東芝は安宅産業の二の舞となるか

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Chris McGrath/Getty

歴史は繰り返すという。東芝のいまの窮地を見るにつけ、かつての安宅産業破綻が二重写しに映る。行きついた先は解体である。

—— 1973年10月、ニューヨークを出航したクイーン・エリザベス2世号はカナダのニューファンドランド島に向かった。新設された製油所「ニューファンドランド・リファイニング・カンパニー」(NRC)の完成を祝い、NRCのオーナーのジョン・シャヒーン氏が見栄を張って豪華客船を借り切ったのである。招待客には、日本の十大商社の一角、安宅産業の市川政夫社長や高木重雄常務の姿もあった。NRCの金主が日本の安宅だったからである。安宅は、従来の繊維、木材や鉄鋼から新たに石油など花形のエネルギーに取扱商品を拡大し、大手商社下位から上位の背中を臨もうと思い切り背伸びしていた。

皮肉にもそこに第4次中東戦争が襲う。原油価格が4倍に高騰し、安価な中東原油を精製し、米加両国の先進国市場に供給するというNRCの計画は挫折する。仕入れ価格が急騰して製品価格に転嫁できなくなり、開業と同時に赤字を垂れ流す惨状に陥ったのである。

オーナーのシャヒーン氏は、レバノン系米国人で、CIA前身のOSSの情報担当大佐だったといわれる政商的な人物。三井住友銀行の西川善文元頭取の回顧録『ザ・ラストバンカー』によれば、シャヒーン氏はニクソン大統領と親しく、国際石油資本メジャーに対抗した自前の独立企業集団を作ろうと考えた野心的な人物だった。一方、NRCに入れ込んだ安宅の高木常務はハワイ出身の日系二世で、安宅の社内で自身が「英語屋」と軽んじられがちなのを一蹴しようと、とかく大きなヤマを張りたがったとされる。

さらに安宅の社内は、創業家出身の安宅英一氏が「社賓」という肩書を持ち、経営の一線には立たないが、人事権は行使してきた。東洋陶磁の収集家としても知られ、重要文化財などが含まれる「安宅コレクション」は有名だ。

結局、安宅はシャヒーン氏の手玉に取られるように追加融資を継続し、泥沼にはまり込んでいく。「日本企業の場合(中略)個人経営者は別として一気にウミを出すことはまずできない。自分が担当している間に最悪な事態になるのをなんとか避け後任者にバトンタッチするからますます泥沼にはまり込む結果になります」(日本経済新聞特別取材班『崩壊 ドキュメント・安宅産業』69ページ)という当時のニューヨーク在住弁護士の言葉は、その後の日本の不良債権問題を始め多くの企業不祥事にあてはまり、強烈な既視感を覚える —— 。

「同期の中で一番出世が早い」

ウェスチングハウスCEOと並んで記者会見する西田厚聰氏

ウェスチングハウス買収を発表する記者会見に臨む西田厚聰氏(中央)

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この安宅産業の崩壊の過程は、NRCを米ウェスチングハウス、石油ショックを福島第一原発事故と置き換えると、まるで東芝で起きたことと瓜二つである。たたき上げの高木専務は、イランの現地合弁法人のパース東芝から社会人生活をスタートし、後に東芝に転籍し、社長にまで上り詰めた西田厚聰氏を彷彿とさせる。とすれば「社賓」として人事権を手放さなかった安宅英一氏は、東証や日本郵政の公職を歴任しながらも東芝の役員人事に影響力を行使してきた東芝の西室泰三相談役といったところだろうか。であるならば、安宅英一氏の膨大なコレクションは、西室氏の肩書コレクションとも重なり合う。東証、日本郵政を始め財政審会長、地方分権推進会議議長、経団連副会長と評議会議長、そして戦後70年の安倍首相談話を検討する「21世紀構想懇談会」座長など西室氏は綺羅星のごとく高位顕職を歴任してきた。

総合電機メーカーの中では「お公家さん」とも揶揄される穏やかな社風の東芝において、西田氏の強烈な個性は際立っていた。元部下はこう打ち明ける。「西田さんは本当なら1968年入社組あたりが同期なのですが、東大大学院、イラン現地法人と寄り道しているので75年入社で、『自分は他の人に比べて昇進が送れている』と気に病んでいました」。88年ごろ駐在先のドイツから日本の本社に帰任する際の送別会で、西田氏は「私は今回、東京に部長で戻ります。同期の中で一番出世が早い」とあいさつしたという。「そういうことを大っぴらに言う人はあまりいないから、とても強く印象に残っています」と元部下。

