デンマーク企業で働く樋口博史さん。4年前までは日本の大企業の中間管理職だった。
撮影:井上陽子
この連載の第5回では、「デンマーク人の働き方」として2児の父親であるデジタル庁の局長を取り上げ、午後4時前には仕事を切り上げるような働き方を紹介した。多くの方に読んでいただいた一方で、「日本人がやるのは難しいのでは」という疑問の声も聞かれた。
確かに、日本のやり方や仕事量をそっくりそのまま持ち込もうとすれば、デンマークに場所を移しても難しいだろう。だが、現地企業に就職した日本人や、日本の大企業から出向で来ている人など、これまで私がデンマークで出会った日本人たちは、試行錯誤の時期を経て、デンマークの働き方にかなりなじんでいる印象がある。
そして、いったんデンマーク流を経験してみると、むしろ日本での働き方に戻るのが難しい、とこぼす人が多い。
これまで、デンマークでの働き方について私に語ってくれた日本人のうち、今回は2人に焦点を当ててみたい。1人は、日本の典型的な大企業の中間管理職から、妻のデンマーク留学を機に現地企業に就職したソフトウェアエンジニア。もう1人は、激務だったデザイン会社勤務から、ワーク・ライフ・バランスの改善を求めて家族4人で移住したデザイナーである。
2人とも、日本にいた頃は契約上の労働時間(週40〜45時間)に加えて、“過労死ライン”と呼ばれる月80時間近い残業もこなしていたが、今や「多い時で週40時間」という働き方をしている。かつて残業に費やしていた時間が丸々なくなったようなものだが、仕事は責任もやりがいもあり、収入は日本にいた時よりも増えたそうだ。
というわけで、「デンマークの働き方」の第3弾となる今回は、デンマークに来た日本人は働き方をどう変えたのか、どんな気づきがあったのかについて書いてみたい。
日本でぶつかっていたのは、実力ではなく「システムの壁」
デフォルトの勤務時間は、午前8時半から終電まで。忙しい日は職場で仮眠をとりながら翌日の終電まで仕事を続け、その次の日は再び、午前8時半から終電までの勤務。
デンマークに移住し、アートディレクターとして働く芦田さん。
撮影:井上陽子
東京のデザイン会社でそんな働き方をしていたデザイナーの芦田宗矩さん(39)がデンマークに来たのは、2019年秋のことである。妻の第二子妊娠が分かった時、この働き方は続けられない、と転職を決意した。
海外にも視野を広げ、ニューヨークやロンドンでは再び激務になると思った芦田さんが目をつけたのが、デンマークだった。現在、首都コペンハーゲンに拠点を置くアイウエアブランド「オルグリーン」のアートディレクターとして活躍している。
移住した時、4歳になっていた長女の成長の記憶はほとんどない。育児はほぼ妻に任せきりだったためだ。
それが今や、週の半分は午後3時過ぎに退社して幼稚園と小学校に2人の子どもを迎えに行き、長女の習い事のプールでは一緒に泳ぐ。料理好きで、夕食作りも担当。週に2回はデンマーク語の学校に通い、毎朝、寒中水泳とサウナも楽しむ。時間の使い方は劇的に変わった。
「いろいろやって、それでも時間が余るから、夜は仕事関係の調べ物をしながら過ごしています。日本では、そんなふうに自分のことを考える時間の余裕がまったくなかったんですが」
疲労と忙しさとでささいな喧嘩が多かった、という妻との会話も変わり、長期的な子育ての方針といったことをじっくり話せるようになった。
午後3時過ぎに退社できるデザイナーの仕事はどんなものなのか。日本との大きな違いは、職場の“階層のなさ”だと芦田さんは説明する。
(出所)取材内容をもとに筆者・編集部作成。Illustration: Sapann Design/Shutterstock
上の図は、典型的なデザイン事務所での階層をイメージしたものだ。雑誌のデザインといったプロジェクトでは、まずプロデューサーがクライアントからの依頼を説明し、アートディレクター(AD)が方向性を考え、それに基づいてデザイナーがデザインにとりかかる。雑務は、アシスタントデザイナーが担当する。
デザイナーがデザインを完成させたら、ADが確認しながら内容を修正する「出し戻し」というプロセスが始まる。ADがOKを出したら、今度はADとプロデューサーとの間で出し戻しを行い、プロデューサーがOKしても依頼主から再度注文がつけば、ADとの出し戻し作業が再び始まる。
こうやって、階層を上から下へ、下から上へ、と行き来することでデザインの質を上げていくわけだが、完成には膨大な時間がかかる。
これに対して、デンマークの職場には、こうした階層が一切ない。自分一人で仕上げたものが、そのまま完成品として出ていく感覚だそうだ。初めてブランドのキャンペーンを任された時も、「2週間後くらいにやるから考えて」と言われただけで、芦田さんは戸惑った。
首都コペンハーゲンの運河沿いにあるオルグリーンのオフィス。天井が高く広々としたオフィスには、製品のパーツを揃えた棚が並んでいる。
撮影:井上陽子
「日本であれば、まず企画書があり、ADと方向性を決めたデザインをクライアントに出し、OKが出たらモデル選定なども話し合いながら決めていました。それが、キャンペーンをやる意味も含めて、プランやコンセプト作り、撮影や写真選定も、社内で同僚と調整することもなく全部自分一人でやることになったんですよね」
