タトゥーム・ケンバラさん。
提供:AnyMind
ブランド・インフルエンサー支援を行うAnyMind(エニーマインド)が8社目となるM&Aを行った。新たに子会社となるのは、インドネシアの女性起業家が起ち上げたEC支援企業Digital Distribusi Indonesia(以下、DDI)。買収価格は約507万米ドルだ。
CEOのTatum Kembara(タトゥーム・ケンバラ)氏は今後、D2CとEコマース分野の役員(マネージングディレクター)として、AnyMindに参画する。ハーバード卒、華僑のエリートという生い立ちだが、小学生の頃から父の会社で働き、20代なかばまでに両手の数ほどの起業を試みては失敗していたという、35歳にして筋金入りのアントレプレナーだ。
AnyMindに会社を売却した理由や、インドネシアという巨大マーケットが持つ可能性、日本企業の「慎重さ」、そして「NOと言われたことも、見下されたこともない」というインドネシアの女性起業家を取り巻く環境を語った。
Tatum Kembara(タトゥーム・ケンバラ):Digital Distribusi Indonesia CEO、AnyMindマネージング・ディレクター。大学卒業後、6年間FMCG(日用消費財)の流通でキャリアをスタートさせた後、ハーバード大学で修士号(金融)を取得。帰国後、経営コンサルティングA.T.カーニー、ファッション・スタートアップSales Stockを経て、インドネシアの有力EC企業Blibliへ。2019年に物流とECの双方の経験を生かしEC支援事業を展開するDigital Distribusi Indonesiaを設立。2023年、DDIは日本のAnyMind Group株式会社の子会社となった。
参考記事:AnyMindが2度の延期から悲願の上場。「不安を払拭したい」十河CEO単独インタビュー
起業するも追い出された過去
——留学後10年も経たないうちに起業、そして日本の会社とM&Aしました。とてつもないサクセス・ストーリーですね。
イエス!と答えたら傲慢(ごうまん)に思われるかな(笑)。達成感は感じています。負けず嫌いだし、トップを目指して頑張るタイプだから。
でも何千人もいる大企業の社員だったとき、上までいくには20年くらい必死に働くしかないのかなって思っていて。だから会社を作って日本の上場企業と合併できたのも、35歳でマネージング・ディレクターになれたのも両方とも「やった!」という感じ。想像もしていなかったので。素直にうれしいです。
——新卒後、会社員を6年したあと、2013年にハーバードの大学院に行きました。どんな意気込みだったんですか?
じつは父がスマトラ南部で流通の会社を経営しているので、大学卒業後は父の会社で働いていました。下っ端から6年かけて少しは出世して。でももっと何かを求めて世界最高の大学に行きたいと思いました。ハーバードは最高だった。すばらしい出会いもありました。
帰国後はA.T.カーニー(※マッキンゼーのスピンオフのコンサルティング会社)で働いて、その頃インドネシアにEコマースの波が押し寄せてきて。ファッションECに転職し、それからBlibli(※読みは「ブリブリ」。インドネシアの有力ECサイトを運営)に転職、それからDDIを起業しました。
提供:AnyMind
——そもそも経営者の家庭出身なんですね。
9歳、10歳の頃から父のオフィスに駆り出されていて。小学校の夏休みには、友達は旅行に行ってるのに私は父の会社に出勤していました。倉庫でも働いたし、お金の計算もしたし、父にやれと言われたことは全部やった。その頃からゆくゆくは自分の会社を持てと言われて育ちました。とにかく一生懸命働けと、仕事の仕方を叩き込まれた。会社が第二の家でした。
——まわりの子供たちも同じような環境だったのでしょうか?
私は中国系で、まわりの中国系インドネシア人の友達もほとんど経営者の家庭の子でした。みんな、家業の店を手伝わなきゃいけないとかそんな感じでした。ただ、うちの父は他の家と比べても特に厳しかった。新しいおもちゃがほしければお手伝いをしろとか、遊びに行くならまず仕事をしてからとか。勤労倫理は親から学んだと思います。
──DDIを起業するとき、すでに準備万端だったということですか。
その前からいくつか起業の真似事はしていました。でも失敗ばかり。妹とその友達とレストランを起ち上げ、半年でブレイクして二号店まで出した。でもシェフが自分の店を持ちたいと言いだして、経営側の私たちが追い出されてしまったこともあったし、流通をやってみようとして一人のスタッフに任せきりにしたら最後にはお金も顧客も全部持っていかれてしまったこともありました。
やってみたプロジェクトは5〜10個くらい。どれもいい勉強です。経験値も上がったし、失敗もたくさんした。結局、ウブで信じやすかった。何もわかっていなくて、「自分は何もしなくてもお金になるんだ、やったー!」みたいな(笑)。ウブだったとしか言いようがない。DDIを起ち上げたときは私自身も経験を積んでいたし、オンライン流通やEコマースの知識もあったので、そうですね、準備はできていました。
独自の発展とげたインドネシアEC
出典:AnyMind HP
──AnyMindと合併しようとしたのは?
