ダイバーシティと教育の機会平等に逆風。米大学のアファーマティブ・アクション廃止で今起きていること


アファーマティブ・アクション

アファーマティブ・アクションを違憲とする判断を下した米最高裁に対し、抗議の声を上げる人たち(2023年6月30日撮影)。

Allison Bailey via Reuters Connect

アメリカの最高裁は2023年6月、大学入学選抜時に人種や民族を考慮する「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」を違憲とする決定を下した。

4カ月近くが経った今、最高裁の違憲判断はアメリカ社会にどのような変化をもたらしつつあるのだろうか。アメリカ社会におけるアファーマティブ・アクション廃止の「その後」の動きを追ってみたい。

「偉大な社会」の象徴的政策

アメリカの大学では、秋から新年度がスタートした。この秋の新入生のほとんどは、6月の最高裁の決定の前に入学が許可されている。つまり、アファーマティブ・アクション対象の最後の学年となる。

アファーマティブ・アクションは、社会的に不利な立場にある人々(主に人種マイノリティや女性など)に対し、公正な機会を提供するための政策だ。1961年にケネディ大統領によって発令された大統領令がその始まりであり、1964年の公民権法で法制化された。

より平等な社会を築くためには、雇用の平等を進めなければならない。その基盤となるのが教育であり、マイノリティに対する優遇措置を通じて、教育の機会を増やすことが狙いだった。

ポイントは、「大学入学における機会均等」を目的としている点だ。憲法修正第14条の「法の下の平等」を根拠に、社会的な平等を強調した政策であり、ジョンソン大統領の一大政策スローガンである「偉大な社会(The Great Society)」政策の象徴的存在となった。この政策は、貧困・疾病などの撲滅と社会保障の充実、人種差別撤廃、教育の充実、環境保護を目指していくという先進的なものだった。

ジョンソン大統領

ケネディ大統領が暗殺された2時間後、大統領専用機内で就任の宣誓をするジョンソン大統領。任期中は公民権法(1964年)や投票権法(1965年)を成立させ、「偉大な社会」政策の実現を目指した。

REUTERS

およそ60年前にスタートしたアファーマティブ・アクションは、それ以来、アメリカ社会において確立され、今日まで続いてきた。多様性を追求するアメリカの大学の方向性とも一致したことから、入学者選抜でも、マイノリティの志願者に対し、優先的に合格を許可する措置がとられてきた。

アメリカの大学や大学院の入学選抜は、基本的には書類選考(一部で面接)であり、実際には、SATなどの共通テストのスコアだけでなく、エッセイや過去の経験などが評価対象となっている。「マイノリティであること」は、さまざまな評価対象の一つでしかなかった。アファーマティブ・アクションでやれることは、「選考で迷ったときに、できればマイノリティを合格させたい」という扱い程度の大学も少なくなかった。

それでも、アファーマティブ・アクションについては、「公正さ」を追求する一方で、多数派(つまり白人)にしてみれば「逆差別」と考えられることから、導入間もない頃から司法での争いが続いてきた。

すでに1973年のバッキー判決で「マイノリティ枠」の設定が、2003年のグラッターとグラッツの両判決で共通テストへの過度な加点がそれぞれ違憲と判断されたが、いずれの判決でも、アファーマティブ・アクションのそのものの合憲性は確認されていた。

ただし人種や社会的不平等の問題は複雑であるだけに、アファーマティブ・アクションが「公正さ」を追求すればするほど、何をもって「公正な選抜」と言えるのかという議論は尽きなかった

「平等と多様性」に逆行する最高裁判決

しかし、2023年6月の最高裁の判決により、アメリカの各大学は入学選抜のプロセスを再検討せざるを得なくなった。

この訴訟の対象となったのは、ハーバード大学とノースカロライナ大学だ。訴えを起こしたのは「学生のための公正な大学入学(SFFA:Students for Fair Admissions)」という団体だ。この団体は、学生も含まれてはいるが、実際には保守派のエドワード・ブラム(Edward Blum)がその中心にいる。ブラムは学生ではなく、現在72歳の保守運動の活動家だ。

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