1962年に車両の通行を禁止し、歩行者天国化されたコペンハーゲンのメインストリート「ストロイエ」。建築家ヤン・ゲールが提唱する“人間のスケールの街づくり”を世界に広げる起点となった。
撮影:井上陽子
北欧・デンマークで暮らし始めてから何年目だったか、イギリス・ロンドンに遊びに行った時の戸惑いをよく覚えている。林立するビルに囲まれて、私は圧倒されていた。その感覚に驚いたのは、以前、東京に住んでいた頃にロンドンを訪れた時には、そんな圧迫感を感じた記憶がなかったからだ。
これを機にコペンハーゲンの中心部を観察してみたところ、大企業が一等地に高層ビルを建てるようなことがないし、歩行者天国を中心とした低層の街並みが続くことに気がついた。それが、歩く人の感覚に合わせた都市設計のためだと知った時、なるほどそういうことか、と膝を打った。
低層の街並みが続くコペンハーゲンの中心部。
撮影:井上陽子
連載ではこれまで、オランダと並んで世界トップと言われるデンマークの自転車インフラや、人間の本来のニーズを深く探った上で製品やサービスに活かす「デザイン思考」のアプローチ、そして、あらゆる層の人が使う空間を質の高いものにしようとしてきたデンマークの建築の伝統について書いてきたが、これらの源流には、「人を中心に据える」という考え方があるように思う。建築物にしろサービスにしろ、それを使う人間に対する意識の高さ、とでも言ったらいいだろうか。
こうした考え方がいかにデンマークに浸透していったのかと考える時、その象徴的な人物として名前が挙がるのが、「人間のスケールの街づくり」という考え方を広げたデンマークの建築家、ヤン・ゲール氏である。前回の記事で紹介した「デンマーク建築センター」CEOのケント・マティヌセン氏が、“現代デンマーク都市設計の父”と呼んでいた人だ。
この連載は、私が会いたい人に会いに行くための企画でもあるのだが、今年87歳になったゲール氏は、初めからその念頭にあった人だった。ベンチに座って街ゆく人々を観察し、スケッチブックに詳細に書き記してきた人らしく、インタビュー中も熱心にメモを記しながら、60年にわたる仕事の軌跡を伝えてくれたのだった。
紙と鉛筆を手に、これまでの仕事について語ってくれたゲール氏。
撮影:井上陽子
建築には「人間」との関係が欠けていた
ゲール氏が王立芸術アカデミーで建築を学んだのは1950年代。当時の建築界にはモダニズムが到来し、奇抜な建物が評価される時代だった。これに対し、心理学者である妻や自宅に集まる妻の友人らは、建築家は人間のことをまったく理解していない、と常々批判していたそうだ。
1960年に大学を卒業し、中世の教会など歴史的な建造物を専門にする仕事を始めたゲール氏だが、そのキャリアが変わるきっかけは、ある教会関係者からの依頼だったという。
空いた土地に居住施設を建てたいが、何かこれまでにない、「人にとっていい建物」を作ってほしい、というリクエストだった。だが、人にとっていい建物とは何なのか、建築家はそのデータを持ち合わせていないと考えたゲール氏は、妻とイタリアに向かう。イタリアこそ、人々がいい暮らしを送る街だと考えてのことだった。半年間の滞在中、スケッチブックを手にベンチに座り、多くの人で賑わう広場や通りの条件について観察を続けた。
この時のデータを元にした論文が話題となり、ゲール氏はデンマークに帰国後も、人と街との関係についての研究を続けることになる。研究者としてデータ集めの舞台としたのが、1962年に車道通行禁止にして歩行者天国に作り変えたコペンハーゲンのメインストリート「ストロイエ」(冒頭の写真参照)だった。車社会の到来により、街の中心部に車が溢れるようになったために市がとった措置で、初めこそ自動車ユーザーの反対にも遭ったものの、市民の賛同を得て、車両通行禁止のエリアは次第に広がりを見せる。
「それまでは、建築についての技術的な研究と、人間にまつわる研究は、完全に分かれていた。建築物の構造だけを研究するのは簡単だが、“建物(form)”と“人間(life)”の関係性について研究したのは初めてだった。だから、研究結果をまとめた本が、世界中に翻訳されて広がることになったんだ」
