午後4時、家路に着くデンマークの人たち。女性の社会進出が進み、責任ある仕事をこなしている。
撮影:井上陽子
前回は、なぜいま私が連載を始めようと思っているのか、その動機について書いた。
デンマークは、九州よりやや大きい程度の国土に、600万人に満たない人が暮らす小国である。人々は午後4時過ぎには仕事を終えて、家族や友人と過ごしたり、趣味の時間を楽しんだりしつつ、仕事だけではない人生を謳歌している。
しかしそんな“ゆるい”生き方をしていたら、競争の激しいグローバル経済の中で淘汰されそうなものだが、なぜかデンマーク経済は国際競争力を保ち、しっかりと稼いでいる。
そうかと思えば、多くの人がセカンドハウス(サマーハウス)を持ち、長い休暇をサマーハウスや海外で過ごしたりしている。たっぷり稼いでたっぷり税金を納め、医療費は無料、子どもの教育費は大学院まで無料なうえ、学生は学業に集中できるよう生活費として給付金までもらえ、公的・私的な年金を合わせて老後の心配なく過ごせる福祉国家をつくり、国連の幸福度調査では常にトップ3位以内に入っている(前回記事を参照)。
なぜ、こんなことが可能なのか?
デンマークといえば、幸福度の高さや“Hygge”(日本では「ヒュッゲ」とよく表記されるが、ここでは現地の発音に近い「ヒュゲ」とする)と呼ばれるくつろぎの時間が、センスのいい北欧インテリアの写真とともに紹介されたりするが、私がもっと気になるのは、そんな生き方を支える経済的な仕組みや、社会のインフラだったりする。人間的な生き方と強靭な経済が両立する社会ができあがった背景について、誰かに俯瞰して語ってもらう必要がある、と思っていた。
そこで、ぜひインタビューをとお願いしたのが、歴史家のボー・リデゴー(Bo Lidegaard)氏だ。外交官出身でデンマークの代表的な日刊紙「ポリティケン」の編集長を長く務め、政治経済についての著書も多く、歴史的節目にはテレビでコメントする人でもある。企画の趣旨を伝えたところ、さっそくインタビューに応じてくれることになった。
小国が生き抜くには「すべてをカバーしようとしない」
インタビューに訪れたリデゴー氏のオフィスの周辺。観光客がよく歩いている。
撮影:井上陽子
リデゴー氏のオフィスは、コペンハーゲンの中でも観光客が歩き回っている中心部にあった。石畳の道が落ち着いた味わいを醸し出すエリアである。著名人は事務所もいい場所にあるのね、と思っていたら、最近起業したスタートアップ企業のオフィスで、英米のパートナーと気候変動問題のアドバイスをしているのだという。中に入ると、若い女性スタッフがきびきびと仕事をこなしていた。
インタビューの内容に入る前に、頭の片隅に入れておいていただければと思うのだが、かつてデンマークはカルマル同盟(1397年)によって現在のノルウェー、スウェーデンをも統治し、北海からバルト海をまたぐ大国だった。日本では、室町幕府の金閣寺建立の頃の話である。
そこから次々と戦争に負け、どんどん領土を失って現在のような小さな国になっていったわけだが、この喪失の歴史によってデンマーク人は、手元に残されたものに感謝して、最大限に活用するという考え方を身につけた——というのは、時々耳にする解説である。産業にしても、自動車などはばっさりと切り捨てて「すべてをカバーしようとしない」という考え方は、日本との大きな違いと言えるかもしれない。
さて、リデゴー氏のインタビューである。質問は事前に送ってあったのだが、私の質問に直接答える前に、「まず長い視点から話を始めたい」と切り出した。20世紀のデンマークは、3つの大きな政治的転換を経験したという。
デンマークがいかに今の姿になったのかについて、歴史を俯瞰しながら語るリデゴー氏。
撮影:井上陽子
その説明が1800年代の農村の状況から始まったので、一瞬くらっときたが、ここから続く話が「いかにデンマークが労働人口を最大限に活用し、グローバル経済を柔軟に生き抜く術を見出したか」という説明に実にうまくつながっていたので、かいつまんで書いてみたい。
デンマークで憲法が制定され、民主主義が導入されたのは1849年。日本ではペリーが浦賀に来航する4年前の話である。しかし、一部のエリート層が国を動かす状況は変わらず、一般の農民が力を持つことはなかった。さらに、鉄道や蒸気船の発達で海外の農産物が市場に流入すると、国内の農産物価格は下落し、地方には貧困も広がっていった。
こうして農民の不満が極度に高まっていた時に起きたのが、デンマーク史で最も知られる教育者、N・F・S・グルントヴィが率いた「国民高等学校(フォルケホイスコーレ)」を拠点とする啓蒙活動である。
「学校といっても、試験も卒業資格もない。グルントヴィは、試験のためではなく、生きるために学ぶ必要があると説いた。力がないのは知識がないからで、社会を知り、民主主義の主役となる必要があると。そして農村の若者が、自ら学び、自分自身に責任を持つという考え方を身につけた時、仲間と結束して『協同組合』を結成するようになったんだ」(リデゴー氏)
この「協同組合運動」によってデンマークの農業は形を変え始め、合同で食肉処理を行う畜産も開始。バターやチーズといった乳製品も作り始め、国際競争力をつけ始めた。現在でも、デンマークの代表的な企業であるアーラフーズ(欧州最大規模の乳製品メーカー)、デニッシュクラウン(デンマークの食肉最大手)は、当時からの名残で、協同組合という組織形態を続けている。
