イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。読者の方にこちらの応募フォームからお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
私は先日30歳になりました。年末年始、忘年会や新年会で同い年の友人グループ何組かと会ったのですが、多くが焦りを感じていたように思います。
仕事で昇進するとか、そうでなくとも、プライベートで何らかの幸せを掴めているか(例えば趣味の延長で副業している、子どもが可愛くて幸せ、とか)といった焦りです。白状すれば、私自身もそういった悩みとは無縁ではありません。
大学時代に朝井リョウさんの小説『何者』が流行り、自分自身も何者になれるのか考えされられました。同時に、大企業に入って「〇〇社の〇〇」になりさえすれば、何者かになれると思っていましたが、20代後半に入った頃には、そうではないと気づきました。
でも、そもそも私たちのこの焦りのような、何者かにならなければならない、幸せでないといけないといった強迫観念はどこから来たのでしょうか。
(shoe-real、30代前半、会社員、男性)
「前倒された」過度な競争社会
シマオ: shoe-realさんは30歳になったばかりということですね。僕もほぼ同年代なので、友達や元クラスメイトの活躍ぶりや収入なんかが気になるというのは、よく分かる気がします。
佐藤さん:確かにシマオくんが言うように年齢的なものはあるでしょうが、「他人と比べて自分はどうか」という意識は私の世代よりも強いような気がします。
シマオ:そうなんですか?
佐藤さん:はい。特に、都市部に住む高学歴な若者に顕著です。SNSの影響がよく指摘されていますが、私はこの現象には他にも二つの理由があると考えています。
シマオ:何でしょうか。
佐藤さん:まず、受験時期の前倒しです。かつて受験といえば大学受験こそが「戦場」でした。ですが、今や大学進学者の約半数が推薦入学という状況です。
シマオ:あ、それはニュースでも見ました! 少子化の影響で定員割れする大学も増えているとか。
佐藤さん:その代わり、都市部では中学受験が活発になっています。東京都教育委員会によると、2021年の中学受験率は約20%と、5人に1人が中学受験をしています。
シマオ:1クラス40人だとすれば、8人も中学受験をしているんですね。
佐藤さん:中学受験の最前線では、だいたい小学校4年生くらいから受験クラスに分かれます。ある進学塾では、クラスの席順まで成績で決まっているんです。しかも毎週のテストの成績で席順が変わる。
シマオ:い、嫌すぎる……。絶対そんなクラスに入りたくありませんよ!
佐藤さん:小学4年生、まだ10歳のうちからそんな環境にいたら当然競争意識が強く刷り込まれます。常に他人の目線を意識し、他者との比較と評価を気にしながら生きるというのが当たり前の世界ですから。競争意識が身体化、内面化されてしまいます。
シマオ:確かに……。自分以外のクラスメイトは全員競争相手だから、感覚的には仲間というよりもライバルになる訳ですね。
佐藤さん:しかも年々問題が難しくなっているんです。東京の私立の中学入試の問題なんて、ほとんど公立の高校入試レベルですよ。
シマオ:え! そんなことになっているんですか!?
佐藤さん:小学校高学年の彼らがどんな問題を解かされているか、実例を挙げてみましょう。
「1、3、4、5、7の5枚のカードから2枚を選ぶ。この時できあがる2桁の数字のなかに素数はいくつあるか? ただし同じカードは引かないこととする」
シマオ:わーっ! そもそも数学が苦手だったので、問題を聞いただけで拒絶反応が……。考える気にもなれません。
佐藤さん:答えは10個なんですが、これを3分以内に解かなければいけません。1から100までには素数が25個あるのですが、いま中学受験をする子どもたちは問題を早く解くために100までの素数を全て暗記しておく必要があるということです。
シマオ:すごい世界だ……。
佐藤さん:もしかすると、shoe-realさんもこれに近い環境にいたのかもしれません。そうであれば、ぜひ読んでほしいのが『二月の勝者ー絶対合格の教室ー』というマンガです。中学受験塾を舞台に、受験に悩むさまざまな小学生たちやその親たちの葛藤が描かれます。作者の高瀬志帆さんはかなり現場を取材していて、リアルなストーリーが人気を博し、すでに累計で300万部を突破しています。
シマオ:僕もドラマで見ましたけど、面白かったです!
