30歳で会社を辞め留学。私を励ましてくれたのは西加奈子、柚木麻子の本だった

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筆者が通うベルギーの大学。

撮影:雨宮百子

私は、2022年の夏に30歳を機に書籍編集者を辞め、ベルギーの大学院に留学している。 ようやく1年間が経ったところだが、この1年間は楽しいことも多ければ、苦しいことも多かった。割合にしたら丁度半分半分くらいだろう。

そんなときに、支えてくれているのは書籍だ。最初は留学中に日本語の書籍を読むのに少しの抵抗はあったが、書籍が与える力は大きかった。今回は、読書の秋ということもあり、その中から数冊を紹介したい。

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『くもをさがす』…居心地のいい環境から抜け出すこと

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2023年10月、日本に一時帰国した際に撮影。普段は電子書籍で読んでるため、ベルギーの自宅には紙の本はほとんどない。

撮影:雨宮百子

まず最初に紹介する本は、西加奈子著の『くもをさがす』(2023年、河出書房新社)だ。

友人でライターの松田涼花さん(りょかち)が薦めてくれたものだ。カナダとベルギーで国は違うが、日本人として異国の地で感じた困難や苦労に自分を重ね合わせることや発見も多かった。

本書は、滞在先のカナダで乳がんと診断された西さんの8カ月間の闘病記録である。治療や体の変化、カナダの医療体制との向き合い方、そして自身の感情を正直に綴っている。

しかし、本書はただの悲壮な記録ではなく、カナダの女性医師たちとの交流や彼女たちの言葉が関西弁で再生されるエピソードなど、明るく力強いエピソードも散りばめられている。

特に、移民の街バンクーバーでは「助け合うこと」が当たり前になっていると西さんは指摘する。「人は一人では生きてゆけない」ということは当たり前であるにも関わらず、どこか東京では「一人でも生きていける」という驕りがあったことを告白している。

海外にいたら、誰かを頼らずには生きてゆけない。特に私の語学力ならなおさらだ。それは、がんになる前からそうだった。駐車の許可証の取り方から、日本食が売っている店を教えてもらうことから、家を空ける間猫の面倒を見てもらうことまで、様々なことに関して、いろんな人に助けてもらった。どこかで助けられることに慣れ、同時に、誰かを助けることにも慣れた。 『くもをさがす』より引用

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時間に余裕がある時はお香をたいてソファで読書。だが、実際にはそんな時間はほどんどとれない……。

撮影:雨宮百子

社会人になってから留学をして良かったことの一つは、自分を再構築できたことだろう。

ベルギーに来る前は、紆余曲折はあったものの、編集者として仕事を楽しみ、日常生活も楽しく過ごしていた。日本では、当然言語も通じるし、どこでも行きたいところに一人で行けた。

しかし「居心地のよい環境」を自分から壊したことで、日常の有難さや、助け合って生きることの意味に気付くことができた。

授業は英語でも、大学では重要なメールはフランス語で送られてくるので、友人が教えてくれないと見逃してしまう情報もあった。

また、頭の中では沢山のことを考えていても、言葉に出せない、自分を表現できないもどかしさによって、アイデンティティクライシスに陥りそうにもなった。30年間やってきたこと全てが無意味だったのではないかとすら思ったことは、一度や二度ではない。

全て、東京に住んでいたままでは気付くことができなかった価値だろう。辛いことがあっても、順調な日常が続くと、その有難さや自分の優位性を忘れてしまうのが人間なのかもしれない。だからこそ、あえて自分で「へし折る」ことは、自分や社会の再発見につながる。

「苦労はなるべく避けたほうがいい」という考えも当然あるだろう。それでも、変化が激しい時代に変わらないものなどない。そうであれば、変化が怖くなるまえに、「変化への耐性」をつけたほうが、結果的には未来をポジティブに迎えられそうな気がする。

『QUITTING』…辞めてもいいと思えること

本

個人的には紙の本がすきだが、移動が多いので、最近は紙で買うことはほぼない。

提供:日本経済新聞出版

次に紹介したいのはジュリア・ケラー著の『QUITTING やめる力 最良の人生戦略』(2023年、日経BP)だ。本書は、あきらめる力の重要性を科学的に解説した書籍だ。

生物が種の保存のために退避行動をとることから、人間も「やめること」には正しいタイミングがあり、それを見極めることで前向きな人生を切り開くことができると主張している。

著者は、最新の神経科学や進化生物学の知見をもとに「辞めた」という行動が持つネガティブなイメージを払拭し、それを前向きな選択として捉える方法を提案しているのがユニークだ。

特に日本では「石の上にも三年」という言葉があるように、辞めることはネガティブな意味合いで捉えられることが多い。私自身、親から「自分で始めたことは絶対にやめるな」と教育されたこともあり、辞めるということに対するネガティブなイメージは強かった。

