた軌道を修正することは、党内力学的にも大きな意味を持つ。
日本は「現実路線」、欧州グリーン化は今後も修正が相次ぐ可能性
ロンドンのハックニー区にある、路上充電器を使う人。2022年1月撮影。
日本の発想は良くも悪くも現実的で、実績を積み上げることを重視していくアプローチを取る。
一方で、ヨーロッパの発想は良くも悪くも理想的で、まず高い目標を描き、現実をけん引しようとする。それで現実が追い付かないようであるなら、目標を下方に修正していくアプローチだ。これは社会文化の違いとしか言いようがない。
そのためヨーロッパでは、EVシフトを含めたグリーン化目標は、現実がそれに追いつかない限り、下方に修正されることになる。EV化100%の目標を2035年から2040年にする、あるいはEVに限定せずハイブリッド(HV)など電動車全般を含めるというように、目標を修正していく動きが、今後も続く可能性が高いのではないか。
ロンドンのサザーク地区を貫くA3200道路で見かけたバッテリーチャージャー。
筆者撮影
労働党が次期の政権を奪取した場合も、民意がグリーン化から離反してしまえば、グリーン化目標は現実的な方向に修正されていくことになるだろう。
そもそもヒト・モノ・カネに限界がある中で、バッテリーチャージャーなどインフラ施設の整備もままならない現状に鑑みれば、目標が堅持されることのほうが無理のある動きといえる。
EUから離脱した英国の場合、小回りが利く面も大きい。27の主権国家の意向を調整する必要があるEUの場合、政策修正にも時間を要する。
EU離脱派がそのメリットの一つとして掲げたことに、政策決定の自主権の回復があった。EVシフトなどグリーン化は、そうしたEU離脱のメリットが発揮される好機となるのかもしれない。