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「大企業に就職できれば一生安泰」——そんなことを言っていられる時代は完全に過ぎ去りました。変化の激しい今の時代。ディスラプションが起きて業界の勢力図が一気に塗り替わり、大企業が淘汰の波に晒されることも珍しくなくなりました。
そんな背景も影響してか、若者たちの意識にも大きな変化が見られるようです。リクルートワークス研究所の古屋星斗さんの著書『ゆるい職場』によると、従業員1000人以上の大企業における離職率は上昇傾向にあるといいます。
古屋さんによると、学生の間では二極化が進んでいるそうです。従来通り、大企業に入社してできるだけ長く勤めようという人たちがいる一方で、こんな職場にいてはまずいと、大企業から逃げ出す人がいるというのです。若者が職場から逃げ出す主な理由の1つはハラスメント。そしてもう1つが、「もっとバリバリ仕事をしたいのに、こんなゆるい職場では成長できない」と危機感を募らせて大企業を去っていくというパターンです。
大企業を去った若者の中には、中小企業やスタートアップに転職する人もいれば、起業やフリーランスなど、独立してやっていこうという人たちもいるでしょう。組織に寄りかかって生きていくことのリスクは今後ますます増していくでしょうから、自立心を持ってキャリアを積むことには大いに賛成です。
リクルート時代より「少ない労働時間で多くの収入」を実現
私が29年間勤めたリクルートグループから独立したのは53歳のとき。転職や独立が多いリクルートの中ではかなり遅めのチャレンジでした。目の前の仕事が面白くてあっという間に50代になっていたのです。
もちろん、定年まで居続けるという選択肢もありました。ただ、今までほどやりがいがある仕事はもうないだろうなということは、漠然とですが想像できました。そこで1年ほどいろいろ考えて、おっかなびっくりしながら動いてみたのです。
それから6年が過ぎた今、私は中尾マネジメント研究所という自分の会社を運営し、3社の社外取締役、1社の投資委員、1社の非常勤監査役を務めています。
リクルート時代と比べると、労働時間は少なく、収入は多く、やりたい仕事だけをやれています。そして週の何日かは、夕方になると友人や仲間との会食も楽しんでいます。
リクルート時代の29年間もご機嫌に仕事をしていましたが、現在の私は「かなり」ご機嫌に毎日を過ごしています。それは「やりたいことを、やりたい時に、やりたい人とやる」を日々実現できているからです。
このフレーズは、リクルートの最後の2年間に在籍していたリクルートワークス研究所で、当時の所長の大久保幸夫さんと「幸せ」というテーマでディスカッションをした際に考えたものです。どうせ独立するなら、自分自身がこれを体現し、一緒に仕事をする仲間もこれを実現するのを支援しようと考えたのです。
仕事場は自宅を改装して、その時の気分に応じて4カ所(デスク、ベランダ、立ちながら、寝ころびながら)でこなしています。ほとんどの仕事はオンラインで行い、職場の仲間との定例ミーティングは週に1回Zoomで45分。それ以外はSlackでコミュニケーションをしています。場所や時間の制約が少ないのも、かなりご機嫌に仕事ができている理由です。
こんな話をすると、「リクルート時代にかなり準備したのでしょう?」と訊かれるのですが、いま私がやっている仕事の大半は、独立前には影も形もありませんでした。提供サービスもなければ、取引先もすべて独立後にご縁をいただいたものです。
だから偉そうなことは言えないのですが、独立したいま振り返ってみると、独立前からやっていたことが結果的に役に立ったと思えることがいくつかあります。
そこで今回と次回以降で、いずれ独立したいと考えている方のための「独立失敗のリスクを最小化する方法」をご紹介します。本稿ではまず、独立に向けての「準備編」として、私自身の経験からこういうことをやっておくと独立の役に立つというヒントをお伝えしましょう。
必要に迫られて始めたアウトプット
独立前からやっていたことの中で、いま一番役に立っているのがFacebookです。私は10年以上にわたりFacebookにほぼ毎日アウトプットし続けており、これが仕事にもかなり役立っているのです。
きっかけは今から13年前、2010年11月13日のことでした。当時私はリクルートでとある事業の責任者を務めていたのですが、集客担当のリーダーからこう“詰問”されたのです。
