教会を改装した多目的施設で、毎晩午後6時から行われる合同ディナー。おいしくて割安なうえに、隣り合わせた人との会話も楽しめるとあっていつも満席だ。
撮影:井上陽子
「夕方4時には帰るような働き方でなぜ経済が回るの?」という素朴な疑問から始めたこの連載。北欧の人間らしい働き方、生き方が幸福度の高さにつながっているのだとすれば、そんな社会ができあがるまでのプロセスの中で「短時間労働を生み出した文化」に一つのヒントがあるのではないか、という気がしている。
前回の記事で取り上げた友人夫妻(夫はデジタル庁局長、妻は国際金融企業幹部)だって、超人的な努力をしているというよりは、それを容易にする社会的な素地があるからこそ、そんなに無理をせずに仕事を午後3時半すぎに切り上げて子どもを迎えに行けているわけだ。
日本でも今や共働きが当たり前になっているが、夫婦ともフルタイムで仕事をする子育て家庭は、もっと時間に急き立てられているように見えるし、子どもの就寝が遅く睡眠時間が世界的に見ても短いといった歪みもある。
それは、日本の社会インフラの立て付けが、フルタイムの長時間労働とそれを家事育児で支える専業主婦(もしくは専業主夫、あるいは短時間のパート)という家族モデルを前提にしていて、社会経済の変化に追いついていない、という“起点の違い”が大きいように見える。
日本、アメリカ、デンマークの1人当たり年間労働時間の変遷。1950年半ばまでは日本よりデンマークの方が労働時間は長かったが、その後減り続け、1970年代以降は日本との違いが顕著になった。
(出所)Our World in Data, "Annual working hours per worker"のデータをもとに編集部作成。
パンデミックを経た今でこそ、週休3日制を導入する企業は国際的に増えているし、効率と集中力が高まって生産性は下がらなかったとメリットが伝えられることも多い。週休3日制は、国レベルでもアイスランドでの大規模実験をはじめとして、スペインやスコットランドでも導入実験が進む。
しかし、日本経済が世界から称賛を受けていた1970〜80年代頃、長時間労働はある意味で、経済成長の“必要悪”として受け入れられてきたのではなかっただろうか。当時の私の記憶といえば、リゲインの「24時間戦えますか」のコマーシャルだが、あの明るい旋律に気まずさはなかったように思う。
【CM 1989-91】三共 Regain 24時間戦えますか 30秒×7
(出所)nv850hd3
だとすると、私の頭に浮かぶのは、あの頃北欧の人たちはなぜ、日本のように長時間労働で“成功している”国を横目に「いや、うちはそういうやり方はしないんで」と言えたのだろうか、という疑問だ。
「8時間の自由時間」は社会を変える“イノベーション”だった
これを紐解くために、まずはコペンハーゲンの労働者博物館に展示されているバナーの話から始めたい(下の写真)。1890年代に遡る年代物で、「8-8-8」というフレーズは、8時間労働、8時間の自由時間、8時間の休息(睡眠)、という意味のスローガンである。
労働者博物館に展示されているバナー。「8-8-8」のスローガンとこれを達成した歴史は、デンマークの労働運動にとって記念碑的な存在だ。
提供:労働者博物館(コペンハーゲン)
長女の出産まもない頃、ベテラン助産師が「デンマークでは昔から言うんだけど……」とふと漏らした言葉だったのだが、8時間睡眠に8時間の自由時間なんて、日本なら今でもスローガンとして十分いけるな、と自嘲気味に思ったものである。
デンマークの労働運動でこのバナーが使われ始めたのは、1890年からである。8時間労働を求める運動や「8-8-8」のスローガンは、デンマーク発祥というわけではなく、オーストラリアなどで始まった運動が国際的なスローガンとして発展したものをデンマークでも取り入れた、という経緯だそうだ。当時のデンマークでは1日10時間労働が一般的で、休日は日曜日のみだったので、労働時間は週60時間にのぼっていた。
1912年、首都コペンハーゲンでのメーデーの様子。「8-8-8」のバナーが掲げられている。
提供:労働者博物館(コペンハーゲン)
この「8-8-8」の要望が実現したのは、第一次世界大戦後の1919年。日本で8時間労働が定められたのは1947年に労働基準法が施行された時なので、それより30年ほど早いとはいえ、他の欧州の国々と比べればデンマークで8時間労働が実現した時期が特別に早かったわけではない。
しかし、日本と比べた場合の大きな違いは、8時間労働の契約なら、本当にほぼその時間しか働かない、というところだろう。日本で実質的な労働時間が増えるのは、仕事量が多くて時間内に終わらなかったり、上司や同僚の目が気になったりして、残業がはびこるためだ。
