推し活時代はなぜこれほど花開いたのか。17冊の本と考える「好き消費」の正体と自己表現の進化系

ほんのれん旬感本考

編集工学研究所

「つまり、『美しさ』とは無数にあるのです」
—橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか

あなたの推しは、誰ですか? 好きで好きでたまらないものは、なんですか?

私が初めて誰かに強く肩入れしたのは、作家の灰谷健次郎さんに惚れ込んだ時だった。小学生の頃、なぜか校長先生から灰谷作品を譲り受けて読み始め、『ワルのぽけっと』を読んだあたりで教師の言うことを聞かなくなり、クラス担任の先生を戸惑わせ、音楽の先生に呼び出された(なぜ音楽の先生だったのだろう? 大人は裏で結託したがる)。

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ワルのぽけっと』(灰谷健次郎著/角川書店/1998)と『砂場の少年』(灰谷健次郎著/角川書店/2000)。子ども時代の私の超推し本。友達に勧めて回っていたのは、今思えば「推しの布教活動」だったのだろうか。

撮影:編集工学研究所

その後に出会った『砂場の少年』という作品では、主人公の西文平くんという少年が秘密を共有した親友のように感じられて、そこからは半生を共に生きている(と勝手に思っている)。

「推し」がいると心が豊かになるというのは、アイドルファンに限ったことではない。お気に入りの箸置きでもいいし、近所の野良猫でもいいし、愛好するカフェでもいい。何かを好きになって、何かを贔屓することは、私たちの「自分らしさ」に深く結びついている。

推す心理と「好きの経済」

それにしても、なぜ今こんなにも「推し活」が注目されるのだろう。「推し」という言葉自体は、モーニング娘。が結成された頃から使われているという。それがAKB48の人気と共に広がり、この数年間で一気に定着した。『推し、燃ゆ』(宇佐美りん)の出版が2020年。同年に、『推しの子』(赤坂アカ〔原作〕、横槍メンゴ〔作画〕)の連載も開始。コロナ禍で誰もが孤独感に苛まれていたことと、明るい虚像を提供するアイドル産業が脚光を浴びたことは、無関係ではないだろう。

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推し、燃ゆ』(宇佐美りん著/河出書房新社/2020)と『推しの子』(赤坂アカ(原作)、横槍メンゴ(作画)/集英社/2020)。どちらもアイドルという偶像性と実在する個人という人間性の相剋から物語が始まる。

撮影:編集工学研究所

推しエコノミー』の著者、中山淳雄は、コンテンツユーザーにとって趣味嗜好はもはや「消費財」ではなく「表現財」になっていると見る。消費者として受動的にコンテンツを視聴するのではなく、「何を見てる」「誰を推してる」「これが好き」をユーザー一人ひとりが発信し表現する。これがアイデンティティの確立につながっているというのだ。

「推し活は自分自身の嗜好性であるはずなのに、誰を推しているというアイデンティティの表明があるところから、とみに社会的活動である」
—中山淳雄『推しエコノミー

背景には、誰もが発信者になれるSNSプラットフォームの存在がある。そこは、常に自己像の調整を迫られる、いわばアイデンティティ演出の戦場でもある(5月の「ほんのれん旬感本考」参照)。「推してる宣言」が手軽にでき、その「宣言」に秒速で共感や承認が集まるようになったからこそ、「推し活」が社会的な現象にまで育ったのだ。

かつてポストモダン思想家のジャン・ボードリヤールは、『消費社会の神話と構造』で、個性演出と消費活動の関係性にメスを入れた。大量生産・大量消費が当たり前になった世界では、消費者が消費し続ける必要がある。人々が必要最低限のモノで満足してしまっては、資本主義システムは回らない。好きなものを欲しがり買い続けることを、構造的に肯定しなければならない。

そこで引っ張り出されたのが、「個性」という概念だった。人と違う私、自分らしい私。それをわかりやすく表明する方法が、ブランド品で身を固めたり、ピカピカの車を乗り回したり、高級料亭に通い詰めたりすることだった(あるいは、シモキタの古着で全身キメたり、年代物のスクーターを愛用したり、近所のパン屋を贔屓にしたりすることだった)。

現代社会では、消費が自己表現に結びつく。消費のトレンドはモノ消費からコト消費・ストーリー消費に移行しているけれど、基本の構造は変わっていない。好きなものを消費したり所有したりすることは、私たちの意志でもあり、同時に市場の意志でもある。

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