ジェリクルの増井公祐CEOとジェリクルが開発する「ゲル」。
撮影:小林優多郎/ジェリクル
「大谷翔平選手のように体も強く、加わる力も大きい人の『腱』は力に耐えきれずに切れてしまう。まだ仮説ですが、私たちの『ゲル』を使えば、身体にも安全で二度と切れない人工腱ができるんじゃないかと考えています」
こう話すのは、東大発「ゲル」ベンチャー「ジェリクル」の増井公祐CEOだ。
ジェリクルは自社で開発した最先端のゲル「テトラゲル」を再生医療をはじめとしたさまざまな分野へ社会実装しようとしているディープテック企業。しかも、創業から5年の間VCから資金調達をせずに、現在すでに黒字経営を実現している、技術開発型スタートアップとしては異色の存在だ。
ジェリクルが開発するゲルは何がすごいのか。そして、創業間もない研究開発型スタートアップ企業で黒字経営を続けるビジネス戦略を聞いた。
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タピオカにコンタクトレンズも…幅広い「ゲル」
コンタクトレンズにもゲルが使われている。
Africa Studio/Shutterstock.com
ゲルといえば、ぷにぷにした感触のスライムのようなものを想像する人が多いかもしれない。ただ、増井さんは
「広義的にはタピオカやコンタクトレンズ、人間の皮膚や臓器まで(ゲルに)当てはまります」
と、ゲルといってもその姿形はさまざまだと話す。
増井さんによると「ゲル」は、基本的に「固体」で、「三次元の網目状になった高分子の構造の隙間に水などの溶媒が吸収されたもの」。水が含まれているものの放っておいても溶けることはなく、固体として安定した構造を持っている。
例えば前述した「人間の皮膚」は、コラーゲンのような高分子でできた繊維状の構造の隙間に水が吸収されているため、まさにゲルの定義に当てはまるというわけだ。
このようにゲルは身近に溢れた存在ではあるものの、その性質は素材によってさまざまだ。
ジェリクルの「テトラゲル」。東京大学の酒井教授(ジェリクルにも携わる)が研究していたゲルだ。
画像:ジェリクル
ジェリクルでは、「テトラゲル」と呼ばれる東京大学大学院工学系研究科の酒井崇匡教授が発見した新しいゲルに着目し、医療などへの応用を進めている。
テトラゲルは細かい物性の制御が可能な点が大きな特徴だ。例えば、ぷにぷにとした非常に柔らかいゲルを作ることができるのはもちろん、
「筋肉の強さが20Pa(パスカル)程度であるのに対して、テトラゲルは100MPa(約1000気圧)と、1万倍も強くできます。
ゴムより硬く、プラスチックより柔らかいイメージで、今までのゲルでは実現できなかった素材です」(増井さん)
という。
作りたい素材の性質を制御できるメリットは非常に大きい。
ゴムのように伸び切ることなく、強靭性も兼ね備えていることから、テトラゲルは人工腱・靭帯としての応用も将来的に可能だと増井さんは自信を見せる。これが実現すれば、多くのアスリートの選手生命を伸ばすことにつながるかもしれない。
ジェリクルのゲルを使って作った人工腱のサンプル。
画像:ジェリクル
例えば、プロ野球選手の大谷翔平選手をはじめ、野球の投手に多い靭帯や腱の損傷を治療する手法として、「トミー・ジョン手術」という別の部位から靭帯や腱を移植する手術が知られている。ただ、この手術を受けても治癒せずにパフォーマンスを発揮できなくなり、第一線から退いていくアスリートも多い。
「仮説になりますが、ジェリクルの人工腱・靭帯は人間の腱の3、4倍の強いものをつくることができています。生体にも安全ですので、それを代わりに移植すれば二度と切れない(人工)腱として使えるかもしれません」(増井さん)
メジャリーグのロサンゼルス・エンゼルスに所属している大谷翔平選手。2023年シーズン途中で右肘の靭帯を痛め手術している。(撮影:2023年8月23日)
Orlando Ramirez-USA TODAY Sports
また、テトラゲルで制御できる性質は強靭さだけではない。ゲル化するまでの時間を制御することで止血剤として活用したり、逆にゲル化してから溶けてばらばらになるまでの時間を制御することで一定時間経過したら体外へ排出されるようなゲルを設計することも可能だという。