ゲール氏がこれまで書いた7冊の本は、42カ国語に翻訳されたという。背後にあるのは、日本語にも訳された著書『Cities for People(邦題:人間の街——公共空間のデザイン)』。
撮影:井上陽子
ゲール氏が著書で伝えてきたのは、「人間の感覚とスケール」という考え方である。そこで指摘しているのは、高層ビル群の街や、何レーンにもまたがる車道でできた街が、人間の感覚をいかに撹乱させるかについてである。
「われわれがいま、都市生活で使っている感覚というのは、数百万年の生物学的な進化の歴史で培われた感覚と同じもので、時速5キロという歩行速度に合わせたものなんだ。自動車が時速60キロで走り始めたからといって、われわれの感覚が変わるわけじゃない。これは、日本でも、グリーンランドでも、オーストラリアでも変わらない。なぜなら、そこにいるのは同じホモサピエンスだからだ」
林立する高層ビルや、何レーンにもまたがる自動車道路は、人間のスケール感覚を錯乱させる、とゲール氏は指摘する(写真はドバイの中心部)。
Rasto SK / Shutterstock.com
人の視覚では、最大でも100メートル先までしか見えない。だから人々が集ういい広場とは、世界のどこでも直径は100メートル以内。ストロイエでは、1月に100mを歩く人の平均速度は62秒だが、7月には85秒となり、人数が同じだったとしても夏の方がより街が活気に溢れる。そんな具合に、著書では、観察とデータに基づいた記述が続く。
1960年代に記した“人が集まる街”の条件は、今でも十分に当てはまる、とゲール氏は言う。それは、人間の感覚が変わっていないためだ。
ニューヨーク市からの依頼
コペンハーゲン中心部の「ストロイエ」から始まった歩行者天国化は、次第にその範囲を広げ、周辺の店舗の売り上げ向上や交通事故の減少といった効果が現れるようになった。ゲール氏は、人間を中心に据えた都市設計の提唱者として知られるようになり、コペンハーゲンに続きたい、という世界の都市の担当者から相談が来るようになったという。
だが、依頼が増えすぎて研究者のままではさばききれなくなり、2000年に「ゲール・アーキテクツ」というコンサルティング会社を共同設立する。会社として、仲間とともに世界の都市の担当者らにアドバイスを行うためだ。
ニューヨーク市交通局の一行がコペンハーゲンのゲール氏の元を訪れたのは、会社設立後の2007年のことだった。当時、ニューヨークの中心地・タイムズスクエアでは、歩行者と車の通行量は「9対1」。ところが、歩行者と車のために割かれたスペースは「1対9」と、バランスを欠いた状態になっており、何とかしたいと考えたらしい。
ゲール氏は、コペンハーゲンに到着したニューヨーク市の一行を、自転車で案内した日を振り返る。
「角を曲がるたびに、公共スペースに腰掛けて話す幸せそうな人たちを目の当たりにして、感心していたよ。ニューヨークでは、通りというのは地下鉄の最寄り駅からオフィスまでを行き来するためのものだと。帰り際には『いつニューヨークに来られますか?』と仕事を頼まれていてね」
当時、ニューヨーク市交通局長だったジャネット・サディク=カーン氏も、コペンハーゲンを訪れていた一人である。最近、デンマーク公共放送「DR」(日本のNHK的な存在)が放送した特集番組で、こんなふうに当時のことを語っている。
「通りというのはそれまで、A地点からB地点まで車を動かす手段でしかありませんでした。ヤン・ゲール氏は、それを捉え直す手助けをしてくれました。ニューヨークの新しいビジョンを作り、通りというものに、新しい語彙を加えてくれたと思っています」
DRの番組の中で、歩行者で賑わうタイムズ・スクエアを背景に「すべてはヤン・ゲール氏のおかげ」と語る元ニューヨーク市交通局長のサディク=カーン氏(右)。
写真提供:DR
マンハッタンを貫く目抜き通りである「ブロードウェイ」のうち、タイムズ・スクエアを中心に42番街から47番街までの広大なエリアを車両通行禁止にする、という大胆な提案には、当初、「クレイジー」という声も上がったそうだ。ゲール氏はこう振り返る。