コペンハーゲンのスーパーの棚に並ぶアーラフーズの商品。協同組合の形態をとり、1万1200以上の酪農家によって所有されている。
撮影:井上陽子
100年かけて勝ち取った「労働者の権利」
農村で起きたフォルケホイスコーレ運動に触発されて、次に力をつけ始めたのは労働者だった。学校の代わりに労働組合が自主的な学びの場となり、社会経済について知識を身につけた労働者たちは、政治への影響力も強めていく。
労働者が支持政党の「社会民主党(Socialdemokratiet)」は、労働者人口の増加とともに党勢を拡大し、1924年には初の首相を選出。以降、同党は中道左派連合のキープレイヤーとして、福祉国家としての基礎を築き、現在の首相も同党出身である。フルタイムが週37時間となったのも、賃金水準が高いのも、会社側が働く人の権利を尊重するのも、力のある労働組合が100年以上の時間をかけて労使交渉で勝ち取ってきた結果、とも言える。
農民と労働者に続いたのは、女性たちだった。1960年代のフェミニズム運動は、高度成長期という背景とも重なり、働く女性が急増。福祉国家で公共部門が大きく、公務員としての働き口が多い、という特徴も有利に働いた。
特筆すべきは、日本では同じ職場でも「総合職」と「一般職」とを分けたように、サポート的な役割の仕事にとどまった女性が多かったのに対し、デンマークでは徐々にではあるが、女性も男性と同等の責任ある仕事や昇進を求めたことだ。2022年の今の日本とデンマークの共働き家庭を比較する時、数だけを見ると違いが見えづらいが、“質”ではだいぶ異なる。その違いは、男性と女性の平均賃金の差を両国で比較すると分かりやすいかもしれない。
それまで家庭で子どもやお年寄りの世話をしていた女性が、大量に労働市場に参入していく過程で、急速に充実したのが保育施設やホームヘルパーなどの手厚い介護福祉制度。それまで出産で仕事をやめていた女性たちは、子どもを保育園や幼稚園に預けて職場復帰するようになっていった。
こう考えると、北欧では「人間的な生き方ができる」と私が感じることの多くは、男女が同じレベルの責任ある仕事をこなしながら、子育ても2人で同じようにやることを社会のデフォルトとして、それを容易にするインフラを時間をかけてつくってきた恩恵、とも言える。
リデゴー氏は、農民、労働者、女性の3者が社会に台頭していった歴史には、共通した特徴があった、と語る。それは、「教育を受けておらず、無知で、過激で、権力を任せるに値しない」とそれまで見なされていた層が、同じ立場の人々と結束して自ら学び、知識を身につけて力をつけ、ついには社会を動かす側になってみると、実際には社会に大きな価値と知恵とをもたらす存在となった——というパターン。そこには共通して、「ボトムアップ」の力が働いていた。
デンマークの人たちは権威を嫌い、学校の先生や上司の名前もファーストネームで呼ぶようなフラットさがあるが、多くの面で格差の少ない社会ができた背景には、このボトムアップの歴史が強く影響しているように思える。民意で社会は変えられる、という実感にもつながっているかもしれない。
リデゴー氏の語るデンマーク社会の成り立ちを聞きながら、ふと連想していたのが、スタンフォード大の心理学者、キャロル・ドゥエック教授が提唱した「Mindset」だった。
fixed mindsetを持つ人は、人間の能力は生まれながらにして決まっていると考えるのに対し、growth mindsetを持つ人は、人間の能力は学ぶことで高められると考える、という違いである。社会のどんな属性にある人間でも、自主的に学べばより価値を生む人間になれるという、デンマーク社会を織りなしてきた考え方が、growth mindsetに根づいた発想に聞こえたからだ。
それが社会全体として、個人のポテンシャルを伸ばす結果につながっているのかもしれない。
教育を受けた女性を生かさないのはもったいない
なぜ4時に家に帰るような経済が回るのか、国際競争力を保ち、福祉国家を支える富をしっかりと稼いでいけているのか、という私の質問に、リデゴー氏はこう答えた。
「秘訣は、できるだけ大量の人材を動員していることだ。総人口比で見た時、デンマークは世界でも最も『働ける人が実際に働いている』社会の一つだと言える」
出自や男女を問わず、できるだけ働き手を増やす。それが、社会に富を生み出す。リデゴー氏の解説は、言われてみればごくシンプルな理屈である。
「午後4時に帰るから働いてない、と言うけど、僕はそうは思わない。だって、デンマークの家庭で男性が8時間、女性が8時間働いたら、16時間働いていることになるでしょう。日本では男性が12時間働き、女性が専業主婦なら、合計すればデンマークより少ないわけだから」
リデゴー氏の後に話を聞いたデンマーク雇用省のシニア・コンサルタントであるトマス・ヨーエンセン氏も、女性を労働力として生かすことのメリットについて強く頷く。
