リスキリング支援に「ズレている」との声。政府の補助制度が不発な理由

kishida

政府が11月2日の臨時閣議で決定した新たな経済政策にも「リ・スキリング」の支援が盛り込まれ、今も制度に関わる議論が進んでいる。

Reuters

「リスキリングに取り組もうと思っても、役に立つような政府の補助って全くないんですよ。なんなら転職までお勧めされるので、制度設計がちょっとズレているなと感じます」

都内のSaaSスタートアップに勤務するミキさん(仮名、35歳)は、そう話す。

岸田政権が「5年で1兆円」をリスキリング支援に当てると発言してから、はや1年が経過した。

この間に打ち出されたリスキリング関連の施策はいくつかあるが、一つの目玉は経済産業省が2023年6月から新しく開始した「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業だ。

2022年度補正予算では753億円と、決して少額ではない予算が充てられたがこの制度の認知度は低い。

リスキリングプログラムの受講料を最大7割、最大で56万円も補助する制度だが、認知が進んでいない理由の一つが「一定期間のリスキリングを受けた後で転職すること」を狙っていることだろう。

この支援事業では、今の会社で働き続けながらリスキリングに取り組みたいという人は、対象から除外されているのだ。

LINEヤフーの講座55万円が「20万円」に

ヤフー

「LINEヤフーテックアカデミー」のウェブサイト。補助を受けるためには「雇用主の変更に伴う転職を目指している方で、企業・会社と契約し働いている方が対象となります」と書かれている。

撮影:横山耕太郎

LINEヤフーは2023年10月12日、未経験者からITエンジニアへの転職を支援する新たなリスキリングプログラム「LINEヤフーテックアカデミー」を開設した。

このプログラムの受講費用は税込55万円だが、条件を満たせばそのうち35万円が還元されるため、実質の負担は20万円に抑えられる(受講を終えた時点で25万円が支給され、転職して1年勤務している場合にはさらに10万円が支給される)。

ただこの補助の条件は「雇用主の変更に伴う転職を目指している方で、企業・会社と契約し働いている方が対象」と明記されている。

ヤフーは2022年にリスキリング事業に参入しており、第1回の開催時にはこの補助制度はなかった。それでも1期生は募集開始からの3日間で当初の定員100人を超える申し込みがあったため、定員を140人に拡大するほど注目された。

1期生のうち、転職を希望していた受講生の割合は38%だった。つまり6割を超える受講生は、転職を目的とはせずに、プログラミングを学んでいたことになる。転職を希望しない層にも、根強いプログラミング学習のニーズがあるといえる。

「最大56万円の負担軽減」をアピール

経産省

経産省が認定する補助事業者は、リスキリングだけでなく、転職支援まで一貫して行うことが条件となっている。

撮影:今村拓馬

経産省の「リスキリングによるキャリアアップ支援事業」は、「在職者のキャリア相談、リスキリング、転職までを一体的に支援する」とする制度だ。

具体的には、転職支援を手掛ける事業者を経産省が「採択事業者」に認定し、補助金を支払う。

採択事業者の認定条件は、「1.キャリア相談、2.リスキリングの提供、3.転職支援、4.転職後のフォローアップ」の4段階を全て実施することとされている。

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出典:経産省「リスキリングによるキャリアアップ支援事業」ウェブサイトより

受講者はリスキリング講座の受講を修了した場合、40万円を上限に受講費用の2分の1の補助を受けられる。

また講座後に実際に転職し、その後1年間継続的な就業が確認できた場合には、16万円を上限に講座の受講料の5分の1が追加で補助される。そのため経産省は「受講者は最大56万円の経費負担を軽減できる」とうたっている。

採択事業者

二次公募で採択された事業者の一部。現在も公募が続いている。

出典:経産省のウェブサイト

補助金を受け取る認定業者は、公募で受け付けており、1次公募で51事業者、2次公募で36事業者が採択されており、今は3次公募受付が終了した段階だ。

採択事業者には、IT人材育成を手がける事業者に加え、主に人材派遣を手がける企業などが並ぶ。

政府が進める「三位一体の労働市場改革」とは

そもそも、なぜ政府は転職ありきの制度設計にしているのか?

その理由の一つが、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」が打ち出す「三位一体の労働市場改革の指針」(5月16日)にみてとれる。

「三位一体の労働市場改革」が目指すのは、具体的には以下の施策だ。

  • 個人に対して時代が求めるスキルを修得するリスキリングを支援する
  • 企業に対しては求めるスキルを明確にした「ジョブ型賃金」の導入を促す
  • 学んだスキルと企業が求める職務をマッチングすることで、成長分野への労働移動の円滑化する

これらの結果、転職が促進され賃金が上がっていく仕組みを作ることを狙っており、今回の経産省のリスキリング支援事業についても、同様の狙いがある。

経産省「利益を上げにくいビジネスモデル」

経産省

イベントで講演する経済産業省経済産業政策局長・山下隆一氏。

撮影:横山耕太郎

2023年9月1日の「日経リスキリングサミット」に登壇した経済産業省経済産業政策局長・山下隆一氏は、同サミットの講演で「日本が成長するためには、個人が成長分野の新しい業務のためにスキルを獲得することと、成長分野への円滑な労働移動をこれ同時に進める必要がある」と述べ、リスキリング支援事業についてこう説明した。

「リスキリングと労働移動を同時に進めるための転職支援は、求人と求職者をマッチングするビジネスと比べると回転率が悪く、利益を上げにくいビジネスモデルになっている。

リスキリングと労働移動の一体的な推進への支援に必要な最初の初期投資、システムの構築を支援することで持続的なものにしていこうと思っている」

また山下氏の講演では、以下のようなリスキリング成功例が紹介されていた。

  • キャリアアップやライフイベントに不安を抱える女性が、在宅企業が可能なIT業界やスタートアップに転職
  • コロナ禍の影響を受けたアパレル、ブライダル、飲食店などの従業員が、Web開発エンジニアとして事業会社へ転職

こうした例示からも経産省のリスキリング支援事業が「構造的な賃上げ」を目指していることが分かる。

「本質的なリスキリングとは言えない」と批判も

ただ今回のリスキリング支援事業が、あらゆるケースで賃上げにつながるのかどうかは疑問が残る。

経産省が参考として提示している「キャリアアップにつながるリスキリングのイメージ」では、リスキリングの内容が列挙されているが、その内容は多岐に渡り、かつレベルもさまざまだ。

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出典:経済産業省『リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業について』

IT分野の「データベーススペシャリスト」「オラクルマスター(ゴールド)」などの資格が示されている一方で、「フィナンシャルプランナー2級」や「ITパスポート」「PCスキル基礎+ビジネスマナー」まで例示されており、スキルを身につけて成長分野に転職するという目的に必ずしも合致しないように思えるものもある。

リスキリング関連事業の関係者は、こうした現状を「たった数カ月のリスキリングを通して転職できる職種は限られている。本質的なリスキリングとは言えない」と批判する。

リスキリングをした結果、転職してしまうのであれば企業にとってリスキリングは悪という発想につながる。企業がリスキリングに消極的になってしまることを懸念している」(リスキリング事業関係者)

今回の経産省の支援事業について、こうした疑問に答えていくことが求められている。

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