イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日のお便りは、Z世代の部下を持つ管理職の方からのご相談です。
佐藤さんこんにちは。私はメーカーで新規事業に関するマネージャー職をしているのですが、特にここ5年くらいで新卒入社してくる若手と仕事をすることがけっこうなストレスになっています。
具体的には、自分の仕事で社会課題を解決できるのかという視点が強すぎて、「この仕事は正しくないと思うからやりたくない」と言って憚らない人さえいるのです。考え方が人格に結びついていることも多く、余りいろいろ言ってもパワハラになってしまうし、プロジェクトから外すのはやめてほしいと人事から言われています。
私は、正しさ以前に、お客様がお金を払ってくださるなら、それは意味がある仕事だと思っています。ただ、彼ら彼女らにとってはそうではないようです。
私が入社した当時、インターネットが普及しているのに、未だにアナログなおじさんたちには辟易しましたが、氷河期でやっと就職できた会社。まずは仕事のやり方を覚え、見返してやろうと思ったものでした。こういう考え方自体がもう「日本の大企業おじさん」なのかもしれませんが…。
(ピースさん、40代前半、男性)
正しいことは100%会社だけで実現しなくてもいい
シマオ:ピースさん、お便りありがとうございます。僕もどちらかといえばピースさんの部下に近い年代なので、少し耳が痛いです……。正しいことをしたいという若手社員の気持ちも分かりますし、ピースさんのおっしゃることも分かります。どうすれば上手く折り合いをつけられるでしょうか?
佐藤さん:ピースさんの相談では、「正しいこと」と「会社の仕事」が必ずしも一致しないということが問題になっていますが、この点に関して、私はピースさんの認識は間違っていないと思います。むしろ、「会社の仕事」は「正しさ」と一致しないことのほうが多いでしょう。
シマオ:それはそうかもしれませんが、世の中のためになるような仕事をしたいという気持ち、何とか汲み取れないものでしょうか。
佐藤さん:ピースさんも、頭ごなしに否定して「パワハラ」扱いされることを懸念されていますね。問題は、その若者が自分の価値観を、100%会社の仕事だけで実現しようとしていることから来ているのではないでしょうか。
シマオ:え、それではいけないんですか?
佐藤さん:もちろん、それができるに越したことはありませんが、仕事は仕事としてこなしながら、余暇などを利用して自己実現を図ることもできます。
シマオ:なるほど。最近は副業を解禁する会社も増えてきましたから、社外で自己実現をする機会も得やすくなりましたね。
佐藤さん:かつてはボランティア活動くらいしかできませんでしたが、副業なら他社と仕事をすることもできるようになります。報酬を得ることだってできるし、社会から本当に求められる仕事であれば、いずれそちらが本業になる可能性もあります。
シマオ:ただ、課外活動でやってくれ、というのは若者にとっては「逃げ」のように感じてしまうかも……。
佐藤さん:そこは誠実な答え方をすべきだと思います。例えば、「私もあなたも雇われの身だから意に沿わないこともあるけれど、あなたのやりたいことには価値があるから、会社の仕事と折り合いをつけて実現していってほしい。社外の活動にも時間を取れるよう、協力して効率的に仕事を処理していこう」というように伝えれば、部下も納得しやすいのではないでしょうか。
シマオ:それならたしかに……。苦しい時代を乗り越えてきた、ピースさんの世代ならではの説得力が出そうです。
上司は「いい人」ではいられない
佐藤さん:ただ、一つだけピースさんに覚えておいていただきたいのは、上司というのは「いい人」では上手くいかないということです。
シマオ:どういうことでしょうか?
佐藤さん:例えば、ある上司Aさんは、部署のみんなの意見を平等に聞いて、順番に採用していくので和気あいあいとして雰囲気はいい。業績はいまいちだけど、みんなの満足度は高い。一方の上司Bさんは、組織の決定に従って、部下の意思など関係なく仕事を指示する。多くの人は不平を言うけど、言った通りにやると成果が上がる。シマオ君は、AさんとBさん、どちらの下につきたいですか?
