日立製作所Deputy CHROの田中憲一氏。
撮影:竹下郁子
日立製作所が2023年4月から、「海外競合他社の株価成長率を上回ったか下回ったか」などで役員の報酬を決める新制度を導入した。加えて、従業員の賞与における中計(中期経営計画)の達成度合いとの連動も強化する。
「Pay -for-Performance(ペイフォーパフォーマンス)」を合言葉にした今回の報酬制度改革は、2008年度に当時、製造業として戦後最大の赤字を出した日立の10年超におよぶ「経営改革の総仕上げ」に見える。
会長の東原敏昭氏は著書『日立の壁』の中で、経営危機に陥った遠因は「大企業病」にあり、「失点の少ない人が出世しやすい官僚的体質」「赤字を出しても他部門が助けてくれるという甘え」などがあったと振り返っている。
こうした組織風土や構造上の課題を今なお抱える日本企業は少なくなく、報酬制度をテコ入れしてアグレッシブに変えることは、処方箋の1つになり得るだろう。
一方で、日本全体で向き合うべき課題も見えてきた。報酬1億円超の役員数で4年連続国内トップを走る日立だが、グローバルに目を向けると、その水準はアメリカやヨーロッパに比べて低い。
Deputy CHROの田中憲一氏、役員の報酬改訂を担当した秘書室長・瀧本晋氏、従業員の賃金制度を担当する人財統括本部人事勤労本部トータルリワード部処遇企画グループ部長代理・扇野竜氏が、新たな報酬体系の狙いを語った。
株式報酬を大幅増、海外競合と株価の伸び競う
出典:日立製作所リリース
株価成長率を比較するのは、日立が海外における競合だと考えている、アメリカのアクセンチュア、フランスのシュナイダーエレクトリック、そしてドイツのシーメンスなどだ。
TSR(株主総利回り)の成長率がこれら10社をどの程度上回っているか否かによって、株式を基準数の最大200%(2倍)まで付与する。成長率が10社のうち下位25%になってしまった場合は、付与は無い。
これまで役員の株式報酬は(1)在任期間と(2)TSR成長率をTOPIX(東証株価指数)比較して付与していたが、このうち在任条件の割合を減らし、国内企業の株価に新たに(3)グローバル競合企業の株価という指標を加えた形だ。
さらに2024年度までの中計のKPIである「ROIC(投下資本利益率)10%以上」「従業員エンゲージメントでの肯定的な回答71%以上」「役員層の女性及び外国人比率15%以上」などを達成した場合にも、追加で株式を付与する。
写真右から瀧本晋氏(秘書室長)、田中憲一氏(Deputy CHRO)、扇野竜氏(人財統括本部人事勤労本部トータルリワード部処遇企画グループ部長代理)。
撮影:竹下郁子
こうした新基準の導入に伴い、株式報酬を含む業績連動報酬の割合自体も大幅に増やした。資本コストや株価を意識した「株主目線」の経営のためにも、株式報酬は重要だ。
たとえばCEOの場合、固定報酬(現金支給):短期インセンティブ(現金支給、いわゆる賞与):中長期インセンティブ(株式付与)の比率が1:1:1だったのを、それぞれ1:1.2:2に変更する。
役職が上になるほど業績連動や株式報酬の比率が高まるそうだが、CEO以外の割合は非公開だ。
「日立が役員に対して、国内他社の株価(TOPIX)と比較して株式を付与する株価連動報酬を導入したのは2019年です。当時の日本では非常に革新的な取り組みだったと思います。
ただ、同じところに止まっているわけにはいきません。改革から成長へとモードチェンジしていく中で、国内だけでなくグローバル競合他社と比べて我々の成長スピードはどうか? を比較するのは、ごく自然な流れです。
加えて、日立の役員報酬はグローバルで見て本当に競合優位性があるのか? 株主から見て、透明性・客観性は十分か?などの観点で報酬委員会で議論され、制度全体を見直しました 」(秘書室長・瀧本晋氏)
日本のCEO報酬、アメリカの約5分の1
日本の役員報酬は、「低い」「業績連動の割合が少ない」「株式報酬が少ない」ことが長年、課題とされてきた。
グローバルにおける日本の役員報酬の現在地を示す調査がある。WTW(ウイリス・タワーズワトソン)が売上高1兆円超企業のCEO報酬の中央値を各国で比較したところ、アメリカが17.6億円、イギリス・ドイツ・フランスが7億円台だったのに対し、日本は2.7億円だった。
株式報酬などの長期インセンティブは、アメリカが報酬全体の7割を占める一方で、イギリス・フランスは4割、ドイツ・日本は3割超。業績と連動しない基本報酬(固定報酬)の割合は日本が最も多かった。
そんな日本にあって前述のとおり日立は、報酬1億円超の役員数で4年連続国内トップを走る。2023年3月期は20人を輩出した。
今回の報酬改訂に向けては、社外取締役が過半数を占める報酬委員会で、2022年6月頃から議論を重ねてきたという(なお社外取の報酬は固定報酬である基本報酬のみで、今回の改革は対象外だ)。
社外取で報酬委員長を務めた山本高稔氏は、
「2016年から現在まで、日立のCEOの報酬はCAGR(年平均成長率)15%で増加している。この報酬が会社の成長や市場に見合ったものなのか常に意識していく必要がある」
