スパイ活動で使用される道具の中で、重用されるのは地図だ。地図の正確さは、任務の成否、つまり生死を左右する。
CIAは地図や地図の製作技術を長い間、秘密にしてきたが、昨年、地図製作部門の設立75周年に際し、数々の地図をオンラインで公開した。第2次世界大戦後に発足したCIAが、世界情勢をどのように捉えてきたかを垣間見ることができる。
キューバのミサイル基地想定図(1962年)
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1940年代初頭、フランクリン・ルーズベルト大統領によって、CIAの前身となる組織が作られた。ナショナルジオグラフィックによると、地図製作部は戦争の戦略立案に欠かせない膨大な数の地図を製作した。
同組織の地図製作部には、国家の安全保障にかかわる地図やデータを供給するというミッションが課せられた。結果的に「地理学者や地図製図者は世界有数の地図コレクションを作りあげた」と、CIAは述べた。
旧ソ連は、他国の首都や主要都市の精密な地図を作るだけでなく、敵を撹乱するために自国の不正確な地図を作ることに多大な労力をかけた。冷戦期に地図がいかに重要視されていたかを示すエピソードだろう。
CIAの地図は、当初はペンと半透明シートを使って手書きされていたが、デジタル技術を導入するのも早かった。
「1966年、デジタイザーを借り、週末のわずか数日間で世界中の海岸線や国境をデジタル化した」とCIAは述べた。
中東の石油輸送・精製施設を示した地図、1950年代初め。
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フランスとベトナム独立同盟の支配地域、1950年代。
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中国の鉄道路線図、1950年代中頃。
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キューバのミサイル基地と疑われる場所、1962年。
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東西ベルリンの交通網、1960年代。
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南アフリカ共和国の黒人指定居住地域(バンツースタン)、1973年。
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南レバノンと周辺地域、1977年。
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アフガニスタンの民族分布図、1979年。
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モスクワ中心部、1980年。
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ユーゴスラビア、1981年。
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アフガニスタンーパキスタン国境間の難民移動による人口変動、1982年。
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[原文:These 11 declassified maps show how the CIA saw the world at the height of the Cold War]
(翻訳:近松瑛真)