スラッシュワーカーが明かす、本業と複業で実現する「諦めない世界」

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働き方改革という言葉が定着し、コロナ禍での働き方の再考を経て、多くの企業が新しい働き方を模索している。その一つが、大企業在籍者の「複業」や、複数の職業や肩書きを持って働く「スラッシュワーカー」だ。

日鉄興和不動産で働く佐藤有希氏も、その一人。フルタイムの会社員としては、分譲マンションの「リビオ」シリーズなどで知られる日鉄興和不動産に勤務し、「LIFE DESIGN」をキーワードに調査・研究や他業種・他企業との共創事業に取り組むリビオライフデザイン総研の研究員だ。

また、自ら創業したLIFE BASEで地方創生事業にも力を注ぐほか、大正大学の非常勤講師としてもアントレプレナーコースのコミュニケーションの講座を受け持ち、多面的なキャリアを築いている。

このような人材がいること、彼らがいかにしてそれを実現するのかを知ることは、これからの働き方を考える上でも大きな刺激となるはず。そのように考え、今回は学生や若手社会人、企業が集い、様々な社会課題を解決していくソーシャル・イノベーションのプラットフォームを作る「moccu」と共に、佐藤氏にインタビューした。

「会社愛は強いタイプ」起業はするが、本業も手放さなかった

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佐藤有希(さとう・ゆき)氏/諦めない暮らしを実現したいという想いを胸に、入社当初より所属する日鉄興和不動産社内でリビオライフデザイン総研室をを立ち上げ「人生を豊かにする暮らし」を追求。顧客調査や、新商品開発などを行っている。その傍ら、LIFE BASEを起業し、地方でのプロジェクトを推進、農泊施設の運営や地方での研修事業を中心に幅広く活動中。

まずは、佐藤有希氏がスラッシュワーカーになる前に遡る。就職活動で日鉄興和不動産に進むことを決めたのは、日本全体を見渡したときに「スポットライトが当たっていない地域」に注目している企業、という点だった。

「不動産業に限らず、東京一極集中という現状に疑問を持っていました。デベロッパーが、新幹線が止まるような主要都市だけに焦点を当てているのも違和感があったんです。私が就職活動をしている真っ只中に、東日本大震災が起きました。そんな中、当社は、すぐに岩手県釜石市の復興事業に取り組みました。加えて、かねてより親会社の日本製鉄が製鉄所を構える各エリアの街づくり事業に向き合っている姿勢を見て、この会社に入れば今後の可能性がある街と向き合えるのではないか、と考えました」(佐藤氏)

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インタビューを行ったLIVIO Life Design! SALON(リビオライフデザイン!サロン)には、釜石市の間伐材を使用したカフェコーナーも設置されている。

入社後は、岩手県の釜石市で復興公営住宅のプロジェクトに4年半携わった。釜石の住民のリアルを徹底的に把握すべく、市役所や病院など、思いつく限りの場所に足を運んでは、当事者からヒアリングを実施。専門家の意見も取り入れ、住宅のコミュニティ施策へと盛り込んだ。業界のセオリーを超え、「そこに住むことの意味や価値」を考え抜いた経験は、佐藤氏を成長させた。

その後、マンションの開発と販売に携わる傍ら、「+ONE LIFE LAB(プラスワンライフラボ)」というプロジェクトの立ち上げを実施。単身世帯の調査研究を、商品開発に活かしてきたが、やがて「単身やファミリーといった括りではなく、もっと一人ひとりに向き合いたいと思い始めた」という佐藤氏は、リビオライフデザイン総研室の新規立ち上げを決意。

「さらに『+ONE LIFE LAB』を拡大し、この箱を活用してファミリーまで研究することも考えましたが、さらに大きなステップに飛躍するべく、リブランディングと合わせて別組織を立ち上げるほうが良いと判断しました。会社の意向も組んで社内に立ち上げた方が、『自分のやりたいこと』を達成するには効率的だろうと」(佐藤氏)

LIFE BASEの創業でも、佐藤氏は会社と交渉をしている。「日本のスポットライトが当たっていない地域」に取り組むには、事業のスケールが大きくなるまで時間を要するだけでなく、不確定な未来が大きい。会社の資本を投入するハードルもある。佐藤氏は「もし、日鉄興和不動産で手掛けないならば、自ら起業してもよいか」と尋ねる姿勢をとった。

