「基地への感情は重すぎて沖縄は沈んでしまう」復帰45年に交錯する本土への感情

沖縄は5月15日、本土復帰45年の節目を迎えた。基地問題をめぐる沖縄と日本本土の関係は過去最悪との指摘もある。沖縄の人たちは今、「本土」をどう見ているのか。訪ね歩いた。

GW期間中にもかかわらず、茨城空港―那覇間のスカイマーク往復チケットが2万円余で確保できた。東京駅-茨城空港間の高速バスは空港利用者だと片道500円。LCC、地方空港、バス会社の連携の恩恵をかみしめた。

沖縄は梅雨入り間近を予感させる、どんよりした雲に覆われていた。那覇空港近くのレンタカー営業所で、波のように押し寄せる観光客を手際よくさばく女性スタッフ(22)に声を掛けた。

「(本土の)お客さんは沖縄いいところですね、と言ってくれます。でも、配車が遅れると、『沖縄タイムだから仕方ないね』って言われます。ひいきされていると思うときと、差別っていうのか、えっ?と思うこともたまにあります」

金城知美さん

「沖縄の人のほうから本土への壁を取っ払い、もっと先へ進むべき」金城知美さん

撮影:渡辺 豪

沖縄本土復帰45年特別展を開催中の那覇市の県立博物館・美術館。金城知美さん(30・糸満市在住)が感じる本土との「壁」。「仮に琉球独立しても、沖縄以外の人とも協調していかないと」

「前の職場では文化芸術活動の支援事業に携わり、上司は県外出身の方でした。本土出身のあなたに何がわかるんだって、関係者から批判を浴びる場面もありました。やっぱり壁があったように思います。『琉球独立』を唱える人もいますが、確かに、そういう気持ちはわかるんです。でも仮に独立しても、沖縄以外の人たちとも協調していかないといけない。琉球だった時代に諸外国との交流から生まれた沖縄ならではの文化や芸術が、今はしっかり根付いています。沖縄の人のほうから壁を取っ払い、もっと先へ進むべきだと思います」

基地問題への複雑な感情も吐露した。「基地への感情は重過ぎて沖縄は沈んでしまう」

「名護市辺野古の基地建設には反対です。沖縄の豊かな自然を壊されたくないから。でも、基地から収益を得ている人もいますから、一概に基地をなくせとも言えないのです。いろんな感情が沖縄にはあって、それが重過ぎて沖縄は沈んでしまうんじゃないかっていう不安もあります」

Y.SUMIさん-1

「自分たちだけで生きていると勘違いせず、もっと想像力を働かせて」Y.SUMIさん

撮影:渡辺 豪

那覇市の60代女性、Y.SUMIさんは「本土の人は足元で起きていることとして、沖縄を見ていない」と訴える。

「沖縄の人は他人事も自分事のように心を痛めます。私も長く本土にいたからわかるけど、本土の人って違いますよね。ここ(沖縄)は昔からもまれているから国際都市なのよ。日本もかつてはそうだったけど、今は国際感覚、これ(指で『ゼロ』と示す)じゃない? 自分たちだけで生きていると勘違いせず、もっと想像力を働かせてほしい」

国道58号を北上する。宜野湾市に近づくと、車列の真上を米軍ヘリが低空旋回した。市街地の真ん中にある米軍普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したのは2004年夏のことだ。

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「あのきれいな海が残る辺野古じゃなくても」佐久川大輝さん

撮影:渡辺豪

米軍ヘリ墜落事故のとき小学生だった沖縄国際大学3年の佐久川大輝さん(21・那覇市在住)は、墜落事故で黒焦げになった木を見たとき、他人事ではないと実感した。

「辺野古の基地建設は普天間返還のためと言われますが、あのきれいな海が残る辺野古じゃなくてもいいのかなって思います。もっと違うところ、探せるんじゃないのかな」

香港でインターンシップを経験した佐久川さんは、沖縄の発展の可能性をアジアとのつながりに見出そうとしている。

「香港の人は東京とか大阪、名古屋のことをよく知っていましたが、地理的に近い沖縄は地名も知らない人がほとんどでした。沖縄の人は自分をアピールするのが苦手です。県外の人たちは積極的に発言するので、そこに違いを感じます。沖縄は日本の中でも一番、世界とつながりやすい地域。もっと発信力や行動力を身に付けて、将来は沖縄がアジアの窓口になれたらいいんですけど」

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「『沖縄から来た子って勉強してないよね』って言われたと聞きました」山田珠妃さん

撮影:渡辺豪

2年生の山田珠妃さん(19・那覇市在住)は「ぽろっと出る本土側の偏見」を指摘した。

「普通に生活してて差別を感じないにしても、何かあると、ちょっとこれはどうなんだっていうときもあります。首都圏に行った友人から、『沖縄から来た子って全然勉強してないよね』って言われたと聞きました。それって別に沖縄から来たからというわけではないんじゃないかなって。ぽろっと出るところに、ちょっとおかしいなと感じることがあります」

ヘリ墜落事故から学んだことも多かった。

「事故後、米軍に立ち入り禁止にされましたよね。やっぱりここは占領地として見られているのかな。沖縄の側も変わらないといけない。米軍の事件事故のたび抗議集会を開いても、事態はほとんど改善されていません。実証的な研究を重ねて解決しなければいけないところ、まだまだ考えなきゃいけないかな」