「エコノミストの視点から言えば、高い教育を受けた女性が労働力として生かされないのは、非常にもったいない話。だから、デンマークは時間とお金をかけて、女性が男性と同じように仕事ができるよう、保育施設や介護システムなど充実したインフラを整えてきた。それが、国としての大きな強みなんです」
雇用省のヨーエンセン氏は、長くフレキシキュリティ政策を専門にしてきた。
撮影:井上陽子
とりわけデンマークでは、教育費に相当な税金を費やしているのでなおさらだ。この考え方によれば、教育を受けた女性を労働力として活かしきれていない日本の状況は、非常にもったいないことになる。
所得の半分近い高額な税金を払っているのに、なぜ多くのデンマーク人がサマーハウスを買ったりする余裕があるのか、という問いに対しても、リデゴー氏の答えは単純明快だった。「女性も仕事をしているから。財布が2つあるからだよ」。ちなみに、日本の文脈にあてはめるなら、“お父さん(主な稼ぎ頭)の財布が2つ”というイメージである。
“バイキングの国”でも衰退した造船業には見切り
デンマークについて話を聞く時、私は多くの人から「天然資源もない小国だから、資源は人しかない」というフレーズを耳にしてきた。リデゴー氏がインタビューで強調したのも、仕事をする「人数の多さ」だけでなく、人材の「質」を高める重要性で、そのためにいかに人材投資に力を入れてきたか、という点だ。
「教育費としてつぎ込むGDPの割合は世界でもトップレベル。おかげで、家が貧しくても豊かでも、教育は大学や大学院までずっと無料で受けられるし、学生には給付金まで支払われ、職業訓練も多くのコースが無料。税金を払う側からすれば、その教育であなたが社会により大きな価値を生み出す人間になるなら、払う甲斐があるわけだ」
(注)初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産(GDP)に占める比率。
(出所)OECD Library, “Education at a Glance 2022: OECD Indicators”をもとに編集部作成。
さらに言えば、せっかく教育した人材が、「競争力のある産業」で力を発揮していくことも大事な要素だろう。デンマークの産業構造と密接に関連しているのが、デンマークの労働政策の特徴としてよく語られる「フレキシキュリティ」。比較的容易に解雇ができる労働市場の柔軟性(フレキシビリティ)と、福祉国家ならではの十分な生活保障(セキュリティ)を組み合わせた造語である。
立命館大の筒井淳也教授は、北欧と日本の違いを、「雇用を通じた生活保障をする日本型」と「直接的な生活保障をする北欧型」と分かりやすく整理している。労働者を救済したい場合、政府の支援は日本の場合は企業に、北欧の場合は労働者に直接向かうことになる。
この違いが何を生むか。それは、北欧では競争力を失った衰退産業は救済されない、という点である。
雇用省のヨーエンセン氏は、かつてコペンハーゲンの基幹産業だった造船業がほぼ壊滅した例を挙げながら、「競争力を失った産業を国が際限なく救済することはできないし、数多くの不健全な企業を抱えることになる。コペンハーゲンには相当な失業者が出たが、彼らは結局、どこかでは仕事を見つけたんだ」とあっさりと語った。
でも、もとはバイキングの国なわけだし、そのシンボル的な造船業を失うことへの抵抗はなかったのか、と聞いた時の答えが印象的だった。「そういう野心を持つには、デンマークは小国すぎる」。
結果として産業の新陳代謝が早くなり、いわば「競争力のある企業しか存在しない」構造となっている。リデゴー氏もインタビューの中で、デンマークには非常に特殊なニーズに特化して世界的な顧客を持つ数多くの「潰されづらいニッチ産業」が存在することを力説した。国際競争力を持つニッチ企業の例については回を改めて詳述したいと思うが、フレキシキュリティという仕組みが、衰退産業から成長産業に労働力を移す効果があり、結果としてグローバル経済への適応能力を向上させるように働いているわけだ。
「衰退産業を支援しない」と聞くと、ドライに聞こえるかもしれない。日本に当てはめるなら、デジタル化を一気に進めて、はんこ業界を壊滅させるようなものだ。おかげで従業員は一斉に解雇されるかもしれないが、国は解雇された従業員が次の仕事を見つけるまでの間、給与保障などで手厚く保護するほか、より競争力の高い業界で就職できるよう、労働組合などを通じてリスキリング(学び直し)の機会もふんだんに提供する。
「働かざる者食うべからず」という冷たさではなく、「働ける人が働ける時にしっかり働き、たっぷり税金を納めてもらう」というアプローチは、福祉国家の手厚いセーフティーネットがあってこそだろう。
リデゴー氏のインタビューは、デンマーク社会がなぜ今のような形になったのかを紐解く上で、とてもいい下敷きとなった。インタビューのトピックは多岐にわたり、すべてはちょっと書ききれないので、これから取り上げるテーマごとに、改めて触れていきたいと思う。
※この記事は2022年10月12日初出です。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行なっている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。