ジェンダーについての議論が進むなか、これまで「男性の生きづらさ」についてはほとんど顧みられてこなかった(写真はイメージ)。
Ipek Morel/Shutterstock
10月9日、今年のノーベル経済学賞の受賞が決まったクラウディア・ゴールディン教授が、教鞭をとるハーバード大学で記者会見を開いた。男女の賃金格差や雇用格差の要因など、女性の労働力に関する研究が評価されての受賞だった。
質疑応答では、日本についても言及があった。教授は、日本女性の労働参加率上昇を讃えつつも、「女性を労働力として働かせるだけでは解決にならない」「働く女性が増えるのは良いことだと思う。だが、彼女たちは、本当はどこにも進んでいないと言える」と述べた。
日本では、女性の仕事が、正社員ではなくパートや非正規雇用に偏りがちで、昇進や昇給の機会が限定されているので、意味のあるキャリアや財産を築くことにつながっていない、というのが彼女のポイントだ。
だがそれ以上に、ゴールディン教授の発言の中で、まさに日本の問題を言い当てていると思ったのはこの指摘だ。
「母親に育児が偏る社会で育った女性は、将来の職業選択や家事負担に関して、子どもの頃のイメージや期待でとらえがちだ。このため社会の偏見を改めたり、政府が政策転換によって人々の期待を変えたりする意義は大きい」
ハーバード大学で記者の質問に答えるゴールディン教授(2023年10月10日撮影)。
Reuters
また、日本の少子化問題について聞かれると、「家庭だけの問題ではない。職場が急速な社会の変化に追いつけていない」と述べ、短期的な改善は難しいだろうという見方を示した。その理由として、
「(現役世代である)息子の考え方を支配している年配の人を教育する必要があるためだ」「米国は長い時間をかけ変化を体験し、各世代が新しい世代のもたらしたものに慣れた。だが、日本はあまり適応できていない」
と述べていたのには、さすがよくわかっているなと感心した。
日本が変化に対応できていないのは、社会システムの整備が不十分であることももちろんなのだが、親世代の価値観がアップデートされないまま息子たちに引き継がれてしまっているからだ、という指摘は正しいと思う。
固定化された性的役割分担の問題、男性性・女性性についての固定観念は、程度の差こそあれ、日本だけのものではない(日本がかなり極端であることは間違いないが)。アメリカにもいまだにある。
日本でもアメリカでも、女性性についてはここ数年でだいぶ議論が進んできた。社会生活のさまざまな面における性差別が女性を生きづらくさせていること、女性の家庭・職場での役割は見直されるべきであること、女の子も男の子と同様に教育の機会を得るべきであること、女性の生き方はもっと多様化すべきであること——これらの問題への認識はそれなりに進んできたと思うし、価値観も(時間はかかっているものの)徐々にアップデートされてきていると思う。
かたや、男性性については、彼らがマジョリティであるがゆえにこれまであまり課題として認識されておらず、親世代の価値観のままで来てしまった感がある。その結果、世の中の変化と男性たちの自己認識の間にギャップが生じ、彼らの自信喪失や混乱につながっているのかもしれないと感じる。
米国で関心集まる「メンズ・クライシス」
ワシントン・ポストに掲載されたこのコラム記事が「男性性の危機」についての議論を巻き起こした。
Christine Emba, "Men are Lost. Here's a map out of the wilderness." Washington Post, July 10, 2023.
