「オマハの賢人」と呼ばれるウォーレン・バフェット氏は、史上もっとも偉大な投資家の一人だ。
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ウォーレン・バフェット氏が経営するバークシャー・ハサウェイ社の年次総会が今年も、5月6日に開催された。
「資本家のためのウッドストック」「バフェット祭り」とも呼ばれる同イベントは金融界から大きな注目を集めている。
バフェット氏と副会長のチャーリー・マンガー(Charlie Munger)氏は5時間にわたって質疑に応答する。多くの場合、バークシャー・ハサウェイの経営状況よりもむしろ、バフェット氏が語る投資の知恵に注目が集まる。
バフェット氏が巨額の財産を得て人生で成功を収めたことを考えると、当然のことだ。86年の波乱万丈の人生で出会った、彼の興味深い出来事を紹介していこう。
「オマハの賢人」は、1930年、ネブラスカ州オマハで、ハワード・バフェットとレイラ・バフェットの息子として生まれた。ネブラスカ出身の父は4期にわたってアメリカ下院議員を務めた人物で、株式ブローカーでもあった。
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周囲の子どもたちが路上でボール遊びをしていた頃、バフェット少年は金融街の強者たちとかかわっていた。
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バフェットは10歳にして、ウォールストリートで「人生の突然の転機」に直面した。
ニューヨークを訪問中、バフェット少年は父親に連れられて、ニューヨーク証券取引所の会員だったオランダ人At Mol氏と昼食をともにした。
「昼食の後、1人の男があらゆる種類のタバコをトレーに載せて運んできた。Mol氏がその中から好みの葉を選ぶと、その男は葉巻を作った。そこで、これだと思った。これが目指すべき高みだ。オーダーメイドの葉巻だと」とバフェットは当時を振り返った。
この瞬間、バフェット少年は、自分が金を稼ぐことに人生を捧げることになると悟った。
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バフェット少年は早くから投資の魅力にとりつかれた。初めて株を購入したのは、11歳の時だ。
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バフェット少年は1株38ドルのシティー・サービスの株式を3株購入した。その後株価は27ドルに急落したが、若きバフェット少年はそれを手放さず、1株40ドルに持ち直したタイミングで売却した。
彼が利益を得たことは素晴らしいことだが、その後、シティー・サービスの株価は最終的に1株200ドル近くまで高騰した。あと少し辛抱していれば、より大きな利益を得られるところだった。
この経験を通して、彼は金融に関する大きな教訓を得た。その教訓は、今日に至るまで彼の投資判断の基準となっている。それは「買ったら手放すな」だ。
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若くしてビジネスに長けていた。高校生になると、友人と実入りのいいピンボールビジネスを始めた。
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高校時代、彼は25ドルの中古ピンボールマシンを購入すると、友人のドン・ダンリー(Don Danley)にある計画をもちかけた。
「僕はこの古いピンボールマシンを25ドルで買った。お互いに協力しよう。君の役割はまとめ役だ。理髪店のフランク・エリコさんにこう言うんだ。『Wilson's Coin-Operated Machine Companyから来ました。提案があります。あなたには何のリスクもありません。エリコさん、店の奥にこの機械を置きませんか。お客さんは待っている間これで遊んでいられます。売り上げは折半しましょう』と」
2人は契約を結ぶことに成功した。マシンは瞬く間に人気となり、初日に4ドルも売り上げた。
2人は稼ぎを使い込まずに、新たなマシンに再投資した。
数カ月後、バフェット少年は街中の理髪店にピンボールを設置することに成功した。翌年、彼はこの事業を1000ドル超で売却した。
ピンボール事業の他にも、少年時代のバフェット氏は、新聞配達、ガムやソーダの販売、洗車など多数の風変わりなビジネスを手がけた。
出典:Business Insider
様々なビジネスを通して、現在の貨幣価値に換算すると5万3000ドル(約600万円)というちょっとした財産を16歳で手にしていた。
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バフェットは10代ですでに大きな財産を得ていたので、一流校であるペンシルバニア大学ウォートン校への入学を勧められても、意味を見出せなかった。
結局、父親の意をくむ形で入学したものの、2年で中退してネブラスカに戻り、ネブラスカ大学に再入学した。
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大学卒業後、ニューヨークに移ったバフェット氏はコロンビア大学のビジネス・スクールに入学した。
『賢明なる投資家』原著表紙
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バフェットがニューヨークに移る決断をすることに影響を与えたのが、ウォールストリートについて書かれた有名な『賢明なる投資家(原題:The Intelligent Investor)』という本だ。熱心な読書家であるバフェットがこの本に出会ったのは、19歳のとき。ここで語られている「価値ある投資」の理念が人生を変えた、と彼は語っている。
彼がコロンビア大学のビジネス・スクールに入学したのも、この本の著者ベン・グラハム(Ben Graham)が教壇に立っていると知ったからだ。グラハム教授の授業でA+を獲得したのはバフェットだけだった。にもかかわらず、グラハム教授は、教授の会社で働きたいというバフェットの願いを聞き入れなかった。それどころかバフェットに、ウォールストリートで仕事をするのは絶対にやめたほうがいいとアドバイスした。
そこでバフェットは、1951年、修士号取得後にオマハに戻り、父親の証券会社、バフェット・フォーク・アンド・カンパニー(Buffett-Falk&Co.)で3年間働いた。
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1952年に結婚。
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1952年、スーザン・スージー・トンプソンと結婚。スーザン、ハワード、ピーターという3人の子どもに恵まれた。
結婚直後、若い夫婦の暮らしは楽ではなかった。彼らは3部屋のみの小さなアパートを月65ドルで借り、非常に質素な生活をしていた。