どうしてデンマークには残業が生まれなかったのか? 労働組合が強かったから? そんなことを、労働者博物館の館長で歴史家のサーン・バックイェンセン氏に聞いた時の会話が、もう、目から何枚鱗が落ちたか分からない、成熟した市民社会の源を掘り当てたような内容だったので、ちょっと紹介させていただきたい。
労働者博物館のバックイェンセン館長。歴史を感じさせる館内ホールは、1879年から市民集会のほかコンサートや結婚式にも使われてきたという。
撮影:井上陽子
バックイェンセン氏曰く、デンマークの労働組合の強さはたしかに一因で、その影響力は、日本の4倍にもなるデンマークの労働組合の組織率(約7割)にも表れている。ただ、「8-8-8」のスローガンのミソは、労働時間の短縮よりも「8時間の自由時間」の方だった、と言うのである。
「それまでの労働者の一日とは、仕事と、翌日また働くために回復する時間だけだった。そこに『自由時間』という、まったく新しい概念が生まれた。家族や友人と過ごしたり、読書したり文化的な活動をしたり、過ごし方は何でもいい。でも、この自由時間こそが、権威に対して批判的な視点を持ち、自由にものを考えられる個人を作り、ひいては民主主義を守ることにつながるという考えだった。これはそれまでにはなかった視点で、イノベーションだったんだ」
8-8-8という考え方は、真ん中にある「自由時間」を8時間分確保し、一日を3分割したところが、決定的に大事だった。そう言われて考え込んだのだが、私は「ワーク・ライフ・バランス」というのを、仕事と「それ以外の時間」という2分割で考えていた気がする。長時間労働で疲れ果てた後は、家でちょっとのんびりして、あとは寝るだけ、というかつての私の一日の過ごし方は、1919年以前のデンマーク人と同じってことか……。
確かに、デンマークの人たちには、この「自由時間」を積極的に楽しもうとする姿勢が見える。冒頭の合同ディナーの写真で紹介した多目的施設でも、平日の午後4時頃から陶芸や版画、コーラスやダンスなど、学びの機会やイベントが連日企画されていて、仕事を終えた人たちで賑わっている。
新たに生まれた3つ目の自由時間というのは、仕事のように金銭的な報酬は受け取らないものの、“市民としての仕事時間”と捉えられているところもある、とバックイェンセン氏は言う。
「子どもと時間を過ごすとか、何かを学ぶとか、サッカークラブのコーチとしてボランティアをするとか、そういう時間は『価値ある市民』として貢献する、社会にとって意味のある時間として見られるところがあります」
デンマークの小学生の間では、サッカークラブは人気の習い事の一つ。週に2〜3回の練習では、ボランティアの親がコーチを任される。
撮影:井上陽子
思えばこれは、この連載の民主主義の回で書いたことにもダイレクトにつながる内容である。成熟した市民社会の厚みが、まさかこんなところから来ていたとは。
一日24時間のうち、自由時間の8時間が押さえられていれば、確かに仕事の延長である残業時間が侵食してくる隙間がない。日本人の長時間労働というのは、一日を「仕事」と「休息」だけで考えるから、最低限の休息(睡眠)時間を除いた残りの時間を、労働時間としてどんどん延ばしてしまいがちだった、ということか。一日を「2部構成」と考えるか「3部構成」と考えるかの大きな違いに、目の覚める思いだった。
そんなことを考えるうちに思い出したのが、新聞記者時代にインタビューをした、元東京大学総長の佐々木毅氏の言葉だった。話を聞いたのはもう15年も前になるが、とても印象深かったのでよく覚えている。
曰く、「若い頃から関心を育て、メシを食うこと以上のことをしなければ、この社会は縮んでいく。自分の生活を維持すること以上のことを考える人間が、社会に1割いるか、2割いるか、それが社会の将来にとって大きな要素となる」。思えば、まさにこの「8時間の自由時間」の大切さを指摘する内容だった。
バックイェンセン氏へのインタビューを終えた後、デンマーク人の夫に、なんで今までこのことを教えてくれなかったの、めちゃめちゃ大事じゃん、とつっかかったら「いや、当たり前だから、別にわざわざ言うことじゃないかなと思った」って……。
まあ、そういう北欧人にとっては当たり前だけど、日本人の私にとっては衝撃の事実を見つけるのが、この取材の面白いところではあるのですが。
この連載の前回の記事では、仕事を効率的に終わらせるコツとして「compartmentalize(仕事とそれ以外の時間をバシッと区切ること)」という考え方を紹介したが、それだって、一日の時間を3分割で捉えるなら、すんなり腑に落ちるというものだ。
今の経済的成功は改革の賜物
ただし、デンマークが今のような経済的な成功を手に入れるまでには、そこからの紆余曲折があった。日本が経済成長に沸いていた1980年代頃、デンマークでは労働時間を延ばすどころの話ではなく、もっと深刻な問題に直面していたのだ——と説明するのは、右派系のシンクタンク「CEPOS」の副所長で、チーフエコノミストのマス・ロンビュ・ハンセン氏である。