とし、同期間、TOPIX成長がCAGR6%だったのに対し、日立の株価は16%、時価総額では17%で大きく成長を続けてきたと振り返っている(日立 統合報告書2023より)。
アメリカは「身の丈に合わない」
報酬委員会ではじめに議論したのが、成長に対して現在の役員報酬の水準は適切か? という点だ。
日立と業種、時価総額が近いアメリカやヨーロッパ企業のCEO報酬を比較したところ、日立はアメリカよりはるかに、そしてヨーロッパよりもいくらか劣っていたという。
ちなみに日立がこれから株価成長率を競うことになるアメリカ・アクセンチュアCEOの報酬は、3370万ドルだ。
「では役員の貢献に報い、かつ、グローバルでも競争力のある報酬水準にするために、どのマーケットを意識していくのか? という話ですが、一気にアメリカのような水準まで上げるのは身の丈に合わないだろうと。アメリカの報酬水準はベンチマークはするが、日本とヨーロッパを中心に見ていこうということで落ち着きました」(瀧本氏)
Deputy CHROの田中憲一氏は、「グローバル=アメリカということでは決してない」と言う。
「日立はアメリカでもヨーロッパでも、もちろんアジアでもビジネスを展開しています(※地域別売上はアメリカよりヨーロッパのほうが多い)。この全体像の中で、どう考えるか。
世界で活躍する日本企業も役員報酬を上げてきていますし、今後もさらにこの傾向は強まるでしょう。その中での競合優位性を意識するのが、我々にとってのグローバル水準ということなのだと思います。
現状でも日立の執行役の報酬水準は外国人のほうが日本人より高くなっていますが、優秀な人材を獲得するため、その方々の、つまり海外の労働市場のマーケットに合わせた結果です」(Deputy CHRO・田中憲一氏)
ペイフォーパフォーマンスの一方で、企業の社会的責任も考慮
Deputy CHROの田中氏も、固定報酬が減り、業績連動報酬が大きくなった当事者だ。
業績連動の短期インセンティブ(賞与)では、「ジョブ型人財マネジメントへの転換推進」などがKPIになっているという。
今回の役員報酬改訂について投資家らの反応は上々だというが、田中氏自身の気持ちに変化はあったのだろうか。
「私のポジションが直接的に会社の業績、たとえば報酬を左右する中計KPIの調整後EBITAを高めることはないですが、従業員エンゲージメントを向上させることによって、そこに貢献していけるようにしようと、より強く意識するようになりました」(Deputy CHRO・田中氏)
報酬改革は従業員に対しても重要だ。日立では従来から従業員の報酬(賞与など)を所属部署の業績と連動させてきたが、今回の改訂によって、さらに従業員の賞与と中計の達成度合いとの連動を強化した。
結果が出ない場合は、基本給が下がることもあるという。
「2000年代前半から、定期昇給でも評価によっては昇給しない、下がるケースもあるという制度を、労組と合意した上で取り入れています。これも当時は先進的でした。
管理職は職務等級制なのですが、そもそも等級に相応しくないということで小さい職務にアサインされれば、等級も変わってそれに応じた報酬になります」(人財統括本部人事勤労本部トータルリワード部処遇企画グループ部長代理・扇野竜氏)
気になるのが、労組を通じた春季交渉などのベースアップについてだ。一斉賃上げは同社が掲げる「ペイフォーパフォーマンス」とは対極にあるようにも思える。
「賃上げが必要な背景を考えることが重要です。昨今であればインフレが一因ですが、物価上昇と賃上げによる経済の好循環に対応するのは、雇用主である企業の責任でしょう。
KPIを達成したかどうかはペイフォーパフォーマンスで評価しますが、報酬は複数の要素、社会的責任なども考慮して決めています」(扇野氏)
ジョブ型×福利厚生×株式報酬、どう設計する?
日立の株式報酬は役員レベル(執行役及び理事)に限られており、管理職や一般従業員にはない。海外では一般従業員への付与も進んでおり、遅れを取る日本でもじわりと広がっている。株主目線の経営意識を従業員にも持ってもらうには株式報酬は有効な手段だが、それをしないのはなぜなのだろうか。
「現在、検討中です。ただ執行役に課しているゼロから200%まで幅のある報酬設計が、一般の従業員に相応しいのかという議論はあるだろうと思います。
従業員には役員にはない各種の福利厚生、退職金、企業年金などがあり、それらをジョブ型の人財マネジメントに変えていく中でどうしていくのかを、労組と協議し始めたところです。
こうした福利厚生の変更も含めて、総合的に判断していきます」(Deputy CHRO・田中氏)
日立の報酬改革はこれで終わりではない。
「これでグローバルで競争力がある報酬になったとは思っていません。毎年見直していきます。
ただし『見直す=上げる』というわけではありません。足元の業績を上げて、企業価値を上げる。それをベースに報酬水準は考えるべきで、『マーケットが上がっているから報酬も引き上げる』ということではないという点を当然のものとし、成果にきちんと報酬が連動する制度を議論していきます」(瀧本氏)