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8月31日、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあった株式会社そごう・西武(以下、そごう西武)の株式が、ソフトバンクグループ傘下のフォートレスに売却されました。
報道によれば、その金額は8500万円。いまや都内では1億円のタワーマンションも珍しくありませんから、老舗デパートが8500万円と聞くと、ずいぶん安い金額だなと感じます。そごう・西武の株式は、なぜこれほど安い金額でフォートレスに売却されてしまったのでしょうか。
そこで今回は、セブン&アイからフォートレスに売却されたそごう・西武について、会計とファイナンスの観点から分析をしていきます。
そごう・西武は赤字が続いている
まずはそごう・西武の過去4期分の業績について確認しておきましょう。図表1はそごう・西武のP/L(損益計算書)から、営業利益および当期純損益の推移を示したものです。
(出所)そごう・西武 決算公告より筆者作成。
そごう・西武は過去4年間の平均で100億円以上の当期純損失を計上しています。営業利益については、直近の決算では黒字化して25億円の利益が出ていますが、依然として業績が厳しいことに変わりはありません。
次にそごう・西武のB/S(貸借対照表)を見ていきましょう。図表2は、同社のB/Sを図式化したものです。
(出所)そごう・西武 決算公告より筆者作成。
2023年2月28日時点におけるそごう・西武の総資産は4029億円。内訳としては、資産全体の14%を流動資産(565億円)が、86%を固定資産(3464億円)が占めています。一方、負債・純資産側を見ると、流動負債と固定負債を合わせると負債が全体の93%を占め、純資産はわずか7%(267億円)です。
純資産は株主に帰属する価値であり、会計上の簿価は267億円。今回のケースでは、この純資産が、フォートレスに8500万円という金額で売却されたということになります。いったいなぜ、こんなことになってしまうのでしょうか?
ファイナンス的視点に“通訳”すると見えてくる低評価の理由
ここまで見てきたP/LとB/Sはあくまで会計的な視点です。この会計的視点をファイナンス的に“通訳”することで、今回の買収額の秘密が見えてきます。
そもそも「会計における総資産」と「ファイナンスにおける企業価値」、そして「会計における純資産」と「ファイナンスにおける株主価値」はイコールではありません(図表3)。
ファイナンス的視点は、会計上のB/Sをすべて時価で表現したもの。
筆者作成
「企業価値」とは、ざっくりいうと、企業が将来生み出すと予想されるキャッシュフローの割引現在価値の合計額(事業価値)に、非事業性資産の時価(非事業価値)合計したものになります。イメージとしては、P/Lから将来生み出すキャッシュフローを予想し、現在価値に直して合計した上で、企業のB/Sの非事業性資産を時価で表現し、それを足し合わせたもの。それが企業価値です。
資産と同様、負債も時価で表現することができます。これが「負債価値」です。そして、企業価値から負債価値を引いたものが「株主価値」です。
この株主価値は、上場企業における時価総額、未上場のスタートアップ企業ならばバリュエーション(Valuation)を意味します。
さて、話をそごう・西武に戻しましょう。
今回のそごう・西武のケースで考えると、会計上のB/Sにおける総資産は4029億円、負債は3761億円で、そのうち有利子負債が2938億円、そして純資産が267億です。
一方で、9月1日付けの日本経済新聞は次のように報道しています。
「そごう・西武の企業価値を約2200億円と算出したが、そごう・西武の有利子負債などを考慮して株式の売却額である譲渡額を8500万円と見込んだ。
セブンが貸付金を放棄した後のそごう・西武単体の有利子負債は約2000億円。セブンはそごう・西武の企業価値2200億円から同社の有利子負債を差し引き、運転資本にかかる調整などを経た株式譲渡価額を8500万円と見込む」
つまり、企業価値は2200億円、有利子負債は約2000億円となり、運転資本にかかる調整を踏まえて株主価値を計算すると8500万円ということです。これを図で表すと次のようになります。
筆者作成
そごう・西武の株式の持分が8500万円で売られたとなると、非常に安く感じるかもしれません。しかし正確には、企業全体としての価値は2200億円と見込まれており、そこから負債価値2000億円と運転資本の調整が入った結果、株主価値が8500万円と算出された、ということなのです。