この夏くらいから、アメリカのテレビや新聞で「メンズ・クライシス(男性性の危機)」という言葉を見聞きすることが増えた。一つのきっかけは、7月にワシントン・ポストに掲載され、その週一番多く読まれた記事にランクインした「Men are Lost(男性たちは道を見失っている)」というコラムだ。
これは、ワシントン・ポストのオピニオン欄コラムニストのクリスティーン・エムバが執筆したもので、学業の面でも、キャリアの面でも、人間関係の面でもうまくいっていない男性が増えているという現象について指摘したものだ。彼女はこれまでにもいろいろな記事を書いてきたが、この記事ほど大反響を呼んだものはなかったという。彼女の考察に同感した人がそれだけ多かったのだろう。
エムバは、#MeToo運動を経た今日の世界において(アメリカだけではない、と彼女は言っている)、従来の「男らしさ」という概念がもはや通用しないものになっていること、さらに「では、今の時代における男らしさとは?」ということがいまだ明確に定義されていないことが、男性たちを混乱させ、自信を失わせているのではないかと言う。
このテーマについては、エムバ以外に、2人の学者が注目し、以前から発言してきた。一人は、2022年に『Of Boys and Men』という著書を出版したブルッキングス研究所のリチャード・リーブスだ。
リーブスは、アメリカにおいて男性の方が、自殺率が高く、学校でもうまくいっておらず(ドロップアウトは男性の方が多い)、家庭や労働市場でも苦闘しており、刑務所に入る率も、「失望による死(deaths of despair)」に陥る率も女性より高いことに注目し、男性・男の子たちが危機的状況にあるという警鐘を鳴らすためにこの本を書いた。同じテーマでTEDトークにも登壇している。
彼が引用するのは、例えば次のようなデータだ。
- 2020年、大学に進学した人数の減少度は、男子のほうが女子の7倍多かった。
- 高卒男性のうち、3人に1人が無職。仕事をしている人でも、多くは週に881ドル程度しか稼げておらず、それは1979年に高卒の男性が稼いでいた額(1017ドル)よりも低い。
- 薬物による死、自殺、飲酒関連の病気にかかる率は、男性が女性の約3倍高い。
もう一人、この問題について以前から発言や執筆を行ってきたのが、ニューヨーク大学ビジネススクールのスコット・ギャロウェイだ。彼は、テレビのコメンテーター、講演者としても引っ張りだこで、自分のポッドキャストも持っている。
ギャロウェイは数年前から、「世界で最も危険な人物は、お金のない孤独な若い男性で、私たちはそうした人々を大量に作り出している」と言い続けてきた。経済力の面でも、精神的、情緒的な意味でも一人前でない、女性から恋愛対象としてみなされない若い男性が増えている。彼らは、恋愛経験がないだけでなく、親しい友達もおらず、家族ともうまくいっておらず、社会的つながりに乏しい。キャリアの面でも成功していない。人生に対して悲観しており、それが薬物、引きこもり、自殺、攻撃的な言動などにつながるのだ、と。
たしかに、アメリカで銃乱射事件が起きるたび、私たちは犯人が誰かを知る前に、その人がどういう属性の人かはだいたい予想がつく。圧倒的に多いのが、上記のような孤立した、自暴自棄な若い男性だからだ。
アメリカでたびたび起こる銃乱射事件。犯人の属性はしばしば似通っている(写真は2022年7月、シカゴ郊外のハイランドパークで発生した銃乱射事件の現場付近)。
Reuters
ギャロウェイは、自分自身が若かったころを振り返ってこうも言う。
「自分が大学でまじめに授業に出ていたのはなぜか。付き合う女の子を探したかった、という下心があったことは大きい。それがなかったら部屋にこもってダラダラしていたかもしれない。異性への関心、交友関係は、大きな動機付けになる。それらが若い男性にとっての行動のガードレールになる」
つまり、インセル(Involuntary Celibate〔望まない禁欲者〕から派生して、非モテを表すネットスラング)は、ガードレールがなくて危ないということだ。
またギャロウェイは、ポルノやゲームが及ぼす弊害についてもしばしば指摘しており、「若い男性たちは、とにかく家から外に出ろ。部屋にこもってポルノを見るのをやめ、人と出会い、知らない人に勇気をもって話しかけ、体を鍛え、ちゃんと勉強し、技術を身につけ、金を稼げ」「人間関係において拒絶され、立ち直ること、リスクを取ることを学べ」と述べている。
「有害な男性性」が生んだトランプ現象
保守層の間でいまだ根強い人気を誇るトランプ氏。支持者の中には、多様化が進む社会で自分たちの優位性が脅かされていると危機感を募らせる「怒れる白人」も多い。
Reuters
この4〜5年で、「Toxic masculinity(有害な男性性)」という言葉が広く使われるようになった。アメリカでは、2019年のニューヨーク・タイムズの記事「What Is Toxic Masculinity?」という記事を記憶している人が多いと思う。