デンマークでは、専門性に基づく「ジョブ型」の採用が一般的であるのも、プロとして自律的な仕事を求められる理由だろう。いきなりすべてを任されるのは大変だったものの、メリットも大きかった、と芦田さんは言う。
「仕事が早いんですよ、全部自分で決められるから。それに、以前は自分のデザインが通らない時、何が原因なのかよく分からなかったが、それは実力の壁じゃなくて、システムの壁だったんだなと気づいた」
精子バンク大手「European Sperm Bank」でシニア・ソフトウェアエンジニアとして働く樋口博史さん(42)も、職場のフラットさが仕事の迅速化につながっていると実感する。
「日本では、ソフトウェアの設計を関係者が確認し、権限を持つ人が承認するプロセスがあったが、それがまったくない。プロジェクトの段取りも根回しも必要ない。ヒロシを信用している、と任されるから、初動が早いんです」
デンマークのビジネスのやり方として言われるのが、「Agility(機敏性)」へのこだわりだ。2022年の世界の経済競争力ランキングでデンマークは1位になったが、高く評価されているのが「ビジネスの効率性」の項目だった。
中でも「企業の機敏性」の項目を含む「経営慣行」(Management Practice)については、デンマークが1位なのに対し、日本は最下位(63位)の評価である。日本で仕事をしてきた人は、デンマークでの仕事のスピード感覚に大きな違いを感じるようだ。
初めから完璧でなくていい、ミスは後で対応すればそれでいい、という“トライ・アンド・エラー”の考え方についてはデンマーク人の働き方の回でも紹介したが、これもビジネスの機敏さにつながるところだろう。
樋口さんの会社でも、時間をかけて問題がゼロの設計を目指すよりも、1人のお客さんに問題が起きれば、その1人を営業が手厚くケアし、さらに対策が必要か見極めてから改善策を考える、というアプローチをとっているそうだ。
「三遊間のボールは追わない」という割り切り
樋口さんは4年前まで、富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)で部下15人を抱える中間管理職だった。企画管理部門のグループ長として、自分の仕事に加え、部下の育成や上層部との調整、部署としての存在意義を示すことも大事な仕事だと考えていた。
同社で14年間を過ごしたが、ピーク時の残業時間は、医師との面談指導が入るギリギリの月約80時間にのぼっていたという。それは、残業をしてでもアウトプットを最大化しようと、「やれることは全部やろうとしていたから」だったと振り返る。
デンマークに来て、樋口さんがやめたことの一つが「おせっかい」である。例えば、他の人が作ったソフトウェアの設計に懸念がある時。日本では親切心から指摘するところだが、デンマークでそれをやると、他人の仕事に口を出していると受け取られ、面倒な事態に陥る可能性もある。そもそも、労働時間が短いので、自分の仕事で価値を発揮することに集中しないと、あっという間に時間が過ぎてしまう。
似たことは、これまでに会った日本人からも耳にしたことがある。同じ会社の別の部署の人に「あなたの仕事について教えてもらいたい」とメールを送っても、その人の仕事の成果に関係ないことなら、ほぼ返信はなかったそうだ。
「あるといいこと(nice to have)」と「ないと仕事として成立しないこと(must have)」とをシビアに分類している、と考えると分かりやすい。あればナイス、というのは、例えば、会議の議事録を参加者に共有することや、会議のパワーポイント資料を作り込むこと。そういうのは一切やめた、というのは、デンマークに来た日本人からよく聞く話である。
樋口さんも、デンマークで働くようになってから“やらなくていいこと”を意識的に考えるようになったという。
撮影:井上陽子
親切心からメールのCCに幅広い関係者を入れるのも、デンマーク人にとってはありがた迷惑ととられがちだ。「俺の時間を無駄にするのはやめろ」と怒られた、というのは、日本人から耳にする失敗談である。
樋口さんは、日本では誰の仕事なのかが曖昧な“三遊間”のボールを拾う人が重宝されていた、と例える。一方で、それが残業を増やす要因でもあった。
「考え方を変えれば、それが三遊間である理由は、仕事としての価値が高くないから。価値が高いなら、初めから担当がいるはずですよね。デンマークでは、価値あることの中でも、時間内でできる最重要なことしかやらない。60〜80点ラインを想定して、それ以上はオプションと割り切る。日本ではそこから100点にしようとするから、残業になってしまう」
「常に新しいもの」の強迫観念から脱する
デンマークデザインの照明器具として根強い人気を誇るルイス・ポールセンのPHランプ。デザインされたのは1950年代だが、新色が次々と展開されている。
提供:ルイス・ポールセン
デザイナーの芦田さんは、デンマークで仕事を始めてから、デザインへの向き合い方を変えたという。分かりやすいのは、1950年代にデザインされたアルネ・ヤコブセンの「セブンチェア」や、ルイス・ポールセンの「PHランプ」といった、デンマークのクラシックデザインだ。
