閣議後に記者会見するドイツのショルツ首相。
REUTERS/Lisi Niesner
ひと月ほど前、英経済誌エコノミストに掲載された記事『Is Germany once again the sick man of Europe?(ドイツは再び欧州の病人なのか?)』が専門家の間で話題を呼んだ。
2005年のメルケル前政権発足から2021年の退任までの16年間、常に「一人勝ち」と批判され、同時に羨望の対象であり続けたドイツが、一転して欧州連合(EU)域内の落第生になりつつあることを論評する内容だった。
欧州委員会経済金融総局に勤務していた当時から同国の動向をウォッチしてきた筆者の目にも、エコノミスト誌が辛辣に指摘するように、ドイツの現状は「戻って来た病人(the sick man returns)」と言われても仕方ないように映る。
そもそも「欧州の病人(the sick man of Europe)」というフレーズは、EU経済の変遷の節目節目で繰り返し登場してきた表現で、過去にはドイツだけではなくイタリアやEUそのものにも向けられたことがある(詳しい経緯を知りたい方は、拙著『アフター・メルケル 「最強」の次にあるもの』をぜひ参照いただきたい)。
初めてそのフレーズが使われたのは1999年、東西統合のコスト(財政赤字の拡大、高インフレ、高金利)に長く苦しめられていた当時のドイツを、エコノミスト誌は当時「欧州の病人」と呼んで揶揄(やゆ)した【図表1】。
【図表1】英経済誌エコノミストがドイツ(時にEU)経済の変遷に応じて使用してきた「病人」フレーズの数々。
出所:エコノミスト(The Economist)誌を資料に筆者作成
その後、シュレーダー政権下での労働市場改革を通じた単位労働コストの低下、「永遠の割安通貨」ユーロを背景とする輸出の加速などを追い風に「病人」ドイツは快方へ向かった。2007年7月のエコノミスト誌はその状況を「もはや病人ではない(Sick man no more)」と表現している。
さらに、2009年から13年頃まで続いた欧州債務危機の終息後は「勝ち過ぎ」が問題視されるに至り、そうした状況を背景とするある種の自分勝手な振る舞いは、中途半端な覇権国として周辺に「厄介」をまき散らす存在だと指差されるようになった。
厄介の実例としてはまず、中国やロシアへの依存を進めたことが挙げられるだろう。行き過ぎた依存度はユーロ圏に大きなリスクをもたらすとの指摘は常にあったのに、メルケル政権が路線を修正することはついになかった。
メルケル政権が2015年夏に突如国境を開いて始めた難民の無制限受け入れも、そうした厄介の一例だ。シリアやイラクから大挙押し寄せた難民たちの流入・通過ルートとなった他のEU加盟国は、難民の受付・管理業務や国境の管理などで大変な負担を強いられた。
中国とロシアに賭けすぎたメルケル
メルケル政権下でドイツ経済が繁栄を謳歌(おうか)できた要因は複数ある。
その一つが、地政学リスクを度外視した経済外交だった。原油や天然ガスなど資源の主要な調達先としてロシア、製品の輸出先としては中国に大きなウェイトを置いたことが、ドイツ経済の好調をけん引した。
とりわけ中国向け輸出のシェアは、メルケル政権下の16年間で2.5倍(約4%→約10%)に拡大。貿易総額(輸出と輸入の合計)はほぼ倍増(約5%→約10%)した【図表2】。
【図表2】ドイツの輸出額に占める各国のシェアの推移。イギリス(橙線)とフランス(青線)の相対的低下に対し、中国(青角線)の増加が目立つ。
出所:Datastream資料より筆者作成
主力製品の高級車については、3台に1台が中国で販売されるところまで膨れ上がり、「媚中外交」と揶揄された。
ショルツ現首相は2022年6月の世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)で、「ドイツはサプライチェーンと輸出市場を急いで分散化する必要がある」「ビジネススクールで最初に学ぶこと、つまり全ての卵を一つのカゴに盛ってはならないという鉄則に反することが多々あった」と発言、メルケル前政権が中国とロシアに賭けすぎたことを暗に批判している。
輸出先と資源調達先という実体経済にとって非常に重要な「卵」を、地政学リスクの高い国・地域という「一つのカゴ」に盛ったところ、カゴが丸ごと台無しになってにっちもさっちもいかない、というわけだ。
エネルギー不安は自ら選んだ道
ドイツは今、主要な資源調達先であるロシアと距離を置いたことで苦境に陥っている。
ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、ドイツでは家庭用・産業用の電気・ガス代が高騰し、2023年以降は価格上限制を導入するに至った(2024年4月まで継続予定)。
下の【図表3】には、同国の産業用など非家庭向け電気料金やガス価格の推移を示した。ウクライナ侵攻前まで含めてパンデミック発生以降を見ると、電気料金は1.3倍、ガス価格は2倍に膨れ上がっている。
【図表3】ドイツにおける非家庭向け電気料金(青線)およびガス価格(橙線)の推移(いずれも税込み)。
出所:Eurostat資料より筆者作成
家庭用の電気代・ガス代も大まかなイメージは同様だ。
ただ、こうしたエネルギー料金の高騰は、パンデミックやウクライナ侵攻に伴う供給制約の強まりだけが原因ではなく、ドイツが「自ら選んだ道」でもあることを忘れてはならない。
4月15日、同国では稼働していた原子力発電所の最後の3基が運転停止し、送電網から切り離された。2011年3月の福島第一原発事故の直後、メルケル前首相が突如打ち出した「脱原発」の方針に従って原発14基を段階的に停止し、10年が過ぎて本人も不在の中、全17基の停止にたどり着いた。