Toxic masculinityとは、「男はこうあるべきだ」という偏った「男らしさ」の概念に基づき、それにそぐわない行動や思想をバカにしたり、排斥する態度を指す。
「男は強く、攻撃的で、支配的でなくてはならない」
「泣いたり、ソフトな感情を表したり、脆さを見せるのはカッコ悪い」
「女のやるような家庭的なことをしてはいけない」
「男の価値は金、権力、地位にある」
「男らしくない男や同性愛者は排除されるべき」
「男女の間では、常に男がリーダーであるべき」
こういったステレオタイプな「男らしさ」の概念が、男性自身の心身の健康に害を及ぼしたり、ミソジニー(女性蔑視・女性嫌悪)や性暴力に発展する可能性があると指摘されている。Toxic masculinityが注目を集めるようになっていることも、男性たちが、男としてのアイデンティティ・クライシスに陥っていることの一つの表れだろう。
ギャロウェイは、「男性性」について混乱している男性たちがロールモデルを探す中で、「間違ったロールモデル」を選んでいると指摘し、その例としてトランプ、プーチン、イーロン・マスクの3人を挙げる。まさに「有害な男性性」を象徴する3人という感じだ。
男性性をめぐるアイデンティティ・クライシスの問題は、たしかに「トランプ現象」とも深く関わっていると思う。男性主導の社会からジェンダー平等、多様性を認める社会へと向かう潮流の中で危機感を覚え、自分たちの優位性・既得権益が侵されるという恐怖を抱いている男性たちが少なからずいる。
彼らは、自分たちの人生がうまくいっていないのは他者(女性、移民、同性愛者などマイノリティ)のせいだと感じている。そのような怒れる白人男性たちの思いを代弁してくれ、「君たちは正しい」と言ってくれたのがトランプだ。
「男性性」の意味が変わってきている背景には、2つの大きな社会的変化がある(これはアメリカだけでなく、先進国の多くに当てはまる)。ひとつは、労働市場の変化。男性が得意とする肉体労働の仕事が減り、頭脳を使う仕事、サービス業が増えたこと。もうひとつは、女性の高学歴化・経済力の向上だ。
多くの先進国では、今日、女性の大学進学率のほうが男性のそれよりも(しばしばかなり)高い。アメリカもそんな国の一つで、過去40年間にわたり女性の高学歴化が進み、現在、大学での男女比では女性が男性を上回っている(4対6で女性が多い)。
女性の高学歴化は、今に始まった話ではない。教育省のデータによると、男性がアメリカの大学における「マイノリティ」になったのは、1980年代からだ。学士号においては1982年以来、修士号においては1981年以来、男性よりも多くの女性が一貫して学位を得てきた。博士号取得者についても、2008〜2009年度以降、つまり約15年間ずっと、過半数を女性が占めている。2021年9月のウォール・ストリート・ジャーナルの記事によれば、今後、男女の教育格差はいっそう広がるものとみられている。
この現象を、イギリスの人気ポッドキャスト・ホストであるクリス・ウィリアムソンは、「ハイヒール効果(High heels effects)」「トールガール理論(Tall Girl Theory)」と呼ぶ。過去50年間にわたって、女性はどんどん背が高くなり、それと共に男性はどんどん背が縮んできたようなものだ、と。
そして、女性は自分より学歴が低く、稼ぎの悪い男性を恋愛対象として選ばない。これは、多くの女性が、自分より背の低い男性を恋愛対象としない(意識的であれ、無意識であれ)ということと似ているというのだ。
男性を襲う「剥奪感」
「男性が家計を支えるべき」など、日本でも男性に対するステレオタイプは根強い。アップデートされないままの価値観が男性の生きづらさを生む(写真はイメージ)。
撮影:今村拓馬
上記のようなメンズ・クライシスの問題について、日本でも、京都産業大学の伊藤公雄教授が同じような指摘をしている。彼は、社会的マジョリティの立場を剥奪されると感じる男性たちの心理的不安を「剥奪の男性化」と名付け、彼らへのケアの必要性も説いている。
ジェンダー平等に向かって社会が進んでいく中で、男性性を定義し直すことの必要性は、日本にも(まだ広く認識されてはいなくても)大いにあるのではないだろうか。
ギャロウェイの「お金のない孤独な若い男性が、世界で一番危険である」という指摘は、日本にも当てはまる。秋葉原無差別殺傷事件、やまゆり園事件、京都アニメーション放火殺人事件、小田急線刺傷事件、京王線刺傷事件など、近年起きた事件の犯人たちのプロフィールは、アメリカの銃乱射事件の犯人たちと重なる。インセル、孤独、人生を悲観して自暴自棄になった男性という傾向がよく似ている。男性の自殺が女性よりも多いというのも同じだ。
また、女性活用の話で、議員を増やすためにクオータ制を取り入れようとか、女性の管理職の数を一定数まで増やそうなどという話になると、しばしば「女性にだけ下駄を履かせるのか」と言う男性たちが出てくる。この「下駄履き問題」も、自分たちが履いてきた下駄を脱がされるのではないかという恐怖に基づいていると思う(下駄を履いていること自体に無自覚な人もいるだろうが)。