まだヒラ取締役だった98年暮れ、西田氏は西室泰三社長(当時)の側近に「西室さんのことを詳しく教えてほしい」と接近したという。「私が西室さんのそばでお仕えしていたからだと思いますが、そういうふうに接近してくる人はいないから面喰いました」(西室氏の元側近)。西田氏は、くだんの側近を都心の高級ホテルのバーに連れ出し、長時間飲んで話し合い、その席で西田氏は「私はいずれ東芝の社長になりたい」と漏らしたそうだ。「東芝にはそういう人はめったにいないから、そんなことを聞かされたら……当然ドン引きしますよね」。そう元側近は回想する。

7年で4・5倍にもなったウェスチングハウス

西田氏のそんな野心的な姿勢を逆に高く買って、取り立ててきたのが西室氏だった。確かにたたき上げの西田氏が一時東芝の社内を挑戦的なものに変えたことは間違いない。私がかつて西田氏をインタビューした際に同席した広報担当者は「自分なりにこのポイントでGOをかけようと思っているのでしょう、その時になると決めるのが早い」「勉強熱心で各カンパニー(東芝の社内分社組織)の人間と対等に話し合っている」「7冊の本を同時並行で読んでいる読書家で、アインシュタインの伝記は日本語の翻訳が出る前に読んでいました」と礼賛していた。

野心家が挑んだのが国際原子力市場だった。東芝は2006年に米ウェスチングハウスを54億ドルで買収したが、それは99年に12億ドルで英核燃料会社(BNFL)に売却されたものだった。イギリス人は「国際入札」と称して、東芝を、三菱重工業を、そして日立製作所を引きずり込む。入札とはいえ、日本の役所の競争入札とはまったく異なる〝相対〟の世界。海千山千の英国人が、そうした世界に慣れない日本人経営者を手玉に取ったのではなかったか。

東芝が応札すると「その価格では落とせませんよ」とBNFLの幹部がほのめかす。三菱重工が金額を提示すると「ライバルはもっと高値を入れています」とささやく。途中から日立がゼネラル・エレクトリック(GE)と組んで買収合戦に参戦すると、東芝は浮き足立ち、価格競争はますます過熱していった。

適正価格とみられた2000億円台をあっという間に超え、担当幹部が「投資金額をとても回収する見込みが立たない」という3000億円台を突破。最終的に東芝のウェスチングハウス買収金額は54億ドル(約6300億円)にもなった。12億ドルだったウェスチングハウスはたった7年で4・5倍にも跳ね上がった計算になる。おぼこい東芝に高く売りつけることに成功したBNFLの売却担当幹部は、高額の成功報酬を得て、アーリー・リタイアメントを楽しむ優雅な日々を送っているという噂がある。

先の伝で言えば、シャヒーン氏の演じた役回りは、東芝にウェスチングハウスを高く売りつけた英国人たちということになろうか。

安宅産業は、優良資産と約1000人の社員は伊藤忠商事が吸収し、繊維部門は住友系の商社イトマンが継承した。建材部門は安宅建材として独立したが、後に住友林業が吸収。安宅コレクションは散逸を防ぐため住友グループ各社が買い取って大阪市東洋陶磁美術館に寄贈した。創業家と社風を懐かしむ者はアタカ・コーポレーションを創業している。

四分五裂したその後の安宅は、いまの東芝と重なり合う。医療用機器部門はキヤノンに、白物家電部門は中国・美的にそれぞれ売却、今後は国内のテレビ事業や虎の子の半導体事業も売却する。東芝に残る事業は昇降機や産業機械、鉄道など社会システム部門と国内の原発廃炉事業になる。「このままじゃ、明電舎のような規模になるのかね」。名門、東芝の元代表取締役はそう言って嘆いた。




大鹿 靖明 ジャーナリスト。1965年東京生まれ。早稲田大卒。著書に『ヒルズ黙示録』『メルトダウン』など。講談社ノンフィクション賞受賞。築地の新聞社にも勤務。

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