佐藤さん:描かれているのは過剰な競争社会です。競争に勝つ子がいれば負ける子もいる。その中でおかしくなってしまう子どもや親、教師が出てくる。建て前では平等社会を謳いながら、その裏では恐るべき競争社会が広がっている。
人間は群れる生き物ですから、本来は人が集まることが安心を生み出すはずです。ところが、過剰な競争社会においては、それが不安を生み出す原因になってしまう。
シマオ:なるほど。そういった構造を客観的に見せてくれる作品ってことですね。
佐藤さん:その通りです。
知らないうちに資本主義が人格の一部になっている
佐藤さん:二つ目に、これは他の世代にも言えますが、資本主義社会の倫理を内面化してしまっているという点です。
シマオ:どういうことでしょうか。
佐藤さん:資本主義社会において、資本家は拡大再生産によって資本をどんどん増やしていきます。言い換えると、資本はつねに自己増殖を続けるということです。
シマオ:えーっと、経営者(資本家)は会社を作って人を雇って儲けを出して、その儲けでまた会社を大きくして、売り上げも増えていくってことですよね?
佐藤さん:その通りです。そして企業は、競合企業と熾烈な競争を繰り広げることになります。その競争を勝ち抜くためには、そこで働く人たちも常に競争し合い、生産力や競争力を高めていくことが求められます。
当然、企業はそんな競争社会に適応した人材を求めます。受け入れられるには、学生の頃から競争社会の中で能力を高め、勝ち抜いていく必要がある。
シマオ:なるほど……。中学受験も、その競争原理が幼い子どもたちにまで及んだ結果ということなんですね。
佐藤さん:そういうことです。そしてそこから、shoe-realさんが言う、「自分は何者かでなければいけない」とか、「人より幸せでなければならない」という強迫観念が強く出てくる訳です。競争意識が内面化した結果です。
シマオ:でも、それって純粋な向上心とは違うんでしょうか?
佐藤さん:本来、向上心というのは過去の自分と比較して成長を喜ぶものです。人目を気にして無理に努力するものではありません。やたら人と比較したり、劣等感や優越感を感じたりするというのは、それが社会によって作られた価値観、基準や評価によっているからです。
シマオ:いろいろ語学を学んだり、資格を身につけたりするというのも、そういう部分があるのでしょうか?
佐藤さん:もちろん自分自身の能力を向上させ、自信を持つことは大事なことです。ただ、そうやって誰もが必死に自分の能力を高めてくれたら国や企業にとってはありがたい。だからあえて向上心を煽るということもあるでしょう。
シマオ:作られているというのは、そういう意味なんですね。
佐藤さん:それに、いい成績を出すには塾に通ったり教材を買ったりしますよね。するとそれに対応した教育ビジネスが儲かる。とにかく人の欲望や不安をかき立て、「何とかしなきゃ」「頑張ってやらなきゃ」と思わせて購買意欲につなげるというのも資本主義の構造な訳です。
シマオ:怖いなぁ……。自分が自主的に頑張っているつもりでも、実はそれが大きな構造の中で踊らされているだけなのかもしれないってことですよね。
佐藤さん:その通りです。それが「資本主義が身体化される」ということです。本人も気づかぬうちに「資本主義で生きる仕様」になってしまう。
シマオ:自分の意志で選択していると思っているからタチが悪いですね……。でも自分がどっぷりと浸かっている社会の仕組みを意識するって難しくないですか?
佐藤さん:実はエリートほどその罠にはまってしまうんです。なぜならエリートこそ、その社会構造に最も適応し、それによって評価されてきた人たちだからです。おそらく、sho-realさんも受験エリートだったんじゃないでしょうか。
シマオ:確かに。大企業に勤めても自分が何者かになれる訳ではないと分かったとありますから、そうかもしれないですよね。
脱却のための「ゼロからの『資本論』」
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佐藤さん:資本主義の人格化から脱却するための一冊を薦めておきましょう。斎藤幸平さんの新刊、「ゼロからの『資本論』」です。斎藤さんは東大を中退してドイツでマルクスについて学び、いま東大の准教授を務めている若手の学者です。『人新世の「資本論」』がベストセラーになったので、知っている方も多いでしょう。
シマオ:マルクスの資本論をいまの時代に合わせて分かりやすく解説していることで話題になりましたね!