もう一つ、日米で共通しているのが、収入の不安定な若い男性の増加だ。これは、いずれの社会においても、少子化の一因と認識されている。ギャロウェイは、経済力の低下は、若い男性たちの危機を引き起こしている一大要因だと指摘する。
好むと好まざるとにかかわらず、経済力のない男性は女性から魅力的だと思われないという事実がある。経済力がなければ親の家に住まなくてはならなかったり、楽しいこともできなかったりする。なにより自信が持てないし、ネガティブになる。最低賃金を上げ、中層階級・低所得層にお金を持たせることで解決できることは多いので、これは政治の力で取り組むべき問題だとギャロウェイは主張する。
収入の不安定な若者の増加は、構造的な問題でもある。経済力のなさは自信喪失にもつながりやすい(写真はイメージ)。
Mesamong/Getty Images
それを聞いていて、2022年春、経団連の人口問題委員会の「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか」という勉強会でのある発言を思い出した。
「若年男性の経済格差が拡大し、女性が十分な収入を得ることや働き続けることが難しいなか、『男性が家計を支える』という意識が続けば結婚は増えない。今後の少子化対策は、『収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか』にかかっている」
これはネットで若干炎上していたが、私も読んだとき、「収入が不安定な男性と結婚しても大丈夫という女性を増やす」という発想に笑ってしまった。あまりに的外れで、しかも女性に問題解決を期待しすぎだと思ったからだ。
女性が収入の不安定な男性と結婚したがらないこと自体は、特に日本に特有な話でもない。それは、男性に経済的に依存したいということでは必ずしもなく、パートナーに一定の生活能力を求めるかどうかという話だ。仮に女性側が経済的に自立していても、その部分は変わらなかったりするものだと思う。
やるべきなのは、「収入が不安定な男性と結婚しても大丈夫という女性を増やす」ことなどではなく、収入が不安定な若い男性を減らす方策を考えること、男女ともに最低賃金を上げることだろう。
「男性が家計を支えるべき」という固定観念は変わるべきだし、現実、変わってきている。であれば、女性でも家計を担えるような、男性と対等な報酬を得られる、賃金における性差別のない環境を整備する必要があるだろう。
男性の生きづらさを取り除くために
ジェンダー平等が進んだスウェーデンでは、悩みを抱えた男性の相談所を設けるなど、男性のケアにも取り組んでいる(撮影:ストックホルム)。
olaser/Getty Images
伊藤公雄教授の記事で知ったのだが、スウェーデンには、現在、全国30カ所の「男性のための危機(メンズ・クライシス)センター」があるという。
これは1986年から始まったもので、女性の社会参画の拡大にともない、離婚の増加などの変化が生じるだろうという見通しに基づいて設立されたのだそうだ。社会の変化に戸惑い、男性としての役割と意識をどうアップデートしていいかわからない人々のストレスや悩みに対応するための相談所ということだ。
そこまで先を見越して動いているところがさすがスウェーデンだと思う。センターを開いてみたら、実際、家族関係などでさまざまな悩みを抱えた男性たちがやってくるようになったそうだ。
伊藤教授の記事によれば、日本でも、地方自治体などで少しずつ男性相談の仕組みが広がりつつあるという。ひとつのハードルは、日本の男性たちがそのようなケアを求めに、自分から積極的に相談に行くかどうかではないかと思う。自分には助けが必要だと認識することができるかどうか、またケアを素直に受け入れることができるか。
この話を読んでいて思い出したのが、「これからの男性性に求められるものは何か?」という問いに対して、ギャロウェイはじめ識者が使うキーワード:「compassion(思いやり、慈悲心)ある男性性」だ。
周囲の苦しみに対し、思いやりをもって接すること。それと同じくらい重要なのが、自分自身の苦しみや弱さに対してもやさしさをもって受け止め、癒しを受け入れることだ。強さを求められてきた(と思っている)男性たちにとって、これは一つのチャレンジではあると思う。
有害な男性性、家父長的価値観に縛られた男性像の問題は、日本にもある。アメリカと似ている側面もあるし、日本独自のものもある。日本の方が深刻な部分もある。それが男性たち自身をどのくらい生きづらくしているかという問題について、日本でもそろそろ真剣に向き合うべきではないだろうか。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役。Twitterは YukoWatanabe @ywny