イスラエル・ハマス衝突で「分断」進むアメリカ。声上げることにも恐怖、このままでは永遠に問題解決できない

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イスラエル軍の空爆を受け、巻き込まれた人たちの救助に乗り出すパレスチナの人々(ガザ地区北部のジャバリア難民キャンプ、2023年10月31日撮影)。

Reuters

10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたショッキングな映像を見て、起こっている事態を消化したあと、それからやってくるだろう事態を想像して暗澹とした気持ちになった。

イスラエルが全面的な報復をすること、アメリカをはじめとする西側諸国がそれを支持するだろうこと、イスラモフォビア(イスラム恐怖症)と反ユダヤのヘイトスピーチが噴出すること、そして、自分の暮らすコミュニティで分断が起きること。こうしたことを想像して、恐ろしい気持ちになったのだ。

9.11からつながる現在地点

それからの経緯の最中、何度も、2001年9月11日の同時多発テロの後に起きたことを思い出した。

あのときアメリカ本土を攻撃した首謀者オサマ・ビン・ラディンは、パレスチナの人たちが置かれる状況とアメリカの中東政策に怒りを持っていた。そのビン・ラディンに対し、アメリカの世論は圧倒的な数で報復を支持し、アメリカはビン・ラディンをかくまっていたアフガニスタンに侵攻した。それが、終わらない泥沼の戦争と駐留へとつながった。

米軍は2021年8月、20年間駐留を続けたアフガニスタンから完全に撤退したが、その直後にタリバンが大統領府を掌握。急激な情勢悪化を受け、多くの人々が国外へと脱出する事態となった(写真はカナダ空軍の輸送機で避難する民間人)。

Canadian Armed Forces/Handout via REUTERS

同時多発テロ以降、アメリカ国内では、イスラム教徒やそれと間違えられたシーク教徒に対するバッシングとヘイトスピーチが頻発した。同時に、当日の現場にユダヤ人はいなかったという反ユダヤの陰謀論や、政府内部による犯行だったとの陰謀論が登場し、その後の陰謀論の進化のベースになった。今私たちが立っている現在地点は、あの日と確実につながっているのだ。

当時、ニューヨークに暮らしていた私も一瞬ではあったけれど、「本土が攻撃されたのだから報復も仕方ない」という世論に引きずられかけた。今は違う。ハマスのテロ行為を許してはいけないのと同じくらい、イスラエルの占領状態には反対だし、どんな歴史の経緯があろうとも、民間人を巻き込む侵攻や攻撃はすべて同様に反対しなければいけないと思っている。

暴力を正当化するものなどない

イスラエルによる攻撃が始まると同時に、私のSNSのタイムラインは、イスラエルのそもそもの占領政策や、イスラエルがパレスチナのライフラインを遮断したこと、民間人の暮らしや命が危機にさらされていることについての投稿で埋まった。

自分も何か言わなければいけないと思いつつ、ポストするには少し勇気が必要だった。中東という遠くの土地のことについて自分が発言することに対する躊躇もあったし、自分のまわりのユダヤ人にどう思われるかという懸念がなかったとはいえない。

しかし今回は、私がフォローしているユダヤ人のアクティビストたちが、イスラエルの政策と占領を非難し、即時停戦を求めて声を上げている。普段から植民地主義や帝国主義、軍需産業や民間人を巻き込む暴力や戦争に反対している人たちだ。

ニューヨーク市のグランドセントラル駅を封鎖し、停戦と人道支援を求めて座り込みをする人たち(2023年10月27日撮影)。

Michael Nigro/Sipa USA via Reuters Connect

過去のイスラエルとパレスチナの衝突と今回との圧倒的な違いは、TikTokをはじめとするSNSの存在だ。特に、ガザ地区の中から発信される映像や画像、音声が、まさに攻撃下にある人たちの様子を鮮明に映し出している。

攻撃が始まると、ニューヨークでは街のそこここで次々とデモや集会が活発に行われるようになった。10月28日にはニューヨークのグランドセントラル駅で、ジューイッシュ・ボイス・フォー・ピースが主催する座り込みが行われ、停戦を求めて参加した州議会議員3人を含む300人が逮捕された。

私は10月29日、ブルックリン・ミュージアムから出発したデモ行進に参加した。参加者の数はメディアによって多少の差があるが、7000〜9000人が集まったと報じられている。

このデモの集合場所では、自分がユダヤ人であることをサインなどで明示しながら、即時停戦を求めるプラカードを掲げる人の姿が数多く目についた。常日頃からシオニズム(ユダヤ人国家建設運動)に反対の立場をとるハシド派の人たちと、アラブ系の人たちとが肩を組んで写真を撮る光景も見られた。上空には物々しくヘリコプターが飛び交い、行進のために配備された警察の数には圧倒されたが、行進は平和裏に終了した。

行進が始まる前、挑発にやってきたと思われる男性2人組が、わざわざ群衆の真ん中で「パレスチナで女性たちがどんな扱いを受けているか知っているのか?」とがなり立て始めたが、帰れのコールに圧倒されて場を去っていた。

女性がどれほどひどい扱いを受けようと、それが暴力を正当化することにならないということは、同時多発テロ以降の経過から得た教訓のひとつでもある。今回はSNSを通じて、ガザの内部で女性たちが苦しむ姿をつぶさに見ているだけに、その理屈がいかに非合理なものかがいっそう際立つように思える。

分断は家庭、大学、職場でも

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