CEOの十河(そごう)さんの夢や将来のビジョンにとても共感できました。最初に話をしたとき、DDIで何をしたいのかと聞かれて、「日本のコスメをインドネシアに売り込みたい」と話しました。
日本製コスメはインドネシアでは需要があるんだけれど、輸入するのが難しくて、その時点でそれができるのはDDIだけだと思っていました。当時のDDIは「売りたい製品があれば私達にまかせて! 何でも売ってあげるわよ!」くらいの勢いで、自信がありました。でも資本はなかった。AnyMindと話し合ってみたら相互補完できる完璧な関係だとわかったんです。
DDIはインドネシア国内での流通やECオペレーションは得意で、AnyMindにはテクノロジーとマーケティングのスキルがある。AnyMindの他のスタッフとも会ったらウマがあって、これは私が思い描いていた理想の会社だなと。
——インドネシアの人口は世界4位。約2.7億人です。巨大マーケットの特徴を教えてください。
消費意欲がすごく高い。インドネシア人は人生を楽しむことに貪欲で、楽観的で、人が良い。家族を大事にして、宗教も大事にする。生活を豊かにするためにどんどんモノを買ってくれるからビジネスにとっては願ったりの気質ですね。多様性の高い国だから需要も多様。化粧品でもいろんな種類のものが売れる。しかもそれぞれの消費者グループが何百万人という規模だし、とにかく若い。ビジネス・チャンスに満ちています。
——インドネシアは巨大な人口にもかかわらず米アマゾンが参入しておらず、ショッピーやトコペディアなどの独自のECサイトが栄えていますね。なぜなんでしょうか。
アマゾンはタイミングを逃したと思う。インドネシアのEコマースは2010年に始まったんですが、2014年までは誰も右も左もわからないまま、ゆっくりと進んでいた。あの時こそが絶好のチャンスだったのにアマゾンは入ってこなかった。そのあとECが大ブレイクして資金も流れ込んで、どのEC企業も大がかりなマーケティング・キャンペーンを始めて、ここでもアマゾンは参入しなかった。もう中国系や他の投資グループがたっぷり資本を注ぎこんで企業価値が上がってしまっていたから、私でももう割が合わないと考えたと思うけれど。
実際にアマゾンがインドネシア参入を真剣に考えたのは2018年。でも自分たちでいちから起ち上げるにしても、地元企業と合併するにしても、お金がかかりすぎる状態になっていた。
女性CEOとして感じる不自由ない
提供:AnyMind
——インドネシアの働き方についても教えてください。タトゥーム・ケンバラさんは女性起業家ですが、インドネシアには女性が働きやすい環境があるんでしょうか。「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書(2023年)」を見たら、日本が125位に対してインドネシアは87位。経済参加というカテゴリーでもインドネシアは87位、日本は123位でした。
個人的に仕事場でのジェンダー問題は感じない。少なくともインドネシアではアメリカみたいにジェンダーがイシューになってはいない。私はここ(CEOの地位)に来るまで誰にもノーと言われたことがないし、見下されたことも、女だからって仕事をもらえないということもなかった。個人的にはもうジェンダー平等という気がしています。
——インドネシア人の8割はムスリム系ですよね。ケンバラさんさんのような中国系とは意識も違うんでしょうか。
中国系でもすごく保守的で家父長的で、家業は息子にしか継がせないという家もあるし、一方でうちみたいに男女の違いはまったく意識しないで育てる現代的な家庭もある。同じようにムスリム系でも現代的な家族と超保守的な家に分かれていると思う。そもそもインドネシアは女性大統領も出しているくらいなので(※在2001〜2004年、メガワティ大統領)。
——たとえばインドネシアでは家事のアウトソースが盛んです。一方で日本ではフルタイムで働く女性でも『家事は自分(女性)でやれ』という圧力が政府の本音レベルでも強い。
ああ、それなら納得できるかも。インドネシアだと、どの家にもメイドがいるから女性は仕事に集中できる。中流家庭だとパートタイムになるけど、家事の外注は普通だと思う。私のBlibli時代の同僚たちも、DDIの社員もパートタイムのヘルパーをお願いしていた。シンガポールや香港にもインドネシア人のメイドがたくさん派遣されている。日本政府が早く何か対策をとってくれるといいのにね。日本の人たちと話していると、みんなとても悲観的で、「日本は変わらないと!」という話が多くて。私たちから見るとまだまだ一人あたりのGDPだってインドネシアとは段違いに大きいのに!
日本企業は「慎重」、スタイルの違いか
提供:AnyMind
——日本企業は意思決定がスローなどと批判されがちですが、どう感じますか。
AnyMindは日本の普通の企業とは全然違う。役員もグローバルで、いろいろな国の人がいる。スタッフも若くて、ほとんどの人が50歳以下。アジャイル・イノベーションが可能です。DDIでは日本の一般的な企業とも仕事をしているけれど、遅いというよりは「慎重」という言葉のほうが適切だと思う。それは必ずしも悪いことではない。社長はスタッフから集まったいろんな観点から検討して最終決断を下す。私の場合、CEOになってみたら「あれ、結論を急ぎすぎたかな?」なんて思うこともあるから、決断の速さはいい悪いではなくてスタイルの違いだと思う。
——負けず嫌いというお話でしたが、やっぱりお父さんを超えたいという気持ちがありますか。
あはは、そうね。やっぱり意識はしてると思います。
——「起業した会社を売却してエグジット。あとはラクに暮らす」という成功シナリオへの憧れは全然なさそうですね。
ないですね。70代の父もまだ現役で働いている。父や私のような人間は一生働き続けるんだと思う。これからAnyMindとの合併で刺激を受けて新しい事業が始められると思うし、未来は可能性に満ちていると思うとワクワクしています。