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「アメリカや日本に属してきたけど、独自の文化がちゃんと続いている」城間康太郎さん

撮影:渡辺 豪

3年生の城間康太郎さん(20・那覇市在住)は、今の沖縄と本土の関係について「なんかバチバチだなあ」と感想を漏らした。

「良くも悪くも、ですかね。良くもっていうのは、観光客がたくさん来てくれてありがたいんですけど。基地問題はまた別個で、沖縄は沖縄で国は国、日本は日本だけでみたいな感じで分かれてしまうので、その点は違うのかなあと。沖縄はアメリカや日本に属してきたけど、沖縄独自の文化がちゃんと続いているし、自分たちの生活スタイルはあまり変わらない。それってすごいなあって思います」

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「とりあえず東京に行けば何かつかめるのかなあって」親泊元之介さん

撮影:渡辺 豪

1年生の親泊元之介さん(18・沖縄市在住)は「東京で何かをつかみたい」と考えている。

「小学校のときに先生から聞いた話を今も覚えています。沖縄が日本に復帰したばかりのころに本土へ行くと、『英語、しゃべれるんだろう』って馬鹿にされた、と。すごくショックでした。高校の部活の遠征で東京に行ったとき、馬鹿にされるのかなあって思ったけど、みんな仲良く接してくれました。沖縄の印象が変わったのかな、受け入れてもらえたのかなって思いました。卒業前に東京に行ってみたいと思っています。どういう職があるのか、とりあえず東京に行けば何かつかめるのかなあって」

沖縄本島中部の北中城村。米軍専用のゴルフ場跡地に、「イオンモール沖縄ライカム」がオープンしたのは約2年前だ。1歳5カ月の男の子を連れた女性(42・沖縄市在住)は「基地=戦争っていう考えではないんです。私みたいなことを言う人はたぶん少ないと思うんですけど」と話す。

「復帰してよかったと思います。沖縄だけだったら経済も発展しないですし。沖縄の方の多くは基地に反対されているんですけど、沖縄の方があまり意識していないのが抑止力では。今ある基地は保っていないと、中国が何をするかわからないと思ってます」

学生時代を東京で過ごした男性(24・糸満市在住)は「感覚の違い」を経験していた。基地問題に関して「『沖縄の人には犠牲になってもらわないといけない』とバイト先の先輩から直接言われたことがあります」。

「沖縄の人からしたら、『アメリカに守ってもらっているという感覚はあんまりないんですよ』と反論しましたが、基地に対する感覚は全然違いましたね。辺野古の基地建設には反対です。一度造ってしまったら恒久的な施設になるからです。北朝鮮の問題もありますし、もし戦争になったら真っ先に狙われるのはおそらく沖縄でしょうから」

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「ますます基地が強化されていくようで残念」宮元和子さん

撮影:渡辺 豪

那覇市の「不屈館」。米軍統治下の沖縄で圧政と闘った不屈の政治家、故・瀬長亀次郎氏の軌跡を展示する資料館だ。 スタッフの宮元和子さ(71・南城市在住)は、「復帰後すぐに自衛隊が入ってきたのが強く印象に残っています。こんなに間をおかず日本の軍事組織が配備されるものなんだなと、不安と衝撃、そして怒りを感じました」。

「復帰時は27歳でした。アメリカの沖縄統治機関である『米国民政府』の職員として働いていた私は復帰に伴い、職を失いました。それでも復帰運動には、在職中から希望を持って積極的に参加していました。期待していた日本復帰でしたが、45年が過ぎて、ますます基地が強化されていくようで残念でなりません」

沖縄では復帰の年に生まれた人を、「復帰っ子」と呼ぶ。教諭の安里邦夫さん(45・南城市出身)もその一人だ。 「ネットの情報でわかったような気になるのではなく、実際に反対運動の現場を見て、声を聴いてほしいなって思います」

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「子どもたちに現状の沖縄を残してはいけない」安里邦夫さん

撮影:渡辺 豪

「私は普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校の卒業生です。物心ついたときには周りに米兵がいて、友だち感覚でした。実家も軍用地収入があり、基地はあってもいいと、20代前半ぐらいまでは思っていました」

28歳で子どもを持ち、考えが変わったという。

「子どもたちに現状の沖縄を残してはいけない。僕の子どもだけでなく、教え子も、さらにその先もって、考えるようになりました」

安里さんは昨年夏以降、できる限り時間をつくって基地反対の座り込みに参加するようになった。

「僕らも例えばシリアのことに関心はあっても、何も声を挙げられていません。本土の人も、そういう感覚なのかなって想像はできる。でも同じ日本人だったら、ここにも目を向けてくださいよって。実際に反対運動の現場を見て、声を聴いて、そのうえで、私は違うというのであれば、それはそれでいいんです」

茨城空港から東京駅へ向かうバスの帰路。高速道路から望む広大な関東平野に、「占領」の面影は視界に映らなかった。基地のフェンスに分断された沖縄との落差に呆然となった。


渡辺 豪:1968年兵庫県生まれ。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。主な著書に『「アメとムチ」の構図』『日本はなぜ米軍をもてなすのか』、共著に『普天間・辺野古 歪められた二〇年』(集英社新書)。

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