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シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。読者の方にこちらの応募フォームからお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
佐藤さん初めまして。私は文学部出身で、現在はスタートアップ企業で働いています。佐藤さんに伺いたいのは、これからの「人文科学」の立ち位置についてです。
2022年から政府のスタートアップ五カ年計画が進められ、その中でも「ディープテック」(編注:AI、自動運転、クリーン電力、ゲノム編集などテクノロジー分野の中でも高度な研究開発が必要になってくるジャンル)をはじめ大学発スタートアップに重点が置かれています。
国際競争力を強化するという視点でも理系人材の育成が叫ばれ、「優秀な子どもはみんな理系を目指せ」という方向になっていきそうな感じもしています。
私が気になるのは文系、特に人文科学系の学問の必要性ついてです。人文科学系、例えば人類学、心理学、哲学、さらには美術や芸術などは本当に世の中に必要はないのでしょうか?
(風薫る、40代前半、女性、会社員)
理系を推奨する文系の人々という矛盾
シマオ:風薫るさんはいまや理系人材ばかりが求められていて、人文科学系がおろそかにされていることを憂えているようですね。
佐藤さん:先に結論を言うと、杞憂だと思います。これはあくまで国策の一つに過ぎません。
政府としては、最先端分野での理系の研究者やエンジニアを多く養成し、スタートアップ企業をはじめ、さまざまなビジネスを立ち上げて国力を高めたいという思惑がある。だからこういうことを言っている訳です。
シマオ:でも、理系の方が就職には有利じゃないですか? 最近では、コンサルや商社の新卒でも理系学生が優遇されると聞いたことがあります。
佐藤さん:たしかに、就職に関していえば理系の人の方が断然有利でしょう。いまや文科系の大卒者と、高専などの技術系の高校を出た人を比較すれば、後者の方が就職率は高いと思います。
あるいは理科系大学を卒業して医師だとか研究者となった人たちは、確かにエリートと呼ばれる人たちです。
シマオ:だったら、子どもたちも理系を目指した方が潰しはきくと思うのですが……。
佐藤さん:ですがシマオくん、実態として、大企業の幹部や官公庁の偉い人たちはどういった学部出身者が多いですか?
シマオ:そう言われてみると……。法学部や経済学部なんかの人が多いですね。
佐藤さん:そうなんです。子どもたちには理系を推奨してはいるけれど、国家や企業のあり方をデザインしている人たち自身は人文科学系の人たちが多くを占めている。この矛盾は何を意味していると思いますか?
シマオ:えぇ、なんだろう……。理系の人たちの力を借りていきたい、みたいな?
佐藤さん:その通りです。究極的には、リードするのは自分たちだという意識があるということだと思います。
実際、国家も企業のシステムも法を中心に成り立っているので、法学部出身者は組織の指導者に向いているという側面もあるでしょう。
アメリカ型に倣っても成功できない
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シマオ:なるほど。でも、リードしたいにしても、そんな簡単にアメリカ並みのスタートアップが日本からぼんぼん生まれるとは思えないんですけど……。
佐藤さん:シマオくんが言うスタートアップというのは、いわゆるグーグルやアマゾン、アップルのような、イノベーションを起こして一気に世界中を席巻するような企業を指していますよね?
シマオ:そうですね。いわゆるシリコンバレー型のグローバル企業というか。日本もそれに倣って、追いつけ追い越せということだと思うんですけど。
佐藤さん:では、シマオくんはどうして、日本からはそういった企業が生まれないと思ったんですか?
シマオ:え? それはなんて言うか、直感的に……。英語の壁とか、あとはエンジニアの数が圧倒的に少ないとかはあるんじゃないかなって。
佐藤さん:なるほど。私もシマオ君と同じように、日本でアメリカ並みに成長できるスタートアップが生まれることは難しいと思っています。いや、はっきり言うと不可能だとすら思っているんですよ。
そして、その理由はシマオくんが指摘した要素もありますが、一番根幹にあるのはアメリカが圧倒的な資本主義社会だからです。
シマオ:ど、どういうことでしょうか……。日本だって資本主義社会ですよね?
