中国の李克強前首相の急逝で「第2の天安門事件」が起きると煽る、日本メディアの浅はかさ

李克強 中国前首相

中国の指導者、習近平国家主席に次ぐナンバー2の李克強前首相の急逝をトップで報じる中国各紙。

REUTERS/Tingshu Wang

李克強氏死去、しぼむ中国『改革派』」「第2の天安門事件となる懸念

10月27日、中国の李克強前首相が心臓発作のため68歳で急逝した直後のメディア記事のタイトルだ。暗殺説まで飛び交う関連報道のドタバタぶりから、中国政治の不安定を根拠なく煽る日本メディアの現状が見えてくる。

李氏の遺体は11月2日に荼毘(だび)に付されたが、今のところ大混乱は起きていない。

ここは冷静になって、指導者の死が政治的大混乱につながるのはどんな時なのか、どんな条件が揃えばそうなるのか。過去の例と比較しながら点検したい。

共産党「一党独裁」が揺らぐ?

李氏の急逝を知って筆者の頭をよぎったのは、周恩来首相と胡耀邦総書記の死去(それぞれ1976年、1989年)が、中国の民主化運動(第一次、第二次天安門事件)の引き金になったことだった。

共産党リーダーの死去が中国の一党独裁を揺るがす要因にならないか見極めようと考えるのは、中国ウォッチャーの「習性」でもある。

それでも、「第二の天安門事件となる懸念」とまで踏み込んだ記事を出すのであれば、明確な根拠が必要だ。

その点、1989年6月の(第二次)天安門事件の際、筆者が北京で取材した経験を踏まえて検討するなら、李氏の死去が習近平一強体制の安定を損なう可能性は低いという見立てに落ち着く。

中国当局が迅速な情報開示に動いた理由

共産党当局は今回、李氏の急逝が習一強批判や社会の不安定につながらないよう素早く手を打ったようだ。

香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは10月28日、李氏が上海の党幹部向けホテル、東郊賓館で水泳の最中に心臓発作を起こし、上海中医薬大付属曙光病院に搬送され、遺体は北京に運ばれたと詳細に伝えた。

同紙によると、李氏はかつて冠動脈のバイパス手術を受けたという。急死をめぐるウワサが独り歩きしないよう詳細情報を開示したのだろう。

李氏の急死に際して当局側が神経質になったのは、国内総生産(GDP)の3割を占める不動産の深刻な不況をはじめ、デフレ懸念や青年層の高失業率という「経済三重苦」が背景にある。

経済発展は共産党独裁の正当性を保証する最大の要因であり、経済不振が深刻化すれば、統治の不安定化を招きかねない。

さらに1年前、北京などで若者が白紙を掲げ共産党と習批判のスローガンを叫び、ゼロコロナ政策に反対する抗議デモを強行したこと(いわゆる「白紙運動」)も、当局側には鮮明な記憶として残っているはずだ。

李氏の急逝が「反中央」につながる条件

李氏の急逝が、周恩来氏、胡耀邦氏の死去後に起きたような「反中央」の行動につながるとすれば、どんな条件が考えられるだろうか。

筆者としては、以下の3つを挙げたい。

  1. リーダーの死去前後、政策・路線をめぐり党中央が分裂
  2. 死去したリーダーが主流派から批判された被害者だった
  3. 死去したリーダーが大衆的な人気を得ていた

まず、周恩来氏の場合はどうだったか。

中国は当時、体力知力とも衰えた毛沢東主席に代わり、江青(毛沢東夫人)氏ら「四人組」が実権を握って主流派を形成していた。

四人組は1973年頃から、モンゴルで墜落死した林彪・共産党副主席と、文化大革命の終息と経済建設を主張する周恩来氏を孔子に見立てて「反動的・反革命的」と批判する「批林批孔」運動を展開した。周氏はそこで批判の矢面に立たされた被害者だった。

そして周氏は、革命英雄の毛沢東氏以上に大衆的人気に恵まれていた。

したがって、周氏には筆者が挙げた3条件の全てが当てはまることになる。

1989年4月に心臓病で死去した胡耀邦氏の場合はどうか。

胡氏は1986年末に安徽省で起きた民主化要求の学生デモを積極的に支持したとして、主流派を形成する鄧小平氏ら長老に批判され、1987年1月に総書記を解任された。

「党中央の分裂」の結果、ポストを解任された「主流派から批判された被害者」となり、条件の1と2を満たす。

さらに、条件3の「大衆的人気」について言えば、民主化を要求する学生から絶大な支持を受けていたことから、胡氏もやはり3条件を満たしていると言える。

李克強氏の死去は「3条件」に当てはまる?