1980年代以降のデンマーク経済について語るハンセン氏。
撮影:井上陽子
「僕がコペンハーゲンに来た1989年頃、街はかなり暗かった。失業保険が実質的に無期限で受け取れた時代で、大量の失業者が街にあふれ、特に若者の失業は深刻だった。今とはまったく比べ物にならないような状況で、まずは大量の失業者を仕事に就かせる必要があったんだ」
そんな様子が大きく変わったのは、1993年に政権の座についたポール・ニューロップ・ラスムセン首相が、労働政策の改革に着手し始めてからである。
失業手当の受給期間を4年間に削減し、若者への失業手当を半減する一方で、職業訓練を積極的に始めるなど、就労意欲を高めるための制度改革を次々と進めた。
「福祉国家というのは非常に高くつくシステムで、かなり多くの雇用がないと支えていけない。だから、改革を常に行い、雇用を生み出し続ける必要がある。ここ20年の間にも、退職年齢は65歳から67歳に引き上げられ、失業保険は4年から2年に削減されるなど、改革は続いている。今日の成功があるのは、非常によく機能する労働市場を作り上げたためだ」
デンマーク経済がうまくいっているのは、労働市場政策の改革によって雇用を生み出すことに成功したから、というのは、同国でも立場を超えた共通認識のようだ。「普段はCEPOSの人とはあんまり意見が合わないけど、それについてはまったく同意です」と笑うのは、オールボー大学教授で、労働市場政策の専門家であるトーマス・ブレゴード氏だ。
インタビューに答えるブレゴード教授。オールボー大学では「労働市場研究センター」のセンター長も務めている。
撮影:井上陽子
デンマークの労働政策は、解雇規制が緩やかで柔軟な労働市場(Flexible)、手厚い失業給付によるセーフティネット(Security)、そして、職業訓練や求職活動の積極的な支援(Active labour market policy)の3本柱でできている。フレキシビリティとセキュリティを組み合わせた造語「フレキシキュリティ」というキーワードで語られる所以である。
ブレゴード教授は、最後の柱である積極的労働市場政策が1990年代以降に完成したことで、福祉国家の手厚い社会保障と高い雇用率は両立できることが国際的にも認識されるようになり、デンマークがフレキシキュリティ政策の“モデル国家”とされるようになった、と説明する。
パンデミックで加速する労働時間の短時間化
短時間労働からやや話が逸れたが、ブレゴード教授は、女性の労働市場への参入が1960〜70年代と早い時期に進んだことも、長時間労働が起きなかった要因の一つだと指摘する。
デンマークの一般家庭の働き方は、夫婦ともに稼ぎ手となる「2人稼ぎ主モデル(dual breadwinner model)」と呼ばれ、小さな子どもの迎えなどの家事育児負担も、男女間で比較的同等に分ける傾向がある。
そういう労働文化がすでにできていたので、1980年代の日本のような長時間労働が出てきた時でも、デンマークの家族のあり方と働き方には合わなかった、というわけだ。
記事の冒頭に紹介した労働時間の3カ国比較についても、ブレゴード教授は、「一人当たりの労働時間としては短くても、家族単位で見れば、日本と比べてもそれほど少なくはないはずだ」と指摘する。
デンマークではパートタイムが労働者全体の4分の1と多いことも、労働時間の平均を押し下げている要因だという。パートタイムの多くは週30時間労働で、フルタイムよりも週に7時間短いのだが、その半数以上は、保育施設や学校、介護施設などの公的セクターで働く人々である。
女性が労働市場に参入し始めた頃から、こうした分野で働く女性が多かった名残で、現在でも30時間のパートタイムで採用する傾向が強いのだという。
ちなみに、労使交渉によってフルタイムが現行の週37時間となったのは1990年のことで、その後30年以上も変化はない。だが、コロナ禍をきっかけに、これを見直して短縮化すべきではないかという議論も起きている。
昨年11月に行われた総選挙では、フルタイムを週30時間に短縮することを打ち出した政党もあり、「我々はすでに豊かで、生産性も高い。いま私たちが持っていないのは、家族との時間なのだ」と訴えていた。
ブレゴード教授は「昨年の調査によれば、過半数のデンマーク人が労働時間のさらなる短縮化を望んでいる。週休3日制を実験的に取り入れている自治体の調査結果も、かなり好意的なものだった。将来的には、より良いワークライフバランスを求めて、労働時間の短縮を求める人が増えるだろう」との見通しを語る。
デンマークの短時間労働の文化は、どうもますます強化されていきそうだ。
※この記事は2023年2月8日初出です。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。