佐藤さん:そもそも、スタートアップ企業が成功するためには研究開発への投資が不可欠です。それも巨額の投資です。その点、アメリカは一個の企業体とか経営者に資本が集中しやすい構造を持っています。そのことを如実に表しているのが、「ペイ・レシオ」です。
シマオ:ペイ・レシオ? 何ですかそれ? 初めて聞きました。
佐藤さん:ペイ・レシオ(pay ratio)というのは、経営者と労働者の賃金格差を表した数値です。アメリカではこの数字がどれくらいだと思いますか?
シマオ:う〜ん、100倍とか……?
佐藤さん:いえいえ、 Forbes Japanの記事によると、S&P500企業の平均的なペイ・レシオは約324倍だそうです。
実例を挙げると、アマゾンCEOのアンディ・ジャシー氏の2021年の役員報酬は2億ドル(約3500億円)を超えています。これは社員の平均年収の約6400倍にもなります。
シマオ:ろ、ろくせん!!!
佐藤さん:すごいでしょう。ちなみに日本の場合、一番高い企業でも170ちょっとだそうです。つまりアメリカに比べれば日本はまだ社員に分配、還元されている。 というより、いかにアメリカでは一人の人間に富が集約されているかということです。
シマオ:聞いてはいましたが、想像以上でした……。
佐藤さん:連続起業家であれば、この資本をもとにヒト・モノ・カネを集中投資して新たなスタートアップを作る訳です。そこにさらに多くの投資家がお金を大量に注ぎ込む。この膨大な資本の集中こそが、アメリカのスタートアップ企業の成功を生み出していると私は考えています。
イーロン・マスクは天才ではない
佐藤さん:ひるがえって日本でそんなに巨大な資本を一人の人間や法人が集められますか? 社会経済の構造として無理でしょう?
シマオ:うーん、たしかに日本の場合は銀行やベンチャーキャピタルから、数十億円の融資を引き出せれば大成功っていうイメージがあります。
佐藤さん:そうだと思います。皆がイーロン・マスクを天才のように持ち上げていますが、私から言わせれば天才ではありません。だって、彼がやったこと、やろうとしていることに奇想天外なアイデアがありましたか?
シマオ:でも、テスラの電気自動車とか、民間の宇宙航空の会社とか、すごくないですか? Twitterだって買収して名前まで変えちゃったし。
佐藤さん:そうでしょうか? どれを見ても一度は誰もが夢見たり、こんなものがあったらいいなと考えたりしていることじゃないですか?
私から言わせればイーロン・マスクに天才的な発想やオリジナリティがあるわけじゃなくて、膨大な資本にものを言わせて、皆が夢見ていることをビジネスにしているだけでしょう。
シマオ:うーん、たしかにそう言われると事業自体は多くの人がすでに思い描いていた未来像だとか、商品といった感じはしますね……。
佐藤さん:彼はもともと、Zip2というオンラインシティガイドのスタートアップ企業を作り、1999年に売却して2200万ドルを手にしました。
それからペイパルという金融サービスを立ち上げて巨額の資産を築き、それを再投資して、スペースXをはじめとした企業を立ち上げた連続起業家です。
では、その膨大な資本はどうやって作り出したかと言えば、結局のところ労働者からの搾取の積み重ねに過ぎません。ですから私のイーロン・マスクに対する評価は「よくぞここまで搾取しましたねぇ」という言葉に尽きるのです。
シマオ:あのイーロン・マスクも天才ではなく搾取王ってことですか!
佐藤さん:その通りです。いずれにしても、そんなアメリカ型の新自由主義的なビジネスモデルを、ディープテックという一見先進的な言葉でくくって、ありがたくあがめて追随しようとすることに無理があると思います。
文系エリートに必要なのは文学系の教養だ
シマオ:ちなみに、現実的に日本社会の中心にいるのは人文科学系だという指摘がありましたけど、どの学部の学びが特に重視されるんでしょうか?
佐藤さん:そうですね、日本文学と法学、経済学の3つだったら、シマオくんはどれが一番グローバルな学問で、エリートとして重要だと思いますか?
