In-N-Out社長のリンジー・スナイダー氏
CBS
リンジー・スナイダー(Lynsi Snyder)氏(35)は今月、アメリカで有数の人気を誇るファストフードチェーン In-N-Outのオーナーになった。
30歳でIn-N-Outの株式の半分を相続したスナイダー氏は、35歳の誕生日を迎えた5月5日、残り半分も取得、女性としてはアメリカで最も若いビリオネアの1人になった。
In-N-Outは米国6州に324店舗を展開、2013年時点の企業評価額は11億ドル(約1兆2000億円)だった。
祖父母がIn-N-Out第1号店を開いたのは約70年前の1948年。そして、スナイダー氏は7年前に同社の社長に就いた。
スナイダー氏は社長就任後も表舞台に出ることは少なく、取材にも滅多に応じないことで知られる。
しかし今年1月、Iamsecond.comで公開された10分間の動画で、スナイダー氏は4回の結婚、実父の死、そして自身の過去の薬物依存などプライベートを語った。
スナイダー氏の祖父が1976年に死去した後、おじのリック・スナイダー(Rich Snyder)氏が経営を引き継いだが、彼は1993年にプライベートジェット機の墜落事故で命を落とした。
リンジー・スナイダー氏は表舞台に出ることは少なく、取材にも滅多に応じないことで知られる。
I Am Second
その後、社長に就任した父のガイ・スナイダー(Guy Snyder)氏も、リンジー・スナイダー氏が17歳だった1999年に薬物過剰摂取で亡くなってしまう。
スナイダー氏は2006年、祖母の死を受けてIn-N-Outの経営を承継し、さらに4年後の2010年に社長に就いた。
スナイダー氏の社長就任後、In-N-Outは新たに2州に進出し、現在は計6州で事業を展開している。シンプルなメニューは変えず、ブランドを守っている。
彼女は自身を、几帳面で慎重なリーダーである一方、冒険も好きだと分析。昨年、Orange Coast Magazineに「私は父そっくりで、ちょっと向こう見ずなところがあります。アドレナリンが流れる感覚が好きで、2歳か3歳のときに父にサーキットに連れて行かれたためか、モーターがついているものを見ると血が騒ぎます」と語った。
彼女はドラッグレース(編集部注: アメリカを発祥とするモータースポーツ。直線コース上で停止状態から発進し、ゴールまでの時間を競う)が大好きで、一時期はアマチュアボクサーを目指していたという。
父の死と4度の結婚
今年1月に公開された動画の中で、スナイダー氏は、彼女が5歳の時から父のガイ・スナイダー氏が薬物依存に苦しみ、リハビリ施設に出入りしていたことを明かした。その後、父の浮気が原因で、彼女が12歳の時に両親は離婚した。
「善良な夫、善良な父親でありたいと願っていたことを知っていたから、父が落ちぶれ、弱っていくところを見るのは本当につらかったです」と彼女は語った。
ほぼ同じころ、つまり1993年には父親のガイ・スナイダー氏がIn-N-Outの経営を引き継ぎ、1999年に薬物過剰摂取で亡くなるまで指揮を執った。
「すべてが崩れ去りました。父が亡くなって、一人きりになるなんて耐えられなかった」
34歳でビリオネアの仲間入り
ABC News
父の死後、リンジー・スナイダー氏は18歳で初めての結婚をした。
「それは間違いでした。離婚の慰謝料を支払って、すぐに別の人の胸に飛び込んだんです」
そこから彼女のマリファナとアルコール依存が始まったという。
「その時点で家族の中で浮いてしまったことに気付きましたが、離婚もしているし、受け入れることにしました」
父のように若くして死ぬことを恐れた彼女は、再婚して2人の子どもを出産。しかしその後不倫し、2回目の結婚生活も6年で終わった。
「あの時ほど打ちのめされたことはありませんでした」
3回目の結婚で3人目の子どもを出産。しかし相手の男性は、金目当てで彼女と結婚し、離婚まで4年間浮気していた。
「彼の浮気を初めて知った時、『当然の報いだな』と思いました」
34歳にして4回目の結婚生活を始めた彼女は、信仰を通じてようやく心の平安を取り戻したという。
IPOには否定的
スナイダー氏は2度も誘拐されかけたという。
In-N-Outは米国内の6州に324店舗を構えている。
Flickr/Ray Yu
1度目は高校在学中の17歳の頃、2度目はIn-N-Outのマネジャーをしていた24歳の頃だった。「ハイウェイを横切って逃げたんです。ワゴン車の窓が何かのボードで覆われていました」と回想し、車の運転手を誘拐犯だったと推測した。
CBSの2015年の取材で将来の展望を問われたスナイダー氏は、In-N-OutがIPOやフランチャイズに乗り出すことは「絶対に」ないと断言した。
「そんなことをする理由は利益のため以外にはないし、私はやりたくないです。私がこの会社にここまで愛着を持っているのは、もうこの世にいない家族との強い絆があるから。彼らが望んでいただろう道を、守っていきたいです」
(翻訳:近松瑛真)