史上最年少のフランス大統領は「政治経験のなさ」も追い風に

次期フランス大統領エマニュエル・マクロン氏の写真

次期フランス大統領エマニュエル・マクロン氏

REUTERS/Stephane Mahe

5月7日(現地時間)に実施されたフランス大統領選挙で、前経済相のエマニュエル・マクロン 氏(39)が圧勝を収め、第25代フランス大統領就任を決めた。

企業活動を重視するマクロン氏は、フランスの欧州連合(EU)からの離脱を訴える極右・ナショナリストのマリーヌ・ルペン候補(48)を、得票率66.1%対33.9%で下した(フランス内務省発表)。

投資銀行の経験を経て、2014年8月から2016年8月までの2年間にわたってフランソワ・オランド現大統領率いる社会党政権で経済・産業・デジタル担当大臣を務めたマクロン氏は、これまで1度も公職選挙に立候補したことはなかった。人々に知られるようになったのは、社会党を離れ、自ら創立した政治運動「前進」を率い、中道系独立候補として出馬してからだ。

まもなくフランス史上最年少で大統領に就任するマクロン氏の経歴を振り返ってみよう。

1977年12月21日、エマニュエル・マクロン氏はフランス北部アミアンで生まれた。家族が皆医学の道に進む中、大学では哲学を専攻、投資銀行で働くことを選んだ。

エマニュエル・マクロン氏の写真

Reuters/Stefan Wermuth

父はアミアン大学病院の神経科医ジャン・ミシェル・マクロンさん、母は小児科医のフランソワーズ・マクロン=ノゲさん。家族の中で医学の道に進まなかったのは長男のマクロン氏だけで、弟と妹はそれぞれ心臓と腎臓の専門医となった。

マクロン氏は異色のキャリアをたどっている。高校卒業時に理系の卒業資格(バカロレアS)を取得した後、パリ第10大学で哲学を専攻。哲学者の卵はその後さらに、国立パリ政治学院( Sciences Po )を経て国立行政学院(ENA)へ進んだ。 両校ともにフランスの最高学府として誉れ高い。

その後、 投資銀行のロスチャイルドで経験を積んだマクロン氏は、2012年にフランス大統領府副事務総長に就任。2014年からはオランド内閣で経済相を務めた。

2007年、マクロン氏は高校時代のフランス語教師で25歳年上のブリジット・トロニューさんと結婚した。

マクロン夫妻の写真

マクロン氏と妻のブリジット・トロニューさん

REUTERS/Philippe Wojazer

故郷の私立のカトリックスクールで2人が出会ったとき、マクロン氏は15歳だったという。

ビジネスニュースサイトIBタイムズによると、若きマクロン氏の知性にひかれたトロニューさんは、次のように語った。「エマニュエルは全てのスキルが並外れている。私が妻だからそんなことを言うのだと思うかもしれないが、これは教師としての目で見て言っている」

結婚式のスピーチでマクロン氏は、家族や友人に対し、長年にわたって2人の関係を「受け入れ」、「支えてくれた」ことに感謝を表明した。

2014年、オランド大統領が事実上更迭したアルノー・モントブール経済・産業・デジタル大臣の後継を打診される。

オランド大統領

マクロン氏に大臣就任を打診したオランド現大統領

Carl Court/Getty

前任者のモントブール氏は保護主義者と見なされていた。彼の選挙運動で最も有名なスローガンは、外国製品ではなく国産製品を買おうと呼びかける「メイド・イン・フランス」だろう。

一方、マクロン氏は企業活動重視の親EU派であり、ドナルド・トランプ大統領に不安を感じているアメリカの科学者や研究者、実業家らにフランスへの移住を勧めさえする。

モントブール氏が更迭されたのは、オランド政権の緊縮政策をあからさまに批判し、政権にとって脅威となったからだった。


経済相を引き継いだマクロン氏に課せられたのは、過去3年間の成長率が0%だったフランス経済の再建だった。

歩いているマクロン氏

REUTERS/Jacky Naegelen

在任中最大の功績は、経済界寄りの施策を盛り込んだ通称「マクロン法」の成立だ。マニュエル・ヴァルス首相と共同で作成したこの法案は、社会党政権をビジネス寄りの政策に導く内容だった。