ドイツの電源構成に占める原子力の割合は2000年の30%弱から2022年に6%強まで低下し、同期間に再生可能エネルギーは6%強から46%強まで拡大した。同国の原子力発電の割合は2021年に12%弱だったので、翌22年の1年間でそれを半減させたことになる【図表4】。
【図表4】ドイツの電源構成の変化。原子力(青線)は6%強まで低下、再生可能エネルギー(紫線)は46%強まで拡大。
出所:Macrobond資料より筆者作成
2022年7月に採決された再生エネルギー法の改正を経て、現在は「2030年までに電力消費量の80%を自然エネルギーで供給し、さらに2035年までに国全体の電力を完全に脱炭素化する」という、意欲的すぎると言えなくもない目標の実現に向けて走り続けている。
脱原発を推進する立場から見れば、原発依存度を6%強まで引き下げても経済はしっかり回っている、というのが現状なのかもしれない。
しかし、ロシア・ウクライナ戦争の最中でエネルギー供給に懸念がある中、気候などに大きく左右されるため必ずしも安定供給を期待できない再生可能エネルギーへの依存度を高めたことが、ドイツ経済の「戻って来た病人(the sick man returns)」と指摘される惨状を招いた面があるのは否定できない。
そうした一種の「賭け」とも言える主要電源の切り替えが、一応は大事に至らずに済んだのは、2022~23年の冬が奇跡的な暖冬だったからに他ならない。
では、もし暖冬ではなく例年通りの厳しい欧州の冬が来ていたらどうなっていたのか。計画停電など、実質的にパンデミック下のロックダウン(都市封鎖)と同じような経済効果をもたらす措置が取られていたかもしれない。
それでもドイツは脱原発、最後の3基の運転停止を遂行しただろうか。歴史にイフ(if)はないが、暖冬ではないかもしれない2023〜24年の冬、原発抜きで実体経済は耐えられるのだろうか。エネルギー価格の高止まりから景気後退入りといった流れになった場合、それでも「耐えられた」と評価するのか、議論は必至だ。
いずれにしても、従来よりも高価で不安定なエネルギーに依存するドイツの現状は、ある程度「自ら選んだ道」であることを踏まえないと、何もかも本質から逸れた議論になってしまう。
「高いコストを強いられ、最大の得意先を失った」
中国向けの輸出が鈍化する一方、ロシアから原油や天然ガスを調達できなくなったことで、ドイツ経済のパフォーマンスは著しく悪化している。それは間違いない。
こうした状況を「病人の始まり」と見るべきか、「一過性の体調不良」と見るべきか。
見通せる将来においては、前者の議論が優勢になるだろう。国際通貨基金(IMF)が定期的に発表している「世界経済見通し」では、2023年について、ドイツは主要7カ国(G7)で唯一景気後退入りがメインシナリオとされている。
より長い目で見ても、ドイツ経済の変調は明らかだ。
例えば、実質GDP成長率に関し、パンデミック直前の10年間(2010~2019年)の平均と、今後3年間(2023~25年)の「世界経済見通し」の平均を比較してみると、前者で最も高い成長を実現したのがドイツ、そして後者で最も低成長が予想されているのもドイツだ。「凋落」という表現はあながち間違いでもあるまい【図表5】。
【図表5】ユーロ圏の実質GDP成長率の比較。パンデミック直前の10年平均(薄緑色)と今後3年平均(橙色)を並べた。ドイツの落差は際立っている。
出所:Datastream資料およびIMF「世界経済見通し(2023年4月版)」より筆者作成
ロシアからの資源調達も、中国への輸出も、残念ながら近い将来に元の姿に戻る展開は期待薄と思われる。ドイツとしては、高い資源価格を前提に、中国以外の新たな市場を開拓して自国製品を売り込まなければならない状況が当面続くだろう。
ラフに言えば「高いコストを強いられた上で、最大の得意先を失った」現状の中で、成長率の押し下げは必然の帰結と言える。
もちろん、ドイツも指を加えて推移を見守っているわけではなく、対応策を打ち始めている。
EUはロシア産天然ガスの代替供給源としてアメリカ、カタールに狙いを定めており、ドイツも2022年5月にカタールとのエネルギー協力に関するパートナーシップ協定に合意し、液化天然ガス(LNG)取引を発展させようとしている。
だが、話はそう簡単でもない。天然ガスの脱ロシア化を実現するのは2024年4月まで時間を要するとされており、しかも、そもそもロシアからパイプライン経由で調達していた天然ガスは安価だったから、ロシア以外からのLNG輸入に切り替えてもその問題は残る。
端的に言えば、他の国・地域から「数量」を調達できても、「価格」を正常化することとイコールではない。現在は過渡期とは言え、資源調達環境が「どこまで戻るのか」という点については、不透明感が相当色濃いと言わざるを得ない。
前節で述べたように、こうした経済状況がある程度「自ら選んだ道」である以上、自ら修正するつもりがあるのかどうかも、今後のドイツを展望する上で見逃せない点だ。
最後の原発3基が停止する直前、4月中旬に実施されたドイツの世論調査では、52%が原発停止は「間違っている」と回答し、賛成意見は37%にとどまった(日本経済新聞、4月9日付)。
国民はメルケル政権時代に選んだ道を修正したがっている、と解釈できる。それはおそらく、「病人」ゆえの心境の変化だろう。
ショルツ政権(もしくはその次の政権)がこの国民の反応をどう受け止め、動くのか、まずは「暖冬ではないかもしれない」この冬以降に注目されるポイントと筆者は考えている。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。