「セブンチェアもPHランプも、常に新色を出している。ある意味、過去の成功体験にしがみついているわけですよね。ゼロから作り出すんじゃなくて、10から11、12って足しているだけなので、デザイナーにすれば効率的だし、楽。でも、ブランディングがうまいから、それで堂々と展示会で発表したりするわけです」
日本のデザインの仕事では、ゼロから新しいものを作ることへのこだわりがあったし、「バズる」「とがっている」といった、収益以外の価値を追求することも多かったという。
「それはいいことでもあるけれど、無駄な作業も多かった。デンマークに来てからは、常に新しいトレンドを追わなくてはという強迫観念がなくなって、今あるものを効率よく活かせる方法は何か、と考えるようになった。実際、それで仕事はうまくいってるんですよね」
今回、私が聞きたかった疑問の一つは、仕事にかける時間が短い分、質が落ちると感じないのだろうか、ということだった。だが、ビジネスを展開する段階で“勝てるフィールド”だけを選んでいるので、すでに持っている強みを生かすことに集中し、効率よくビジネスが進められるわけだ。高付加価値の商品に特化し、世界的にビジネスを展開しているデンマーク企業を描いた回でも、そんなデンマーク企業の特徴を解説したが、芦田さんがデザインを担当するオルグリーンも、長年使い続けてくれる顧客に支えられているのだという。
また、日本のような過当競争がないことも、ビジネスのしやすさにつながっている。日本では、メガネを例にとっても同じ価格帯に国内ブランドがひしめき、輸入品も入れると商品の種類は膨大な数にのぼる。それに比べると、デンマークには、同じ価格帯のライバルが数えるほどしかいない。デンマークデザインと言えばそれだけでブランド力になり、海外展開もしやすいのだそうだ。
働き方がブラックにならないのは「納得感がないと辞めるから」
ここまで読んで、デンマークの職場は個人が自立している一方で、「冷たそう」と感じる方もいるかもしれない。
確かに、新人がインターンとして一定期間、仕事を教えてもらうことはあっても、上司が部下に対して丁寧な指導をしてくれることはまずない。従業員の解雇は比較的容易で、実際、ポジションに見合った成果を上げられない人が会社を去るのはよくあることなので、成果を出すことへの緊張感はある。
ただ、だからといって職場が冷たいと感じたり、クビになる恐怖に常に怯えるようなことはない、と2人は口を揃える。芦田さんは、日本にいた頃の方が、他の人よりいいデザインを作らなくてはと「お尻に火がつく感じ」だったと語り、競争マインドがそれほどない今の職場の方が気持ちは楽だと言う。
樋口さんはデンマークで働くようになってから、売上を大きく落とす原因を作った社員がクビになる場面に立ち会ったことがあるが、その時、上層部はなぜその決断が必要だったかを丁寧に説明し、組織としての健全さを感じたそうだ。
「クビになることがある一方で、社員の方も働きにくいと思えば辞めていくので、お互いさま。その怖さがあるから、上司も部下の仕事に“納得感”を生み出そうと努めるわけです」
対照的に、日本ではこういった流動性のなさが、職場の“ブラックさ”を生む温床にもなっていると感じるという。
「それは違う、と思うことに対して、役員がこう言ってるから大人になろうよ、みたいな話が何回も続くと、納得しなくなる。デンマークでは、納得しないと会社を辞めていくけど、日本では部下が辞めないと思っているから、多少無理を言ってもいいだろうと甘えが働くんだと思います」
社交性を重んじるデンマークの職場では、職場を盛り上げる遊び心も大事な要素だ。日本のような、終業後の“飲み会文化”はないが、金曜日の午後の早めの時間から、多くの職場で「フライデー・バー」と称してビールを配ったりする。樋口さんの会社では、フライデー・バーの担当が部署ごとに回ってきて、それぞれが趣向を凝らした遊びを企画して盛り上げるそうだ。
樋口さんの会社のボートクルーズの様子(上)。下は、芦田さんの会社の昨年のクリスマスパーティーの様子。社員でフェンシングの対戦をした後に、ディナーを楽しんだ。
提供:樋口博史氏(上)、芦田宗矩氏(下)
さらに、夏と冬の年2回は、金曜日の午後3時ごろからボートに乗って海に漕ぎ出し、レストランを貸し切って食事をした後、夜中まで踊り明かす。もちろん、経費はすべて会社持ち。私の夫が勤めていた会社では、クリスマスになると高額商品のリストが並ぶカタログが配られ、そこからプレゼントを選んでいたが、そうやって社員を大事にするのは、会社の側も社員に「選ばれている」という意識があるからだろう。
樋口さんも芦田さんも、話を聞いていると、仕事に充実感を感じているのがよく分かる。短時間でもいい仕事はできるという自信と、その分、豊かなプライベート時間が持てる好循環。デンマークで働く日本人の気づきは、仕事への取り組み方を変えるヒントが詰まっているように思える。
※この記事は2023年3月8日初出です。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。