だが、経済相として初めて提出したこの法案は、フランスの社会主義的価値観に相反するとみなされ、国民世論にも議会にも極めて不評だった。

上下両院で反発を受けた同法案は結局、フランス共和国憲法第49条3項(閣議決定後、法案の表決を行わずに内閣の信任を問うことで、その法案が採択されたとみなす)により、可決した。

マクロン法は、規制緩和により経済を再編し、活性化させるための処方箋だったが、マクロン氏がビジネスの足かせになっていると声高に主張している週35時間労働制については、興味深いことに触れていない。

マクロン氏の良き助言者だったオランド大統領。2006年に知人を介して知り合い、親しくなったと言われる2人の関係も、マクロン氏が独自の運動を立ち上げると、複雑なものに。

オランド現大統領とマクロン氏の握手写真

フランソワ・オランド現大統領(左)と握手するエマニュエル・マクロン氏(右)

REUTERS/Philippe Wojazer

2015年3月、フランスのラジオ局Europe1のインタビューで、オランド大統領の再選を望むかと聞かれたマクロン氏は、自分はオランド氏に忠実だと述べ、同氏について「正当な候補だ」と語った

だがその1年後、自らの運動「アン・マルシュ! (前進)」を立ち上げたマクロン氏について、オランド大統領は 「彼は私の下でチームの一員であるべきだ」と発言した

マクロン氏は社会党政権下で経済相を務めたが、大統領選では社会自由主義を掲げ、経済界寄りの中道系独立候補として出馬している。これを社会党に対する造反と見る人は多い。

2016年4月6日、公職選挙を戦った経験のまったくない政治の素人は、故郷のアミアンで自らの党の立ち上げを宣言した。4カ月後、マクロン氏は経済相を辞任した。

無名の大統領候補に。

支援者の声援に応えるマクロン氏

David Ramos/Getty

2016年11月初旬、フランス大統領選への立候補を表明したマクロン氏。この時、国民の間ではほとんど無名だった。

大統領選どころか自治体の首長選挙に立候補した経験もなく、無名候補として運動をゼロから始めることは、フランス政界では極めて異例だ(編集部注:実際、フランスの有力紙ル・モンドは、1958年以来の体制下では「彼のような個人的な挑戦が結果的に成功したことは一度もない(Jamais aventure personnelle comme la sienne n’a été couronnée de succès sous la Ve République)」と記している)。

にもかかわらず、彼は成功を勝ち取った。実際の数字の検証は難しいものの、マクロン氏のウェブサイトによると、「アン・マルシュ! 」の支持者は20万人に及ぶという。ただし、最近のあるインタビューでマクロン氏はその数を22万人と述べている。

一匹狼、反既得権益といったイメージを打ち出すマクロン氏。アメリカのトランプ大統領同様、政治的エリートでないことが、成功の理由のひとつに挙げられる。

決戦投票当日に車上から報道陣に向けてポーズをとるマクロン氏

決戦投票が実施された2017年5月7日、フランス・パリの自宅を発つ車上から報道陣に向けてポーズをとるマクロン氏

Thomson Reuters

マクロン氏は自らを政治的中道に位置づけて、左派と右派双方の穏健派に支持を訴えた。

対照的に、他の候補者はそれぞれの政党の極端な主張を展開した。

「国民戦線」の候補ルペン氏

極右政党「国民戦線」の候補ルペン氏

Stephane Mahe/Reuters

例えば中道左派・社会党候補のブノワ・アモン前国民教育相は、週32時間労働制を訴え、党内でも急進派だった。一方、中道右派の統一候補で共和党に所属するフランソワ・フィヨン前首相は、自らがカトリック信者であることや古風な家族観を打ち出し、国民戦線の支持者の取り込みを図ったが、スキャンダルに見舞われて敗退した。