ただし、会計上のB/S上では4029億円の資産があるのに、企業価値はその半額近くになってしまっているということは、そごう・西武の価値がそれだけ低く見積もられているということでもあります。その理由を端的に言えば、同社が将来生み出すキャッシュフローはそれほど多くないだろうと見なされているからです。
フォートレスによる買収の仕組み
さて、株主価値(時価総額)8500万円とはいえ、そごう・西武には借入があります。そのまま株式だけを8500万円で購入したとしても、既存の債権者とのやりとりが大変になってしまいます。
そこでフォートレスは、そごう・西武の買収に際して約2300億円をメガバンクから借り入れています。この借入には、株式価値8500万円も含まれていると予想されます。
つまりフォートレスは、そごう・西武の株式の時価8500万円を手に入れるにあたり、メガバンクからのフルローンで対応したということです。こうすることで、フォートレスは既存の借入をすべてメガバンクのローンに置き換えるとともに、そごう・西武の株式も手に入れることができました。
また、セブン&アイはそごう・西武に対して有していた約900億円の債権を放棄しました。この有利子負債がそのままだと、株主価値はマイナスになってしまいます。だからセブン&アイは債権を放棄する必要があったのです。
なお上述のように、そごう・西武の企業価値2200億円に対して、フォートレスがメガバンクから借り入れたのは約2300億円と、企業価値以上の借入をしています。これはなぜでしょうか?
日本経済新聞の報道によれば、その理由は、銀行から借り入れた2300億円のうち約200億円を、セブン・フィナンシャルサービスが51%を出資するセブンCSカードサービスの株式買い取り資金に当てるためです。
セブンCSカードサービスは、西武系のクレジットカード業務を担っている企業です。おそらくフォートレスは、そごう・西武を買収するにあたり、セブンCSカードサービスの持分もセットで購入したのでしょう。セブン&アイとしても、西武系のカード会社を保有し続けていても事業展開の見通しが立たないという事情があったものと推察します。
西武池袋本店の資産価値は2500億円以上?
話はこれで終わりません。フォートレスは9月1日、そごう・西武が保有する西武池袋本店等を2500〜2700億円でヨドバシカメラに売却すると発表しました。
そごう・西武の企業価値は2200億円と見積もられており、その中には当然、西武池袋店の資産も含まれています。この資産価値が2500億円以上あるなら、そごう・西武の企業価値は2500億円以上になってしかるべきです。
にもかかわらず、そごう・西武の企業価値は2200億円と算定され、フォートレスは8500万円という株主価値でそごう・西武を買収した——。今回のディールはいろいろと謎が多く、ここからは推察の域を出ませんが、それぞれのステークホルダーの観点から状況を把握していきましょう。
まずは売り手であるセブン&アイホールディングスの立場です。そごう・西武は当期純利益ベースでは4期連続の赤字です。さらにそごう・西武への貸付も、2023年7月末時点で1659億円もあります。有限なリソースを成長分野に投資したいのはどの企業にとっても当然のこと。セブン&アイが、注力すべき投資分野からそごう・西武を外して譲渡を決めたのは、致し方ない判断だったと言えるでしょう。
ただ、セブン&アイがそごう・西武を譲渡するとなれば、それは労働組合や西武池袋本店がある豊島区の地域コミュニティを巻き込む事態にもなるため、慎重に対応をする必要がありました。
そごう・西武の旗艦店である西武池袋本店前では2023年8月31日、同社の労働組合員がストライキを決行した。
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仮に西武池袋本店等の価値が2500億円以上あったとしても、セブン&アイがその金額のままでヨドバシに売るのは、レピュテーション(評判)の観点から難しかったと考えられます。西武池袋本店を2500億円で売却できていたら、セブン&アイのもとには債権放棄をした貸付金900億円の一部は返ってきたはずです。でも、そうしなかった(できなかった)ということは、地域住民の反対などステークホルダーを含めた対応の難しさがあったのだろうと推察できます。
フォートレスにとっては得か、損か?
