テニスからピックルボールに事業転換して収益1億5000万円以上に。中小企業を成功させるための3つの鍵とは

ジョン・ニーター氏(右)は2010年、サンタモニカにテニスセンターを購入した。パンデミックをかろうじて乗り切った後、この中小企業のオーナーはピックルボールに軸足を移した。

ジョン・ニーター氏(右)は2010年、サンタモニカのテニスセンターを購入した。パンデミックをかろうじて乗り切った後、この中小企業のオーナーはピックルボールに軸足を移した。

Courtesy of Jon Neeter

2010年、ジョン・ニーター(Jon Neeter)氏はビジネスパートナーとともに、カリフォルニア州サンタモニカのテニスセンターを購入した。

2人はこの不動産(約30平方メートルのプロショップが併設されたテニスコート1面)を借り受け、ビジネスを買い取ったのだ。

当時のビジネスは「基本的にはボールマシン1台、ボールカート2台、ボールチューブ4本があるだけで、顧客リストはまったくない状態でした」と、かつて大学のテニス選手兼コーチだったニーター氏はInsiderに語ってくれた。彼らはこの物件の価格を4万ドル(約600万円、1ドル=150円換算)まで値切り、個人で融資を受けて購入したという。

2010年から2019年にかけて、ニーター氏は無駄がなく収益性の高いビジネス運営を行うことができたという。ニーター氏の主な収入源はグループのクリニックとクラスで、同時に複数の顧客をコートに立たせることができたからだ。2015年には、プライベートレッスンと物品販売も始めた。

「それほど大きく利益を上げていたわけではありませんが、収支は常にプラスでした」

ただし、収益は悪天候など、自分たちでは制御できない要素の影響を受けたという。屋外コート1つしかなかったため、「雨の多い年は、本当に悲惨なことになりました」と話す。

2019年は、彼にとって特に困難な時期になった。南カリフォルニアを襲った激しい暴風雨によって屋外のコートが使えなくなっただけでなく、プロショップの屋根も破壊されてしまった。事業の損失に屋根の修理費用が加わり、この年は「人生で最も困難でストレスの多い1年」になったとニーター氏は話す。

そして2019年の秋にショップを再開して、「ようやく一息つける」と感じたとニーター氏はいう。

「そんなときに2020年がやって来たのです」

新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生してからの数カ月間は、収入はゼロだった。ニーター氏によれば、ビジネスが生き残ることができたのは、経済傷害災害融資(EIDL)を利用できたからだ。

「それがなければ、ビジネスは破綻していたでしょう」

その後、パンデミックの影響でテニスはソーシャルディスタンスを保てるスポーツとして人気が高まったとニーター氏は言う。しかし、特にメインの収入源であるグループレッスンがすぐには再開できなかったため、ビジネスの再建には時間がかかった。「しばらくは赤字が続きました」とニーター氏は言う。

だが2023年の今、売上はすでにこれまでに最も好調だった年の2倍を超えている。

「しかも、これからホリデーシーズンが来ますからね」

Insiderはニーター氏の事業の過去5年間の損益計算書を閲覧し、驚異的な成長を遂げているのを確認した。2023年の時点で、小売店やレッスン、クリニックなどコート上のサービスの売上高はすでに100万ドル(約1億5000万円)を優に超えている。

ニーター氏のビジネスを大きく変えたのは何か。それは「ピックルボール」と呼ばれる、小さなパドルと表面に多数の穴があいたプラスチック製のボールを使って小さなコートでプレーするラケットスポーツだ。

ニーター氏は、アメリカで急増していたピックルボールの人気を利用するためにビジネス全体をピボットした。1つのテニスコートを4つのピックルボールコートに改修し、プロショップを約30平方メートルから約185平方メートル近くまでに拡大したのだ。そしてテニスとピックルボールのハイブリッドで約9カ月間経営した後、2023年8月に「サンタモニカ・ピックルボール・センター」にブランド名を変更した。

ニーター氏は今でも公共の公園でテニスのレッスンを行っているが、主な収入源はピックルボールのビジネスだ。

「事業の破綻は免れないと思っていましたが、甦りました」

ニーター氏が、10年以上にわたって事業を継続し、7桁の収益を達成するのに役立った3つの戦略と哲学を共有してくれた。

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