「そんなのうまくいくはずがない、欧州の小国のアイデアだとみんな笑ってたよ。だから私は言ったんだ。うまくいくよと。なぜなら、ニューヨークにいるのも、同じホモサピエンスだから。車を追い出せば、多くの人が通りに現れ、ゆっくりと通りを歩き、立ち止まるようになる。音楽が流れ、文化が生まれ、座ってカプチーノを飲むようになると」
この時、人々の不安と抵抗を和らげるために使った手法が、歩行者天国化を「一時的な実験」として始めることだった。当時のニューヨーク市長だったマイケル・ブルームバーグ氏は、歩行者天国化の効果をデータで示すように求め、効果が見られない場合、元に戻すことを条件にしたそうだ。
半年間にわたってデータを集めた結果は「完全なヒットだった」(サディク=カーン氏)。周辺店舗の売上が増える一方で、負傷者数は激減。市民の反応も良好で、この歩行者天国は恒久化されることになったのだった。
タイムズスクエアで歩行者天国化プロジェクトを行う前と後。
提供:ニューヨーク市交通局
歩行者天国を「実験」として始める手法は、実は、コペンハーゲンでも同じだったのだという。そして、効果をデータとして示すやり方こそ、政治家を動かすための鍵だとゲール氏は言う。
「英語には『人は数えられるものに関心を持つ』という言い方がある。われわれが1960年代に始めたのは、人間についてのデータを取り始めたことだった。コペンハーゲン市は近年、『世界で最も住みやすい都市にする』と宣言したが、その時の市長に『もし建築家たちがデータをくれなかったら、われわれ政治家はこんな宣言はしなかっただろう』と言われたよ」(ゲール氏)
世界に共通する「いい都市」の条件
「デンマーク建築センター」CEOのマティヌセン氏は、建築家ヤン・ゲール氏の功績とは、建築界のモダニズムと車社会が加速していた時代に、“人を中心に据える”ことの価値を人々に思い出させたことだった、と語る。コペンハーゲンの中心部は建物の低いのが特徴で、大企業が一等地に高層ビルを建てるようなことがない、と書いたが、これも、ゲール氏の思想が世論とマッチし、街並みの近代化に歯止めをかけたところがある。
デンマークの建築とデザインの歴史を紹介する「デンマーク建築センター」の常設展には、ヤン・ゲール氏がイタリア時代に使っていたスケッチブックなどを展示しながら、その仕事の功績を伝えるコーナーが特別に設けられている。
撮影:井上陽子
とはいえ、ゲール氏の名前が世の中に知られるようになったのは、海外の都市での取り組みが成功したことが大きい。先のDRの番組では、米ニューヨークだけでなく、オランダのロッテルダム、オーストラリアのメルボルン、ノルウェーのオスロが、ゲール氏の思想に影響を受けていかに歩行者や自転車を中心にした街に変わっていったか、各都市の建築家や都市計画担当者らが熱く語っていた。
車ではなく人やそこでの暮らしを重視した街づくりを求める動きは、2000年代に入ってから目立つようになったという。特に最近は、サステナビリティの観点からも、都心を歩行者や自転車に優しい快適な空間にしたい、という需要が高まっているそうだ。
長く都市の研究を続けてきたゲール氏に、世界に共通する「いい都市」とはどんなものかを聞いてみた。交通や犯罪などから「守られていること」「快適さ」「楽しさ」という3つのカテゴリーに分けて、12の条件を挙げている。
出所:ゲール・アーキテクツ提供 “12 Quality Criteria”をもとに編集部加工。
こうした条件を総合して、ゲール氏は「いい都市とは、いいパーティーと同じ」だと表現する。「楽しいパーティーなら、みんな、より長い時間をそこで過ごそうとするでしょう?」。そうでない都市は、必要な用事が済んだらさっさと抜け出したいと思うような場所、というわけだ。そう言われると、そぞろ歩きが好きだった街と、用事がなければ行く気にもならない街の違いは、確かにわかりやすい。
若い頃に答えが出せなかった「人にとっていい建築とは」という問いの答えにたどり着いて、それをみんなに伝えているんだよ、とゲール氏は言った。そしてインタビューが終わるや、「じゃあ次のアポイントがあるから」と颯爽と出ていった。87歳でこのバイタリティ。仕事が楽しくて仕方ないんだろうな、と羨ましく思いながら見送ったのだった。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。