「フルで在宅勤務可」の職にありつくことは、いまやハーバード大学に入学するよりも難しくなっている。
Chelsea Jia Feng/Insider
データ関連のスタートアップ企業であるクリブル(Cribl)は8月、人事業務アナリストを募集した。
職務内容はごくごく普通のものだった。給与は5万5000〜7万ドル(約825万〜1000万円、1ドル=150円換算)で、2~4年の経験が必要。福利厚生は健康保険、歯科保健、401(k)などの標準的なものだ。ただしこの求人には、今の雇用市場で切望されているが希少になりつつある特典がついていた。そう、フルで在宅勤務が可能だったのだ。
2月29日に生まれるのと同じ確率
最初の1週間で573人の応募があった。2週目にはさらに634人の応募が殺到した。募集期間が終わるまでに、1700人以上の候補者がこの求人に応募した。クリブルの採用担当者は最終的に3人の候補者と面接し、オハイオ州に住む人物が幸運な当選者となって内定を獲得した。
この人物がどれほど幸運だったかというと、内定率は0.06%。これはハーバード大学に合格する確率の60分の1、野球の試合でファウルボールをキャッチする確率の約2分の1、そして2月29日が誕生日となる確率と同じぐらいだ。
現在の雇用市場において、在宅勤務可の職に就ける確率はあり得ないほど低い。アメリカの失業率はこの50年で最低水準に近づいていることから、朝の通勤をいとわなければ多くの求人があると分かる。しかし、フルタイムの在宅勤務職を希望する場合、状況はまったく異なる。在宅勤務OKの求人を探している人たちに尋ねれば、「非常に過酷な状況だ」という答えが返ってくるだろう。
リンクトイン(LinkedIn)に掲載された8月の求人情報のうち、フルの在宅勤務職はわずか9%で、ピークだった2022年3月の21%から減少している。しかし、同サイトの応募者総数の実に半分近くが、このわずかな数の在宅勤務職に集中した。
ジップリクルーター(ZipRecruiter)でも、典型的な在宅勤務の求人にはオフィス勤務の3倍の応募がある。これは2022年初めの在宅勤務求人に応募が殺到した時の2倍以上だというから、その熱狂ぶりが分かる。
在宅勤務職を専門に就職支援をするキャリアコーチのアシュリー・アンダーソンは次のように話す。
「在宅勤務の求人をめぐって、非常に多くの競争が起きています。それだけ多くの人たちが在宅勤務を望んでいるわけです。みんなパンデミック中に在宅勤務を経験して、それを続けたいと思っているのに、今その権利を取り上げられそうになっているんです」
求人1つに4000人
なぜ在宅勤務職に就くことがこれほど難しくなったのだろう。その背景には3つの要因がある。
1つめは、多くの大企業が在宅勤務職の従業員にオフィス復帰を指示したため、それを嫌がった専門職の人たちが在宅勤務を続けられる職を探し始めたこと。2つめは、現在そのような企業がほぼすべての新規求人をオフィス勤務またはハイブリッド勤務としているため、在宅勤務の求人数が激減していること。そして3つめは、在宅勤務ブームの火付け役となったテック業界に劇的に減速していること。
その結果、少なすぎる在宅勤務職をめぐってあまりにも多くの在宅勤務希望者が殺到しているというわけだ。
募集が減ると、事態はさらに悪化する。在宅勤務職を望むあまり、20%の減給もいとわない人たちが出てきたのだ。また、キャリアが大幅にステップダウンするオファーを受け入れる人もいる。同じ在宅勤務希望者の群れから抜きん出ようと、競うようにして資格取得プログラムに登録する人もいる。
しかし、在宅勤務職を探す期間が長引き、士気が低下する恐れがあることを懸念する多くの人たちは、在宅勤務職を断念せざるを得なくなり、オフィス通勤というお務めを再び受け入れるようになっている。
エンジェル・メディナは4カ月前、ベライゾン(Verizon)のカスタマーサービスでスーパーバイザーとして働く在宅勤務職を解雇された。しかし、まだ諦めていないという。メディナはこれまでに、インディード(Indeed)で40件近い在宅勤務職に応募した。なかには1000人以上、4000人以上の応募があった求人もあったという。
これほど熾烈な競争はかつて経験したことがなかった、とメディナは言う。
「仕事を選べた2~3年前とは状況が違います。目の前にライバルがゴロゴロいて、みんなが同じ求人に応募してくるんです」(メディナ)
中小規模の企業にはチャンス
今も在宅勤務OKとしている数少ない企業は、関心の高さに驚きを隠せない。ソフトウェアメーカーのアトラシアン(Atlassian)では、平均的な求人に対する応募数が前年比で93%も増えた。クリブルでは150%増加した。同じくソフトウェアメーカーであるミューラル(Mural)でも200%以上増加し、在宅勤務職の求人1件あたり平均で約620人の応募があるという。
リモート(Remote)は企業が世界中でリモートワーカーを雇用し給与を支払うのを支援する人事プラットフォーム企業だが、最近あった2種類の応募(データアナリストとバックエンドエンジニア)に対し、それぞれ4000人以上の候補者が集まったという。同社の最高人事責任者、バーバラ・マシューズは次のように話す。
「ものすごい数の応募が来ます。場合によっては、募集を4~5日で締め切らなければいけない時もあります」
応募が殺到すると、小さなスタートアップ企業は大変かもしれないが、同時にこれは大きなチャンスでもある。
グーグル(Google)やアマゾン(Amazon)のような大企業が社員全員にオフィス復帰を命じるなか、リモートやミューラルといった企業は、求人を出す際に、オフィス勤務を望まない多くの人材プールから自由に選ぶことができる。
「当社にしてみれば、競争が減り、人材へのアクセスが増えることになります」と、クリブルの人事担当上級バイスプレジデントであるリサ・ニールセンは言う。
他者に抜きん出ようとあの手この手
在宅勤務職の求人は非常に少ないため、在宅勤務の求人を探している人たちはかつてないほどの努力を強いられている。
求人サイトにアラートを設定し、誰よりも早く応募できるようにしている。サブレディット(Subreddits)やスラック(Slack)などのチャンネル、そしてディスコード(Discord)などのサーバーに登録し、アドバイスや手がかりを交換することもしている。また、リクルーターや採用責任者にリンクトインで直接メッセージを送ってもいる。
なかには、集団の中で目を引こうと、クリエイティビティを発揮する人たちもいる。例えばクリブルでは、応募者がヤギの詩を送ってきたり(ヤギはクリブルのマスコットキャラクターだ)、ヤギと一緒に撮った動画を送ってきたりするという。
では、応募者がしてはいけないこととは何だろうか。それはChatGPTを使うことだ。
「履歴書の一番上の自己紹介文を、AIを使って書いている人がけっこういるんです。履歴書に2時間も目を通していると、同じようなものがたくさんあるなと気づきます。これはダメですね」(マシューズ)
在宅勤務職をめぐる激しい争奪戦は、すぐには収まりそうにない。在宅勤務職を専門とするキャリアコーチのアンダーソンは、大企業が出社義務化の方針を強化するにつれ、今後数カ月で競争はさらに激化するだろうとみている。
メタ(Meta)は9月、週3日の出社義務化を強化し、違反を繰り返す者は解雇すると警告した。コムキャスト(Comcast)も現在、従業員に求める出社日数を週3日から1日増やして週4日としている。
「従業員にオフィス復帰を求める企業が増えています。2024年は、在宅勤務職をめぐる競争はさらに激化するでしょう」(アンダーソン)
在宅勤務の仕事に就くという夢は、そのうち高嶺の花になりそうだ。