そして極右政党「国民戦線」の元党首マリーヌ・ルペン氏は反移民政策を掲げてきた印象が強い上に、父親である元党首ジャン=マリー・ルペン氏はこれまでに人種差別によって何度か有罪判決を受けた経歴を持つなど賛否が分かれる人物だ。マリーヌ・ルペン氏は第1回投票で得票率第2位となったものの、決戦投票では有権者の過半数の支持を得ることはできなかった。

マクロン陣営とてスキャンダルが全くないわけではない。

渋い表情を浮かべるマクロン氏

Sean Gallup/Getty

マクロン氏が大臣在任中にメインスピーカーとして登壇したアメリカ・ラスベガスの家電見本市「CES」で、広告代理店ハバスが、CES開催の大型契約を入札なしで獲得したのではないかという疑惑が浮上し、2017年3月14日に捜査が開始された。ただし、マクロン氏の側近は「問題の疑惑はマクロン氏とは無関係だ」と述べている。

昨年の米大統領選の候補だったヒラリー・クリントン元国務長官と親しいとされることも、仏メディアの一部では不評を買っている。加えて、彼自身の選挙キャンペーンに対する公金流用疑惑もある。

ケリー前米国国務長官と懇談するマクロン氏

アメリカのジョン・ケリー前国務長官(左)とマクロン氏(右)

REUTERS/Regis Duvignau

2月上旬にはマクロン氏の一番の側近が、ロシアをハッキングの疑いで非難したことも波紋を呼んだ。疑惑の内容は、ロシアがフランス大統領選に介入すべく、同国政府の支援を受けたメディアから親EU派のマクロン氏に関する偽ニュースを流布しているというものだった。

決戦投票を2日後に控えた5月5日、マクロン陣営は大規模ハッキング攻撃の標的になった。

ルペン候補の選挙ポスターの上から貼られたマクロン候補のポスターの写真

マクロン氏の選挙ポスター。一部が剥がされ、下からルペン氏のポスターが顔をのぞかせている。

REUTERS/Pascal Rossignol

契約書、電子メール、会計書類などを含む約9GBのデータが 、匿名のインターネットユーザーによってオンラインでシェアされ、SNS上で拡散され始めた。

マクロン陣営は、選挙活動が規制される投票前日の6日午前0時の直前に、ハッキング攻撃を受けたとの報告をかろうじて発表することができた。

直前の情報流出にもかかわらず、マクロン氏はルペン氏を得票率66.06%対33.94%の大差で下した。

ルーブル美術館でマクロン氏当選を祝う支持者たち

ルーブル美術館でマクロン氏当選を祝う支持者たち

Abd Rabbo Ammar/ABACA/ABACA/PA Images

マクロン氏とルペン氏の支持率の差は、選挙前調査の予想(約20ポイント)を大きく上回った。

他のEU諸国では、イギリスのEU離脱決定とアメリカのトランプ大統領就任に続いて、ルペン候補の勝利の可能性が懸念されていたが、今回のマクロン氏の勝利で安心感が広がっている。

マクロン氏の政治家としての真価が問われるのはこれからだ。しかし政治経験のなさや、政治に「モラル」を取り戻すとの公約は、むしろ有権者を魅了したようだ。

大規模集会の終わりに国歌を歌ったマクロン氏の写真

2017年1月14日、ベルギーとの国境に近いフランス北部リールで、大規模集会の締めくくりにフランス国歌を歌ったマクロン氏

REUTERS/Pascal Rossignol

「今夜、フランスの長い歴史に新たな1ページが書き加えられた。これが期待と信頼回復の1ページとなるよう取り組んでいきたい」と、マクロン陣営はルペン氏に対する勝利宣言の中で述べた。

5月14日に正式に大統領に就任するマクロン氏は今後、来月実施されるフランス議会選挙で、自らが率いる政治運動団体「前進! 」による過半数の議席獲得を目指して取り組んでいかなければならない。2016年4月に発足して以来1年あまりで、「前進! 」は数百人の候補者を擁立する必要に迫られている。

[原文:Meet Emmanuel Macron, the 39-year-old former investment banker who will be the next French president

(翻訳: Tomoko.A 、原口 昇平)

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