佐藤さん:斎藤さんは共産主義のような国家単位での大きな話ではなく、地域の人たちの集まりや市民社会という、小さな単位でのつながりに資本主義を脱構築するヒントがあると指摘しています。
つまり、人間はもともと仲間を作り、助け合うことで進化し歴史を築き上げてきた。資本主義的な競争社会というのは実は近代以降の非常に特殊な形態で、本来人は互いに協力し合うことに喜びと価値を見出してきたということです。
シマオ:資本主義的な競争社会で人間がずっと生きてきた訳ではないってことですね。ましてや、10歳から受験戦争するなんて……。
佐藤さん:そうです。私たちが当たり前だと考えている資本主義社会というものを相対化するには、この社会を構造的に捉え、別の価値観で見直す「理論」が必要なんです。本来、マルクス経済学がその役目を担ってきたのですが、ソビエト崩壊後、無価値で時代遅れの理論というレッテルを貼られてしまった。斎藤さんはそのマルクスの理論をより現代に適合させた形で復活させた一人でしょう。
シマオ:ぜひ僕も読んでみたいと思います!
佐藤さん:何より、資本主義社会というのは科学やテクノロジーの進化と歩みを同じくしているため、どんどん加速していくのが特徴です。例えばグラハム・ベルが電話を作って、それが5000万人に使われるようになるまでには75年の時間がかかったそうです。
同じように、特定のモノやサービスが5000万人に使われるようになるまでかかった時間を比べてみると、テレビが22年、パソコンは14年、携帯が12年、インターネットは7年と、どんどん早くなる。そしてYouTubeが4年、Twitterが2年で、LINEはたった1年、『ポケモン GO』に至ってはなんと2週間。世の中のスピードがどんどん速くなっているのが分かるでしょう。
シマオ:本当ですね……。異常なまでの加速ぶりです。
佐藤さん:私たちの生きる社会は加速度的に回転を速めるメリーゴーランドのようなものです。みんな必死でしがみつきますが、どんどん振り落とされる。特に東京のような大都市だとそれが顕著です。だから受験勉強もどんどん難しくなるし、会社の仕事もどんどん高度になり、量も増えていく。ポスト争いも激しくなる。
シマオ:なんだか、年を経るごとに生きるのが大変になっていくようですね……。
佐藤さん:だから、押し付けられた競争=ゲームからどこかで「降りる」という選択が必要なんだと思いますよ。
世の中からちょっと軸足をずらす
シマオ:おそらくshoe-realさんも競争の虚しさにどこかで気が付いているんだと思います。でも正直、若くしてそこから降りるのは難しい気が……。
佐藤さん:であれば、競争に参加しながらもその価値観だけに染まるのではなく、もっと別の、自分なりの価値観を持っておくといいでしょう。それだけでもずいぶんいろいろなものを相対化して見ることができるはずです。
シマオ:例えば、趣味とか恋愛とか、友人関係とかでしょうか?
佐藤さん:はい。友人関係で言えば、現在いる友人に限定する必要はありません。斎藤さんも言うように、仕事やビジネスとは関係ない人間関係をどう築くか。例えば、趣味のサークルだとか読書会だとか共通のテーマでつながる人間関係を持つ。あるいはバーやスナック、飲めない人なら喫茶店などの常連になって、同じ常連さんと友達になるとか、そういう人間関係を築くことも一つの手だと思います。
このような関係を「アジール」と呼ぶのですが、利害関係のない、ホッとできる仲間のような関係性を指します。その中で見返りを求めないやり取りをする。例えば集まった仲間に自分が旅行先で買ってきたお土産をあげるとか、田舎から送られてきたものを配るとか。対価を求めない関係を築くことが大切です。
シマオ:なるほど。貨幣経済やビジネスとは違う原理での関係ということですね。
佐藤さん:いずれにせよ、自分自身が潰れないためにも、いまの資本主義社会の特異性と異常性に気づかないといけない。どっぷりとその構造に浸ってしまっている都会型のエリート層ほど、脱出するための「理論」を身につけたり、相対化するための価値観を育てていったりする必要があるということです。
シマオ:まずは、自分たちを取り巻く構造とその状況を客観的に知ることが大事だということですね。shoe-realさん、参考になりましたでしょうか。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!
※この記事は2023年2月1日初出です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。