私はリーマンショック前の2008年前後から5年間ほど、不良債権投資業務に携わっていました。不良債権投資とは、メガバンク等の金融機関がローンの債権を外資系ファンドに売却し、外資系ファンドはローンの担保である不動産等を売却して資金を回収するというビジネスです。
例えば、銀行が企業に対して10億円のローンを出したとします。当初は不動産価値が10億円あったものの、バブル崩壊により価値が5億円まで下がったとしましょう。銀行としては、そのまま担保を処分すれば5億円を回収できます。ですが実際には、レピュテーションやこれまでの関係もあり、これを実行するのは極めて困難です。
そこで銀行は10億円の債権を、外資系ファンドに対して例えば4億円で売ります。こうすれば、銀行は5億円を回収することはできなくなるものの、すぐに4億円を回収できます。その後、4億円でローンを購入した外資系ファンドは、債務者と時間をかけて交渉し、担保を売却して、5億円を回収します。外資系ファンドからすれば、4億円でローンを仕入れ、担保物件の売却を通じて5億円を回収し、1億円の儲けを出す、という仕組みです。
フォートレスには、このような不動産関連の不良債権投資で数多くの実績があります。今回、フォートレスはヨドバシカメラと組んで、そごう・西武の企業価値を2200億円とし、西武池袋本店等をヨドバシに2500億〜2700億円で売却するという絵を描いたものと予想されます。
ヨドバシから受け取る2500〜2700億円のうち、2300億円は借入を行ったメガバンクに返済することになります。
メガバンクとしては、西武池袋本店がヨドバシカメラに2500億円以上で売却されることはあらかじめ認識していたはずなので、これはブリッジローン(つなぎ融資)というリスクのない取引といえます。そもそもの融資元本が大きいので、期間が短くても絶対額にすればそれなりの金利収入になります。
借入を返済したことで、フォートレスが買収したそごう・西武は、なんと無借金経営になります。
ただ、繰り返しになりますが、そごう・西武が直接ヨドバシカメラに池袋本店等を2500億〜2700億円で売ることは、地域との関係性やレピュテーションの観点からやはり現実的ではありません。そこへフォートレスが間に入ることで物事がうまく進むようになったという点は、強調してもし過ぎることはありません。
仮に西武池袋店等が2700億円で売れたとして、メガバンクからの借入2300億円を返済したら、フォートレスはこれだけで400億円もの儲けになります。まさに濡れ手に粟です。
ですが、それほど簡単な話でもありません。報道によるとフォートレスは今後、西武池袋本店などの店舗改装を中心に600億円を投じる予定だそうです。この資金はもちろん、フォートレスが手当てをすることになります。
となると、西武池袋本店等を売却してローンを返済した後で残った金額400億円だけでは600億円を賄いきれず、追加で持ち出しが必要になります。この持ち出しを融資で手当てするのか、フォートレスが自ら出資するのかは不明ですが、いずれにせよ、フォートレスは少なくとも200億円の資金を手当てする必要があります。
その後、西武百貨店の売上が持ち直せばいいですが、引き続き業績が上向かない場合は、そのリスクをフォートレスが負うことになります。よくある話ですが、場合によっては追加での資金拠出も必要かもしれません。
ただでさえ4期連続赤字の西武ですから、600億円の追加投資としたとしても、経営再建はそれほど簡単ではないでしょう。
今後ヨドバシカメラとフォートレスがどのようにして西武百貨店を建て直していくのか、要注目です。
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社フェロー。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。跡見学園女子大学兼任講師。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。著書に『決算書ナゾトキトレーニング』『一歩先の企業・株価分析ができる マンガでわかる 決算書ナゾトキトレーニング』(ともにPHP研究所)がある。