では、今回急逝した李克強氏には、ここまで見てきた周氏や胡氏のように3条件が当てはまるだろうか。

特に条件1の「党中央の分裂」があったかどうかは最大の論点だろう。

冒頭に紹介した日本メディアの一つは、「共産党内で市場機能を重視する『改革派』の退潮を改めて印象づけた」(日本経済新聞、10月27日付)と書く。

李氏を改革派とは断定せず、「いわゆる」を意味するカギかっこを付けて、慎重な表現にとどめている。李氏と習氏の確執や政策をめぐる分裂については、明確な証拠に乏しいためだろう。

李氏が習近平総書記に次ぐナンバー2に就任したのは2012年の第18回党大会で、習氏はその際、もはや中国の高度成長は望めず、安定成長が「新常態」になるとの認識を明らかにした。

トップ指導者の一人である李氏も、この認識枠組みの中で経済運営に当たってきたのであり、習氏と対立関係にあったわけではない。

「ワシントン・コンセンサス」の終えん

李氏は大胆な経済改革を進めた朱鎔基元首相に近いとされる。しかし、それは中国が高度成長を遂げた時代の話だ。

アメリカの一極支配を支えてきた「ワシントン・コンセンサス」の終えんという現在進行中のパラダイム転換の中で、市場機能重視の改革派とされてきた李氏の位置づけも相対化を迫られると筆者は考える。

ワシントン・コンセンサスとは、小さな政府、規制緩和、市場原理など、米政府と国際通貨基金(IMF)、世界銀行が推奨し、世界に波及させようとしてきた一連の経済政策で、アメリカの一極支配を支えてきたイデオロギーと位置付けられる。

しかし、2008年に発生したリーマンショックに端を発する世界金融危機は、金融レバレッジ商品の開発によって、架空の金融需要を再生産する金融資本主義の限界をさらけ出した。

ワシントン・コンセンサスの中で急成長を遂げた中国は当時、4兆人民元の資本を市場に投入し世界経済を下支えした。ワシントン・コンセンサスの延命に協力したのだ。

しかし、このモデルは「内に敵あり」だった。

2017年に誕生したトランプ政権は「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」を押し出し、自由貿易体制と国際協調を旨とするワシントン・コンセンサスを自ら崩し始めた。

続く2020年以降のコロナ禍は世界中に国境を復活させ、グローバル化に歯止めをかけ、国家を復権させた。

それらの動きと並行して進んだIT革命とAI(人工知能)技術の飛躍的進歩は、GAFAあるいはGAFAMと呼ばれる巨大プラットフォーマーを生み出し、それらのIT企業4社ないしは5社は国家を超える力を持ち始めている。

中国では、EC大手アリババグループのジャック・マー(馬雲)氏の政府批判発言を機に、習政権がIT業界への締め付けを始めた(習氏によるIT業界への締め付けに生前の李氏が異議を唱え、党内に路線対立が生じたという情報はない)。

世界は今、ワシントン・コンセンサスの破綻に伴い、復権した国家と巨大プラットフォーマーによる激しい綱引きが始まっている。新しいモデルはまだ登場していない。

李克強氏は習近平氏の敵ではない

話を本筋に戻そう。李氏の急逝は「反中央」の動きを引き起こす可能性のある3条件に当てはまるのか。

西側諸国が批判する「国進民退(国有経済の成長と民営経済の衰退)」について、李氏がどこまで「改革派」として抵抗しているのかは定かではない。

また、昨今の中国不動産不況を招いた責任は習氏だけでなく李氏も免れず、「経済三重苦」からの脱却をめぐり党中央が分裂しているという情報もない。李氏は一身に権力を集中させる習氏の敵ではない。

結局のところ、条件1の「党中央の分裂」という見立ては当たらない。

李氏は2022年の第20回党大会時点ではまだ67歳であり、暗黙のルールだった「68歳定年」に届かないまま引退したことについては、確かに同情が集まった。

だからと言って、条件2の「主流派から批判された被害者」とまでは言えないだろう。

それに、李氏は有能な経済政策のエリートではあっても、条件3の「大衆的な人気」があったかどうかは疑問だ。

こうしてみると、やはり李氏の急逝が共産党の一党独裁の不安定化につながる可能性は低いと言わざるを得ない。

習一強体制の安定度について言えば、(1)中国民衆が体制転覆を望む兆候はない、(2)中流階級は党の政策の最大の受益者であり反旗を翻さない、(3)習氏グループ以外は党最高指導部から排除され、習氏に対抗する勢力はいない。

習一強体制の強化に反対する声が中国にあるのは事実だ。

だが、李氏の急逝が政治的混乱に発展するという見立ては、中国民衆の習氏への「当てこすり」に期待するメディアが作り上げたシナリオに基づくものにすぎない。

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