撮影:今村拓馬
こんにちは。パロアルトインサイトCEOの石角友愛です。
今回は、リスキリングにおける「出口戦略」の重要性について、日本とアメリカの事例をもとに考察したいと思います。
まず日本に目を向けると、LINEヤフーが新たに開設したリスキリングプログラム「LINEヤフーテックアカデミー」が話題になっています。
記事によると、このプログラムは未経験者をITエンジニアに育成する目的で、国の「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」に採択されています。条件を満たせば最大で受講費用の7割もの金額が補助されるという点が注目されています。
このプログラム自体は、リスキリングの需要が高まる中で非常に注目されるべき取り組みです。中途採用市場が拡大しているとはいえ、日本ではまだ人材の流動性が低く、ジョブディスクリプションによる採用方式に企業側も求職者側も適応できていません。その現状を鑑みると、意義は十分にあると考えられます。
前述した「最大で受講費用の7割補助」という特典は非常に魅力的ですが、全額の支援を受けるには、リスキリング講座を受けた上で、転職することが条件となっています。
つまり、転職を考えていない方々には、補助が一部しか適用されないということになります。このような転職を前提とした制度設計には注意が必要です。
なぜなら、リスキリングする労働者や転職支援を行う企業が、リスキリングの本来の目的から逸脱してしまうリスクを孕んでいるからです。
日本の「リスキリング費用 7割負担」何が問題か
10月12日から受講者の申し込みを開始した「LINEヤフーテックアカデミー」。
撮影:横山耕太郎
最も大きなリスクは、制度設計によって「転職すること」自体が目的となってしまうことです。
転職をしなければ補助金の全額を申請できない制度では、「補助を受けるために転職先を決めなければ」というプレッシャーが勝り、結果として自分が本来求めていない転職先を選んだり、場合によってはキャリアダウンしてしまうリスクも無視できません。
人によっては、転職せずに現在の会社でステップアップを目指したり、副業として新たなスキルを身につけたい人もいるでしょう。もちろん、転職によって新たなキャリアを歩んだり、収入を増やすことが目的の人もいるはずです。
どのようなケースでも、成功の秘訣は「リスキリングをした先になにを望むのか」の出口戦略を持っておくことです。
「転職するまで受講料免除」のユニークなリスキリングプログラム
では、リスキリング大国のアメリカではどうなっているのでしょうか。
最近の傾向では、転職先を見つけたら補助金が出るのではなく、「転職先を見つけるまで受講料を支払う必要がない」というユニークなブートキャンプが人気を博しています。
その一つが、私の新著『AI時代を生き抜くということ ChatGPTとリスキリング』でも紹介したBloom Tech(旧ラムダスクール)です。
撮影:Business Insider Japan
弊社でも同スクールからの卒業生を多数採用していますが、授業料が無料(年間5万ドル以上の仕事につくまでは返済不要)というユニークなモデルで展開しており、多くの社会人がキャリアチェンジのために受講しています。
アメリカの場合、リスキリングプログラムの受講料自体も高いため、一時的な初期投資としても出費が厳しいという人も多くいますが、このモデルであれば初期投資として自腹を切る必要がありません。リスキリングを始めるためのハードルが下がり、結果として母集団が大きくなるというメリットがあります。
プログラム期間は6カ月〜18カ月とさまざまで、自分のペースで進めることができます。また、卒業後、実務につなげるための実践的な内容に特化したハードな内容なので、アメリカのいくつかの企業では、「ラムダスクールを修了した」という、とそれだけで一定の評価が得られるとされます。
実際に、卒業生の最初の仕事の給与の中央値は年間6万5000ドル(約980万円)という調査データも公開されています。
このように、初期投資不要でチャレンジできることに加え、努力してプログラムを修了すれば採用する企業からも評価されるという仕組みは、リスキリング後の出口戦略として非常に優秀だと言えます。そうした事例は、日本でも大いに参考となるのではないでしょうか。
転職だけではない「出口戦略」
撮影:今村拓馬
出口戦略というと、ここまでお話ししてきたような新たな転職先をイメージする方も多いと思いますが、実はそれだけではありません。
例えば、同じ会社に在籍しながらリスキリングをし、別の部署へ移動したり、昇進する機会を得るのも出口戦略の一つです。
メンバーシップ型の採用が多い日本企業の場合、このタイプの出口戦略の方が企業目線で考えるとニーズが高いとも言えます。
こうした出口戦略を実行する上で重要となってくるのが、会社の上司などとの「Negotiation(交渉)術」です。うまく交渉することで、自分が求めるキャリアを手に入れられる可能性が広がります。
『AI時代を生き抜くということ ChatGPTとリスキリング』から、リスキリングの出口戦略を実行する上で必要な交渉に関して簡単にご紹介したいと思います。
ここでは、転職を前提としない出口戦略に伴う交渉のケースを考えましょう。社内での昇進や昇給などをリスキリングの目的とする場合、どのような選択肢があるのかをリスキリング前に見極める必要があります。
そのため、「このスキルを取得した場合、今いる企業ではどのようなキャリアが歩めるのか」といった部分をヒアリングなどでクリアにしておくと良いでしょう。
ヒアリングの際には、複数の選択肢を用意して「このなかで、どれが最も会社にとって価値があるリスキリングか」といった質問の仕方をすることも有用です。
評価を下げない「上司交渉」術
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交渉する段階でも、注意点があります。まずは「キャリアについて相談する相手を戦略的に選ぶ」という点です。これはアメリカのテクノロジー企業Metaの元COO、シェリル・サンドバーグ氏もある講演で指摘しています。
一般的にキャリアの相談を直属の上司にしたくなるのは自然な感情ですが、その内容が単なる悩み相談のように聞こえてしまうと、現在の仕事に対する評価が下がってしまう可能性があります。
そのため、交渉時には「積極的な姿勢を見せること」が重要です。転職先の企業や、昇進や昇給に影響を持つ上司に対しては、リスキリングを経て自分がどのように会社に貢献できるかという点を強調すると良いでしょう。
リスキリングは、自分だけのものではありません。企業や上司にとっても有益である必要があるという視点を持つことが大切です。
学び直しがアメリカで盛んな理由は、学習の成果を交渉の一つのカードとしてうまく使うことができるからです。日本も終身雇用や、年功序列、定期昇給といった旧来式のモデルから脱却しつつあり、今後リスキリングは、交渉の強力な材料となるでしょう。
このような社会的背景を考慮し、自らのスキルとキャリアを戦略的に管理し、交渉することは、今後ますます求められるスキルになります。
また、LINEヤフーテックアカデミーのような新しいリスキリングプログラムが次々と登場することが予想されるこれからの時代においては、その制度設計やプログラム内容に対する客観的な視点を持ち、自分に本当に必要な学びを見極める「目利き力」も必要です。
転職を前提とした補助金制度や未経験者を対象としたプログラム設計は確かに魅力的ですが、それだけではなく、プログラムが提供するスキルがその後の自身のキャリア形成にどれだけ良い効果をもたらすのか、といった本質的な部分を、出口戦略を含めて事前にしっかりと考慮することこそリスキリング成功のための重要な要素なのです。