そこで日鉄興和不動産での働き方を手放さなかったことが、佐藤氏の現在にもつながっているといえるだろう。

もともと会社愛は強いんですよ。日鉄興和不動産に貢献し続けたい思いがあります。かといって、それを実現するために、自分がやりたいことを我慢する選択肢はない。会社側としても相乗効果があると判断した側面があるから、否決をしなかったのではないかと思います」(佐藤氏)

ビジョンを共有し、社内に仲間をつくる

佐藤氏は起業にあたって、社員の起業例が多くなかったこともあり、要望を単に伝えたわけではない。10年の会社員生活を通じて得た社内事情に加え、上司や先輩社員からの期待をよく理解していたからこそ、「どのタイミングで、誰に相談すればいいか」を緻密に計画したという。

「誰に最初に相談をして、どう広げていけば、私の話をちゃんと聞いてくれるか。そのルートとタイミングはよく選びました。それを間違えると、通るものも通らなくなる。私の場合は役員・人事部を中心に多くの社員の中には応援してくれる味方がおり、こまめに情報交換しながら、クリアにすべき課題にも向き合っていきました」(佐藤氏)

自らの起業を振り返り、「熱量のある社員ともっとこうなったらいい、というビジョンを恥ずかしげもなく共有し、日々会話をし続けることが大事です」と佐藤氏は強調。また、勤続年数も重要ではないと言う。あくまで「自分のやりたいこと」と「会社のビジョン」を合致させ、主体性を発揮できることが大切と考えるからだ。

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佐々木悠翔(ささき・はると)氏/2002年茨城県生まれ。都立日比谷高校卒業、慶應義塾大学総合政策学部在学中。専門は日本の政策過程。自分や周りの人が当事者となる政策に関するロビイング活動を実践。その他、企業や業界団体へのパブリックアフェアーズ支援や官民連携促進も担当。日本若者協議会 理事。若者政策推進議員連盟 事務局。X(旧Twitter)

moccuが運営するSo-Laの会員である佐々木氏も、話を聞きながらうなずく。佐々木氏の周囲にも起業家や社会起業家を目指す若者は多いそうだが、年齢が若いだけで注目されたり、起業してもスキルが足りずにうまくいかなかったりする例も目にしてきた。それならば、企業に属して学ぶことや、すでにあるアセットを活かすことが、より目的に達する可能性を佐藤氏のキャリアに見たのだ。

「大企業を好まない人、そこへ属することに不安を抱く人も実際にはいます。そういった人たちも、佐藤さんのようなロールモデルを知れば、大企業へ進む選択肢もまっすぐ向き合いやすくなるように感じました。釜石市での復興公営住宅プロジェクトや、これまでの仕事から得た経験を活かしているあり方としても、とても参考になるお話です」(佐々木氏)

目の前の企業さえ説得できずに、起業でムーブメントは起こせない

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話題は、学生の関心事でもある「就職活動」にも及んだ。佐藤氏が就活においてまず大切にしたのは、徹底的に自分自身と向き合い、内省する時間を持つことだった。自分の人生を振り返り、折々の出来事に対して「なぜ、この選択をしたのか」を深く考えた。進学を選んだ際の決め手、大学でアメフト部のマネージャーになった理由など、切り口ごとに「なぜ」を5回ほど繰り返す。

「OB訪問や説明会にも出向かず、ひたすら1カ月間、内省の時間に当てました。結果として、地方でスポットライトの当たっていない場所に向き合って、誰かに見つけてもらい、さらに一緒に盛り上げていくような仕事に携わりたい、と行き着きました。あとは、それが社内で実現できるか、実現できるリソースを持つ企業に絞って志望しましたね」(佐藤氏)

佐藤氏は、企業のビジョンを自分なりに紐解き、自らのビジョンとマッチする場所を選ぶことが重要だ、と強調する。その観点は、大学の非常勤講師としても講座を受け持つ佐藤氏が、学生たちへ送るアドバイスにも反映されている。

