国立科学博物館の篠田謙一館長。Business Insider Japanの単独インタビューに応じた。
撮影:猪野航大
「『クラウドファンディングで資金を集めれば良い』という話になるのを危惧しています」
国立科学博物館の篠田謙一館長は、「地球の宝を守れ」を合言葉に8月からスタートした科博のクラウドファンディングについてこう語る。期限となる11月5日23時を前にすでに8億4000万円以上の資金が集まる大成功となったクラウドファンディングだが、本当に重要になるのはクラファンの後だ。
篠田館長のインタビュー後編では、クラウドファンディングを実施することになった国立科学博物館のそもそもの「お金事情」や、日本で寄付金が集まりにくい要因。そして、大きな話題となったクラウドファンディングの「答え合わせ」のタイミングについて話を聞いた。
科博に「金がない」原因は?
国立科学博物館。
撮影:三ツ村崇志
—— クラウドファンディングで集まった金額は非常に大きい一方で、科博の年間予算(2023年度:約35億円)を考えるとそれで全てが解決するような規模でもありません。そもそも、科博の資金不足は何が原因だったのでしょうか?
今回の資金不足は特殊事情が重なった結果です。3つのマイナス要因がありました。
一つは、コロナ禍で入館者数が減ったこと。加えて、新設予定の収蔵庫の建築費が資材高騰の影響で当初の予想よりも上がってしまい、資金が足りなくなったこと。あとは、光熱費の高騰です。
これが重なり、2023年1月の段階で資金が不足することが予想されました。
今年度(2023年度)に関しても研究費を5%カットしたり、事業費を10%カットしたり……調整しても1億円ほど足りない。企業から外部資金を集めたり、賛助会員という形で一般の方からいただいたりしたお金を加えても、埋められそうにない。だから、クラウドファンディングを実施する判断をしました。
—— 今回は特別だったということですが、そもそも通常の設備のメンテナンス費用なども潤沢ではないと伺っています。
そうですね。現在の状況が続けば、「研究費を削りましょう」という話にはなったでしょう。現実にそのような状況に苦しんでいる博物館は全国に沢山あると思います。
ただ、今回はタイミングも悪かったんです。(日本で)コロナの感染者が出始めたのは2020年の1月のことでした。でもその時には次年度の予算は決まっていました。そこでいきなり閉館しなければならなくなり、入館料収入が大きく落ちました。
1年目は前年までに蓄えていた余剰金を吐き出す形でなんとか乗り切りました。 2年目には少し来館者数が戻ってきたので、「全体の事業を昨年並に縮小すれば大丈夫ではないか」と考えて予算を編成しましたが、その後2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、それに伴いエネルギー危機がやってきました。これも予算編成の後でした。
国立科学博物館の館長室の一角にある「カビ」。補修は後回しになっている状態だ。
撮影:猪野航大
—— 補正予算などで手当てはできなかったのでしょうか?
秋の補正予算で補填を申請しましたが、国からは認められませんでした。
独立行政法人は5年を超えて予算を繰り越すことができないので、内部留保を貯めておくことも難しい。国からは安定的に運営費をいただいていますが、それは社会が変動しないことを前提にしています。だからこそ、こういう突発的な変化には対応できないのです。
—— 独立行政法人の弱いところですね。そういった意味で、今後は交付金と自己収入のバランスなど、収益構造を考え直す必要があるのでしょうか?
現状は、(収入のうち)交付金が8割(約28億円)自己収入が2割(約7億円、どちらも2023年度予算)です。
支出のうち、研究費は全体の12%程度です。今はどこの大学や研究機関でもそうですが「研究者自身の研究資金は(科研費や産学連携などで)自分で稼げ」という状況です。それには従わざるを得ないと思っています。ただし、外部資金を獲得することが難しいけれども、研究機関としてやらなければならない研究もあります。科博の場合は、それがまさに標本の収集・保管・維持になるわけです。この部分は館として保証する必要があります。
国立科学博物館概要2023に記載されている、2023年度の支出見込みの内訳。研究関係経費は全体の約12%の4億4200万円ほど。展示、収集、学習関係経費や人件費などの基本コストが大半だ。
撮影:三ツ村崇志
外部資金から確保したお金は研究者個人の研究に回して、あとを国に支援してもらえれば、というのが基本的な考えです。少なくとも展示の費用や学習支援、収蔵庫での保管など、利益を生まないが民間には任せられない社会的な意義がある活動は、国の支援を受けて独立行政法人としてやるべきだと思っています。
今の交付金と自己収入のバランスを急激に変えると、組織が立ち行かなくなる可能性もあります。それは今回の状況を見れば明らかです。
—— 外部資金の獲得を増やし、その浮いた分を公的な活動に配分すると。
外部資金をより多く獲得するためには、それなりの準備が必要です。例えば新たな展示を作るとか、魅力的な設備を準備するとか、あるいは研究設備を整えるとかです。その先行投資なしに、外部資金を多く獲得することは難しいでしょう。
また、外部から資金を得れば得るほど国からの交付金が減ってしまう構造になると、組織によっては稼ごうとするモチベーションもなくなってしまいます。これはどこの博物館、美術館でも同じことだと思います。
答え合わせは12月
科博のホームページには、個人会員(シルバー会員以上)と団体会員の名前が掲載されている。
画像:国立科学博物館のウェブページより
—— 国からの支援も引き続き必要な一方で、日本では企業からの支援や、個人による寄付の金額も経済規模・人口規模に対して少ないようにも思います。
私が館長になってから、資金援助のお願いのために大きな企業をいくつか巡ってみたのですが、日本の一般的な株式会社では、寄付的なものに払える金額は大きくても500万円程度のようでした。
しかも「こういう目的に使っています」と企業名が出たり、「SDGsの活動に使っています」となったりしないとお金は出せないようでした。ですので、科博の活動に賛同して(自由に使えるお金を)1000万円、1億円寄付します、などということは現実的には考えにくいと感じました。
※編集部注釈:大英自然史博物館の2022年度の寄付金は約16億円(880万ポンド)。科博は約2億円。
—— 科博の活動はSDGsそのものでは?