「集客にSNSを使うことを計画しています。中尾さんはSNSを使っていないのに、どうやって計画を承認するのですか?」
Twitter(現X)とFacebookが日本語で利用できるようになったのは2008年。2010年といえば、これらのSNSが日本でも広がり始めたタイミングでした。集客リーダーに詰め寄られた私は、その場でFacebookアカウントを作成することにしました。
投稿する内容は、考えた末に「ポジティブなこと」と決めました。ちょうどその頃、アマゾンに買収された靴のEC、ザッポスについて書かれた『ザッポスの奇跡』を読み、創業者のトニー・シェイはSNSで会社のことを含めポジティブな発信しかしないと知って、これを真似することにしたのです。
それともう一つ、以前読んだポジティブ心理学の本には「毎日5つ感謝をするとよい」と書かれていました。「感謝」の反対は「当たり前」。周囲の同僚や上司、メンバーがやってくれていることを「当たり前」と思うか「感謝」の目で見るかで、周囲との関係は大きく変わるとありました。これを読んで、Facebookには日々の「感謝」を投稿することに決めました。
ただし私は、人とのコミュニケーションがかなり苦手です。だから投稿を始める前はかなり抵抗がありましたし、そもそも1日に5つも感謝することなどあるのだろうかという疑問もありました。それでもやると決めたのは、集客リーダーの手前、引くに引けなくなったからです。
投稿を始めた当初は、社外のつながりはまったく意識せず、社内のメンバーに向けて書いていました。個人名や企業名は伏せながら、良い仕事をしたメンバーを取り上げて感謝を伝えるようにしてみたのです。
すると、信頼する社外のメンターのKさんが「とてもいいことをしていますね。今は大変かもしれませんが、だまされたと思って3週間、できれば3カ月継続してみてください」とコメントをくれました。
アドバイス通り続けているうちに、少しずつコツも分かってきました。1日の終わりに感謝を5つ探すのではなく、例えばミーティングが終わると同時に振り返るようにすれば、記憶が鮮明なうちに感謝を見つけやすくなります。
こうして「今日の感謝」を続けているうちに、驚くことに周囲との関係にポジティブな変化が起き始めました。「中尾さんが投稿に書いていたあれって、私のことですよね。感謝してもらって嬉しいです」。そんな声ももらえるようになりました。コミュニケーションが下手だったのに、「感謝」がメンバーとの間をつないでくれたのです。
Facebookへの投稿ではもう一つ、本の「書評」も書き始めました。私は本を読むのが好きで、「年に100冊本を読む」と決め、これを20年以上継続しています。それを知っている知り合いからはよく、「どんな本を読めばいいですか?」と質問を受けるのです。そこでFacebookでつながっている友人・知人に向けて、こんな時にはこの本を読むといいよというつもりで始めたのがこの書評投稿です。
日々のアウトプットがもたらした意外な効果
このように「今日の感謝」と「書評」を継続してFacebookに投稿しているうちに、私のことを「(ポジティブな)文章が書ける」と思ってくれたのか、オンラインメディアから連載執筆のオファーが舞い込みました。当時リクルートは申請すれば副業OKだったので、オファーを受けることにしました(このBusiness Insider Japanへの執筆もそんなきっかけで始まったうちの一つです)。
こうして記事を書いて少額のお金を稼げたことで、リクルートの本業以外からも収入を得られるんだという自信につながりました。
さらに、これらを数年続けているうちに、記事を読んだ出版社から「このテーマで本を書きませんか?」というお誘いをいただきました。書籍を出版すると、今度は企業から講演の依頼をもらえるようになりました。
どれも独立を前提に始めたものではなく、たまたま独立前からやっていたことにすぎません。しかしひとつ言えるのは、こうやってアウトプットを続けたおかげで、それが独立後のビジネスに大いに役立っているということです。
「役立っている」の中身をもう少し具体的に申し上げると、上述のようにFacebook投稿→オンラインメディアへの寄稿→本の執筆→講演、という具合に新しい商売の流れができていったというのが1つ。そしてもう1つは、こうしたFacebookへの投稿が、地味にネットワークの維持に役立っているという点です。