「起業しても、会社員になっても、フリーランスになっても構わない。ただ、自分の選んだ環境を言い訳にしてしまった瞬間に、やりたいことはできなくなってしまうよ、と伝えています。大企業に『たくさんの社員や役員がいるから無理だ』と壁を感じてしまうのは言い訳になってしまうと思うんです。たった一つの企業さえ納得させられないのに、起業して日本全国にムーブメントを起こすことなんて、本当にできるのでしょうか?」(佐藤氏)

もちろん、佐藤氏も「大企業の壁」は理解している。しかし、恵まれた場所にいるのであれば、言い訳を理由に選択肢を狭めてしまうのは損だ、とも考えている。すべては「やり方次第である」と佐藤氏が語るのも、彼女のキャリアを見れば納得できる。

大企業で「やりたいこと」を叶えるステップとして、佐藤氏が社内で推進している、企業内での「未来会議」を例に挙げた。企業のビジョンと自分のビジョンの重なりに考えをめぐらせながら、いかに「やりたいこと」を実現していけるのかを考える場だ。

「ビジョンが重なっている部分を10倍にしていくことができれば、その人は会社でも成功でき、やりたいことも達成していける。ビジョンが重なっていない部分が多いなら、その会社にいるべきではないとも判断できます。企業として大切なのは、副業のパーセンテージを高めることだけではなく、『ビジョンの重なり』を意識している社員を支える基盤を作ること、そして彼らを理解することなのだと思っています」(佐藤氏)

「ビジョンが重なる若い人たちを見つけ、その思いを伸ばして、実現させていくこと。それは30代半ばに差し掛かった、私たちの仕事だと捉えています」と佐藤氏は声に力を込める。

本業と複業を足がかりに、「諦めない世界を作る」ために成長したい

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佐々木氏は、複業をする際の課題でもある体調管理について尋ねた。佐藤氏は表情を明るくして「むしろ、複業を始めてから風邪を引かなくなりました」と話す。

「ますます体が資本になりますし、自分の替えも効かなくなるので、健康意識が高まりました。特にテレワークが多くなって家に閉じこもりがちになっていたので、なおさらですね。健康であるほどに多くの人と関われるし、多くの仕事ができます。発想を変えて、仕事の時間を多少削ってでも、パーソナルトレーニングや整体に通うようになりました」(佐藤氏)

この発想の転換は佐々木氏にとっても気づきとなったよう。

健康面への影響だけでなく、複業があることによる仕事への相乗効果についても、佐藤氏は言及。本業と複業はプロジェクトとして独立しているが、それぞれから得られる知識や経験が相互に役立っていると語った。さらに、仕事としての発展性も大きい。

「例えば、複業で向き合った地方での社会課題に対して、さらなるソーシャルインパクトや資金が必要だと判断すれば、本業の日鉄興和不動産に話を持ち込んで、新規事業化を目指していく手段もとれます。逆に、日鉄興和不動産で得た調査結果や着眼点が、地方の課題を発見するときに役立つこともある。大企業とスタートアップという2枚のカードを常に持ち、主体的に使い分けていくことができるんです」(佐藤氏)

この「カードの使い分け」は、佐藤氏個人のビジョンにも紐づいてくる。佐藤氏は「佐藤有希」という核となる存在に対して、日鉄興和不動産、LIFE BASE、大学講師といった役割が連なっているイメージを持つ。それは、さながらSNSのプロフィールのようでもある。個人名のアカウントの元にいくつもの役割や肩書きが並ぶ、まさにスラッシュワーカーらしい観点ともいえるだろう。

佐藤氏は「諦めない世界を作りたい」というビジョンを持っていると明かす。男性と女性、都市と地方、大人と子ども、大企業とスタートアップ……あらゆる局面で固定観念のようになってしまっている「諦め」を一つずつ引き出し、新たな選択肢を見出すことで、提示していきたいと明言した。

「社会が変わり続ける以上、私自身もその変化に対応して成長し続けなければなりません。そのための足がかりとして、本業も複業も活用しています。これからも“佐藤有希”という存在がいかに成長できるのかを常に考え、関わる人たちに選択肢を与え続けられるように向き合っていきたいですね」(佐藤氏)


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