私もそう思うのですが、具体的でなければいけないんです。例えば「絶滅危惧種の植物を育てています」などという具合に。そういう活動も一生懸命やっていますが、本業を捨ててそれだけをやるわけにはいきません。
結局のところ、個人のお金持ちが寄付をしなければ難しいと思います。それこそ、アメリカのスミソニアン博物館では、個人寄付が大きいんです。
日本の場合、お金を持っている大企業の創業社長のような方が代替わりして、会社がパブリックなものになってしまった。そういった支援をする方は、2022年に亡くなった京セラの創業者の稲盛和夫さん(科学振興に携わる稲盛財団を設立)などが最後なのかもしれません。
——日本のこの30年間の経済的な停滞が、文化への資金循環が目詰まりする要因の一つになっていると言えるのかもしれません。
それも大きな要因だと思います。寄付文化云々だけではなく、そもそもお金持ちの形が変わってきているのかと。
ただ、今回のクラウドファンディングでは法人枠で1000万円支援してくれた企業がありました。そこはIT企業でした。IT企業は、やっぱり創業者が力を持っていますから。そういう企業がこれからの科学を支えてくれればと思います。
科博は常設展だけでも展示数が膨大だ。展示内容も多岐にわたっており、さまざまなファンが科博に集う。
撮影:三ツ村崇志
—— もう少し草の根的な個人の「ファン作り」はどう進めていく予定ですか?
実はクラウドファンディング中に、賛助会員もすごく増えています。この1カ月(9月末の取材段階)で、今までの3倍から4倍のペースです。
今回のことで、(現状の仕組みだけでは)突発的な状況に対応できないことが明らかになりました。今後は、クラファンに支援をしてくださった方に定期的にご連絡差し上げたり、色々な展覧会でファンを増やしたり、収蔵庫見学などの特別なイベントをしたりと考えています。どんなやり方が良いかは検討しているところですが、それがうまくいけば経営的にも安定すると思います。
—— ただ「日本の科学技術の現場にはお金がない」という話は、以前から指摘されています。そのような方法でうまくいくのでしょうか。プロジェクトチームのようなものを作って、企業との関係づくりや賛助会員増に向けて今までとは違う仕掛けをすることは難しいのでしょうか?
科博にはイノベーションセンターという組織がありますから、そこが中心に進めていくことになると思います。ただ、このクラウドファンディングを経て、どのように進めていくかは、まだこれからになります。
—— 民間人材を登用して新しいプロジェクトを動かしたり、科博で養成している「科学コミュニケーター」と呼ばれる人材をうまく使ったりするのも方法の一つでは?
そこが結構難しいポイントだと思っていて、例えばファンドマネージャーを入れるにしても、国家公務員の給与水準では難しいでしょう。ただ、そうは言ってもこれから変わっていかなければならないことは間違いありません。日本にはきっと、日本のやり方があるはずで、それを見つけないといけないですね。
科学コミュニケーターにしても、今は一般教養の一部のようになってきてしまっています。それが直ちに就職に結びつかないという問題があります。科博もこれまで300人 ほど科学コミュニケーターを養成したのですが、科博自身にこのコースの修了者は1人もいません。そういう方が活躍するためには、博物館という組織が変わる必要もあります。
8月上旬に開かれたクラウドファンディングの実施に関する記者会見。この数時間後に、目標金額1億円を達成した。
撮影:三ツ村崇志
—— 国からの支援、企業や一般市民からの寄付など、「どれがいい」という話ではなく、全ての側面で変えていかなければならないことは多そうです。
そうですね。今回これだけの支援を頂いているので、科博だけが経営を安定化できればよい、という話にもならないと思っています。「科博が成功したから、クラウドファンディングで資金を集めれば良い」という話になるのを危惧しています。
クラウドファンディングで博物館同士を競争させるシステムになることは、寄付者にとっても望むことではないでしょう。ですから博物館同士の協働ということを進めて行きたいと考えています。政策決定をする人たちにも、その点は理解していただきたいと思っています。
来年度の概算要求が発表されましたが、文化庁から財務省への要求額は減っていません。ですから文化庁としては、クラウドファンディングの成否に関係なく予算を要求されたのだと思います。問題はその先の財務省がどう考えるかです。
この答えは12月に出ます。そこでクラウドファンディングをやって巨額な資金を集めたことがどう評価されたのかが分かると思っています。少なくとも、大事な組織であるということは、多くの方に認めていただいていると思います。それが今回、可視化されたわけです。それに対して国がどう考えるのかには、注目しています。