名刺交換をして連絡先を交換しただけだと、いずれ相手も私も転職してしまえばその後の連絡が途絶えてしまいます。しかしFacebookでつながっていると、お互いが異動・転職してもつながり続けていられますし、私のFacebook投稿を見て思い出してもらえます。私はいま自分の会社のホームページも持っていますが、そのホームページ経由での問い合わせと同じくらい、FacebookのMessenger経由からも問い合わせがあるので、貴重なチャネルになっています。
ネットワークは「弱いつながり」がモノを言う
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独立するうえで人脈が大事なのは言うまでもありません。私の場合は2つのネットワークの存在が大きかったです。1つはリクルートのOBのネットワーク、もう1つは独立直後に参加した、西條剛央さんが代表理事を務めるビジネススクール「Essential Management School(EMS)」のアルムナイ(卒業生)ネットワークです。
独立後に助けられた人脈を思い起こしてみて面白いなと思うのは、直接的に一緒に仕事をしたことがあるような強いつながり(強い紐帯)よりも、ちょっとした知り合い、あるいは間接的に知っている人のような弱いつながり(弱い紐帯)のネットワークにより助けられているということです。実際のところ、現在一緒に仕事をしている人たちの大半は「弱いつながり」が元になっています。
例えば、私は独立直後に前述のEMSに入校し、そこで人材開発部という自主的なオンライン勉強会に参加していました。ここで、ある会社から月80万円のコンサルティングの仕事を引き受けることになったのです。
1人でもできたのですが、あえてこのオンライン勉強会に「一緒にやりませんか?」と投げかけたてみたところ、11人が手を挙げてくれました。EMSに参加するほど学び意欲が高く、人材開発に興味があり、この仕事に前向きな人たちです。選考するまでもなく、かつ一度も会うことなく、全員でやろうと決めました。報酬の80万円は、成果に応じて11人で山分けすることにしました。
このプロジェクトはその後、経営環境の変化もあって規模は縮小しましたが、それに応じてメンバーを11人から5人に変更して今も協業は続いています。
この原稿を書いているとき、担当の編集者さんから「中尾さんはどんなふうに人脈のメンテナンスをしているんですか?」と質問を受けたのですが、実は思い当たることがないのです。
強いて言うなら、やはりこれも前述のFacebookでのアウトプットかもしれません。その日にあったポジティブなことをひたすら書き続けているので、実際は久しく会っていないのに会っているような気がすると言ってもらえることが少なくないのです。
そのように感じてくれている人たちが「それならば知り合いの中尾を紹介しましょうか?」と顧客や働く仲間を紹介してくれる。おかげで集客と求人にお金を使わずに済み、それを仲間への報酬に充てることができている、というわけです。
これらのすべてのきっかけはアウトプットです。私は決して「いずれ独立する日のために準備しておこう」と思って始めたことではありません。しかしこうして独立して「やりたいことを、やりたい時に、やりたい人とやる」という理想的な働き方を実践している今、しみじみとした実感とともに思うのは、アウトプットをコツコツと続けてきたこと、仕事やそれ以外のつながりに頼り頼られてきたことが、独立後の仕事の土台になっているということです。
私の場合はFacebookでしたが、今ならこれ以外にもnoteやYouTubeやTikTokなど、さまざまなアウトプット方法があります。ご自身に合ったアウトプット先を選んで、コツコツと地道に継続されることをお勧めします。
さて、ここまでが独立前のいわば「準備編」でした。もちろんこれだけで準備が完璧とは決して言えませんが、少なくともアウトプットを続けることで、自分が考えていることにフィードバックをもらえたり、自分をよく理解してもらえたり、それがひいては新しい人脈づくりにつながったりと、思いがけない波及効果をもたらしてくれますから、ぜひみなさんも今日から実践してみてください。
次回は独立の「実践編」として、継続的に業績を挙げるために私が実践してきたことをお話ししたいと思います。
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。「旅工房」、「LIFULL」、「ZUU」社外取締役、「LiNKX」非常勤監査役も兼任。新著に『リーダーが変われば、チームが変わる』がある。