「世界を見なさい」と留学を迷っていた当時の私の背中を押してくれた、一橋大学名誉教授の石倉洋子さんは、「見切りの洋子」と呼ばれていたようだ。石倉さんとはかつて著作の編集を担当したことがきっかけで、その後も多くのアドバイスをいただいている。

まずはやってみる、そして「合わない」と感じたらすぐに辞めることの重要性を教えてくださった。大学院にきたのも、嫌になったら辞めればいいと思えたからだ。

もし、出願する前に「初めての留学だし、卒業できなかったらどうしよう」などとあまりに深く考えすぎていたら、最初の一歩すら踏み出せなかったかもしれない。

困難は、必ずしも乗り越えなくていい。始めたことは、必ず終わらせなければならないわけではない。やめたいときにやめられれば、人生の可能性が広がる。やめることは、人生の豊かさを信じること。なぜなら、やめることは希望だから。それは明日について考えることでもある。やめることは、そうせざるを得ないときに、何度でも、変われるということなのだ。 『QUITTING やめる力 最良の人生戦略』 より引用

都市ルーバン

筆者はベルギーのフランス語圏に住むが、オランダ語圏(写真はルーバン)にも魅力的な街が多い。

撮影:雨宮百子

自分の経験を振り返っても、やってみないと分からないことは多い。「辞めてもいい」と考えられるだけで、気軽に何かにトライできる。

実際、ベルギーでは学生が辞めていくことも多いように感じる。ある友人は、1年大学院に通ったものの、教授と相性が合わなかったようで、今年の9月から別の大学院に行きなおす。

ほかにも、授業の単位が取れなかったから辞めた、思ったよりも数式が多かったのでコースを変えた、など理由はさまざまだが、みんな気軽に進路を変える。修論を書いたり、テスト勉強をしたりするのを辞めて、次年度に延長する生徒も珍しくない。

特に日本人は、「辞める」ということを、本来もっと気軽に捉えてもよいのかもしれない。

『らんたん』…できない理由を探してはいけない

スマホ

移動中でも読めるようにスマホおは大きいサイズを選んでいる。

撮影:雨宮百子

最後に紹介するのは、柚木麻子著『らんたん』(小学館、2021年)だ。

以前、知人がFacebookで薦めているのを見てから、読みたい本リストのなかに入っていた。本書は、恵泉女学園の創立者、河井道の生涯を中心に、明治から昭和にかけての女性たちの奮闘を感動的に描き出しており、読む者に活力を与える一冊だ。

河井道の生涯は、波乱に富んでいた。1877年に伊勢神宮の神職の娘として生まれた道は、明治維新の影響で家族と北海道へ移住。そこで新渡戸稲造や有島武郎との出会いを経て上京し、津田梅子の下で学び、アメリカ留学では野口英世とも交流。

帰国後、女性のための学校設立を目指し、元教え子の渡辺ゆりとともにその夢を実現した。学校運営では斬新な方針を提案し、多くの女性活動家とともに女性の権利獲得を目指した。

「何かを始めるのに、いくつになっても遅いということはないし、若いからと言ってすぐに結果を出さなくてはいけないというのも、愚かなことですわ。」 『らんたん』より引用

食事

ベルギーでの食事。円安の影響もあり、毎日自炊するようになった。

撮影:雨宮百子

約100年前、海外は今よりはるかに遠いものだった。そんな時代に、外国で生活し、外国人と交流した先人たちの(今のように当然スマホもネットもない!)努力や葛藤を書籍を通じて垣間見ることができた。

これに比べたら、検索すれば何でも出てきて、一瞬で日本語を英語に翻訳してくれる時代に生きている私はなんて楽をしているのだろう。

英語でメールを打っても、フランス語が話せないことを忘れているのか、または先生が英語ができないのか、フランス語で返信をされたことは枚挙にいとまがない。公式の書類も全てフランス語なので、その都度スマホカメラを利用したグーグル翻訳や、DeepLなどで翻訳をする。溜息をつきそうにもなるが、こんなツールがない時代の人たちのコミュニケーションは想像を絶する。

また、語学は慣れでもあり、使っていれば確実に日々上達はする。子どものほうが吸収は早いかもしれないが年齢は関係ないだろう。問題は、勇気を出して飛び込むか飛び込まないかなのだろうということを改めて痛感させられた。

日本の明日をより良いものにしたいという彼らの志にも奮い立たされた。

私がそうだったように、社会人で留学すべきかどうか、悩む人も少なくないだろう。

留学中の実感から言うと、留学するということは今までの自分から脱却し、新しい世界にチャレンジすることだ。

留学における「スクラップ&ビルド」のプロセスは、人によってさまざまだろう。

しかし、間違いなく孤独と戦う時間もあると思う。そんな時にすっと手を差し伸べてくれるのが、書籍の大きな魅力の一つかもしれない。


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