ほかにも、神経が欠損している部分にゲルを打ち込むことで、神経の再生を促すような素材としての活用の可能性もあると、増井さんはテトラゲルの活用の幅広さを語る。
50年停滞したゲルの歴史を再び動かせた理由
撮影:小林優多郎
ではなぜ、ジェリクルのテトラゲルはこれほど幅広い用途に活用できるのか。
「ゲルには100年ぐらいの歴史がある」と増井さんが語るように、素材としてのゲル自体はそこまで真新しいものではない。ゲルは以前からその生体親和性の高さを売りに、医療への応用などが期待されていた素材だったはずだ。
ただ、増井さんによると「ゲルの科学はこの50年間、あまり進んでこなかった」という。
その背景にあったのが「ゲルの物理法則が解明されていない」という現実だった。
前述したように「ゲルは三次元の網目構造の隙間に水などが含まれている素材」といっても、実はこれまで発見されたゲルでは、その性質を細かく制御することが難しかった。使い勝手の良さそうなゲルが発見されても、その性質にピッタリフィットする製品にしか活用しにくかったわけだ。
増井さんはこの原因を、
「一般的なゲルは、高分子が非常に不均一な構造になっています。(不均一だとミクロに)見る場所によってモノ(性質)が違ってしまうので、コントロールできないんです」
と指摘する。
一方、ジェリクルが開発したテトラゲルの一般的なゲルとの最大の違いは、ゲルの性質を決める「高分子の網目状構造の均一性」だという。
「ゲルを使って、特定の性能を出そうと考えた時、今まではゲルをどうすれば良いか分からない状況でした。テトラゲルは数式(物理法則)が分かっているため、どこをいじり、どう作ればゴールにたどり着くか(欲しい性質を得られるか)が明確です」(増井さん)
「売り上げ億超え、黒字経営」のディープテック企業のからくり
ジェリクルのビジネスモデルは、東大ベンチャーのペプチドリームを参考にしているという。
Pavel Kapysh/Shutterstock.com
研究開発に大きな投資が必要になるディープテック企業は、どうしても最初は「赤字」前提で良いプロダクトを作り、徐々に売り上げを立てていくケースが一般的だ。ただ、ジェリクルでは創業から6年目を迎えた現在、売り上げが「億円」規模を超え、営業利益も「黒字」となっている。
増井さんは、そのビジネス戦略について「早く売ってマネタイズする」ことを意識していると語る。
ジェリクルでは、まず医療従事者などにニーズをヒアリングし、共同研究を実施。そこで一定研究データを出した段階で、製品に昇華してくれる企業を募り、ライセンス契約などを結ぶことで収益化している。
例えば、外科医師から「勢いのある出血はなかなか止められない」という悩みから着想を得た「血液と反応することで瞬時にゲル化して血を止める止血剤」を開発。実際にジェリクルでの研究実績をもとに、現在、メディコスヒラタという医療メーカーと実用化に向けた共同研究を進めている段階だ。
こういったスタートアップと既存メーカーが社会実装に向けて役割分担をしながら製品開発を進めるビジネススキームは、東大発の創薬ベンチャーで東証プライム市場にも上場している「ペプチドリーム」を参考にしたものだと増井さんは話す。
このモデルを採用した背景について、
「我々は『患者に製品を届けること』を一番に考えています。止血剤をつくるだけでも多くの効果が見込めます。でも、止血剤に特化して開発すると、他の製品開発を止めることになる。(色々な製品を開発して)ゲルのフルパフォーマンスを発揮できるように、今のビジネスモデルを採用しています」
と語る。
増井さんは、テトラゲルで制御できる性質から逆算したプロダクトの市場規模は「数兆円規模」になるのではないかと期待を寄せる。
「医療では神経再生、止血剤、人工腱・靭帯などがありますが、最近は工業や農業の領域まで広がっています。例えば、オムツで使われる吸収剤(SAP)もゲルです。オムツも更に吸収しやすくできますし、農業用として地中に混ぜると水分の保持に貢献できる可能性もあります。
テトラゲルで使える技術を1個ずつ増やしながら、市場規模を広げていく。患者さんを救っていく。そこが会社としての中心です」
※この記事は、Business Insider Japanのビデオポッドキャスト番組「DeepTech研究所」の内容を一部編集したものです。全編をご覧になりたい方は、各種ポッドキャストサービスか以下のYouTubeをご利用ください。