シマオ:普通に考えたらいまの時代、やっぱり経済学が一番グローバルな学問じゃないですか?
佐藤さん:いえいえ、違うんですよ。一番グローバルな学問は日本文学なんです。
シマオ:えぇ〜!? でも、ちょっとすぐには理解できないんですが……。
佐藤さん:例えば、源氏物語の研究をするとします。いまでは世界各国で翻訳されていますから、テキスト自体がグローバルな共通言語になっていますよね。それを研究することで世界とつながることができるし、教養人として他の国のそれなりの人たちから一目置かれ、尊重されます。
シマオ:なるほど。本当の国際人というのはまず自分の国の文化や歴史に詳しくなければいけないというのはよく聞きます。
佐藤さん:その傾向は諸外国、とくに欧米のエリート層には顕著です。彼ら自身が自国の文学や芸術、歴史や文化に通暁しているからです。幅広い教養を持っているからこそ、どんな国の人たちとも対等に、かつ同じ目線でコミュニケーションすることができる。
その意味で語学力など二の次だとさえ言えます。それこそ近未来にはAIが同時通訳してくれるようになるでしょう。
シマオ:経済学だとか法学はグローバルな学問ではないんですか?
佐藤さん:少なくとも、法学や経済学を身に着けているからといって、それほど世界のエリート層から尊敬はされません。それくらいの人材は世界中に山のようにいますから。そこから頭一つ二つ抜きん出る人材となると、どうしても文学や芸術の教養、素養のあるなしになってきます。
教養を身に着けるにはセッションせよ
シマオ:仮に自分の子どもを「文系エリート」的な方面に進めたいとなったら、どんな教育をすればいいでしょうか?
佐藤さん:大前提として、子どもの適性を重視することでしょう。理数系に適性がある子どもはいるし、しっかり学べば、先ほども言ったように食いっぱぐれることはありません。技術を身につければ将来独立して、自分の得意分野でビジネスを立ち上げることもできるはずです。
シマオ:では、もし文科系の方に適性がある場合はどうでしょう?
佐藤さん:一番大切なのは、10代の若い頃から先輩や同級生と、勉強以外の文学や芸術に関して議論ができる環境に行かせることです。
そういう空気が残っているのは、いわゆる旧制中学から高校になったような学校です。東京なら、筑波大付属駒場や、都立の日比谷、国立、西などの高校ですね。
シマオ:佐藤さんが卒業した浦和高校も旧制中学ですよね。
佐藤さん:ええ、そうですね。東京や京阪神などの都市圏では一番の進学校は私立になりますが、そのような気風がある学校がいいと思います。
シマオ:でも、私立の場合、どうやって判断すればいいんですか?
佐藤さん:そういう学校は必死に受験勉強をさせません。もともと中学でトップクラスの子どもたちなので、自分に合った勉強の仕方を本人たちが一番よく知っている。生徒を縛るより、自由にさせておく方が伸びると先生たちがわきまえています。校則も緩くて自由な校風のところが多いんですよ。
シマオ:進学校というとテストや補習授業に明け暮れるというイメージがありますが、逆なんですね。
佐藤さん:はい。もともと知的好奇心の強い子どもたちばかりですから、自然と勉強とは関係のない文学や哲学、芸術や音楽などに関して親友同士で話し合うようになる。
中には高校生でドストエフスキーを読破していたり、ジェイムズ・ジョイスの超長編『ユリシーズ』に挑戦していたりする。カントやヘーゲルといった近代哲学からフッサールやハイデガーといった現代思想までの哲学書を読みふけっている学生のような、ちょっとユニークな人たちもいる。
そして結局、そういう人たちは知的レベルが高いので、理数系もできる人が多いんです。だからこそ、国立大への進学率もいい。
シマオ:以前の連載でも、教養は他者との知的なセッションで身に着くというお話しをされていましたね! これは子どもだけでなく、大人もそういうだということですよね?
佐藤さん:その通りです。
シマオ:風薫るさんどうだったでしょうか? 子どももそうですが、まずは大人である自分たちから、知的好奇心の強い人たちと議論する場に行くことが大切そうです!
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!