シマオ:うーん、短期的にはAさんですが、長期的に見ればBさんですかね……。やっぱり成果が上がらない部署は続かないでしょうから。
佐藤さん:そういうことです。最近は、フラットな組織というのがもてはやされていますが、誰もが意見を言えるということはあっても、最終的には組織の代表が意思決定をし、それに部下が従うというフローには変わりはありません。
シマオ:結局、そうなんですね……。
佐藤さん:会社という組織の中で、中間管理職の役割は、組織の意思を実行するために部下を動かすことです。つまり、管理職というのは誰しも権力者なのです。シマオ君は権力の本質は何だと思いますか?
シマオ:えっと……人を従わせること、でしょうか。
佐藤さん:その通り。権力の本質とは「暴力」なのです。すなわち、他人に対して自分の意思を強要するということ。その背後には暴力があります。
シマオ:でも暴力だなんて……やだなぁ。
佐藤さん:もちろん現代では、身体的・精神的に相手にダメージを与えるような暴力は許されません。それこそパワハラになってしまいます。ただ、命令に従わせるというのは、本質的に暴力を含むものなのです。ですから、中間管理職は必然的に「いい人」ではいられないということです。
シマオ:でも、性格的に人に無理を言うことができない場合はどうしたらいいでしょう?
佐藤さん:残念ながら、そういう人は管理職としての資質を欠いているとも言えます。管理職手当というのは、嫌われることへの対価だと言っても過言ではありませんから。
シマオ:つまり、いい人は出世できないということでしょうか……?
佐藤さん:いい人、そうでない人は関係ありません。マネージャーとして成果を出す人が出世するだけです。もっとも、管理職を目指さずに、ある分野でのスペシャリストを目指す道だってあります。
伝えるべきは「現実」と「ビジョン」
イラスト:iziz
シマオ:ただ、ピースさんも書いていらっしゃるように、最近は会社側から、パワハラになるのであまり強く指導しないように、なんて言われることも多いようですね。「モンスター部下」なんて言葉もあって、対処に困っている中間管理職も多いようです。
佐藤さん:厳しいことを言うようですが、そういう会社はいずれ業績が悪化します。会社の目的は営利を追求することですが、その追求が現場で機能しなくなる恐れがありますから。対策としての一つの方法は、徹底して現実を伝えることでしょう。
シマオ:現実、と言いますと……?
佐藤さん:自分たちの給料がどこから出ているのか、ということです。会社がどのような事業でどれだけの利益を上げていて、自分たちがそこにどれだけ貢献できているのか、数値で示すのです。
シマオ:なるほど、数字から現実を伝えるということですね。
佐藤さん:対を成すように、ビジョンを共有しておくことも重要です。若手が「正しいこと」を欲するのは、会社のビジョンをよく理解できていないからかもしれません。日々の仕事が必ずしも分かりやすく「正しさ」に直結しなくても、会社全体としては社会に貢献しているかもしれない。その理解にはビジョンの共有が必要です。
シマオ:確かに、全体像が見えると、自分の仕事の意味が見えることはありますね。ちなみに、ビジョンの共有はどうすればいいのでしょう?
佐藤さん:古臭いと言われてしまうかもしれませんが、「朝礼」は有効な一手法だと思います。パナソニックでは、松下電器時代から朝礼を続けていますし、IT企業のGMOなどでも朝礼が効果を上げていると聞いたことがあります。
シマオ:令和の時代に朝礼なんて……とも一瞬思いましたが、管理職のビジョンを聞けるなら有効かも……。最後に、ピースさんのような悩める中間管理職の人たちが見るべき作品などありますでしょうか?
佐藤さん:上司である以上、嫌われることは避けて通れません。ただ、その先で組織を成功に導く管理職の物語を見てはいかがでしょうか。日本初の超高層ビル、霞が関ビルディングの建設を描いた映画『超高層のあけぼの』や、青函トンネルの難工事を描いた映画『海峡』などがおすすめです。
シマオ:「プロジェクトX」的な作品ですね!
佐藤さん:逆に、反面教師として見ておくべきなのが『真空地帯』です。これは野間宏の小説を映画化したものです。ここで描かれるのは、「内務班」と呼ばれる軍隊における生活単位で起きる出来事です。沈滞しきった組織の中で行われるのは、今でいえばハラスメントでしかない無意味な指導行為。目的を失った組織はそのようになるという失敗例として、今も役に立つでしょう。
シマオ:管理職という視点から見ると、戦争映画もまた違った理解ができそうですね。ありがとうございます。ピースさんも、ぜひ参考にしていただければと思います!
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!
※この記事は2021年7月14日初出です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。