5年後の1957年、バフェットは5つの寝室を備えた家を3万1500ドルで購入した。彼は今でもそこで暮らしている。
ウォーレンとスージーの関係は、控えめに言っても、複雑なものだった。2004年にスージーが亡くなるまで2人は夫婦だったが、結婚生活の半分以上は別居していた。
スージーは45歳のときにバフェットとは離れて暮らすようになった。結婚関係は継続したものの、住まいをサンフランシスコに移した。2人の仲は親密で、頻繁に電話でやり取りしていたし、一緒に旅行にも出かけた。バフェットをアストリッド・メンクスに引き合わせたのも彼女だ。やがてウォーレンはアストリッドと同居するようになり、スージーの死後、2人は再婚した。
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バフェット氏はニューヨークに戻った。
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グラハム教授の心境が変化し、1954年、バフェットにニューヨークでの仕事を紹介。一家はニューヨークに移った。
バフェットは、2年間、教授の会社グラハム・ニューマン(Graham-Newman Corp.)のアナリストとして働いた。彼は、現代の価値に換算して年間10万5000ドル(約1200万円)相当の利益を生み出した。
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ベンジャミン・グラハムは1956年に引退したため、バフェットは愛するオマハで自ら「Buffett Partnership Ltd.」を設立した。
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32歳でミリオネアに。
Gene Kim
1950年代末までに、バフェットは7つの会社を立ち上げた。そして1962年、彼はミリオネアになった。
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バフェットは所有する会社を合併し、繊維業を営むバークシャー・ハサウェイに投資した。
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1962年、バフェットは、自身が所有するすべての会社を合併し、バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)という繊維会社に投資した。1960年代初頭にバークシャー・ハサウェイの株を買い始め、最終的に経営権を握った。
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1960年代後半、バフェットはバークシャー・ハサウェイを繊維業から保険業へ転換させた。
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80年代は怒涛の時代だった。
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バフェットは、派手なマレットヘアやレッグウォーマー、ネオンカラーファッションなどにかかわる様々なビジネスを手がけていった。1982年には3億7600万ドルだった純資産は、翌年には6億2000万ドルに膨れ上がった。
1986年、彼は56歳にしてビリオネアとなった。ちなみにバークシャー・ハサウェイから支給される給料は年間5万ドル。
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1988年までにコカ・コーラ株の約7%を取得。バフェットにとって最高の投資の1つとなった。
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「バフェットがコカ・コーラに投資した金額[10億ドル]は、配当金などを加味すると27年間で約16倍に成長した。年間の利益率は約11%となる」
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2008年、世界長者番付で1位に。
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「2008年、バフェット氏は過去13年間にわたって世界長者番付トップのビル・ゲイツを抜いて、1位となった。フォーブスによると、バフェットの純資産は620億ドル。ただし、翌年にはビル・ゲイツ氏が返り咲き、バフェット氏は2位となった」
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2010年、ビル・ゲイツとともに慈善活動を開始した。
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バフェットの質素倹約ぶりは、彼のトレードマークだ。携帯電話も持たず、公共交通機関を使う。だからといってケチな守銭奴というわけではない。
2016年、バフェットは、自分自身の慈善活動の個人記録を塗り替えた。28億6000万ドル(3000億円以上)相当のバークシャー・ハサウェイ株を、ビル・メリンダ・ゲイツ財団(Bill and Melinda Gates Foundation)をはじめ、数多くの慈善団体に寄付したのだ。彼が寄付した金額は、285億ドル(約3兆円以上)を超えている。
さらに、バフェットは、同じビリオネアのビル・ゲイツとともにそれぞれの資産の半分を慈善団体に寄付することを決め、「ギビング・プレッジ(Giving Pledge)」という慈善啓蒙活動を始めた。
2010年からは、Facebookのマーク・ザッカーバーグをはじめ150名以上の資産家がこの活動に参加している。
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2011年、大統領自由勲章を授与された。
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トランプ氏が大統領になってから、120億ドル相当の株式を購入した。
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バフェットはリベラル指向であり、トランプ大統領について多くを語らないものの、新政権を楽観視しているようだ。
チャーリー・ローズ(Charlie Rose)とのインタビューで、バフェットは、大統領選の後、バークシャー・ハサウェイは約120億ドルの株式を購入したと語った。
投資情報サイトのInvestopediaによると、「この額は、同社が2016年第1~第3四半期に購入した株式総額52億ドルの2倍以上」にのぼる。
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(翻訳:Conyac)